1-11 迎撃準備


「今夜これから何らかの異変がある可能性があるので留意せよ、との使者でした。分隊長」


 チャスの村付きの駐屯護衛分隊。その詰め所で溜まっていた書類仕事を片付けた護衛分隊長の元へと一報が入った。


「何らかの異変? ……、なんだそれは」


「さぁ……? 詳しいことは向こうも分からない様子でしたので、酒盛りを控えるくらいでいいのでは?」


 知らせを持ち帰ってきた本日の窓口を担当していた隊員は、辺りをぐるっと見渡しながら軽薄に笑う。


 足元には酒瓶を抱えて寝っ転がる中年の衛兵。机に集まっているトランプゲームに興じていた痕跡が見て取れる数名の衛兵も同じく酒瓶に埋もれるようにしていびきをかいている。


「そうは言ってもなあ、もうこの有様だぞ……。まぁ仕方ない、一応全員たたき起こすか。水を持ってきてくれ」


「了解であります!」


 チャスの村は平和そのものだ。


 八か月ほど前に初めて訪れた時から外的要因による戦闘行動は一切行っていない。職務内容も精々が村民たちのちょっとしたもめ事を仲裁することと本部への定期連絡を欠かさないことくらいしかない。


 あまりにも仕事が楽過ぎて隊員たちはすっかり平和ボケしきっていた。


「隊長お待たせしました!」


 分隊長の元にバケツいっぱいの水が届く。


 そこらへんに転がっているコップを無造作に拾い上げると、バケツから水を掬い上げ、酔っ払って寝息を立てる分隊員の顔にビシャッと掛けて回る。


「うわっ、ひゃぁぁぁ……」


 寝耳の水。夜の闇でよく冷えた水は寝姿を覚ますにはもってこいだ。


「おら、起きろ。仕事の準備をしろ」


「はぁ……、へ、へい。分かりやしたが、どうせ大した仕事じゃないんでしょう?」


 寝ぼけ眼の隊員が半笑いで呟く。


「さぁな詳細は不明だ。だが、憂いに備えるのが我々の職務だ。本分を全うせよ」


 分隊長は朗とした声でこの場の全員に聞こえるように令を発する。


「りょ、了解であります」


 気の抜けたままだった隊員たちの表情がすっと真面目なものへと変わり、全員が一斉に身支度を整えに動き出す。




 小一時間後、十一人の隊員たちは身支度を終えて詰め所出入口へと集合していた。


「斥候部隊を恐らく敵が来ると予想される方向へ先行させている。もし何かあるとすれば彼らが無事に戻ってこられる保証はない……、がそれに備える形で村の出入り口に第一班と第二班、村の中を戦場にしてもかまわないとの通達が来ているので、後方隊として第三班が村の中に防衛ラインを敷設しろ。第四班はそのさらに奥で突発的な救護を担当するように!」


 朗とした分隊長の声が響く。


 一班三名、斥候部隊と分隊長を含めて総勢十五人。それがこのルックモシェ領チャスの村の防衛線力の全てだ。


「サーイエッサー!!」


 ザッ、と音を立てて敬礼が揃う。



 

 だが、戦線構築が正常になされることはなかった。


 時間にして約四十分。村の端から端まで移動したその時には既に遅かった。


 理由は明白、熊だった。

 いや、正確に言えば熊ではないが、そう表現するのに相応しい風貌をした一団によるものだ。


 隊員たちはかち合ってしまったその瞬間に肝を潰された。


 筋骨隆々な熊の一団が武器を持ち徒党を組んでいる。


 彼らよりも大きな体躯を持つ種族はいるだろう。彼らよりも強靭な肉体を種族もいるだろう。それでもその一団から生じる強者特有の圧のようなものが隊員たちの言葉を奪い、呼吸を忘れさせた。


 典型的な遭遇戦。


 数的有利も質的有利もあちら側に軍配が上がる。

 その場にいた隊員全員がそれを直感した。


 それでも逃げ出すことは許されない。

 職務を全うしなければ、彼らは一体何のためにこの村にいるのだろうか?


「バラけるな!! バラけず一塊になって戦え――――!! 浮けば命はないぞっ!!」


 駐屯護衛分隊長の叫び声が開戦の合図となり、両者がわぁっと動きだす。


 戦闘が始まってから趨勢が決するまでの時間は両手の指で事足りた。決した趨勢が圧倒的な蹂躙に成り代わるのには片手の指が少し余る程度で済んでしまう。


 衝撃に対して耐性を得る大地の加護を隊員全員が防具に刻み込まれていたにもかかわらず、武器も使わない素殴りの一撃で分隊員たちは昏倒させられる。一合すらも打ち合えず、ただ圧倒的な力で上から押しつぶされる。どうにか攻めに転じようと動いたその一瞬だけで首と腕と胴体が別々の方向へと撥ねる。


 戦場になるはずだった場所は阿鼻叫喚の蹂躙劇の舞台と化していた。


「くそっ……、くそっ、くそっ……!! 死ねっ……!! ちくしょう……、死ねっ、死にやがれっ……!!」


「よくも……、よくもやってくれたなぁ!! おりゃぁぁぁっぁ!!」


「ヒャッハー!! あんまりにも脆弱だなぁ。絹を裂くくらいに簡単に殺せるぞ。ほら、もっと頑張れよなぁ!!」


「うぉぉぉぉ!!!」


「ちくしょうっ、ちくしょうっ……、ふざけるなっ、ゆるせるか……! こんなの……!!」


「ハッハァァァァ!! これなら百回は殺せるぜェ!! どうしたそんなものかァ!? ほらほらほらほらっ!!」


 あまりにも絶望的な戦力差。


 平和な内陸の僻地ということもあり、この村の防衛戦力はやや練度が低い。何かが起きるという想定が出来ないほどに平和なために甘さが生まれてしまっている、それは否定できない。だけれど、だからといって練度の高さが合ったならば彼らに勝てたのかと考えればそれも明確に否定せざるを得ない。


 質、量、士気の高さ、なにひとつをとっても狂戦士ベルセルクの一団が勝っていた。


 勝てる道理は一切なかった。

 その惨状は思わず目を背けたくなるほど。




「弱いな……、僻地の兵士ならばまぁこんなものという気もするが。もう少し楽しみたかったものだ」


 一しきり戦った後で薙ぎ払われた死体の山を見下ろしながら狂戦士ベルセルクの将軍メドヴェディは冷めた声で呟く。


「こちらの被害はゼロ。向こうは半数以上が負傷の上潰走。もう戦力は残っていないでしょう」


「敵の兵士は狩りだして殺せ。一人も逃がすな」


「御意」


 小さな村を舞台に殲滅戦が始まった。

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