みずのね うかぶとき
空飛ぶ魚
みずのね うかぶとき
わたしはいつまでも胎内を脱していなかった。
もちろんわたしは生まれてこられた訳だし、「ゆうみ」という名前をもらって人として成長する事もできた。学校を出て仕事につき、生き続けている。
けれどいつも、何かが不完全だった。その感覚は、友達のふざけたしぐさに笑う時も、好きな人から拒絶されて涙する時も、いつもわたしの心の底を離れなかった。
わたしは結局のところ、いつまでも、まだ生まれていなかったのだった。
『生きているとはどういうことなのだろう?』
他のひとは、眠りと覚醒の間に、わたしと似たような感覚を覚えるという。例えるなら居眠り運転で道を走り続けているようなもの。覚醒したようで混乱した頭の中。曖昧と具体。夢と現実の境。そんな漠然とした空間で、あてもなく揺れている風船。それがわたしだった。
日曜の午後、ちょっと相談に乗ってほしい、という連絡をあずさから受けて、わたしは彼女と店で会った。スペイン料理のその店は内装も料理もエネルギッシュに赤くて、わたしは少し気おくれした。
「人に聞いてもらえるだけでさ、大体の問題は解決しちゃうんだよね」
あずさはそう言って前髪を少しいじった。最近髪を染め直したばかりらしく、明るめのブラウンに光るあずさの髪を、わたしは話を聞きながらきれいだと思っていた。
彼女の相談はたくさんあって、恋愛に仕事に生活にと、よくもそこまで悩みを覚えていられるなあ、とわたしは思ってしまうほどなのだけれど、一つ一つの大きさはそうでもないため、考えていたほど相談に時間はかからなかった。
「相手からアイデアや解決策をもらわなくても、あっ、そういう事か、って自分で閃くもん。そういう事ってあるでしょ?」
「あんまり無いかも」
「ゆうは悩み自体、全然話さないんだもん」
そう言われたけれど自分ではよくわからなかった。あずさはわたしの事を大抵知り尽くしている。高校からの付き合いだから当然かもしれない。
内側から見るよりも、外側からじっと眺めている方が、きっと多くの事に気づけるんだろう。
けれどわたしはあずさの本当の気持ちとか、考えている事まではわからないから、わたしのふとした瞬間の気持ち、例えば朝起きてカーテンを開けた時に感じる心細さとか、そういったものはあずさからは見えていないんだろう。喉を孤独がちらりとかすめて、わたしは一瞬だけ息を止める。そして呟く。
「悩みって……真剣に生きてるから生まれるんだよ。あずさはそれだけ生きてるんだよ」
「しっかり生きてない人間なんていない。必死だよ。そんな生半可な生き方、許さないわ」
「じゃあわたし許されない」
「怠けてる人の事を言ってるの。ゆうは違うでしょ。わかるわよ。何ていうか、生きている実感が、無いっていう感じなんでしょ。ぼんやりしてる、というか」
あずさの髪のブラウンが急にてかてかして、よそよそしく見えた。わたしは何故だか腹が立った。別に、馬鹿にされたと感じたからではない、と思う。
生きている実感とは何か。
「恋愛が要るのよ。すっごく熱いやつ」
そういう問題だとも思えなかったが、あずさは真剣そうだったので、わざわざ否定する気にはなれなかった。
店を出て一緒に買い物しながら歩くと、日曜の街は揺らめく人影でどこもいっぱいだった。人影が動いて、自分も動く。一秒たりとも止まらずに、血管を流れていく血のように、たくさんの音と共に流れ動く。波の狭間にぽつりぽつりと、わたしの思考が漂っていく。
人は――。
人の、生きている実感とは?
ニュースが伝えるお話。自ら死んでいく人の多さ。その中にどれぐらいの割合で存在するのかわからないが、自分の生を掴み切れずにこの世から去る人は、きっと存在する。
どうしてその実感が得られないのかは、色々な原因があるようだけれど、とにかくその感覚がつかめないと、人は生きる気を無くしてしまうらしい。
でも、生きている実感が無いのならそれは生きていないという事なんじゃないか。生きていないのに死んでしまう。生まれていなくても人は死ねる。
わたしはたましいを考える。まだ生の表面に顔を出した事の無いたましいみたいなものが、道の途中でくるりとUターンしてしまう。そしてとぼとぼと、やってきたどこか遠くへと戻っていってしまう。たった一人で、生を感じる事ができなかった世界に思いを馳せながら。
それはとても哀しい事ではないだろうか。
わたしが白い空間を見つけたのは、揺らめく人影と、自分のあやふやな考えの合間だった。
まるでうずくまる子どものように小さなその場所が、何かを展示するギャラリーだという事は以前から知っていた。ガラス一枚を隔てた向こう側にある、静寂をたたえた白い空間は、この道を通りがかるたびに何となくわたしの目を引くのだった。
今日、そこには色彩があった。しかし次の瞬間には景色は流れ去っていた。
あずさに言って立ち寄る事も出来たのだろうけれど、おそらく彼女には興味が無いだろうから、わたしはその時は立ち止まらずに歩いて行った。
どうしてあずさと別れた後、わたしがそこに戻ってきたのかは、自分でもわからない。内側からではわからない事なんだろう。
白いギャラリーには、ここを管理している人と、お客と思われる人がいて、何か会話している声だけが浮かんでいる。ちょうど良い温度の空気には不思議な匂いが混ざりこんでいて、きっとそれは絵の具の匂いなのではないかと思った。わたしの知らない名前の、とても綺麗な色をつくる絵の具。
壁一面に展示されていたのは、絵だった。道を通りすぎる瞬間に見えたのはその色彩だったのだ。
ギャラリー内をゆっくりと歩いて絵を見ていたわたしは、ある一枚の絵に目を向けた途端、あ、知ってる、と思った。
あずさだったら、この絵を何と表現しただろう?
『綺麗な模様だね』
違う、模様では無い。わたしにはすぐにわかった。
水面だ。
水の中から水面を、空の方を見上げた光景である。
ただ色彩がぼんやりと混ざり合った模様だ、と見る事もできるのだろうが、わたしにはそれは水面だった。色々な青で彩られた、淡い水面の絵。青だけではなく、ところどころに黄色や緑が散りばめられていて、それらが全て溶け合って、優しく滲んでいるような絵。
描かれた水面、水の中から見上げたその場所には、光があふれていて、わたしはそのまぶしさにただ驚いていた。
わたしはこの絵を知らない、見た事も無い。しかしこの光景は、知っている気がする。
長い時が過ぎたように感じた。わたしは絵と一対一で見つめ合っていた。
先程まで聞こえていた小さな話し声が無くなっている事に気づいて、振り返ると、ギャラリーの人と視線がぶつかり、軽く会釈された。わたしは何となく恥ずかしくなってしまって、あとはろくに見ず足早に立ち去った。
水面を水中から見上げるという経験は意外と少ない。少ない分、その行為には、まるで人では無くなったような不思議な感覚を覚える。
どこかで感じた事がある。学校のプールに潜るあの感覚だ。小学校での水泳の授業。それも、授業が始まって最初にプールに潜る瞬間に似ている。
つい二十分ぐらい前までは、きっちりとした制服におさまって、狭い机に人間らしく腰掛けていたのに、今は薄っぺらい水着だけを肌に張り付けて、手足なんかはむき出しにしてどっぷりと水の中に沈んでいる。
それは、人間を脱ぎ捨てて、一つの動物として世界を見るようで、どこか背徳的な魅力があった。
「あの絵」を見たわたしは、そんな風に人間を脱ぎ捨てて、ただ光る水面を見ていた。
わたしを包む水は光の加減で色とりどりに移り変わる。水晶のようにきらめいたと思えば群青色に沈黙し、わたしをとりまいてゆっくりと流れる。水面から差し込む光の束が互いに近づいたり、遠ざかったりする。水をゆっくりと吸い込めば鮮やかな匂い、新緑のような、青空のような香りがわたしの胸をいっぱいにする。
ぽつりぽつりと浮かぶ泡。水底の方から、次々と出来ては浮き上がっていく。それをつなぐようにしてわたしがいる。わたしはたくさんの泡と一緒に上がっていくのだ。
ふいに、言いようの無い気持ちが心に浮かんでくる。ここにいたくない訳ではない。この場所が嫌いなわけではない。居心地の良い、全て曖昧に溶かし込んでしまう水中。けれどどこかへと行かなければならない。その場所へと浮かび上がりたい。輝く水面にたどり着き、あの光の中で深呼吸したい。わたしはゆっくり浮かび上がっていく。この胎内から生まれ出る。
はっと気づくと、わたしはお風呂の中にいる。お湯はぬるくなってしまっている。浴槽から上がってみれば、完全にのぼせていて頭がくらくらした。
「あの絵」は、わたしに何か特別な印象を与えてしまった。それはわたしの内側からでもよくわかる事だった。
時間とは、とても穏やかそうなもの、細く浅い川のようなものなのだろう。一目では安全そうに見えるけれど実はその勢いはとんでもなく、人がふと目を離した隙に、あっという間に色んなものを飲み込んで去ってしまう。
そんな時間の流れの中で、「あの絵」は行方をくらましてしまう事無く、何度もわたしの不明瞭な思考に浮かび上がってきた。そうしてわたしが「あの絵」に描かれた水面の事を思うたび、水面、という言葉は何か間違っている気がした。
なぜ、水面は「水面」でしかないのだろう。水中と空は何が違うのか。隔てている水面があるからこそ、二つは明確に分けられてしまっている。
水の中から見ればそれは空の表面だ。水と空気の分かれ目、生と、生では無い何かとの境目。死ではない。生まれていないだけの状態。
だから、「空面」とは呼ぶべきでないのか。
例えば二匹の兄弟ざかなが、彼らの言葉で、空面が今日もきれいだね、そうだね、と水の底でささやき合っているのではなかろうか。まるで『やまなし』の蟹達のように。
あのギャラリーに再び足を運んだのは、明確にわたしの意志によってである。ふうわりと、しかし確実に流れていく景色の中で、その意志だけがわたしを導く。どこかへわたしを連れて行こうとする魚のように、ぴかりとうろこを光らせて、わたしの目を引く。
「あの絵」はもうそこに無かった。現実を現実のまま描いただけの、何だかよくわからない絵がぺったりと壁にはりついていた。
ギャラリーの人に尋ねると、展示期間が終わってしまったという事で、無くなってしまったのだった。
その代わり、わたしの手には一枚のカード。「あの絵」を描いた人が出る、他の展示会の告知カード。
わたしは行ってみるのが楽しみでもあり、それを上回るほどに、恐ろしかった。けれど行かずにはいられないだろうと思った。
水の底の魚達は、例え生まれ出る事が出来ないとわかっていても、空面を見上げては呟いて、ぽつぽつと泡を出さずにはいられない。
彼らのいる深い水の底は、きっとわたしがやってきたはずの場所だ。水底は怖かったのだろうか。日の光が、希望が届かない底は真っ暗で、寂しくて怖かったのか。それとも何も無いのか、混沌なのか。
何者になればいいかわからないたましいが、そこにはあるのだろうか。
もはや覚えていない。思い出せない。それは単に覚えていないのか、それとも何かが思い出すのを止めているのかもわからない。
ただ、そこから溢れてくる泡が空面を目指していくように、わたしも上へと向かう。空面の先にある光は、きっと希望や、生などと呼ばれるものなんだろう。生を目指して。光があふれてまぶしい向こうへ生まれる。
浮かび上がったあの先、空面を越えたあの場所から見下ろすと、水面はどんな色に見えるのだろう?
〈終〉
みずのね うかぶとき 空飛ぶ魚 @Soratobu_fish
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