第27話 英雄
テセウス達とジャハールの戦いから数日が過ぎた。あの夜、ファールスの火災は市民の懸命な消火活動が功を奏し、ことなきを得た。大怪我を負っていたウィシュターも翌日には意識を取り戻し、ベルクセス王とともに王国の復興に取り組んでいる。
しかしヴァロは出血量が多く、医師にも打つ手がなかった。ペルシアの病室で何日も昏睡状態が続いた。その間、テセウスは片時も離れず彼の容体を見守っていて、ソーマやアリンダも王国の復興作業を手伝いながら、日々お見舞いをしていた。そんなある日の明け方、ヴァロが眠るベッドの横に置いた椅子に腰掛け、テセウスがウトウトしていると、声が聞こえた。
「テセウス聞いておくれ」
テセウスが目を覚ますと、その声の主はヴァロだと分かった。
「ヴァロ!良かった!大丈夫!?」
「テセウス…わしの命はあと
「そんなこと言わないで!助かるよ!今、お医者さんを呼んでくる!」
「テセウス…!待ちなさい…!!」
ヴァロの声は細く小さいが、鬼気迫るものがあった。テセウスは思わず息をのんだ。
「ヴァロ……分かったよ」
窓から差し込む薄明かりのなか、ヴァロが少し微笑んだ。その後、真剣に語り始めた。
「ジャハールは単独ではなく、ある者の命令で動いていた」
「え!?…ジャハールは誰かの手先だったってこと…?」
「そうだ。その者の名は"ナザレ"。奴は自分の思想に共鳴する神の末裔を束ねている。ジャハールはその一人に過ぎない」
テセウスは驚きを隠せない。
「ナザレの目的は…一体何?」
「奴は…恐らく"世界の終末"を企んでいる」
「世界の…終末?」
「この世を大洪水に陥れ、人類を滅亡させようとしているのだ…」
「なんで…そんなことを…」
テセウスは質問しつつ、以前ジャハールが同じようなことを口にしていた事を思い出した。ジャハールは既存の世界に絶望していた。だから新しく創り直されるべきだ、と。
ヴァロは続ける。
「ナザレの企みを許すことは出来ない。テセウス、ナザレを止めるのだ」
突然、話を突きつけられてテセウスは動揺している。
「そんな…僕にそんなこと…出来ないよ。ジャハールにだって手も足も出なかったのに」
「大丈夫だ。まだ時間がある。ナザレは今、封印されている。ナザレの仲間がその封印を解こうとしているが、恐らくあと数年はかかる。その間、君は鍛錬するのだ」
窓の外が白んできた。朝日が昇る。
「この後イングランドを訪ねなさい。わしの親族がいる。そこでエルナード剣術を教えてもらうと良い」
そしてヴァロは病室の壁に立てかけられたブロードソードを見た。
「あのブロードソードを君に授ける。わしが死んでも、あの剣にわしの魂が宿っていると思いなさい」
テセウスは涙目になりはじめた。
「でも、僕に出来るかな…?神の末裔たちと戦うなんて…」
「君は出来る。そして成し遂げるだろう。わしには見えるのだ。君の大きな可能性の灯火が」
テセウスの目から涙がこぼれた。
「ヴァロ…僕には…見えないよ…その灯火が」
ヴァロは微笑みながら優しく言った。
「いいかい。テセウス。自分の可能性を信じるのだ。人は目に見えないものを信じることが出来た時、本当に強くなれるのだから」
ヴァロの体を光が包んだ。夜明けである。白く満たされていく部屋の中で、テセウスは言った。
「…分かった。ヴァロ、約束する。僕は必ずやり遂げてみせる」
眩しさのなかでテセウスが涙を拭き、ヴァロを見たとき、彼は微笑みながら息を引き取った。その表情は満たされていて、テセウスへ「ありがとう」と言っているかの様だった。
…
テセウスは今、イングランドへ向かうべく馬車に乗っている。ペルシアを辞す時、ベルクセス王とウィシュターの計らいで馬車が手配された。彼らはヴァロの死を悼み、そしてテセウスに今後困った時に力になることを約束した。
ソーマとアリンダは彼らの故郷の孤児院まで馬車に同乗した。
別れ際にソーマは言った。
「テセウス、色々世話になった!お前は俺の恩人だ!一生忘れないぜ!」
アリンダもまた、テセウスに手を振りながら言う。
「テセウスー!ペルシアに来た時は必ず寄りなさいよー!ご馳走するからねー!!」
二人との別れの後、馬車は西へ進み続ける。
テセウスは時折孤独を感じたが、寂しくはなかった。背中に背負った身の丈には少し長いブロードソードの重みが、彼の気持ちを軽くした。
ふと小高い丘の上で、御者が馬を休息させるために馬車を止めた。テセウスが馬車を降りると、丘の向こうに海が見えた。
ふと、テセウスはサラミス島から出航する船に乗る時、出会ったばかりのヴァロから言われた言葉を思い出した。そして笑った。
「僕は…自分を信じるよ」
そう呟いた時、御者が出発の合図を告げた。テセウスは再び馬車に乗り込んだ。
旅は続く。
急速に変容するこの世の中において、一人の人間のなんと小さくか弱いものか。それゆえに他人の評価や風評や、昔からの考え方に身を委ねたくなり、楽をし、自分で立つことすらままならない。
だがこの少年は今まさに、自分の決断で立ち上がり、大きな舞台に踏み出そうとしている。
馬車が過ぎ去った丘の上には、一輪のアネモネがあった。それは海風に晒されながらも、決して折れることなく、懸命に花を咲かせていた。
アドニスの末裔(第一部/少年編) 風野秀秋 @kazenohideaki
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