幻かしら?(ワンライ・ホラー)

 ブラック企業に務める事四年。時間だけなら、あっという間に過ぎていった煌びやかな大学時代と変わらないのに、もう100年もたったような気持ちだ。見た目も、それくらい経年しててもおかしくないくらいボロボロだ。お風呂に入ったのは、もう何日前だろう。会社に着替えもせずに寝泊まりしているせいで、スーツもヨレヨレだ。オシャレをして可愛くなろうとしていた時がもう懐かしい。

 いつの間にか随分下がったハードルは、数日ぶりに家に帰れると言うだけで、随分心を弾ませた。料理をする余力は残っていないから、コンビニ弁当を買って家に着いたらもう日付が変わっていた。

 時折帰ってきては、ものを引っ張り出して、片付ける暇もなく出ていく。そんな生活スタイルに準じた部屋は、ホコリを被りまくりの散らかり放題だ。

 冷蔵庫は空っぽ、料理はしないから生ゴミも出ない。観葉植物なんてオシャレなものは無い。生ものがないから、小バエもGもいない。散らかっていても不衛生じゃないのがせめてもの救いだけれど、それは余計に生活感のなさを際立たせて、虚しい。

 物を掻き分け掻き分け、ちゃぶ台を発掘し、コンビニ弁当を胃に流し込む。出社までまだしばらくあるとして、何としても睡眠を取りたい。けれど体の匂いが気になるから、その前にお風呂に入ろう。時間かかるけど、シャワーじゃなくて、湯船に浸かろう。


 パチ、ぱちぱち、パチパチ、ぱち。ばさ、ばさばさ。

 パソコンのタイプ音と、書類を弄る音に魘されて目を開ける。どうやらお湯を張っている間に寝てしまっていたらしい。

 夢の記憶はないが、仕事の悪夢を見た気がする。

 お風呂場にはいると、お湯は少し溢れそうなところだった。蛇口を閉めて服を脱ぎ、お風呂に浸かる。暖かい。

 ふと水面に移った自分を見ると、酷くやつれた顔がどんよりと見返してきた。光の反射加減で、ぼんやりと光って見えるのが、パソコンのディスプレイを覗き込んでいるように見えた。

 また、パソコンのタイプ音が聞こえた気がした。


 会社に出社する。電車の窓に移る私は、行きたくないと雄弁に表情で語っていた。私は上司に怒られている時も、そんなふうな顔をしてるのだろうか。


 仕事をする。社畜という名前の通り、牛馬の如くに働かされる。上司が怒鳴る声が聞こえた気がしたけれど、当の上司は私の目の前で、腕を組んでむっつりしてるから幻聴だろう。


 仕事をする。三徹目。眼が霞んできた。トイレに行ったら、栄養ドリンクの匂いがした。こんなところで飲んでいるやつでも、いるのだろうか。手洗い場で顔を洗って眠気を飛ばす。顔を拭く途中、上目遣いでちらりと鏡を見たら、ぼんやり顔の私が突っ立っていた。


 仕事をする。一週間目。5日目に3時間睡眠を取ったから、七徹は避けられた。体調が悪いのか、口の中がイガイガする。パックゼリーの味を感じた気がしたけれど、もしかして若干、胃の内容物逆流してる?


 仕事をする。二週間目、総合睡眠時間五時間。自分のパソコンのタイプ音がダブって聞こえるようになってきた。書類が風もないのにバサバサ言ってる気がしてきた。私の頭、平気かな。


 三週間目。倒れた。上司がひっきりなしに怒鳴ってるなあ、と思っていたら急に視界が横転した。違う、視界じゃなくて私が横転したんだ。意識が消える瞬間まで、上司の怒声が聞こえてた。


 目を覚ます。病院のベッドの上。横を向いたら、サイドテーブルに、上司の書いたメモ。三日後には退院できるらしいから、退院したらそのまま会社に来ること、その際到着時間の目安を連絡することが書かれてた。

 また倒れそうになった気がしたので、顔を洗いにトイレに行く。疲れた。もう、辞表出して辞めようかな。そんなことを思って、手洗い場にしゃがみ込んだまま顔を上げたら、鏡の中の私がこちらを見下ろしていた。

 そのまま数分見つめあっていると、鏡の中の私が言った。

「私、未来のあなた。死んで地獄に落ちたの。高校で同級生をいじめたから」

それでね、と鏡の中の私は続ける。

「死んでも仕事をし続ける地獄に落ちたのよ」

 上司の私を呼ぶ怒鳴り声。それは鏡の中からしてる。呼ばれてるのは鏡の中の私。彼女は振り向いて、去っていく。

 瞬きしたら、鏡には誰も映っていたなかった。私はしゃがんでるから当然だ。

変な白昼夢を見たものだ。未来の私と言うのに今の私と見た目が変わらないなんて、辻褄があってない。とんちんかんだ。


 三日後。会社に向かって退院する私。手には辞表を握りし


『本日、午後1時頃、○○市の◆◆交差点で、ひき逃げ事故がありました。被害者の26歳女性は、病院に運ばれましたが、まもなく亡くなりました』

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