第4話 構造的リンキング
「素敵なめぐり逢いだよねぇ」
金村家の居間、木材の種類はわからないが、明らかに高額だろうと思われるテーブルに、袈裟丸と居石は座っていた。
斜向かいに塗師がにこやかな表情で座っている。
室内であってもタオルを覆ったままであり、その風貌は居石と通じるものがある。
小林が言っていた、美里を迎えに来た人物とは塗師のことだったのだとわかった。
警察から連絡があり、足の悪い母親だけしかいないので塗師が迎えに行った、というわけである。
「めぐり逢い、じゃねぇよ。あんたこそ、ここで何してんだよ」
「仕事に決まっているでしょ?君らが使えないからさ」
「仕事が出来ねぇみたいな言い方しないでくんないかなぁ」
「ん?ああ、そっか、体が空いてなかった、ってことね」
塗師は便利屋を営んでいる詳細不明の男である。
人となりなんて袈裟丸自身も知りたいとは思わないが。袈裟丸と居石はともにお金で困っていたときに、同期の紹介で塗師と知り合った。
理由はバイト料が高額だったからである。
それくらいに仕事の内容は大変だったが、生活は楽になったので文句は言えない。
塗師だけでは仕事が回らなくて、バイトを雇う、というのであればわかる。
しかし、塗師が働いているところを見たことはない。
果たして本人は仕事をしているのだろうか、と居石と話したことはある。
「そんな繋がりがあったのね。縁って不思議なものね」
美里は台所と今を行ったり来たりしている。
袈裟丸たちが、主に居石だが、昼飯を食べておらず、近くに美味しい店はないか、と聞いたところ、ここまで荷物を運んでくれたお礼だと言って、美里が料理を振る舞ってくれる、ということになった。
袈裟丸は申し訳なく断ろうと思ったが、居石はありがたくその提案を受け入れた。
それでこの場に座っている、ということになる。
塗師は休憩と称して同席している。
「僕は金村さんのあの素敵な庭の剪定をお願いされてね。遥々水無瀬までやってきたっていうわけさ」
「いや、聞いてねぇよ。さっき庭で木を切ってたの見てるし」
「都心から、ここまで来たんですか?」
塗師の事務所というか家というか、一応店舗は都内にある。
塗師の店の特徴として全国どこでも出向きます、ということだった。
それで仕事が回るのだろうか、と思っていたが、バイトを雇っているということである程度理解できた気がした。恐らく全国にバイトを雇っているのだろう。そうでないと体が持たない。
「そうだよ。ちょうど良い小旅行って感じで来れたし、依頼人はとっても素敵な人だったから良かったね」
「庭の剪定が仕事、ってことですか?」
「そうそう。流石に女所帯で庭の木を、っていうのはさ。無理じゃん?」
それはそうだが。
「でも…庭師って近場にいないんですか?」
「いないのぉ」
塗師はふざけた表情で言った。
それにしては東京から塗師を呼ぶのもおかしな話な気がする。
「どうせ金が良かったんだろ?」
居石がうんざりとした表情で言った。
美里がお盆にお茶とアイスコーヒーを乗せてやってきた。お茶は自分用でコーヒーが袈裟丸たちへ、とのことだった。来客用の渋い装飾が施された陶器のコップだった。
「申し訳ないけれど、そんなに払ってないの」
含み笑いをしながら美里が言う。
「そう。そういうことなの」
塗師も被せるように発言する。それは自分で言う事ではない。
「珍しいじゃん」
「人を守銭奴みたいに言わないでくんないかな」
塗師はコーヒーを一口飲むと美里に、美味しいです、と満面の笑みを浮かべる。
「んで、君らはこんなところで何してんの?旅行…っていう表情じゃなさそうだね」
「表情で憶測すんなよ」
「君は万年同じように気の抜けた表情でふらふらしてるだろう?」
横で激しく同意する。
「どっちかっていうと袈裟丸君…かな」
塗師は頬杖をついて袈裟丸を見つめる。
塗師に見つめられると、心臓が縮みあがるような気がする。緊張しているというわけではないが、見透かされているようだった。
「わかりますか?」
「誰でもわかるよ。落ち着かない、緊張している、あと…困っている?」
三連続で当てられると、その場から逃げたい気分になる。これは間違いなく恐怖だ。
「そう…ですね」
「説明してやれよ。俺は面倒くさい」
会話することを放棄した居石は開け放たれた居間から移動する。
縁側の扉を開け放ち、どかっと座って外の庭を眺め始めた。
袈裟丸はここに来た目的から、時系列で体験した出来事を説明する。前後することもあったが、塗師はうんうん、と相槌を打ちながら、最後まで聞いてくれた。
美里は時折眉間に皺を寄せて真剣に聞いてくれた。
「なるほどねぇ」
そういうと、しばらく顎をさすっていた。
「それは大変だったのね。私も…怖かったけれど」
美里が慰めてくれた。
袈裟丸は、ええ、と言いながら、恐縮するだけだった。
「でも、私も今までにないほど怖かったわ」
「それはそうだと思います」
日常であんな体験は早々ない。居石だったら、いい経験をした、と言いそうなものだが。
流石の居石でもそれは不謹慎だと思うだろうか。
「頼れる二人が駆けつけて良かったですね」
美里は、ええ、とだけ言って安心したように笑った。
塗師は袈裟丸の方を見ると、大変だったね、と労う。
「まあ、でも建設会社の人たちが街に滞在してると潤うからねぇ。水無瀬にとってはありがたいことだよ」
美里は袈裟丸の正面で静かに頷いた。
「随分詳しいじゃんか」
庭を眺めたまま居石が言う。
「詳しいっていうか、そういうもんだからねぇ。まあ僕がゼネコンで働いていたことがあるっていうのもあると思うけど」
思わず、え、と声を上げていた。
「建設会社にいたんですか?」
「昔ね」
袈裟丸も居石も、塗師のパーソナリティーを全くと言ってよいほど知らない。年齢だって知らないのだ。ましてや過去に何をしていたのかなんて知る由もない。
「その…ロックフィルダムの下に…人間を下敷きさせるってことは…できるものなんでしょうか?」
袈裟丸は美里の表情を確認しながら、塗師に尋ねる。美里にとってはいい記憶ではない。思い出させることも気が引けたからだった。
「無理でしょ」
塗師はヘラヘラ笑いながら言った。あっけない答えに戸惑う。
少しは期待していたが、やはり無理なものは無理だということである。
「まあでも…実際はそうなってるんだよねぇ」
タオルの上から頭を掻いて塗師は言った。
「どうやったらできるかなぁ。一番簡単なのは、袈裟丸君も考えたように岩を取り除いてって方法だけれど…」
「重機を入れないと無理…ですよね」
「そうなんだよなぁ…」
あ、と塗師が続ける。
「下から穴を掘って、そこに遺体を埋める、っていうのは?」
「つまり…手前から穴を掘って…警察が広井さんの体を取り出した方法の逆ですね」
そうそう、と塗師はコーヒーを飲む。そういえば手を付けていなかったので、自分も喉を潤す。ほろ苦い液体が頭をすっきりとさせる。
「でも…警察が広井さんの体を取り出した時の様子だとすでに掘られていたっていう感じには見えなかったですね」
掘り返す形になっていたら、警察も苦労してないし、恐らく簡単に下敷きにした方法が判明していただろう。
「そうかぁ。まあそうだよね」
それ以外に案が浮かばず、二人で唸るだけだった。
「でもさ、どっちかっていうと、鍵の件の方がわからなかったりするね」
「鍵、ですか?」
「そうそう」
広井の所持品に鍵がなかった、その事実を塗師は疑問に思っている。
「その…広井さんだっけ。その人が旧軍司ダムに入るための鍵を持ってなかったんだよね?」
袈裟丸は頷く。
「まず疑問に思ったのは、なんで二つの鍵に広井さんの指紋が付いていたのか、っていうことだね」
袈裟丸が合点のいってないような表情をした。
「つまりね、二つの鍵に広井さんの指紋が付いてたってことは…確か鍵は新軍司ダムの工事事務所に保管されてたんでしょ?」
袈裟丸は頷く。
「だから広井さんが二つある鍵を両方とも持って行った確率が高い、ってことだ」
顎をさすりながら塗師は頷く。
それはそうなのだろう、と袈裟丸は考える。
二つの鍵に指紋がついていた以上、広井が二つの鍵を持ち出した、という結論である。
「でもこれはよく考えればおかしい」
「そう…ですか?二つある鍵を持って行った、ということ…ですよね?」
「まず、広井さんがあの場にいたってことは、少なくとも二つの鍵のどちらかが使われて、広井さんと加害者がダムに入っていった、っていうところまでは良い?」
それには首肯できる。
「どちらにせよ、普通に考えれば、どちらか一つ、事務所からの距離を考えれば水無瀬の方のゲートを開ける鍵だけ持っていけばいいだろう?」
「確かに…あれ、本当だ」
「だとしたら。二つ持っていかなければならない理由があった、っていうことだね」
「それは?」
「いや、知らないさ。仮定の話をしてるんだよ。君らの方がそういったの得意でしょ?」
その通りなので何も言えない。
「なんだろう…鍵を二つ持って出なければならない理由…」
美里がにこやかな表情で立ち上がり、台所へ向かう。
居石が懇願していた昼食の準備の続きだろう。
「あのゲートは、内側からだったら、鍵がなくても開けることができるんでしょ?だとしたら、外からゲートを開くために鍵が必要だった、ということだね」
塗師は事実の再確認をする。
確かに、鍵を持ち出す理由としては、それ以外ない。
「どちらのゲートなのか、分かりませんけど、どちらかから入って、反対側のゲートを開けたい人に鍵を渡した、っていうのはどうですか?」
「だから、それだと一個でいいだろうよ」
居石が首を仰け反らして言った。
寛いでいるようだったが、しっかりと話は聞いているようだった。
「居石の言う通りだね。それだったら二つとも持ち出す必要はない。一個で十分」
渾身の説だったが、話の前提をちゃんと理解していなかった。反省すべき点である。
「うーん、そうすると、持ち出す必要がなくなっちゃうと思うんですけど…」
「さあ、どうしようね。現実と結果が合致しない」
ニコニコしながら塗師が言う。
「居石はどう思う?聞いてたんでしょう?」
居石はピクリとも動かずに庭を眺めていたままだった。
「じゃあ前提が、いや、仮定が間違ってんだよ」
仰け反って座っていた居石が据わりなおす。
「おっちゃんなのか、別の誰かは知らねぇけど、鍵を二つ持っていったんじゃねぇってことだ。持ち出したのは一本だけ。どっちの鍵かは知らんけど、そういうことだろ?」
最後の疑問文は塗師に向けられたもののように思えた。
「おお、なるほどね。仮定が間違っていた、という意見か。袈裟丸君はどう思う?」
少し考える。これまでの塗師との会話では、鍵が二つ持ち出された、という前提で話を進めていた。そう考えた理由があった。
「そうなると、二つの鍵についていた指紋、それについて考えないといけない…」
塗師は何も言わずに頷く。
「んなもん、おっちゃんをころ…やった後に握らせれば、指紋なんて簡単につくだろ」
居石は台所を気にして言うようだった。
袈裟丸の頭には腕だけ岩の下に潰されていなかった風景が思い出される。
そして、次の疑問も同時に湧き上がる。
「ということは…鍵を持ち去ったのは広井さんを手にかけた人間で…なぜ鍵を持ち帰ったのか…」
「そうだね。それが次に考えなければならないことかな」
塗師は立ち上がって台所の美里の方に向かう。
「お手伝いすることないですか?」
「ああ、大丈夫よ。料理は任せてください。でも…じゃあ、食器を持って行ってくれるかしら」
もちろんです、と軽快な返答で塗師はお盆に食器を乗せて戻ってくる。
広井を殺害した人間が鍵を持っていくことは合理的ではない。鍵が元の場所に戻してあったことを考えれば、容疑者が自ずと絞られることになる。それだったら、どこかに捨て去った方が、加害者側から見えれば、はるかにリスクが低い。
「はーい、お待たせ。簡単なものしかできなかったけど、ごめんなさいね」
美里がお盆に料理を乗せて戻ってきた。
居石が飛び上がるように立って、袈裟丸の隣に座った。
二人の前に並べられたお皿には、白米とみそ汁、お新香とメインは豚の生姜焼き。
これ以上ない極上の定食である。
隣の居石を見れば、じっと料理に視線を落としたまま、目が潤んでいる。
「冷めないうちに、どうぞ」
袈裟丸のありがとうございます、を居石のいただきます、の声量が上回る。
がつがつと食べる居石を微笑ましく美里が見つめている。それを気にせず居石は食べ進める。袈裟丸が箸を取り、お新香を一つまみ、みそ汁と一口食べたところで、おかわりの声が隣から聞こえた。
「嘘だろ」
塗師が笑っている。美里は笑顔で、まだあるから落ち着いて、と言った。
「そんなこと言って、耕平だって食べてんじゃんか」
確かに小食の自分だが、箸が進んでいる。喋りすぎてカロリーを使ったのは間違いないが、それ以上に美里の作る料理がおいしかったことも理由だろう。
「詳細に説明するのって疲れるんだよ。学会発表だと削ぎ落して要点を伝えるけどさ。この話は削ぎ落しちゃまずいだろう?」
何回目かのお代わりを美里に頼んだ居石は袈裟丸に向きなおす。
「いや。お前はまだ話してないことがある。意図的に話してないんか?」
心臓がキュッと潰されそうになる。指摘しないでくれ、と願っていたことだった。
「広井さんの特徴っつうか、能力のこと、なんで話さないんだよ」
袈裟丸の箸が止まった。
なぜ話していないのか、それは、自分自身が広井のその能力のことを信じていなかったからかもしれない。それにそんなことを話しても事件には関係ないと思ったからだった。
「俺は直接聞いてないからな。ちゃんと喋れないんだよ」
居石はその答えに満足していないようだった。
居石は短い溜息を吐くと、途切れ途切れ話し始めた。
工事事務所前の喫煙所で広井と話したことが中心だった。
「へぇ、それは…面白いね。到底信じられないような内容だけれどね」
「本人が言ってんだよ」
「でも、都市伝説のようなものでしょう?」
塗師はやけにニコニコしていた。その口調だと塗師は知らないようだ。
最初から信じていないようにも思える。ホラ話と取られても責められることではない。
「だけどさ、実際に事故が起こってないんだぜ」
居石は子供の言い訳のような言い方だった。
小林をはじめとしたゼネコンのメンバーが巽に説明しなかったことも理解できる。
居石の話の途中で戻ってきた美里も興味深そうに聞いていた。
「でもそんな人がいてもいいわね。事故が起こらない、って人の命を守っているってことでしょう?」
「そうかもしれませんね。素敵なことです。じゃあ僕も信じようかな」
「あんた、いい生き方してんな」
口を開けて笑う塗師に、居石は軽蔑の目を向けていた。
「あらあら、賑やかなこと」
廊下から杖をついたお婆さんがゆっくりと居間に入ってきた。
「お母さん、起きたの?」
美里が立ち上がろうとするより先に、塗師がお婆さんの横に立ち、補助に回った。
「ああ、どうもどうも、塗師さんありがとうね」
部屋の隅にあった籐の椅子を移動させて、美里の横に座る。
「優しいじゃん」
「それはそうさ。依頼主だからね」
お婆さんは口元に手を当てて笑う。
頭にニットの帽子を被り、ブラウスの上にカーディガン、下はスカートを履いている。
服のことは詳しくない袈裟丸だったが、身なりはきちんとしており、その佇まいから上品な雰囲気が漂っていた。
「私の母の金村華です」
どうも、と華はちょこんと頭を下げる。
「にぎやかだったからね、楽しそうだわ、って思って歩いてきたの。お客さんかしら?」
袈裟丸たちを交互に見て、美里に尋ねる。
「僕の会社のバイトです」
塗師が二人を一纏めにして説明する。
二人はお互い自己紹介と、簡単にここに来た説明をする。
決して短くない自己紹介だったが、華はゆっくりと頷きながら聞いてくれた。
「そうなの、研究って凄いわねぇ」
「いや、そんないいもんじゃないんすよ」
居石はにっこりと笑って言う。
「お前、真面目に研究してないじゃないか」
「憶測でもの言うなっつうの。俺が実験しているところ見たことねぇだろう?」
確かに言う通りである。それに学会発表等で居石が講演することもあるようだが、もれなく優秀講演者賞に選ばれて帰ってくる。
他の研究室では、誰もが不可思議に思うところだった。
金村華、金村長策の嫁であり、美里の母である。
旧軍司ダムの工事責任者で保存会が尊敬して止まない、土木技術者の妻である。
当の本人は失踪中で、まだ見つかっていないということだ。その事実が行きつく先は誰もが想像できることだし、きっと目前の二人も、そのことは理解しているはずである。
「美里、ミカン、あったんじゃなかった?」
美里は、ああそうね、と言って立ち上がり、再度台所へ消えていった。
「いっぱい貰ってねぇ、二人だけじゃ食べきれないから、塗師さんにも食べてもらってたんだけどねぇ」
「いっぱい食べましたね。体がオレンジになっちゃう」
華と塗師は大声で笑った。
美里が籠に大振りのミカンを乗せて戻ってきた。ざっと見て十個以上はある。
「俺、ミカン大好きっす。あざーっす」
居石は一度に二個取る。袈裟丸は、いただきます、と言って一つ手に取った。
塗師はミカンを揉んでから皮をむき始めた。
「何で揉むの?」
「こうすっとさ、あの白い筋があるじゃん?それがほとんど皮の方に持ってかれるんよ」
普通に皮をむいて、白い筋を取る必要がない、ということだった。
房に分けることなく、塗師はふた口でミカンを口の中に放り込む。
華は穏やかな目でそれを見ていた。
年齢的に袈裟丸たちは孫のようなものだろうか。
美里に子供がいるのかどうかは知らないが、もしかしたら華にとって孫のように感じているのかもしれない。
確かに居石のような天真爛漫な性格であれば、年配の方に気に入られやすいと思う。
「ダムは見てきたの?」
唐突に華が尋ねる。
「うん、新しい方と古い方、両方とも見てきたよ。旦那さんが作ったんでしょ?」
居石がためらいなく尋ねる。
「ええ。そうよ。長い時間かかってねぇ。やっと出来たときは、美里が生まれた時以上に嬉しがっていたかしらね」
「本当にひどい父親よね?」
美里も困ったような、しかし本心ではない表情で言った。
「根っからのゼネンコンマン、って感じだったんですね」
塗師も感心する。
自身も同じ仕事を経験しているからか、感じるものがあるのかもしれない。
「塗師さんも、建設業に関わっていたのでしょう?」
華は言う。喋るスピードはゆっくりだが、口調ははっきりとしている。
「そうですね。経験してました」
「どうしてその仕事に就こうと思ったの?」
「そうですね…地図に名前が載る、っていうのが格好いいって思ったんですよ」
「あら、同じことを長策さんが言ってたわ。同じことを考えるのねぇ」
少なからず建設業で働いている人は同じことを思っているのではないだろうか。
自分が携わった仕事が地図に載り、そして数十年の単位で世の中に残るのである。
場合によっては、ダムや橋梁など、多くの人の生活を助けることになるのだ。
そういうことにやりがいを感じる人間であれば、これ以上ない天職とも言えるだろう。
袈裟丸は、父親のことを否応なく、思い出していた。
果たして父も同じ思いを感じていたのだろうか。
「美里、あれ、持ってきて」
美里は、すぐにわかったようで、はいはい、と言って立ち上がり、後ろの襖を開けて中に入っていった。
「長策さんの写真があってねぇ。イケメン、だから見てほしいのよ」
心から喜んでいる華を見ると、行方不明の長策のこともあって、なんだか悲しくなってくる。
三分ほどすると再び襖が開き、美里が戻ってきた。
アルバムが一冊と五十センチ四方の缶を手にしている。
「これね、父が写っている写真なの。父が写っているやつだけまとめてるのよ。たまにお母さん眺めているのよね」
「あら、恥ずかしい」
「いいっすね。お母さん、ラブラブじゃないっすか」
居石も心から嬉しがっているようだった。
「写真がねぇ。どれも男前なのよぉ。家族写真とか仕事中の写真もあるんだけどねぇ」
華はアルバムを、よいしょ、と取り上げると、パラパラとめくり始める。
「これが美里が生まれた時ね」
開いたままのアルバムをテーブルに載せる。
見ても良いですか、と断ってから塗師は袈裟丸らが見えるように向きを変えた。
写真館で撮影されたであろうその写真は、中心に置かれた椅子に赤子の美里を抱いた華が座り、その後ろに華の肩に手を置いた男性が写っている。
この男性が、金村長策なのだろう。オールバックにした髪に整った顔立ち、当時では珍しかっただろう、細い眉で逆に目元は迫力がある。
当時でもモテただろうが、今でも十分通用するルックスだろう。
華も穏やかな笑みでカメラの方を向いている。
「華さん、美里さんとそっくりじゃあないですか?」
塗師が華と美里を交互に見比べる。今でも面影がある二人だが、写真の華と美里を見比べるとマッチング率が高い。美里は母親似だった。
「こっちはなんすか?」
居石は缶の方を持ち上げて言う。
「そちらは、父の机の上に散らかっていたメモ用紙とか、筆記用具とかをまとめておいたものです。念のため持ってきたんです」
美里の説明の途中で塗師は缶を開けていた。開けると、カビの匂いが鼻腔につく。
美里の言う通り、メモ用紙が大半で、短くなった鉛筆や烏口、インク瓶なども収められていた。
「この写真は…仕事中のものですね」
まだアルバムを見ていた塗師が尋ねる。
そうそう、と華は終始嬉しそうだった。
缶の中のメモ用紙には数字やスケッチが書かれていた。
その用紙を真剣に見ている居石は無視して、写真に目を向ける。
「これは…地質調査かな…」
塗師は顎をさすりながら一枚の写真を見ていた。
その写真には斜面で、笑顔で立っている長策を撮影している一枚だった。
長策の前には何か機械のようなものが置かれている。
メモを見ていた居石が、袈裟丸の肩越しに写真を覗き見る。
「ん、ああ、ボーリング調査じゃねぇかな」
ボーリング調査、つまり、地上から鉄製の管を地中に調べたい深さまで刺して、その後引き揚げて管の中に入っている土、岩などを観察することで地層を判断する方法だ。
その土地に構造物を作ろうとするときに安定している地盤なのかどうか調査する手法である。
まさにこれから旧軍司ダムが作られようとしている、その前段階ということだ。
次の写真を見ると、金村以外の作業員だろう人々が、大きな岩を運んでいる写真が続く。
恐らく金村自身が撮影したであろうその写真には、ロープに巻かれた岩に棒を通して、それを二人の人間が肩に担いで運んでいる写真だった。
まるで時代劇で人々を運んだ籠のような格好である。
山道なのだろうか、道幅は狭いようである。言わずもがな重い岩を運ぶ人々の顔は苦悶の表情だった。肩に当て布をして和らげているものの、痛いことには変わりないだろう。
「あの時代には、今みたいな便利な機械がないからねぇ。どうしても人間が運ばなきゃいけなかったのよ」
華がしみじみと語る。
塗師も袈裟丸も何度も頷きながら聞いていた。
確かに時代背景を考えれば、致し方ない方法だろう。きっと事故も多かったはずである。
数枚そうした作業の写真が続くと、次は数個の岩が並んでいる光景だった。
一つの岩を囲むようにして、作業員が数名囲んでいる。
もれなく上半身が裸であるから、季節が夏であるとわかる。
人々の手には金づちが握られていることがかろうじてわかる。
その反対の手は岩の近くに置かれている。背後の風景は恐らく旧軍司ダムの粘土層、これから岩を並べていく前の状態だろう。河床で作業をしていたのだ。
「これは。岩を削っているのかな?はつって、岩を形成しているって感じに見えるね」
「ちょうど良い形の岩がないってときは、その場で削るって言ってたわねぇ。でも良い形なんて滅多にないって。毎日削ってたわ」
それはきっと金村も同じ作業をしていただろうと思っていると、数枚後の写真で金村も上半身裸で金槌を手にしていた。
「なんとも凄まじい光景だね。でも…当時はそれしか方法はないし、技術者たちの覚悟が見えるよね。いやぁ…話だけは聞いていたけれど…この写真からはそうした覚悟が、僕には見えるよ」
塗師はしみじみと言った。
金村長策は設計者であり現場責任者で、作業員でもあった。
それは、人手不足という理由だったのかもしれないが、何が何でもダムを完成させようという覚悟そのものだったのだと袈裟丸は思った。
「そういえばねぇ…その時くらいだったかしらねぇ。この近辺で地震があってね。山から大量の岩が落ちてきたの。その時はまだ岩がゴロゴロとあったから、それが落ちてきたのねぇ」
「え?それは…かなりの被害だったんじゃないですか?」
過去のことだが、心配になっていた。
「それがね。運が良かったのね。ちょうどその日は作業が休みだったのよ。前日の夜にね、長策さんが急に明日は休みにしようって。現場でみんなが疲れていたのを見てたんじゃないかしらね」
「それはツイてましたね」
塗師の発言に、ほんとよねぇ、と返す。
「長策さんも、岩を持ってくる手間が省けたって、喜んでたわ」
袈裟丸が頷いて聞いていると、横から、うーん、と唸ることが聞こえる。
居石は相変わらずメモとにらめっこしながら、ブツブツとつぶやいている。
美里がそんな居石にコーヒーのお代わりを持ってくる。
「そんなにそのメモ面白いかしら?」
美里の言葉に、面白いっす、と笑顔で居石が返答する。
「偉大な技術者の発想の記録だからね。琴線に触れるっていうものがあるんじゃないですかね」
塗師が代わりに美里に解説する。
居石がそんな気持ちで見ているわけないだろうとは思いながら、変なものに興味を持つ居石のことなので、平常運転とも言える。
五月蠅くないのは良いことである。
岩の切り出しの写真が多く。最後の写真は切り出した岩の周りとその上に作業員が腰かけて撮影された一枚だった。
中心に金村が座っており、作業の合間の集合写真といったところだろう。
あれだけ大変な作業をしていたのに、みんな笑顔で映っているのは、きっと楽しい現場だったのだなと思われる。
きっと金村がいたからだと直感で思った。ここに集まっている人たちは、自分たちのためだけではなく、金村のためにもダムを完成させようと思っていたのではないだろうか。
「お。これは三脚だね。岩を設置するのに使ってたのかな?」
塗師が示す写真を見ると、カメラの三脚の親分のような大きな三脚に岩が吊るされたような状況が映し出されていた。
「これって、どう使うんですか?」
「ん?ああ、最近は見ないよね。これはね、ここ。三脚の頂点のところにチェーンブロックを取り付けておいて、その下にワイヤーとか、ここではロープかな…ちょっとこの写真じゃわからないけど、それに巻いた岩を吊り下げて運ぶんだよ」
「三脚って…これ固定されてませんか?」
「そうそう。だから、岩を振って、先に進んだところで落とすんだよ。ちょっとずつしか進めない」
途方もないやり方だ。それほどの時代だった、という事である。
そこでふと思う。これを使えば旧軍司ダムの岩を動かせるのではないだろうか。
しかし、すぐに無理だと思いなおす。この写真でも複数の人間で作業をしている。広井殺害に関与した人間が複数人いれば問題ないだろうが、単独であった場合無理な話である。
仮に複数人だとしても大量の岩を一度動かして、再び元の状態に復元することは容易ではない。そんな労力をかける必要が、普通に考えれば、ないのだ。
それほどの労力をかけても、やり方はわからないが、広井をあの場所に放置する理由があるのだ。
工事現場の大量の写真を見ていくが、その最後の一枚は、関わった作業員全員で旧軍司ダムの前に集まり、撮影されたものだった。
もれなく全員が笑顔であり、一番前の中心に金村長策、その隣に華がいた。
「完成の時は、嬉しかったわねぇ。みんなで夜通しお酒飲んで。今はそんなことないのかもしれないけどねぇ。あの夜は楽しかったわ」
その隣で美里が俯くのがわかった。
自分はまだ記憶もない幼子だったのだ。その当時の記憶もないだろう。
「その三日後だったわねぇ。あの人がいなくなったのは…」
華はどこか遠い目をしていた。その言葉に、居石も顔を上げて華を見つめていた。
その結末は、この場の誰もが知っていることだった。
だが、目の前の華は、長策と共に人生を歩んでいこうとしていたのだ。
生まれたての我が子と共に、幸せしか感じなかったはずだろう。
口を開くことができなくなった三人を見ることもなく、華は口を開く。
「夜通しお酒をいただいた次の日ね。疲れているはずなのに、あの人、美里を連れて旅行しようって言いだしてわ。私も疲れていたけど、その目が真剣だったの。だから行くことにしたわ。美里もいたから近場だけどねぇ。楽しい旅行だった。温泉入ったのよ」
華は少女のように笑う。
華の言うあの日から、どれだけ時間が経てば、そうして笑えるのだろうか。
袈裟丸には想像もできない。本人しか、わからない。
「次の日に帰ってきてね。その足で写真を撮ったの」
塗師がアルバムの最初のページ、家族の集合写真に戻す。
この写真には、そういった背景があったのだ。
「旅行の時の写真もあるのよ。工事現場の次のページからね」
塗師は再びページを捲る。
ダムの集合写真の次からが、旅行での一コマを映し出した写真だった。
一ページごとにじっくり時間をかけて目を通す。
観光地の神社や旅館の前、展望台と思われる絶景の中での写真。どれもが三人で写したもので、幸せそうな笑顔に溢れていた。
華と美里のツーショットもあったが、圧倒的に多かったのは美里と長策の写真だった。
美里は機嫌が悪かったのか泣いていたり、満面の笑みで華が撮影しているのだろうカメラを見ていたり、じっと長策の顔を見ている写真だった。
「美里さんと長策さんの写真が多いですね」
塗師が目を細めて言った。
「一人娘だったから、可愛いがってたねぇ」」
「私は記憶がないから…物心ついてから父の顔を見せてもらったかしらね。学校のみんなは父親がいるのに、なんで私はいないんだろう、って」
「迷惑かけたねぇ」
誰も悪くない。失踪の原因はわかってないが、この二人のせいではない、だろう。
「その次の日ね…お父さんが帰ってこなくなったのは…」
華は寂しそうな表情になった。
「その日は、長策さんは仕事に?」
穏やかな声で塗師は尋ねる。
恐る恐る、と言った方が正しいかもしれないが、言いたくなければ構いませんよ、という気持ちが籠っている言葉だったと袈裟丸は思う。
「そうねぇ。いつも通り、朝ご飯を食べて…身支度したから、出かけるのかって聞いたら、ダムの様子を見に行ってくる、って言って…」
華は口をぐっと閉じて、何かを堪えているような表情だった。
「出る前に美里を抱いてね、行ってくるよ、って言って…」
華の目が潤んでくる。美里がそんな華の肩に手を置いて慰める。
美里だって辛いはずである。
幼かったから華より記憶が鮮明ではないかもしれないが、長策がいなくなった後の華を見ているのだ。誰よりも悲しんでいる華のことを。
「あの時、止めれば良かったって今でも思うの…」
華は落ち着いた様子で言った。
辛いことを聞いてしまった塗師は、黙って何度も頷いていた。
居石もメモから顔を上げて、目を拭いている。そこを指摘するほど野暮ではない。
黙っておくことが、友人としてできることだろう。
「その後、母は警察に捜索をお願いしたり、方々尋ねまわっていたんです。幼い私を連れて」
そうね、と華も頷く。
「お父さんが建設を学んだ学校の…恩師の先生の家にも行ったし、勤務先の方々のところにも行ったわねぇ。直属の上司の方は事故で亡くなられていたけれど、奥さんは親身になって聞いてくれたわ」
華はそういうと黙った。あの時のことを思い出しているのかもしれない。
「生活はどうされてたんですか?」
「母も働くことになりましたが、ありがたいことに父の仕事絡みで支援してくれる方々がいたり、町の方々にも良くしてもらいました」
本当にありがたいことです、と美里は締めくくった。
袈裟丸は華や美里の思いを想像すると、何も言えなくなってしまった。
隣で居石は、うーん、と言って用紙をまとめて腕を組む。
「お前も見てみっか?」
テーブルの上の用紙をこちらに滑らせるように渡す。
せっかくだからと考え、手に取ると一枚ずつ内容を確認する。
大半が数値や計算式が不規則に書かれていて、鉛筆で殴り書きされている。所々鉛筆でぐしゃぐしゃと塗りつぶされている。誰がどう見てもメモ用紙だった。
試行錯誤が表現されていると言ってよいだろう。
数枚捲ると、今度は元素記号や数値が書かれた紙になる。
内容はよくわからないが、岩の組成かもしれない。
最後はダムのスケッチだった。保存会に保管されていた設計図とは違い、殴り書きに近い。その絵は数枚に渡って描かれており、一番枚数が多い。ダム堤体を様々な角度で描いていたりコア材などのスケッチが占めている。
しかしダム正面から見たスケッチが多かった。
「凄いな…どれだけダムにかけてたのかっていう…情熱が溢れてる」
湿気を吸ってヨレヨレになった用紙を大事にまとめ、缶に戻す。
「あの…軍司ダムの保存会の方々はご存じないでしょうか?」
あれだけダムと長策のことを崇拝している人々だ。
ここに聖地巡礼と称して押しかけてくることも考えられる。
「ええ。知ってるわ。とても勉強熱心な方々みたいねぇ。写真やその図面みたいな紙を熱心に見てたわ」
「おばあちゃん、あんな人数押しかけてきて迷惑じゃなかった?」
居石が心配そうに尋ねる。
「そんなことなかったわ。来たのはその会が発足する前にだけど…確か旅館の支配人をしているっていう…」
口を開いたのは美里だった。
「神戸さん、ですか?」
「あーそうそう。誠実そうな人だったわね」
有志で立ち上げた保存会なのだから、金村家に一言断っておこうと考えたのだろう。
壁掛け時計を見た居石は。よし、と言った。
「そろそろ、帰るとすっか。もう三時間くらい居させてもらっているし」
確かに長居するのも申し訳ない。
塗師は二人の姿を見ると、アルバムを閉じて華の方に戻す。
「華さん、まだ説明してないこと、ありますよね」
優しい、穏やかな言い方だった。
居石と顔を見合わせると、華の言葉を待った。
「なんだろうねぇ…」
惚けている、直感でそう思った。思い当たる節がない、という言い方や表情ではない。根が真面目な、嘘が付けない人なのだろう。
塗師はこちらを向く。
「長策さんはね、広井さんと同じ力を持ってるんだよ」
「は?どういうことだよ」
「ちょっと…よくわからないんですが…」
美里は困惑したような表情だった。何も知らないのだろう。
華は黙ったまま目を閉じていた。膝の上で手を組んでいる。
「さっき、華さんがお話ししてくれたエピソードで、地震で岩が落ちてきたけれどその時工事が休みで助かった、っていうのがあったでしょう?」
岩を運ぶ手間が省けて作業員が喜んだ、というエピソードである。
「工事の休みを提案したのは、もちろん現場責任者である長策さんだ。それは華さんも言ってましたよね」
ええ、とだけ華は言う。
「しかも前日に急に言い出した、と。工事の日程って、まあ昔の話だからそれなりに余裕があったのかもしれないけれど、急に変えることは難しい。しかも、長策さんが休みの決断をしたのが夜だっておっしゃっていた」
塗師はそういうと華を見る。
華はゆっくりと頷いた。
「なんで急に休みにしよう、って長策さんが言ったのかって思ったんだ。急に日程を変えることの難しさって、きっと長策さんもわかっていたはずだしね」
確かに、今の基準で考えればそんなことは余程のことがなければ許されないことだろう。
塗師が主張することもわかる。
「でも長策さんは、それを実行に移した。作業員全員に連絡をしなければいけないから大変だと思う。居石君が見ていたメモにもあるように、これだけ情熱的にダム建設に携わってこられたんだ。余程のことだったんだろうと思うよ」
だから、塗師は続ける。
「その余程のことはなんだろう、って考えていて…君らの話を思い出した。広井さんの力だね。もしかしたら長策さんもそうした力を持っていたんじゃないかなって考えたんだよ」
華は大きく鼻から息を吐く。
「話しすぎちゃったかしらね。黙っているつもりはなかったんだけどねぇ」
自白ではないが、華は塗師の話に同意したということだ。
金村長策は、広井と同じ力を持っていた。
「へー長策さんすげーじゃないっすか」
居石は身を乗り出す。
「知らなかった…お父さんもそんな能力があったなんて…」
美里も驚いた様だった。
「小林っていう人の話だと、世の中には広井さんのような人間はまだいるんでしょう?」
「そんなこと言っていましたね。確かめる術はありませんけれど…」
華は話をゆっくり頷きながら聞いていた。
「お父さんはね、ある時、そんな話をしてくれてね。私も信じられなかったんだけどねぇ。でも落石のことだけではなくてね。写真にもあったけれど、今で言えばあんなに危険な工事なのに死んだ人がいなかったっていうから、本当かしらって思う様になったわね」
論より証拠の好例だろう。
「当時の工事現場では、今より事故が多かったのは間違いないだろうね」
塗師も言う。確かに上半身裸で岩を削っていたり、人力で岩を運んでいる様子を見れば頷けることだ。
「でも、お父さんは、これは神様から引き継いだ力だから世の中のために使うんだって言っていたわね」
「技術者の鑑みたいな方だったんですね」
そうなのよ、と華は袈裟丸に笑った。
「おばあちゃんと美里さん、何か俺に手伝えることないっすか?」
唐突に居石が口を開く。
「何言ってるんだ?」
「いや。色々話してもらったし、飯食っただけだし。お礼したいじゃんか」
居石なりに気を使っているのかもしれない。
「そう言われても…せいぜいお皿洗いくらいしか私は思いつかないし…」
美里が困惑した表情で言う。
「じゃあそれは耕平がやるんで」
どういうことだよ、という言葉を飲み込む。なんとも文句が言い辛い。
「あ、やりますよ。任せてください」
笑顔で美里に言う。居石の言う事に同意はできる。
食事に加えて、いい話を聞かせてもらったお礼としてはまだ足りないかもしれない。
「だったら…アンテナ直してもらえないかねぇ」
「アンテナっすか?」
「そう…あの…なんだっけ?」
華は美里を見る。
「ああ、衛星放送のアンテナね。お母さんがいつも楽しみにしていた衛星放送の番組があったのだけど、一週間くらい前に天候が悪くて風が強かったのよ。それで外れてしまったらしくて」
「アンテナは壊れてないんすよね?」
たぶん、という美里の声を待たずに、アンテナどこっすか、と居石は立ち上がった。
美里は居石を待たせて、まず、台所へ袈裟丸を案内させた。
それから居石に庭の納戸に仕舞ってあるからと言って、一緒に庭へと向かった。
「要、向きは南か南東だからね」
「そうなんか、オッケー」
「僕の梯子使っていいよ」
「あんたも手伝えよ」
はいはい、と笑って塗師は立ち上がった。
すまないねぇ、という華に塗師は笑顔で手を振る。
「優しい二人に助けてもらって良かったわ」
袈裟丸の後ろで美里が言った。台所のテーブルにまるで監視されているかのように美里が座り、袈裟丸を見ていた。本当に監視しているわけではなく、わからないことがあればすぐに聞ける位置にスタンバイしてくれているのだ。
「そんなことないですよ。美里さんを最初に気が付いたのは、居石ですし、むしろお邪魔させてもらってご飯まで頂いた上に…悲しい過去までお話しさせてしまって…」
水切り籠に皿を入れながら、袈裟丸は言った。
「いいのよ。ちょっと悲しくなったのは事実だけどね。でも、同じ分野でこれから社会に出る若い学生さんに父の話を聞いてもらえたのは、きっと父も喜んでいると思うの」
「そう言って貰えるとありがたいです。俺も、きっと居石も長策さんに会いたくなったと思います」
「袈裟丸君のお父様は?やっぱり建設の仕事に?」
そうですね、と言いながら、少し迷っていた。父のことを話すべきか。だが、あそこまで長策の話をしてもらっていたのだから、話さないわけにはいかないだろう。
実は、という切り出し方で袈裟丸の父のことを話し始めた。
家族のこと、父と母の関係、それを経ての自分の気持ちの変化。
美里は静かに聞いてくれた。
「そう…あなたも苦しかったのね。家族のこととは言っても、子供は夫婦関係のことに意見し難いと思うし」
その言葉を背中で受ける。
水切り籠に皿を重ねる音が袈裟丸の返事の代わりのように響く。
「今は…父の話を聞いてどう思う?まだ建設業界が無意味なものと感じるかしら?」
「正直…揺れ動いています。でも、それはきっと長策さんの人間性の方が強いのかもしれません。まだ…答えは出てないです」
そう、と言うと美里は続ける。
「でも、ご両親は大切にね。そうでないと、いつかは後悔することになると思うから」
それはズルい。美里が言うから言葉に力がある。
言葉の力というものは、発言者のバックグラウンドの有無で大きく異なる。
だからこそ、金村家との出会いは、袈裟丸には感情が揺さぶられるような出来事だった。
「こんなもんでいいですか?」
美里の言葉に気の利いた返答が思い浮かばず、作業の終わりを告げた。
「ありがとう。もう大丈夫よ」
美里が笑顔だったので、袈裟丸も笑顔で返す。上手く笑えていたか、自信はない。
居間から庭の方に視線を向けると、塗師が剪定に浸かっていた梯子が屋根の方に向かって立てかけられていた。
その足元では塗師が支えていて、屋根の方を見上げている。
袈裟丸が近づくと、ちょうど居石が降りてくるところだった。
「落ちるかと思ったよ」
居石が手に持っていた工具箱を塗師が受け取る。
「うるさいな。ちょっと足を滑らせただけだろうよ」
「それは事故に繋がるやつじゃないか」
こんなところで負傷するなんてやめてほしい。
「お前ができたか?」
聞かれればできないだろうと言うほかない。
「ビーチサンダルのままやったのか?」
袈裟丸は居石の足元を見る。
「これでできるって聞かなくてね」
塗師は我儘な子供を評するような発言をする。
「無事に取り付けられたのか?」
「もちろん。サンダルだって作業できんだよ」
それは自己責任でやってほしい。他人からすれば、ただ迷惑なだけだ。
居石は居間に座っている華の方へ進む。
「おばあちゃん、アンテナ修理できたから、いつでもテレビ見れるよ」
「ありがとうねぇ。お小遣いあげようかね…」
「いやいや、いらねぇよ。いつまでたっても終わらなくなっちゃうから」
「助かったわ」
華の笑顔に居石は満足そうに頷く。
「そういえば、塗師さんはどこに宿泊しているんですか?これだけの庭だったら一日でっていうわけにはいかないですよね?」
「ん?僕?自分の車で。車中泊ってやつ」
「それは…過酷ですね」
「いやぁ、慣れてしまえば大した問題じゃないよ」
そんなことを慣れたいとは思わない。
きっと塗師にとってはそこを重視していないのだろう。
居石に帰ろうか、といようと思い、顔を向けると、屋根を見つめてじっとしていた。
「どうした?物思いに耽っているなんて、らしくないじゃないか」
袈裟丸の声かけに、居石の返答は時間がかかった。
「いや…うん。戻るか。ちょっと疲れたしな」
しばらく休んだとはいえ、流石に長距離を歩いて屋根に上って作業するのは居石であっても疲労困憊なのだろう。
「僕らは宿に戻りますね」
うん、と塗師は手を挙げる。
「僕らは帰ります。ありがとうございました」
「もう少しゆっくりすれば良いのに。大丈夫?かえってお仕事頼んでしまって申し訳ないわ」
「それは良いんです。僕らがしたくてしたので」
「そうっすよ。気にしないで。おばあちゃん、テレビ、楽しんでね」
華が、ありがとねぇ、と弱々しく手を振ってくれた。
わざわざ見送ってくれた美里に深々と頭を下げると、二人は金村家を出る。
袈裟丸はスマートフォンのアプリで地図を見ながら、旅館までの道のりを確かめる。
神戸はもう帰ってきているだろうか、と考える。
隣の居石も液晶が割れているスマートフォンを取り出して、何やら弄っている。
横からチラリと覗くと、珍しく数式やグラフが映し出されている。
先ほどの長策のメモで気になることでもあったのかもしれない。
「良くしてもらっちゃったな」
「そうだな。人に人生あり、っていうけどさ、やっぱ父ちゃんがいないって…過酷じゃん?家族としては」
「そう…だな。生活も大変だろうしね。でも、長策さんの周囲の人がいい人ばかりで良かったから何とかなったって言ってたけど…そうじゃない人もいるだろうしね」
居石はスマートフォンをお尻のポケットに仕舞うと腕を組む。
そんなところに入れているから液晶が割れたりするのだろう。
「お父ちゃんは…なんで家族を残して失踪したんだろうなぁ」
「自分でいなくなったと思っているの?まだわからないでしょう」
「いや、なんとなく…。誰かが攫ったって言ったって、一人の技術者攫ったところでどうにでもならないだろうよ。貧しくはなかっただろうけどさ、裕福って感じでもなかったっしょ?」
それは袈裟丸も同感する。
なんだろうなぁ、と言いながら二人で歩く。
当時ならまだしも、今現在で考えたところで何も情報がないのだから、憶測でしか言えない。
住宅街を抜けると、水無瀬市で最も道幅がある車道に出る。
片側二車線の道路は両側にコンビニやファストフード店、ファミリーレストランなどが並んでいて、一番人通りが激しい。
旅館は道を渡ってさらに進んだところにある。
「おい」
横断歩道で待っていると、後方から声がする。
二人で振り向くと、カフェテラスに座っている巽だった。
「刑事さん何してんすか?」
振り返ったままの姿勢で居石が尋ねる。
オープンテラスの席で足を組んだまま、巽はコーヒーを一口飲む。
巽の前のテーブルには洒落たサンドウィッチが置かれている。
「昼飯だ」
「仕事はいいんすか?」
「昼飯ぐらい食わせろ。もう三時だぞ」
相変わらず、容姿と声が合っていない。
手で二人を招くような恰好をする。
巽の座る席は空席が二つある。どうやら混んでいる様子ではないらしい。
「飲み物くらいなら御馳走する」
二人で顔を見合わせて、お誘いに乗ることにする。
宿に戻っても用がある訳ではないし、刑事といれば、万が一疑われることもない。
二人は着席すると店員に飲み物を注文する。
アルバイトと思われる店員が頭を下げるのを確認すると巽が前のめりになった。
「どこに行っていた?住宅街から出てきたみたいだが?」
「よく見てるんすね」
「仕事柄な。特に事件に関係する人間なら尚更だな」
「あの、旧軍司ダムの…第一発見者の方の家に」
巽は眉間に皺を寄せる。
「あの岩のダムを作ったっていう?」
「そうっす。本人は失踪中みたいなんで、その家族っすね」
巽は唸るように息を吐く。
「その事件か…」
「刑事さん知ってるんすか?」
「直接は知らん。確か金村長策だったか、その名前も保存会の人間から聞いた。彼らは憑りつかれているようにダムと金村を崇拝しているな」
俺にはそう思う、と巽は続けた。
「彼らの方にも話を聞きに行ったんですね?」
「そうだな。広井が潰されてたダムに近いし、何か見ているかもしれないからな」
袈裟丸は納得する。
「で?犯人は見つかったの?」
居石が挑戦的な口調で尋ねる。そんなに強気に出る必要はないのに。
「わからん。荒巻の件もわからんし、広井の方もどうしてあんなことになっているかわからん」
「保存会の方々のアリバイみたいなものは?」
穏やかに混乱していると思われる巽に袈裟丸は質問する。
「そうだな…ほとんどの人間にアリバイはあった。なかったのは…」
巽は手帳を取り出すとパラパラとページを捲る。
「神戸聡、鎌上藤吉郎、上月寛治、仲間英人、福田正樹、御良清志、この六人だ」
袈裟丸は名前と顔を思い出す。
「彼らだけは、一人でいたと証言している。そもそも一人暮らしだったり遅くまで仕事だったりと理由はあるがね」
「神戸さんは宿にいたんじゃねぇか?なあ?」
確かにその日は二人で宿にチェックインした日である。
チェックインした時と、お酒を貰った時しか神戸に会っていない。その後二人は部屋飲みをしていたのだ。その間、神戸には出会ってない。そのことを巽に説明する。
「なるほどな。従業員の話も聞かなきゃならないが、君らの話の段階では、神戸の死亡推定時刻のアリバイはない、ということだな」
「他のおっちゃんたちもアリバイないの?」
「鎌上と上月は一人暮らし、仲間は経営しているスーパーで事務作業、福田も勤務先の小学校で残業だそうだ。小学校の先生も大変だな」
皮肉気味に巽は笑う。
「御良は一人で日課だという夜の散歩をしていたそうだ」
明らかに怪しいが、それは他の六人も同じレベルで怪しいのだろう。
「じゃあ動機は?広井のおっちゃんに恨みを持っていたっていう人とかいるんすか?」
「いや、誰も知らないと言っている。広井の写真を見せても新軍司ダムの工事関係者だろうというくらいしかわからんそうだ。まあ作業服着た写真だったしな」
「可能性としては、建設初期の段階で抗議するために工事現場に向かった時、そこで見かけたっていうこともあると思うんですが…」
「どうだろうな。だが、工事関係者であれば誰でもよかったのかもしれん。実際に荒巻も死んでいるしな」
確かにそうかもしれない。
「荒巻さんの時のアリバイはどうだったんですか?」
「まあ同じだな。仲間と福田が家にいて、家族がいたが、すでに寝ていたとのことだ」
つまり広井の件でアリバイがない保存会の人間は、荒巻殺害時のアリバイもないということである。
荒巻についても気になる、と巽は続ける。
「この現場に配属されてから、何かこそこそしていたらしい。周りも気になっていたようだけど聞けなかったらしい」
荒巻の性格上あまり不思議ではないように思うが、同僚としては違和感を覚えたのかもしれない。
「神経質なだったそうだが、工事に当たっては重宝されたのだと思うがな」
巽はまだ広井の能力を知らないのだ。ここで話して良いものかどうか、袈裟丸には判断できなかった。
「広井のおっちゃんがいたから、それも必要ないはずなんだよなぁ」
何も考えずに発言する人間がいることをすっかり忘れていた。
どういうことだ、という巽に、居石が説明する。
時折、袈裟丸が細く補足しながらの説明だった。
その中でも居石は金村長策の話を出さなかった。
「んー、俄かには信じられんな…」
「普通の感想だと思います」
「でも、そのおっちゃんがいるから安全に作業できんだよ。だから荒巻さんはそこまで神経質になる必要はないんすよ」
とはいえ、そうした性格の人間は、安全だとわかっていても自分が確かめなければ納得できない性格だと思う。
「でも…これは僕個人の意見ですけれど…保存会のメンバーが荒巻を殺害したとは思えないんですが…」
巽は腕を組む。
「その機会があったかどうか、だけで言えば可能だろう。工事関係者の人間が言うには、現場から最後に出た人間が入り口の仮囲いを施錠することになっているそうだ。荒巻はほぼ毎日、最後まで残って現場のチェックをしてから帰宅することが常だったらしい」
事務所での聞き取りでもそんなことを言っていた。
筋金入りの心配性、ということか。そこまで行くと尊敬の念すら抱く。
きっとその日の最後の作業が終われば、全員で現場のチェックをするだろうし、そんな制度になっているのであればローテーションで全員に回わすことになるだろう。
ということは、殺害した人間はいつも最後まで荒巻が現場に残っていることを知っている人物、と言うことになる。
つまり、工事関係者しかいない、という理屈だ。
「でもそうとは言えねぇんじゃねぇかな。本気で荒巻さんを殺そうと思ってんなら、その機会だって探るんじゃねぇか?」
「なるほどな。計画的に殺害したのであればそこまで入念に調べ上げる、か。だが付近に、例えば不審な車とか、怪しい人物とかはいなかったと思う。そんなことがあれば社員の記憶に残っているだろうしな」
「工事現場の周辺じゃなくてもいいんじゃねぇか?」
どういうことだ、と言う巽に居石は説明する。
「ダムの現場の先に、橋があるんすよ。なんて橋だっけ?」
龍清橋、と居石に告げる。
「そういえば橋があったな」
「あの橋からだったら現場を見渡せるじゃないっすか?現場周辺にいなくても、橋の上からだったら観察できんじゃないっすか?」
現場周辺をウロチョロしていれば目につくだろうが、橋の上からだったら、視界の外に置かれることになる。
居石はその上からだったら観察できる、現場関係者がどういう動きをしているかわかる、ということを指摘しているのだ。
相変わらず、発想だけは感服する。
「そうなると、保存会の人間でも現場の動向を伺える、ということか…」
しかし、そうだとしても、容疑者が増えたというだけで、手探り状態なのは変わらない。
「せめて突破口さえあればな…」
「刑事さん、これから何するんすか?帰宅?」
「そうそう帰ってもいられない。そうだな…君らは?宿に戻るのか?」
二人は頷く。
「では、宿の従業員に話を聞きに行くか…。神戸のアリバイを確認だな」
「話してくれんすかね?口裏合わせられればどうにでもなっちゃうし」
「仮に事件に関与しているのだとすれば、その従業員も口裏を合わせたってことで犯人秘匿の罪に問われるだろうね」
まあ、それはそうだが。
お世話になっている上司のことを売り飛ばすことをするだろうか。巽の言っていることは道理だが。人間は道理だけで動くのではない。
「さあ、そうと決まれば、帰るぞ」
巽は立ち上がる。
帰宅するかのような言い方だったのは、巽の本心かもしれない。
簡素なつくりの部屋の中、テーブルを挟んで、目の前には神戸、こちら側には巽を中心に両端に袈裟丸と居石が座っている。
なぜここに自分たちがいるのか。
三人で連れ立って静水館へ戻ってくると、神戸がすでに帰ってきていた。
巽とともに帰ってきた袈裟丸たちに若干狼狽していたものの、巽がそのいきさつからここに来た理由まで説明すると、従業員を集めてくれた。
神戸が席を外している最中、巽は従業員に神戸の昨晩のアリバイを聞いて回った。
その間、神戸は袈裟丸と居石で、形的には監視ということだが、世間話をしながら待機していた。
神戸は落ち着いた様子で居石と学生生活の様子などを尋ね、自分の大学時代と比較しながら会話を進めていた。
神戸も建設系の学部だったようで、居石が話す専門分野の内容も、深い内容ではなかったが、理解しているようだった。
一時間ほど経った後、巽が神戸に呼ばれた。
なぜか袈裟丸たちも呼ばれて、現在こうして同席している。
「刑事さん、先ほど昨夜の行動についてはお話しさせていただきましたが?」
「その際はお時間頂戴しまして、ありがとうございました」
感情の入っていない言葉だった。
「今回は従業員の方々にお話を聞かせていただきました。普通の旅館よりも従業員の数が少ないのですね」
「少人数で手厚いサービスが信条ですから」
そんな旅館に宿泊できたことは、果たしてラッキーだったのだろうか。
「それは良いことですね。人気でしょう?」
「ありがたいことに」
神戸は頭を下げる。終始穏やかである。
「聞き込みの結果なのですが、当日、事件があったと思われる時間帯に誰もあなたの姿を見ていない、と言う事でした。彼ら以外には」
袈裟丸たちのことである。
「彼らに、個人的にですがお酒を振る舞わせていただきました。それなのに?」
「一緒に杯を傾けたわけではないでしょう?」
「その通りですね。お酒だけプレゼントしました。美味しかったでしょうか?」
「美味かったっす」
袈裟丸も頷く。それは間違いがない。
「彼らがお酒を貰ったのが午後八時、それ以降、従業員も彼らもあなたを見ていない」
「はあ、そうですか。ですが…それが何か問題でしょうか?従業員への指示はしておりましたが?」
「それは従業員の方々も仰っていました。ですが、メッセージアプリを使ってでしょう?最近は便利ですからね」
神戸は頷いた。
「どうやら疑われているようですね。ですが…アリバイがないのは保存会のメンバーの中にもいたでしょう?風の噂ですが、工事現場の方々もアリバイがない人間はいるとか?どうして私のところに?」
「白状してしまえば、今日は従業員の方々の話を聞きに来ただけでした。その結果と先ほど保存会の話を聞いた段階で感じた…直感です」
巽は含み笑いをする。
「直感を大事にされる刑事さんだったとは…ご経験に即したことなのかもしれませんが、これまでに捕まえた犯人たちを再捜査してはいかがでしょうか?」
巽は無視するように続ける。
「不思議に思っていたのですが、保存会の中であなたが一番若い。あなたは三十代後半で、あなた以外の会の平均年齢は六十歳ですからね。それなのに代表としての立場を貰っている。それはなぜなのですか?」
それは袈裟丸も聞いてみたかった。
「単純なことですよ」
神戸は目を見開く。
「誰よりもあのダムと金村長策と言う人物を、大切に思っているからです」
「答えになっているようでなっていませんね。保存会の面々も同じ思いじゃないですか?」
「彼らは、私が水無瀬に来るまではその大切さに気が付いていなかった、それだけです」
巽は納得してはいないようだった。
「そうだとしても…」
「刑事さん、年功序列はもう古いですよ。実力が高ければ上に進むというのが今の世の中です。それは市民が勝手に立ち上げている小さな集団でも同じことです」
神戸はもしかしたら保存会について、大事に思っていないのではないだろうかと袈裟丸は思う。
「では、あなた以上にダムを…金村氏を大事に思っている人間はあのメンバーに存在しない、と?」
神戸はゆっくり頷く。
「で、なんで堂々と座ってんだよ」
居石が苛立つように巽に言う。
自分たちの部屋に戻ってきたが、巽も付いてきた。
「いい部屋じゃないか。あの支配人、センスはいいな」
巽は居石を無視した。黒い座椅子に腰かけると、自分で緑茶を淹れて飲み始める。
「ここが話するのに一番いいからな。君らも同席していただろう?」
「勝手に同席させたんだろう?っつーか、初めて会った時より、人格が変わってねぇか?」
「まあ固いこと言うな。君らは関係者じゃないからな」
「なら、さっさと帰らせろよ。このままじゃ二泊目じゃんか…」
「君らが勝手に巻き込まれていったんだろう?違うか?」
それについては何も言えない。今日一日を考えても朝から、それこそ川に流されるようにしてここまでたどり着いた感じがする。
巽の表現も頭から否定するべきものではないのかもしれない。
「極めて稀だが、勝手に巻き込まれる星の元に生まれたやつがいるんだよ」
まるで広井や、金村の能力のようだと思う。
そこでふと思いついたことがあった。
「長策さんや広井さんはいつから、ああいった力を持ったんだろう…」
「どういうこと?」
居石は窓際から戻ってくる。
「いや…そのままだけどさ、生まれてからそうだったら、もっと早く気づかれそうなものじゃないかな?」
「奇跡の子供、ということか?」
巽は二杯目のお茶を注ぐ。
「まあそこまでいかなくても…いつもあいつが助けてくれたとか、あいつがいると事故を回避できたとか…」
「確かに話題になっていてもおかしくない…か?そうだとしても分かり難いだろうな。超能力と違って地味だし」
巽の言う事ももっともである。だが、その能力の起源は必ずあるはずだ。
「で、刑事さんはぶっちゃけ、支配人を疑ってんだろ?」
「分かり易く態度に出していたからな」
「早く捕まえてくれよ。俺ら帰るよ?」
「さっきも言ったが直感だ。そんなことで捕まえていたら冤罪だらけで司法制度が崩壊だ」
居石は溜息を吐く。
「少なくともさ、保存会の老人たちはあんな殺人できないって。おっちゃんと荒巻さんが同じ犯人だったとしても、どちらか一方だけだったとしても、労力どれだけかかんのかって話。広井のおっちゃんの件なんか、岩の下に下敷きになってんすよ?」
その方法は見当がつかないが、常識的に考えれば、そうなのだろう。
「それ以上は大丈夫だ。憶測はよくない」
直感で神戸を疑っている人物とは思えない。
巽が胸ポケットを気にする。
中からスマートフォンを取り出して、失礼、と部屋の外へと出ていった。
「完全に二泊目だな。金大丈夫か?」
「ああ…頭が痛いな。でもこっちの都合でこうなってるわけじゃないから…」
とはいっても自信はない。可能であれば巽から大学の方に説明してもらえると助かるが。
スマートフォンを弄りながら巽が戻ってくる。
「すまんな。色々報告を受けた」
「まるで自分の部屋みてぇだな」
「厳密にいえば君らだってそうだろう?ただ借りているだけだ」
子供の口喧嘩だ。
「早く戻った方がいいんじゃないっすか?部下とか待ってると思うんすけど」
「指示待ち人間は俺の部下にはいないさ。方針は示しているがね。さて、君らの話に上がっていた金村長策について、手の空いている奴に調べてもらった」
袈裟丸と居石は身を乗り出す。動きが速い。
「こっちの方が気になってないか?」
「当たり前っしょ。事件はそちらの仕事でしょ?」
「当たり前すぎて何も言えんな…。金村のことだが…正直君らから聞いた話以上のものはほぼない」
「なんだよ」
待て待て、と巽は続ける。
「妻の華と結婚する前のことは知らないだろう?」
確かにそこは華からも聞いていない。
「あー知らねぇな。そういえば」
「生まれはK県だそうだ。海辺の町で育ったとのこと。性格は明朗快活、正義感の強い好青年、と…周りからの評判は最高だな」
そんな人間もいるのかと思うのは、時代のせいだろうか。
「大学は都内だったようだね。勉強もできた。国立大学の土木工学科に入学したと」
大学名を聞くが、誰もが知っている大学だった。
「卒業後は建設会社に勤務して、いくつかの現場を転々とした後、華を結婚して、その頃に水無瀬にやってきた。水無瀬市が水害に困っているということで、そこでダム建設の工事責任者を任されたと。余程熱が入っていたようで、調査段階からすべて自分が関わっていたということだ。これは君らの話にもあったね」
華から聞いた話だが、それ以外のバックグラウンドは初めて聞いた。
その時も思ったことだが、人間的にも優秀な人物だったようだ。
だが、と巽は続ける。
「まあ問題は全くないんだが、一度自分の勤める建設会社で殺人事件があったらしい」
「え?穏やかな話で終わるんじゃねぇの?」
うん、と巽は言うと続ける。
「当時の長策の上司だった人間だそうだ。橋梁の建設現場で死んでいたらしい。犯人は見つからなかった。当時の警察の捜査に不備があったわけではないだろうがね」
「ん?おばあちゃん、そんなこと言ってなかったっけ?」
居石は袈裟丸を見る。
「ああ。確か言っていたような」
長策が失踪した後の華の様子。その場面で聞いた話だ。
「ああ、確か金村さんが失踪したときに、いろんな人に聞いて回ったっていうことで、その時に上司の家にも行ったって話だ。その時、上司の人は亡くなってたって」
「だとしたら、この話だろうな」
華にはそのことを伝えなかったのかもしれない。子供がすでにいたかどうかはわからないが、あえてそんなことを言う必要もない。
「まあそんなところだな」
「さっきの言葉、撤回するわ。刑事さんの部下は優秀。よくわかった」
どうも、と巽は言うとお茶を一口飲む。
偉そうに評価をしていた居石は、畳にゴロンと寝転ぶと天井を見上げた。
「巽さん、小林さんたちはどうなりました?」
忘れていたかと言えば、その通りだった。
小林からの連絡もなく、どのような状態になのかわからない。
「工事は正式に一時中断になったよ。社員と作業員が立て続けに亡くなっているからな。工事のスケジュールもあるだろうが、仕方がないだろうね。容疑がかかった連中は寮で待機中だ。行動は制限していないが管理はされている」
会社勤めだとこれは大変だろうと想像する。発注者の理解が得られれば良いが。
「その後、アリバイが証明された人はいるんですか?あと…僕らが顔を知っていてあの場に居なかった人が…伊達さんと言うんですが…」
そうだな、と巽は手帳を捲る。
「まず、その伊達と言う人間だが、あの場に居なければアリバイがあった、ということだ。確か…PCを使ってオンラインのゲームをやっていたと言っていたな。対面でしていたから部屋にいたことは間違いないとのことだ」
それは強度の高いアリバイだろう。
「次に、その後アリバイが証明された人間だが、まず本田氏だ」
新軍司ダムの現場責任者。得体の知れなさは、身をもって知っている。
「現場の人間のアリバイがないっていうのは、一人だったからだろ?」
ああ、と巽は続ける。
「だが、詳しく話を聞けば、本田は女性といたらしい」
「本田さんの家って、ここら辺?」
寝転びながら行儀悪く、居石は尋ねる。
「いや、都内で奥さんと息子と娘の四人暮らし」
女性、という呼称で気が付くべきだった。
「楽しくやってんすね」
巽はそれに応えず、さらに、と付け加える。
「鴻上と岡部が一緒の部屋にいたということがわかった。お互いがアリバイを証明している」
居石は、ふん、と鼻を鳴らす。袈裟丸は姿勢が正しくなった。
「いい大人だからな。何しても自由だ。間が悪かっただけで」
「興味はねぇけど、ちょっと驚いたな」
「そうだったんですか…」
「そういった意味でアリバイが無い、から弱いになったってところだな」
「言わなきゃならんってことになったんなら、まあシロじゃないんすか?」
「断定はできんがね」
ということは、限りなくシロが三人か。
「荒巻さんが最後に目撃されたのは?」
「当日の午後七時、現場責任者の本田が帰宅するときに、まだ事務所に残っていたことを証言している」
それが最後に荒巻の姿が確認された時間である。それから死亡推定時刻である午後十一時まで何をしていたのだろうか。
「刑事さん、一個知りたいんすけど」
なんだ、と言う巽はリラックスしている。
「長策さんが勤務してたっつー会社はなんていう名前?」
「ああ、あれ言ってなかったか?」
天井を見たまま、居石は頷く。
「秋地建設工業だよ」
「え?」
袈裟丸は声を抑えられなかった。
「新軍司ダムの、あの?」
「そうだ。もちろん過去だがな」
それはそうだろう。
失踪したのは今から六十年前。その時から秋地建設工業があり、長策が所属していたのだ。
「そっか…」
居石は少し間を開けた。
「刑事さん、長策さんの事件知ってる人間まだ残ってねぇかな?話聞きたいんすよ」
「は?話?それは…わかったちょっと調べてもらおう」
居石の意図が分かり兼ねる。
それより巽が居石に良いように使われているが、それで良いのだろうかと思う。
巽は部屋を出ていく。できる部下に連絡を取っているのだろう。
居石はじっと天井を見つめたままだった。会話をしようかと思ったが、声をかけてはいけない気がした。
わかったぞ、と巽が入ってくるまで五分くらいだったが、長く感じた。
「秋地建設工業でそれを知っているのが一人見つかった」
「まじっすか。話聞けないっすかね?離れた所に居たら、電話でも…」
「そんなこと考えなくて良いぞ。郡谷が知っているそうだ」
すげー偶然、という居石の横で、袈裟丸は驚愕の表情だった。
あまりにも出来過ぎている。
「話をする段取りもつけてもらっている」
「部下、出来すぎっしょ」
「よく言っておくよ。今日は無理だが、明日ということだ。朝から行くぞ」
二泊目決定である。
予定やお金の心配をする袈裟丸の横で、居石は何か決意したような表情だった。
もう一泊することを神戸に告げると、ご覧のとおり閑散としておりますのでどうぞ、と笑顔だがそこに全くの感情が籠っていないであろう口調で、袈裟丸の申し出を受け入れてくれた。
大学には、巽が連絡を取ってくれた。
警察からの連絡でさぞ驚いただろうと想像するが、経皮的な面では問題が解消された。
全く変なことに巻き込まれたものだ。
体力面に加えて、精神的にも疲労していた。
巽は、明日来ることを告げると帰宅していった。
心底、宿泊すると言わないで良かったと思う。
居石は、時折袈裟丸の言葉に反応するものの、天井を見ていたままだった。
ノートPCを開いた段階で、試作機を取り替えていないことに気が付く。
「ああ。忘れてたな。試作機取り付けなきゃ。目的だったはずなんだけどな…。帰るまでにできるかな…」
「もういいんじゃね?」
「そんなこと言うなよ」
風呂入るか、という居石に、おう、と袈裟丸もついていく。
今日の疲れは今日中に落としておこう。
明日も大変そうだから。
袈裟丸たちが旅館の入り口で待っていると、ロングコートの影が揺れる。
「準備できたか?」
落ち着いた趣ある庭に、巽の姿も声も全く似つかわしくなかった。
疲れの表情を浮かべながら、二人は頷く。
「行こう。郡谷の寮は市内の外れだ。まあ荒巻も同じ寮だったがな」
ということは秋地建設工業の寮だろう。
巽の乗ってきた乗用車に乗り込む。
パトカーじゃねぇんだ、という居石だったが、袈裟丸は車内の煙草臭さが気になった。車が出発する前に窓を開ける。
車で十分ほど走ると、マンションの前に停車する。
「ここだ。最上階らしい」
「偉い人が上なんすか?」
居石の質問に、知らん、とだけ巽は言った。
巽に続き、二人もマンションに入る。どんどん進み、最上階へ。
五つ並んだ部屋の一つ、シンプルな茶色の扉の前に立つ。
巽がインターフォンを鳴らすと、すぐに扉が開く。
「ああ、どうも」
倦怠感の籠った声で郡谷が姿を現す。
上はスウェット、下はジーンズという部屋着感が抜けきっていいない雰囲気だった。
「なんで君らがいるんだ?」
巽の後ろに立つ二人を確認すると、巽と交互に見て言った。
「今日は彼らの方の用事です」
失礼します、部屋に上がり込む巽に、二人もついていく。
押し込まれる形で、郡谷は三人を招き入れることになった。
「お茶がなくてすみません。人が来ることなんてないもので」
ぶっきらぼうな口調で郡谷が言った。
部屋は簡素で1Kの間取り、家具等も必要最低限といった単身赴任用の部屋だろう。
リビングの床に、居石は胡坐をかいて座る。
人が来ることなどないのだから、座布団などはない。
「お構いなく。先ほども申し上げましたが、今日は彼らの用で来ました」
「警察が一般市民のお願いを聞くんですね」
郡谷は皮肉を言った。
「捜査に関係する、と判断した結果です」
後は、と二人に譲る。
「あ、どうもお疲れっす」
居石の軽い挨拶は、郡谷を辟易させるには十分だった。
「昔の話をしろって聞いているが?」
すんなり話に入ったのは、さっさと出て行ってもらうには、と考えた結果かも知れない。
「そうっす。金村長策さんのこと、知ってんすよね?」
「大昔の先輩だ。一緒に仕事はしてない。私が入社した段階ですでに飛んでしまったがな」
居石は自分たちが知っていることを説明する。
「そこまで知ってるのか。何を聞きに来た?」
それは巽も、袈裟丸も知らない。話を聞きたいという居石の願望でここまで来た。
「知ってたら教えてほしいんすけど、殺人事件がその時あったと思うんすよ。金村さんの上司が殺されたっていう…」
郡谷は一瞬眉間に皺を寄せた。何かしら知っているのかもしれない。
「あったらしいな、そんなこと。犯人は捕まってないっていう話だ。そのことだったらそれ以上詳しいことは知らんぞ」
居石はその返答に満足したようだった。
「あざっす。じゃあ…その上司の方が殺された理由っつーのに心当たり、あります?」
しばらく返答がなかった。居石が何を聞きたいのかわからない。
巽もこの話がどうなるのか、静観している様子だった。
「もし知ってたら教えてくんないっすか?」
「まあ、特に説明できないわけではないが…」
「その上司の人、広井さんと同じ能力持ってたんじゃないっすか?」
巽も袈裟丸も、居石を見る。郡谷も目を見開いて居石を凝視する。
「当たりって顔っすね。ハッタリもやってみるもんすね」
何の心当たりもなく、郡谷に投げかけたのだ。
「嫌な奴だな…。その通りだよ。その人は現場にいれば事故が発生しない能力を持った人間だった」
郡谷は投げやりに言った。
「それが…なんだっていうんだ?」
それは、少なくとも巽と袈裟丸が、思っていたことだった。
「金村さんとその上司の人、同じ職場に二人もそんな能力を持った人がいたってことか」
居石は、結果な、と返答し、じっと郡谷を見つめていた。
「ハッタリついでにもう一つ、いいっすか?」
郡谷の顔は緊張していた。
「郡谷さんは違うと思うんすけど…そういった力っていうやつは、どうやって身につくんすかね?」
「知らんよ。生まれつきじゃないのか?」
昨日三人で話したことだった。居石はその内容を伝える。
「だから何だ?」
居石は何も言わずに、じっと郡谷を見ている。だが、郡谷は居石を見ていられない。
「わかった。わかったよ」
郡谷は叫ぶようにして言った。
「正直なこと言うぞ。本当のことは知らん。ただこの業界で、その力を持っている人間を現場で殺害すれば、その能力を受け継ぐ、っていう噂があった」
居石は何度も頷く。満足したようだった。
「ちょっと待て、なんだその滅茶苦茶なルールは」
巽が大声になる。
「え?つまり…金村さんの上司はその力を狙われて殺された、と?」
「十分動機になるんじゃねぇか?」
「ん?だとしたら…金村の力はその上司を殺害して得た力って言いたいのか?」
巽は塗師を睨みつけながら言った。
もしそうだとしたら…金村さんは殺人犯、と言うことになる。袈裟丸の脳裏に華と美里の姿が浮かんでくる。
そして、強烈な不安が襲ってきた。
「いやいや、そんなことわからないっすよ。証拠もないし。それよりなにより、噂って郡谷さんが言ってんじゃないっすか?」
ああ、そうだ噂だ、と頭ではわかっているが、不安は拭えない。
「あくまで噂、それは本当なのかわからないって。でも昔の捜査だって、もし長策さんがやったんだとしたら、結構速くわかるんじゃないっすかね?多分会社の人間だから疑われていたと思うし」
そうじゃなくて、と居石は続ける。
「噂って勝手に尾ひれがついて、いつの間にかデカいことになってたりするじゃないっすか。そんな経験ないっすか?」
誰も反論しない。少なからず、そういった経験があるのだ。
「この話も、いつの間にか噂じゃなくなったとしたら…どうなるんすかね?」
郡谷は目を伏せる。
「俺は十分動機になるんじゃないかって、思うんすよ」
「動機?」
「広井のおっちゃんを殺す動機っす」
巽の疑問にあっさりと答える。
「広井の力をもらい受けようとして…広井を殺害した、と?」
「ないっすかね?」
「いや…まあ…状況が特殊だが…要は相手からお金等を奪い取るために殺人を犯した、ってことと同じだと言いたいと?」
居石は頷く。
ならば、殺人の動機になり得ると袈裟丸は思う。
「そうなると、郡谷さんは外れるんすよね。噂だって認識してるし」
「そうか。いや、待て、広井氏の殺害に関してはそうかもしれないが、荒巻氏の殺害に関してはまだ可能性は残ってるだろう…ん?いや、広井殺害の可能性もあるのか?噂が本当である可能性もあるのだから」
「バレた?」
「バレたも何も、それを証明しようとは思ってないだろう?」
居石が確かめたかったことは、果たしてそれだけなのだろうか?
郡谷から得られた情報は確かに知らなかったことではある。
「やってないって。私は噂だと思っているんだ」
郡谷が弁明するが、居石は聞いていない。
「捜査は警察がするから、俺に言ってもしょうがないっすよ」
さて、と居石は立ち上がる。
「刑事さん、二つの現場って見れないっすか?」
「俺のこと、小間使いだと思ってないか?」
まあまあ、と郡谷の部屋を出て行く居石の背中を、巽は悲しげな表情で見つめていた。
居石と付き合う際は、ある程度のところで線引きをする必要がある。
だから、袈裟丸はもう考えるのをやめた。居石自由にしてみようと思ったのだ。
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