第26話 計画

 イベリア半島、グラナダの南側の港街は夕闇に包まれていた。酒場にはランプや蝋燭ろうそくが灯り、海から引き上げて来た漁師や旅商人など多様な人々がエールやぶどう酒を楽しんでいる。皆それぞれに大声で笑ったり、膝を叩きながら歌を歌ったりと賑やかである。

 その熱気をよそに、窓際のテーブル席に白いコタルディを着た女が一人静かに腰掛けている。ふわりと吹き込んだ風にブラウンの長髪がそよぐと、高くまっすぐな鼻と切れ長の大きな瞳が現れた。

 その女の周りのテーブルで酒を飲む男達は気が気でない。はっと目を惹くほどの美人を前に、口説こうにも尻込みしてしまうのである。漁師達は日々海の荒波に揉まれ、度胸だけは据わっていると自負しているだけに、歯痒い。女は依然として窓から闇に溶けていく地中海を眺めている。


 すると、

「随分と騒がしいところにいるんだね」

 女に声をかけた者がいた。屈強な漁師達を出し抜いて、若い男が女の向かいの席に座った。

「久しぶりね。ロキ」

 女は若い男に向かって言った。

「丁度よかった。退屈してたところなの」

「ふふ、僕と居れば心配はいらないよ。いつだって物語や歌を君に聴かせてあげる。それとも君をモデルに絵画を描こうか?」

 ロキは瞳を輝かせながら身を乗り出す。金色のスパイラルパーマは襟足、前髪ともにやや長めで目にかかりそうである。

「素敵ね。でも私は風景画の方が好きなの」

「それは残念!でも気が向いたら是非描かせておくれ。君以上に美しい景色はないのさ!」

 ロキの恥ずかしげもない台詞に、青い瞳を困ったように細めながら女は呆れたように肩をすくめる。

「ご機嫌じゃない。何かあったの?」

 女のこの言葉に、待ってましたとばかりにロキが再び身を乗り出す。

「僕は君といるときはいつも幸せだよ。でもさすがヴァレリア!よくぞ気づいた。面白いものを見せようよ思って、君に会いに来たのさ!」

 ロキは意気揚々と腰に下げていた袋からある物を取り出した。そしてそれをテーブルに置いた。

「これは…」

 ヴァレリアと呼ばれた女は目を丸くした。ロキは自慢げに笑みを浮かべる。

「まさか、ペルシアの漆胡瓶じゃないの?」

「そのとおーり!」

 そこにはペルシアの国宝、漆胡瓶が蝋燭の光で煌めいていた。しかし所々にヒビが入っている。ヴァレリアはその割れた跡を指差した。

「一度バラバラになっちゃったのを職人に修復させたのさ!でもなかなかの仕上がりだろ?」

 ロキは水鳥が首を伸ばして遠くを眺めている様な形をした水差しをウットリと見た。

「芸術的だぁ…」

「でも、漆胡瓶はジャハールのでしょ?あなた燃やされるわよ」

 ヴァレリアから言われて、ロキは吹き出した。


「ヴァレリア、君は何も知らないんだね」

「?、何のこと」

「シャー・ジャハールは死んだよ」

「……嘘でしょう?」

 話半分で聞いていたヴァレリアの眼差しが真剣になった。

「本当さ、ヘラクレスの末裔に殺られた。でもそいつも深手を負ってたからもう死んでるだろうな。相討ちってやつだ!」

「ヘラクレスの末裔って…十字軍の?」

「そうだ。奴め生きていたのさ。それで俺たちの計画を阻もうとしていたみたいだ。だがジャハールに手こずるようじゃ、大したことなかったな」

 ヴァレリアはため息をつき、窓の外の闇を眺める。

「"ネオ・コンセンテス"も一人減ってしまったね…」

「問題ないよ。漆胡瓶はここにある。さらにジークフリートも海の民から黄金の仮面を手に入れたそうだ」

「本当?!"神器"は揃いつつあるのね」

「ああ、計画通りさ。もうすぐ出来るぞ」

「神聖なる儀式…!」

の復活も遠くない。愉快な気分になっただろう?ヴァレリア!」

 ヴァレリアは図らずも期待に微笑んだ。

「笑顔が素敵だよヴァレリア…!さすが女神アテナの末裔だ!」

 ロキがそう言ったとき、彼の肩を大きな手が掴んだ。振り向くとガタイの良い男達がロキを睨んでいる。そして口々に言った。


「てめぇ、美人を一人占めしようってのは良くないぜ…!」

「お姉ちゃん!こんなヘナチョコじゃなくて今夜は俺たちといいことしようね〜!!」

 ヴァレリアは鬱陶しそうに男達から目を逸らす。そしてロキは立ち上がった。

「僕たちの邪魔をするな。下がれ」

「てめぇ!調子に乗るんじゃねー!!」

 男の一人がロキに殴りかかった時だった。ロキすかさず竪琴を取り出し、演奏した。


―『死線譜斬音(ノタプラーガ)』—


 その瞬間、男達の肉体はバラバラに切り裂かれ一片15センチ程の肉の塊が、店の板の間にドチャドチャと崩れ落ちた。その肉塊を見ながらロキが言う。

「僕は音楽の神、アポロン神の末裔だ。どうだい?秒速340mの刃の切れ味は」

 耳に当てていた手を降ろしながらヴァレリアが言う。

「その神術、音が聴こえる人を無差別に切り裂くんでしょ…店にいた人皆死んでるわ、あたしも危なかったわよ」

「これで死なないから君は素敵なのさ、ヴァレリア。さあ、もっと良いところに行こう」

 そう言って二人は肉塊だらけの酒場を後にした。


 ペルシアの病院でテセウスは横たわるヴァロを見つめている。するとヴァロが口を開いた。

「テセウス、君に伝えたいことがある」

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