第10話 風雨にさらされ痛んだ建物ばかり

 たった二日で盗賊ギルドは、ゼルマンを調べあげてきた。

 元は優秀なマギでありながら、ギャンブルで道を踏み外し、後戻りできないまで身を持ち崩した悪党。残虐非道でマギの力を使い、悪事を行う危険な人物。それがゼルマンという人物だ。

 そんな危ない筋の者であれば、自分の素性ぐらいは隠しているに違いない。だから二日で調べあげた盗賊ギルドの情報網は凄いものだ。利用しておきながらだが、あまり関わり合いたくない相手であった。

「ゼルマンて人はブラックマスターシュという、傭兵団を構えてるのよね」

「その傭兵団に依頼が行っているという事だな。しかも傭兵ギルドでも手を焼くような連中か、これはなかなか面倒だ」

「とっても面倒ね」

 小道を行くフウカは、茶色がかった自分の髪に触れつつ、足を投げ出すように歩く。並んで歩くグライドはゆっくりと歩いて、二人揃って進んでいく。

 今まさに話題にのぼったブラックマスターシュの根城に向かっているところだ。しかしアイリスは一緒ではない。流石に貴族のお嬢様を連れて来るのは危なすぎた。

 そもそも、ゼルマンの情報が得られた事も教えていない。

 教えればどんな反応を示すかは予想出来て、教えなかった文句を言われそうだが、事後報告をする事にしている。間違いなくその方がいい。

 都市と外部を分かつ城壁は、見上げる程に高く、どれだけの労力で築かれたのか、長々と続いていた。そして出入りのための城門もまた、巨大で立派なものだ。出入りの人を兵士がゆだんなく見張って、その門の向こう、広々とした草原が遠くまで広がっていた。

 そちらを眺めながら、グライドは城壁に沿って歩きだす。

 少し行くと城壁に張り付くようにして、家屋の群れがあった。

 風雨にさらされ痛んだ建物ばかりで、幾つかは壁や柱が半ば崩れていた。土を踏み固めただけの道には壊れた樽や壺が乱雑に放り出され、その破片も散っている。壊れた椅子や棚が放置され、その間から草が伸び埋もれた状態にある。

 鼻を突くような嫌な臭いもする。どうやら腐敗臭のようだが、何が腐っているかまでは分からない。しかし、ろくでもないものである事は間違いない。

 所謂ところのスラムだ。


 都市に入る事を許されず、しかし他に行くアテもなく、自力で生きていく事も出来ない者たちが身を寄せ合って暮らしている。長い年月の間に町と呼んでも良い規模になっている。だが興味本位で入り込めば、すぐに物陰に引きずり込まれ、死んだ方がマシな目に遭う危険な場所だ。

 ここに足を踏み入れるのは、この場で暮らす仲間か、ただの愚か者か、または危険を切り抜ける力を持った者ぐらいだろう。

「どちらかと言えば、汚れ仕事が専門みたい。お金さえ出せば何でもするタイプね」

「この前の引き際は良かったな。そこから見ても、実力は間違いなかろ」

「だから傭兵ギルドも困ってるのかしら?」

「依頼以上にやり過ぎて、依頼人にまで食い付いくような感じか。斬れすぎる刃物は、使い手が悪ければ、自分の手を斬るものだからな」

 グライドとフウカは、王都に住居を構える前は、各地を放浪していた。様々な危険や事件に巻き込まれた経験を持つ。警戒を顔には出さず、しかし油断せず歩いている。

 やがて立派な――周りが酷いので相対的にそう見える――建物が見えてきた。

 入り口の脇には厳つい男が、グライドとフウカの方をちらりと見た。こちらを見て、じっと立っている。背にしている扉を叩き合図をした様子を、グライドは見逃さなかった。

「ここがブラックマスターシュの巣窟か」

「そうよ、でも本当に入るの? お父さんでも危険かもしれないわ」

「まあ、何とかなるであろう。フウカは外で待っていておくれ」

「うん……」

 いつ来るとも分からぬ相手を待ち続けるこちらよりも、好きなタイミングで動ける相手が有利なのは疑いようがない。それであればと、こちらから動いて揺さぶりをかけに来たのだ。

「ところでだが。外で待っている間は、しっかり周りを警戒するように。分かっていると思うが、ここは安全でない。フウカもそれなりに戦えるとは分かっているが、しかし万一という場合もある。いいか、少しでも危ないと感じたら構わず逃げるように」

「お父さん」

「なにか質問か? まさか今更トイレ――」

「うるさいの!」

 フウカに蹴られ、グライドは寂しい思いをした。


 意外にすんなりと建物の中に通された。

 外観とは違って、内部は案外と綺麗なものだ。荒くれ者ばかりの中で、いったい誰が掃除をして、壁に洒落た飾りをつけたりするのだろうか。グライドは自分の建てた家を思いだし、そんな疑問を抱いた。

 木張りの床は一歩ごとに小さな軋みをたてる。奥に行くほど酒臭さと干し草の臭いを甘くしたような煙が強くなり、吹き抜けになった二階にまで薄く満ちていた。

 薄暗い照明の下、大きな黒木のテーブルを囲み、カードに興じるの男たち。長いソファーで差し向かって酒を飲む者たちがいれば、短剣で干し肉を削ぎ斬り頬張る者もいて、静かに書物に目を通す者もいた。

 その内の何人かは、アイリスを助けたときに見た覚えがある

 奥まったテーブルには財貨が無造作に詰まれ、その上に両足が乗って、靴底の向こうから悪そうな顔の男が見つめてくる。あのゼルマンだった。

「用件は?」

 まさに悪そうという言葉が似合う顔だ。

 理性や知性もあるが常識は抜け、信念や信条はなく、自らの欲望を満たすため平気で他人を踏みつけられる顔をしている。

 くつくつと笑う様子からすると、グライドの事は先刻承知なのだろう。

 迎合する笑いが周りからも巻き起こり、煙った室内はにわかに騒々しくなった。

「手を引いて欲しい」

 グライドの表情からは普段の軽薄さが鳴りを潜め、厳しさと険しさがある。そして何より、喋り方も違う。もっと威厳と迫力があって恐ろしげでさえあった。

 だが、普段を知らぬゼルマンは何も思わない。

「下らんなぁ。そんな言葉で、誰が手を引くと?」

 ゼルマンの言葉に周りの連中が動き、逃げ道を塞ぐようにドアの前を陣取る。

「この前は随分と痛い思いさせてくれたじゃないか、ええ? あれから、あんたの事を調べたぞ。サムライのジョブ持ちだそうだな、そりゃ強いはずだ。どうだ言葉で語るよりかは、また、その剣を振り回して語ったらどうだ」

「話し合いで片付くなら、それでいい。剣を使うのは、その次だ」

「随分とまあ自信たっぷりだな。今度は、前のように終わると思うなよ」

「話し合いを望む奴には三種類いる。一つは何も知らない愚か者、一つは相手を騙そうとする狡い者。そして最後は、話し合いで終われば楽だと思う怠け者」

 グライドはさりげなく辺りを確認していた。

 相手は見える範囲でゼルマンも含め九人。吹き抜け二階のバルコニーには飛び道具持ちが二人いる。だが、その中でグライドは、いまだテーブルで本を読む老人に目を向けた。

 老人の真っ白な髭を手で擦る様子は穏やかなものだが、自然体で座っていながら隙がみられず、幾つもの修羅場をくぐった老獪さが滲む。戦って勝てずとも逃げのび、最後には生き残っていそうな強かさと生き汚さがありそうだ。

 目の前で凄んでみせるゼルマンは、もっと単純な強さだ。

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