エピローグ

 翌朝、光来たちはアトリエの前に立っていた。

 朝日は眩しいが、街は静かで微睡んでいるかのようだった。昨日の朝とは、あきらかに違う穏やかな空気が流れている。


「来るかな?」


 朝の静けさの中に、光来の声だけが通った。

 外で待っているよう、ズィービッシュに言われて十分が経過している。

 リムもシオンも無言だったが、光来にしても、返答を期待して喋ったわけではない。なんとなく、穏やか過ぎる朝の眩しさに落ち着かなくなっただけだ。

 不意に扉が開いた。まずズィービッシュが姿を表し、その後ろにナタニアが立っていた。


「待たせたな」


 ズィービッシュの声音には、落ち着きがあった。ナタニアは泣いていたのか、目の周りが赤く腫れている。


「……いいの?」


 リムの問いは、ズィービッシュよりもナタニアに向けたものだった。

 ナタニアは、弱々しい笑みを浮かべた。


「兄は、子供の頃から一度決めたら変えないから……」

「心配するなって。俺は戦いには参加しない。決着を見届けるだけだ」

「………」


 ズィービッシュは、ナタニアの頭に手を置いて乱暴に撫でた。


「行ってくる」

「気をつけて」


 別れを告げるナタニアの声には、少しだけ力が籠もっているように聞こえた。

 光来は兄妹の別れを見て、遠く離れてしまった両親のことを思った。鼻の奥が熱くなった。少年の持つ幼いプライドで、潤みそうになる目を見られたくなく、兄妹に背を向けた。

 朝日が目に沁み、これなら涙が出てもごまかせるかな、などと思った。



 タバサ・ハルトは、風の中に立っていた。

 少しだけ寒いと感じながらも、肌を刺激する空気の流れと戯れた。


「父さん……。キーラ・キッドに会ったよ」


 タバサの声は、悪戯をするかのように風がさらっていった。しかし、タバサは意に介さなかった。


「一目見ただけで分かった。まるで、巨大な宝石の原石を見せられた鑑別士が、宝石の品質のを見抜き、とてつもない価値があると分かるように……。だから、キーラの力を得ろと言ったんだね」


 タバサの背後に、人の立つ気配がした。振り向くと、三人の男女がタバサを見つめていた。いずれも、タバサの行動を支持する信徒だ。


「ここにいたのか」


 髪を短く刈り込んだ男が、タバサに話し掛けた。その声には、哀愁とほんのちょっぴりの非難が含まれていた。


「…………」

「キーラを迎え討つんでしょ?」


 女の発言に、タバサは眉をひそめた。


「殺しはしない。奴は、最後の仕上げに必要なのだから」

「必要なのはキーラだけなら、他の連中には消えてもらっても構わないってことだな」


 短髪の男と女の好戦的な態度に対し、長身で瘦せ型の男は、遠慮がちに口を開いた。


「タバサ……。どうしても、『あの魔法』を実現させなきゃ駄目なのですか? あなたは、グニーエさんから引き継いで、すでにいくつもの古代魔法を復活させています。尊敬に値する功績だと思っています。なにも、『あの魔法』に固執する必要なんてないんじゃないのですか?」


 タバサは、長身の男の言葉を噛みしめるように数秒間沈黙し、徐に話し出した。


「例えば……」

「え?」

「例えば……、どこかの駅で置き忘れている鞄を拾い、その中に一生掛かっても使い切れない金が入ってたとしたらどうだ?」

「そりゃ、嬉しいよな」


 口元に軽薄な笑みを浮かべてタバサの物問いに答えたのは、短髪の方だ。


「そうだな。嬉しいに決まっている。その金で美味いもんが食えるし、贅沢な嗜好品だって手に入る。しかし、それは幸運な結果であって、成功ではない。激しく降ってた雨が、出掛ける寸前に止んでくれてよかったって類の喜びだ」

「…………」


 三人は、タバサの話を黙って聞いている。


「真の幸福とは、運に恵まれた結果ではなく、自らの行動で手に入れた成功からでしか得られないのだ」

「……言いたいことは分かりました。『あの魔法』を実現させることが、タバサにとっての成功なんですね?」


 長身の男が納得したのか否かは判然としなかったが、言い争うつもりはなさそうだった。


「どんなに些細なことでもいい。人生には成功が必要だ」


 タバサの確固とした意志は、目的を実現させる力に変換され、周囲の人々に刺激を与える。さっきまで心地好いと思っていた冷えた空気が、今度は身を引き締める程に感じ、タバサの腕に鳥肌が立った。



 道中、ズィービッシュは一度だけ振り返った。既にナタニアの姿は見えない。


「後悔してる?」


 シオンの問いに、ズィービッシュは皮肉な笑みを浮かべた。


「後悔なら、あの日以来ずっとしてた。これは、後悔から抜け出すための出発だ。ただ……」

「ナタニアね」

「……大丈夫だ。あいつはあれで、芯の強い奴だからな」


 ズィービッシュは、足を地面から引き剥がすようにして、再び歩き出した。その前を歩く光来とリムは、グニーエについて議論していた。


「……タバサは、俺がすべてを持ってるとか言ってた。一晩考えたけど、なんのことかさっぱり分からないんだ」

「ダーダーの時もそうだったけど、グニーエはあなたに執着してるわね」

「だから、そもそもそれがおかしいんだ。俺のことを知ってる素振りだけど、あり得ないことなんだから」

「…………」


 リムは口をつぐんだ。その仕草に、光来は不安になる。


「なに?」

「今更だけど……。あなたの、異世界から来たって話は……」

「疑ってるのか?」


 光来が心外そうに驚くので、リムは慌てた。


「そうじゃないよ。上手く説明できないけど……」


 リムは再び黙り、考え込んだ。光来はなにか言いたげだったが、結局、そのまま遠くに視線を投げた。

 なにかが、おかしい。

 リムの胸中はざわついた。

 ワタシ自身、上手く消化できてない。だけど、根本の部分でなにかが間違っている気がする……。


「おい、次の目的地までは、汽車で行くのか? それとも馬車を調達するのか? 川沿いだから船って手段もあるぞ」


 ズィービッシュののんきな質問に、リムは眉をひそめながらも口角を上げた。


「そうね……。キーラはどれがいい?」


 いつもなら、率先して行動を決めるリムが、珍しく光来に意見を求めた。その仕草は、流行りの服を買うのに、付き合わせた彼氏に「どの色がいい?」と訊くのと同じあどけなさがあった。

 リムの微笑みは朝日とそよ風によく映えており、光来はきらめく恍惚と暗澹たる不安を同時に胸に宿すのだった。




〈了〉

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銃と魔法と臆病な賞金首3 雪方麻耶 @yukikata

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