1-10 追走


 遺跡の外はすっかりと日が落ちていた。

 薄い月と星の光以外には光源と呼べるものはない。


「夜か……。まだ日付が変わっていないといいんだけれど……」


 引っつかんだ荷物からランプを取り出して火を灯す。ぼぅとした薄明かりが深い闇を頼りなく照らす。


 辺りを見回すと遺跡の入口近くに繋いでおいた馬の一頭が何とはなしに所在なげな様子で首を振っているのが見えた。


「お前は無事だったのか。良かった……」


 ホッと胸をなでおろす。

 実利的な面と心情的な面、両方の意味で安堵した。


「いや、そうか。向こうからすれば俺たちはあそこで全滅したわけだし、コイツを殺す意味もないのか」


 不幸中の幸いと言うべきか、因果応報というべきか。


 ともかく最低限の足はある。


 今は一刻も早くチャスの村へと戻りたい。しかしながら目の前にいるのは駄馬なので騎乗馬ほど早くは走れない。この場所が術的隔絶地であることから魅入られし存在であるあの熊人ウェアベアたちの身体機能が減算されるとしても、速度の上では恐らく良いとこどっこいどっこいだろう。


 だが、それでは遅い。

 彼らよりも遅れて移動し始めているのだから彼らよりも速力で勝れなければ村の状況は悪化の一途を辿ることになる。


 幸いそのための手立てには心当たりがあった。


 心当たりというよりは不可解な確信があるという方が正確か。


「かなり無茶させることになるけれど、ゴメンな。力を貸してくれ」


 駄馬の頭を撫でながら小さく呟く。

 マルチツールナイフをさっと取り出して、今度は親指の腹を切った。


「にしても一日に二回も自分に切り傷を作る羽目になる日が来ようとは思わなかった」


 ぷっくりとにじむように血が垂れる。


 その血をこぼさないように手の平へと誘導して、それから駄馬の口を少し開かせてそっと流し込んだ。


 量としては微々たるもの。止血をすればものの数秒で傷口が閉じる程度でしかない。


 それでも効果は絶大だった。

 ブルルルッ!! ハッ!! ハッ!! ハッ!!! と途端に馬の気性が荒くなる。


 錯乱に近い興奮状態が引き起こされ、今にも走り出しそうに足をバタつかせ始めた。


 タイミングを合わせてその背に飛び乗り、手綱を軽く引く。

 それだけで駄馬は猛然と走り出した。早馬のような速度と輓馬の力強さを発揮して夜の林を駆け抜ける。


(そうだ、思った通りになった。これならいける……。俺の血の力が効いている間ならば、相当な無茶をさせられる……)


 手放しで喜べるようなことではもちろんない。それでも働いてもらわなければいけない。


 無理やりに負担を強いて、使いつぶすような真似は本当ならばしたくない。だけれど信念や信条を捻じ曲げてでも今は急ぐ必要がある。


「頼むなるべく急いでくれ……!!」

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