トレード ~思い出の宝物~

埴輪

トレード

 長年、オンラインゲームを遊んできた私も、オフ会というのは初めてだった。一生、私には縁のないものだと思っていたし、ゲームはゲーム、それで良かった。それに、リアルで会ってしまうと、ゲームでの関係も壊れてしまいそうだし、何より、危険ではないか……そう考えてしまうのも、私が女性だからだろうか。


「オフ会しない?」

 

 そうゲーム内のチャットで語りかけてきたのは、アイだった。共に過ごした時間が誰よりも──家族よりも──長い、一番のフレンド友達である。私も、アイも、女性キャラを使っているが、リアルの性別なんて関係なかった。私はレイで、彼女はアイ。それで良かった。


 サービス終了まで一緒に遊ぼう……なーんて約束を、アイと交わしたことはなかった。いつも一緒という訳ではなかったし、むしろ、お互い別々に、好きなことをして遊んでいたぐらいで、それでも、他のフレンドが引退したり、戻ってきたり、また引退したりしても、私とアイは、相も変わらず、そのままだった。


 ずっとこのままでいられたら……なーんて、実際、そんなことあるはずもないのだけれど、その渦中にいる間は、そんな当たり前なことも忘れてまう。ただ、終わりというものは突然訪れるわけで……そう、長年続いたこのゲームも、サービス終了の発表がなされたのだ。


 青天せいてん霹靂へきれき……という感覚を味わうには、私も、アイも、長くプレイしすぎていた。もちろん、全盛期も知っているわけで、世界の終わりが近いことも、薄々、いや、しっかりと、察することができた。


 そこで、オフ会なのだという。正直、サービスの終了と共に、アイと音信不通になるのも、悪くはないと思っていた。というより、私も、アイも、この世界で出会い、生きてきたのだから、世界が終わっても、その先があるというのは、ずるいような気がしていたのだ。それが、ともすれば、アイとの別れよりも強い思いであるということは、自分でも意外な発見だった。でも、それはアイも同じだろうと、私は思っていた。


 ──だが、アイは一歩踏み込んできた。その言葉を口にするのは、相当、勇気がいることだったと思う。それだけで、この関係が終わりを迎えていたかもしれないのだから。別に、大げさなことではない。なにしろ、私とアイはゲームだからこその関係を、誇りにしてきたのだから。より正直に言えば、リアルの関係を持ち込むことは野暮であり、御法度ごはっとであり、あってはならない、タブーであると、思っていたのである。


 そんなアイが、オフ会をしようと言う。もちろん、これでアイとの関係を終わりにしようとは思わなかったけれど……そう思えなくて本当に良かったと思うけれど、それはそれで、その提案を受け入れるかどうかは別問題であり、相当、悩んだ。普段、悩みなどない私が、これ以上ないほど、何日も、悩んだのである。


 その末に、私はオフ会を受け入れた。ただ、予定を立てる段階で何か障害が起きれば──住んでいる場所が遠すぎるとか──、お流れになってしまっただろうけれど、蓋を開けてみれば、なるほど、決して近所とは言えないものの、中間地点で落ち合う分なら無理もあるまいと、すんなり決まってしまうのだった。


 日時も決まり、最後に決めなければならなかったのは、待ち合わせの方法だった。事前に写真を交換しようという提案はアイからされなかったし、私も提案することはなかった。では、見分ける方法はどうしたものかとなった時、アイが提案してきたのは──


「レイ、ですか?」


 声をかけられ、振り返る。小柄な女性。声も幼く聞こえるが、出で立ちは大人な感じ。きっと、私と同じぐらいだろう。その視線は、私が手にした赤いきつねに注がれている。ということは、彼女が……


「あ、アイ……?」


 女性……いや、アイは、手に提げたトートバッグの口を大きく開いた。緑のたぬきが見える。待ち合わせの目印。


「手に持って集合だって、言ったじゃないか!」

「だって、ほら、思ったより人が多いじゃない?」

「まったく……」

 

 私はいそいそと、赤いきつねをリュックにしまう。このやり取りだけでも、彼女がアイであるということを確信する。もちろん、容姿はゲームとは違うけれど、それはお互い様だ。 


桜坂さくらざかあい

「え?」

「名前よ、名前! ほら!」

「……峰岸みねぎし、かぐら」

「レイじゃないの?」

「だって、ゲームだし……アイは、アイだったんだ」


 当然だと言わんばかりに頷くアイ。不思議な感じだった。初対面のはずなのに、ずっと前から知っているような気がする……と、それもそうか。ゲーム越しとはいえ、もう何年も繋がってきたのだから。


「そういえば、なんで赤いきつねと、緑のたぬきだったんだ?」

「んー、特に理由はないんだけど、なんかさ、とっさに思い浮かんだんだよね」

「髪色に合わせたわけじゃなかったんだ」


 私は赤で、アイは緑。もちろん、ゲームの中での話だ。


「おー! そういえば! じゃあ、そういうことにしよう!」

「調子がいいなぁ」

「そうそう、これって、なんか地方で味が違うらしいよ?」

「そうなの?」

「だから、交換しようよ! せっかくだから!」

「……ここで?」


 アイがトートバッグから緑のたぬきを取り出したので、私もリュックから赤いきつねを取り出した。アイが私のリュックに緑のたぬきを入れると同時に、私もアイのトートバッグに赤いきつねを入れる。


「トレード完了!」


 ──ふと、記憶が蘇る。ゲームを始めたばかりの頃、偶然出会った二人が交わした初めてのトレード。その時、交換したものは何だっただろうか。きっと、他愛もない、ありふれたものだったに違いない。でも、それは宝物になった。いつの間にか失ってしまっても、それが何だったのかを忘れてしまっても、思い出という宝物は、今も確かに存在しているのだ。


 この赤いきつねと緑のたぬきも、そうした宝物になるのだろうか。そうだといいなと考えたところで、私は笑ってしまった。きっと、アイも同じ事を考えている……そんな気がしたから。

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