第25話 奥義

 ファールスの農民は爆音で目を覚ました。

 何事かと手近にあったすきを槍のようにして構え、小屋の外に出ると村の礼拝堂の屋根から突き出た塔屋が炎上している。周囲には農民同様に寝間着のまま武器やら農具やらを持って出てきた村人達が燃え盛る礼拝堂を見たり、水が入ったバケツを持って消火に向かったりしていた。

 農民は遅れて家から出てきた赤ん坊を抱えた妻に、すぐに逃げる支度をするようにと言うと、空のタライを持って川に向かって走り出した。途中、道でひざまづいて燃え盛る礼拝堂へ拝む老婆がいる。農民が凝視するとそれは見覚えのある顔だった。

「村長!何してんだ!?こんなところで祈っても火は消えねえど!」

「…我らの祖、アルダシール様…どうかあの暴虐者のプロメテウスを懲らしめておくんなまし…我がサーサーンの誇り高き…」

 村長ザリはぶつぶつと呪文のように唱え続けている。農民は呆れたが、放っても置けずもう一度声をかけた。

「村長!!逃げねぇとあぶねぇって!!今若けぇ奴らで消火してっけど、火の勢いが強え!この前の首都で起きた大火事みたいになっちまうかも知れねえど!!」

「この前のようにはならん!!!」

 突然のザリの大声に農民は腰を抜かして、タライを落としてしまった。


「今、戦っておられるのじゃ…」

「…へ……へぇ?」

「元十字軍最強の剣士様がプロメテウスを成敗して下さるのじゃ!」

「そ…そげな、神話じゃあるめぇし…」

「現実なのじゃ」

「へぇ…」

「見える者にしか本質は見えん!」

「そ、そいじゃ、村長はその剣士様が我々を救って下さると言うのけ?」

「おおとも!」

 その時、日の出かと思うほどの煌々こうこうとした明かりが空を照らした。しかし光が現れた方角は西。

ザリと農民が目を向けるとその正体が分かった。


 巨大な焔の獅子が獲物を狩る時の体勢で手足を伸ばし、跳んでいる。燃え盛る巨大な炎、その明るさが昼間の如く村を照らした。

「あ…あ…終わりだ…神様を怒らせちまった…」

 農民はあまりの衝撃的な光景に絶望した。

 ザリもまた驚きを隠せないでいる。プロメテウス―神話では天界の掟を破って人間に火を与えた神とされる。トリックスターであり特段の功績や権力も見当たらない、単なる悪戯好きな神として語り継がれている、はずである。

「あのような御技を使うとは……しかし!」

 人知が及ばない領域と諦めかけたが、希望を捨てなかった。ザリはヴァロがホズを両断する光景を目の当たりにしている。

「神よ…!どうか我らの英雄を救い給え…!」

 ザリは再び跪き、祈った。


 灼熱がその場にいる全員へ襲い掛かる。テセウスは目眩に襲われながら上空の巨大な焔の獅子を見ていた。

 宙に浮かぶ巨体が今度は重力に任せて落下してくる。燃え盛る両手の爪と鋭い牙をヴァロへ向ける。テセウスはなけなしの力を振り絞って叫ぶ。

「ヴァロ!…逃げて、ヴァロォォオー!!」

 剣を構える体が動かない。声が届いていないと思い、さらに大声でテセウスが叫ぼうとした時、

「…ヴァロ?」

 少しだけ振り向いた。その横顔は笑っていた。微笑みからテセウスは感じ取った。

(大丈夫だ。わしを信じろ)

 ヴァロは再び向き直り、剣を握りしめた。彼の周囲にさらに強く疾風が唸り渦を巻く。そして空から隕石の様に向かってくる焔の獅子に向かって、彼は翔んだ。


―『覇王剣(マイスター・スラッシュ)』—


 閃光が空を駆けた。

 それは宙を舞う獅子の頭から尾まで通貫し駆け巡った。その直後、獅子は二つに分かれ左右に離れた。そして二つの体は次第に形が崩れて獅子の体を成さなくなり、炎の塊へと変わった。さらにそれすら勢いが次第に弱まり、それぞれ人間の体程の大きさの火の塊となって地面に落ちた。

 その火の塊と塊の間に、ヴァロが降り立った。よろめきながらそれへ語りかける。

「自分が灰になってしまうとは…哀れな…せめて安らかに眠れ…」


 火の塊の中には黒く焦げたジャハールの死体があった。火はその死体をゆっくりと白い灰へと変えた後、煙となり消えた。そしてその灰は冷たい風に吹かれ東の方へと舞い散って行った。

 灰の散って行った地平線の彼方からは夜明けを告げる太陽が昇り始めていた。


「ヴァロぉおおおおー!!!」

 ヴァロが振り向くとテセウス、ソーマ、アリンダが走ってきた。三人はヴァロを囲い口々に無事だったことへの喜びを語った。

その時、

「誰だっ!」

 ヴァロが急に後ろを振り返り、再び剣を構えた。しかし、そこには誰の姿もなかった。

「ヴァロ、どうしたの?」

 テセウスが問う。ヴァロは少し周囲を見回したが、何も危険がないことを確認すると。

「いや、わしの勘違いだったようだ。敵がいるかと思ってな」

「何言ってるのよ!ジャハールはいまヴァロが倒してくれたんじゃない!」

「そうだせ!ヴァロ、ありがとな!!」

 アリンダとソーマは目に涙を浮かべている。彼は敵討ちに成功したのだ。


 ただ、彼らに勝利の余韻に浸る時間はなかった。ヴァロは突然膝を突き、その場に倒れ込んだ。切断された左肩から止めどなく血が溢れている。

 テセウスはヴァロを抱き、彼の名を何度も叫んだ。

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