1-17 お願い事

 防護術式陣が展開された屋敷にほど近い住居区の一角。レンガ作りの家が崩れてくたびれた廃墟となった場所で二人は身を潜める。


「さて……、それじゃあ何があったか教えて貰えるかな?」


 怯えたようにぎゅぅっと身を縮こまらせているピンク色でフリルが付いた長袖のワンピースを着た金髪の少女に対して向かい合いなるべく優しい声色を作って、そう切り出す。


 切り出してからはたと気が付き、

「あぁ……、ゴメン。俺はフォグ。フォグ=ロス。肩書はそうだなあ……、今は正義の味方ということにしておこうか。それで君の名前は?」

 すぐさまそう言葉をつなげた。


「わたし……。わたしはクラーチ……」


 細く甲高い、絞り出すような、怯えたリスのような、そんな声色だった。


「そっかクラーチか。それじゃあクーと呼ばせてもらってもいいかな。俺のことはフォグでもおじさんでも君の呼びやすい感じで構わないから」


「うん」


 受け答えのぎこちなさから恐怖感の強さが垣間見える。

 それは仕方がないことだ、小さな子供が一人で彷徨うにはこの場所はあまりにも過酷なのだから。


「少しだけ話を聞かせてほしい。君のわかる範囲で構わない。分からないこと、知らないことを聞くかもしれないから、そういう時は分からないって言ってくれると助かる」


「……、分かった」


 クラーチは自分を守るように膝を抱え込んで口元を隠しながら小さく頷いた。


 危険な場所にひとりぼっちになって彷徨っていた時にはマヒしていた感覚が緊張の糸が緩んだ瞬間にぶり返してきたのだろう。あまり長い間この子をこの戦場に取り残しておけばきっと近い将来心がつぶれてしまう、そんな予感がした。


「まずは……、俺に会う前に何があったのか教えてほしいんだけど……。お父さんとお母さんを助けてって言ってたよね?」


「お母さんとお父さんが……、かくれてろってわたしのこと、せまいたなのすきまにおしこんで……、それで、すごい音がして……、それで……、それで……」


 そこで言葉が途切れた。

 抱え込んだ膝に顔を埋めてイヤイヤと何かを否定するように小刻みに左右に揺れる。


 その動作だけでおおよそどんな光景を目にしたのか想像が出来る。


 そしてその想像が正しいのであれば、彼女の父と母を助けることはきっともう不可能だ。


 だから本当に彼女の願いを聞き届けるのならば、彼女の口からその答えを聞く必要がある。ありのままの事実を、疑いようもない真実を、変えようのない現実を。


「そっか……。キツイことを聞いてしまってゴメン。今は君が生き残るために必要なことを考えよう」


 出来なかった。闘争の残酷さを、戦闘の無慈悲さを、蹂躙の過酷さを、小さな子供の口から改めさせるなんていう人の心を失ったような所業なのだから。


「うん……」


 小さく、本当に小さく首が縦に動いた。表情は見えないけれど直面したであろう光景が頭の中で反芻されてしまっているだろうことは想像に難しくなく、その結果何が起きるかを想定することもまた難しくない。


「…………、」


「カカカッ!! 確かにこれは立派な結界だ。我々とは相性が悪いし砕くのに骨が折れそうだな。だが、この程度ならば割れないこともないぞ?」


 これ見よがしな大声が辺りに響き渡った。


「…………!?!?!?」


「っ――――」


 瞬間、緊張が走り思わず叫び声を上げそうになったクラーチの口をそっと手で押さえ、声を上げてはいけないと示すように口元に指を立てる。その動作に彼女はうんうんうんと小刻みに頷いた。


(どうする……、どうすればいい……、あの声には聞き覚えがある、多分、あの時俺のことを地底湖に叩き落したヤツだ……!)


 悲鳴を上げそうになったクラーチよりも、もしからしたら大きな衝撃を受けているかもしれない。


 声が聞こえただけであの時の痛みがぶり返すような錯覚さえ覚えるほどなのだから。


 嵐が過ぎるのを小屋の中でじっと待つようにこの場に身を潜めて相手がいなくなるのを待つのが最善だろうか?


 それとも奇襲をかけて一撃必殺を狙うのがいいだろうか?


 はたまた息をひそめてこの場から離脱を図るか?


 グルグルグルグルと考えがまとまらず渦のように頭の中を廻る。


 恐怖と緊張感で汗が噴き出し、体が震える。


 勝って生存を拾うために思考を走らせるというよりはもっと単純でネガティブな、そう本能と理性のせめぎ合いとでも表現するのが最適だろう。


「…………っ、」


 クラーチがそっと手を握ってきた。

 その手は小さな手だった。しっとりと汗ばんでいてそのせいで指先が少し冷たくなっている柔っこい手。小さく震える手折れそうな手。


「あの……、えと、その……、えぇと……」


 小さな声。微かな、ともすれば隣にいる人にさえ聞こえないような音量の声。もしかすればパクパクと口が動いただけだったかもしれないと錯覚するほどに僅かにしか聞こえないし、その上何をどう言葉にしたらいいのか分からずにきちんとした意味のある言葉になる前にしぼんで消えてしまった。


「ふふっ……、ゴメンな。それからありがとう……」


 目の前の女の子にだけ僅かに聞こえるくらいに小さな声で呟く。


 ふっと肩の力が抜けた気がした。自分の緊張はこんな小さな女の子にすら伝わってしまうのか、と。情けなさで少し恥ずかしくなる。


 だけれどそれ以上に安心してしまった。これという確かな理由があるわけではないのだけれど、クラーチの絞り出すようなその声ですっと心が軽くなった。


 覚悟が定まる。

 死ぬのが怖い、それは誰だってそう。


 でも戦いをすることに恐怖以外の何かを見出しているからこそ戦える。


 理由は各々様々だろう、例えば戦うことそのものの楽しさだったり、何か守りたいもののためだったり、使命や義務感のためだったりと。


 もし仮に死ぬために戦っていると公言しては憚らないモノいたとして、しかしそれも理由と言えば理由になりえるのだから。


 目的のためか、手段のためか、あるいはその両方か。いずれにしても戦うということを選択した者だけが戦場に奮い立つ。


 震えの止まった手でクラーチの頭をくしゃくしゃに撫でる。不安そうな目を剥ける彼女に対して軽く笑って見せる。


「必ず迎えに来るから、少しだけここでじっと静かに隠れていて。大丈夫、安心して待っていて、俺は絶対に生きて戻ってくるから」


 しっかりと目を見て伝える。多分彼女の両親が出来なかったであろう約束をする。


 それが今本当にするべきことであるのかどうかは、正直分からない。だけれど、少なくともきちんと約束をして、それを守ることによって彼女の心に枷を作らない手伝いが出来るんじゃないかとそう信じたかった。


「じゃ、行ってきます」


 小さな声で、だけれどあくまで気軽に言付けてその場を後にする。

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