雪の女王(童話再描写)

 屋根と屋根の渡しを、茨が繋いで出来たその場所は、世界で1番美しい場所でした。大輪の薔薇の咲き誇るその小さな秘密基地には、何時だってあたたかい木漏れ日が降り注ぎ、優しい小鳥の囀りが響いていました。

 ふたつの屋根のそれぞれの下に住む二人の子供、ゲルダとカイは何時も、そんな美しい場所に集まって、互いの声に耳を傾け合っていました。

 そんな美しい日々が、ある日失われることなど想像もせずに。


 そのきっかけは、ただのお遊びでした。

 彼らはこれっぽちも二人を不幸にするつもりは、ありませんでした。

 いえ、確かに彼らは人を不幸にすることは大好きでしたが、二人のことは全く知りませんでしたし、だから、特別狙い撃ちにした訳でもありませんでした。

 だって彼らは悪魔。地上の人間のことなど十把一絡げ、誰が誰か、見分けがつくかも怪しいのですから。

 そんな悪魔たちは『神様』を不幸にしようとして、ある鏡を作り出しました。鏡ができたのが先で、だから神様を馬鹿にしようと思ったのかもしれませんが。

 その鏡は真実を写しません。移すのは虚実、それも、飛び切り意地悪なやつです。

世界の全てが、美しいものは醜く、醜いものはより醜く写る鏡です。

 悪魔たちは鏡の完成をとっても喜び、胴上げ宜しく下にも置かぬ扱いで、早速それで神様を移してやろうと、天上の国へと持っていきました。

 悪魔が作った鏡ですから、その鏡は笑います。天上へ担がれていく間、鏡はずっと笑っていました。その笑いは神々の国が近づくにつれて大きくなっていき、やがて悪魔たちが抑えるにも一苦労する位の大笑いになっていきました。

 そして、さて、もう少しで神の国というところで、ついに、鏡は悪魔たちの手から笑い転げ落ちました。あっ、という間に鏡は地上へ真っ逆さま。

 そして、木っ端微塵に砕け散ってしまったのでした。力作が粉々になって、悪魔たちはたいそう悲しみました。

 けれど問題は、砕けて飛び散っていった、悪魔の鏡の欠片の行方です。


 痛い、と言ったのはカイでした。

 いつも通りの美しい午後でした。突然カイは悲痛に叫ぶと、目と胸を抑えて蹲りました。一緒に遊んでいたゲルダはその様子に慌てて、その傍らに近寄りました。

けれど、痛がっていたのは一瞬で、直ぐにカイは何でも無かったかのように顔を上げ、ゲルダはほっとしました。

 しかし、カイは愕然としました。

 顔を上げ、真っ先に目に映ったゲルダの顔は、あまりにも醜かったのです。

 元々飛び切り美人と言う訳ではありませんでしたが、だからと言って、こんなに見るに堪えない顔をしていたでしょうか。

 いえ、していたのでしょう。なんて不快な生き物なのでしょう、どうして自分は今までこんな生き物と普通に暮らしていたのでしょうか。

 カイは驚くままに辺りを見渡しました。辺りには薄汚い花がぐちゃぐちゃに咲き狂い、害悪の権化のような棘が犇めいています。

 カイはゲルダを突き飛ばして言いました。

「近寄るな、不細工め。なんだって私は今まで君がこんなに醜いと気づかなかったんだろう。どうしてこんな雑草が、無闇に生え散らかるのを許していたんだろう」

 そう言ってカイは醜い花を全て引き千切ってしました。醜いゲルダが汚い顔で泣いていましたが、カイはそれを可哀想だとは思いませんでした。

 その日以来、カイの世界から、美しいものは無くなってしまいました。目に映る全てが醜くて醜くて、見苦しい有様をしていました。

 カイはそれらを見るにつけ、どうして今までその醜さに気づかなかったのか、あまつさえ、それ等を美しいと思ってしまっていたのか、疑問に思いました。そして、考えれば考えるほど、それらが今まで自分を謀っていたことに、憤懣やる形ない気持ちが込み上げてきました。

 そう、あの日砕けた悪魔の鏡の、何百個もの欠片のひとつが、寄りにもよって不幸にも、カイの瞳に刺さったのです。見ることも触ることも出来ない悪魔の鏡は、今でもその目に刺さったまま、カイの瞳に入る光を全て捻じ曲げ、醜く見せます。

 しかし、カイは美しさを奪われたことを悲しいとは思いませんでした。むしろ、醜さを欺き、美しさを騙ったもの達が悪いのだと、今まで美しく見えていたものを憎むようにすらなりました。何故ならもう一欠片、カイの心にも鏡の破片は刺さってしまっていたのです。

 その日からカイは、全てのものを醜く見、全てのものを醜く考える様になりました。

 そしてカイはあの醜い花の咲く場所に近寄ることも、醜い元友人と交流することも無くなりました。

 薔薇の千切られた秘密の庭には、ゲルダだけが取り残されました。


 そして、そのまま、冬がやってきました。

 カイはその冬、ゲルダを含むどんな友達とも遊ぼうとも思いませんでした。目と胸が酷く痛んだあの日から、あんな醜い生き物たちと触れ合いたいとは思わなくなったからです。

 カイは一人で、馬車の後ろにこっそりソリを括りつけて遊びました。大人たちには危険だと怒られましたが、聞き入れる気はありませんでした。

 馬車の速度で雪原を走り回る楽しさを理解しない、醜い大人たちが悪いのです。

 一日中、あちこちの馬車に手を出して遊び回ったカイは、夜にはすっかり疲れて眠くなっていました。だから、灯りを消して布団に潜るや否や、直ぐに眠りに落ちました。

 しかし、夜も深まる頃、窓の外から、何か音が聞こえて、カイは目を覚ましました。窓にはすっかり霜が降りて、外の景色が見えなかったため、カイはコインをひとつ取り出して、息を吐きかけ、窓に押し当てました。そうして作った覗き穴を通して、カイは外へと目をやりました。

 そこには、『美しいもの』がいました。

 真っ白なドレスを身にまとった、真っ白な女性。悪魔の鏡が刺さったはずのカイの目にすら、彼女は美しく、美しく見えました。

 長く忘れていた、美しさにカイは息を呑みました。

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