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「我々は歌と踊りが大好きなんでね」
その男性が歌い始めると、その場に居合わせた人々が踊り出す。男女がペアで手を取り合い歌を口ずさみながら踊る。いつの間に戻ったのか、ネイサも輪に加わって踊っていた。ネイサの手を取ったのはネイサと同じ年頃の男性だった。ペアになったふたりは手を取り合ってくるくる回り、歌に合わせて男性が跪いて両手を胸に当てる仕草をした。ネイサはひらりとスカートの裾を持ち上げて揺らしてから、その男性に手を差し伸べた。他のペアは、女性がいやいやと左右に首を振って、それから男女が入れ替わり組み合わせを変えてペアになる。歌と踊りは続いているのに、ネイサとその男性は手を取り合って踊りの輪を抜けた。
「ネイサ、今のは?」
「喜びの踊り。歌もそう。本来の意味はお見合いの踊りってところなのかな」
なるほど。だからカップルが成立したら踊りの輪から離れるのか。
「本来の意味で踊ることは、今はもうないと思うよ」
踊りの輪から抜けたいときには今みたいに抜けるんだ。ネイサは楽しそうに笑う。ペアになって踊りを抜けてきた男性と頬を寄せ合わせてから、ふたりは互いに手を振った。男性は他の男性が車座になっている場所に向かった。
「幼馴染でね」
男性の背中を見送ってからネイサが振り返る。
「少し離れたところに、足の悪いおばあちゃんが住んでる。あたしも昔、そのおばあちゃんに歌について教えてもらったんだ。最近は眠っていることが増えたみたいだけど、訪ねてみる?」
ネイサの申し出をありがたく受ける。歌と踊りは違うものになって、なお続いていた。歩き始めたネイサと私に向かって、躍る女性たちが次々に手を振ってくれた。気恥ずかしくて控えめに手を振り返す。三十分近く歩いたところに小ぢんまりとした家があった。歌はもう聞こえなくなっていた。
「おばあちゃん、調子どう?」
声をかけながらネイサが家に入る。ネイサに続くのは気が引けて玄関先で待った。奥からだれかとやり取りをするネイサの声が聞こえた。
「なにしてるの? いらっしゃいよ?」
ネイサの声に応じた。窓際に置かれた安楽椅子に老婆が座っている。
「初めまして、こんにちは」
老婆は表情を変えずにただ軽く会釈をした。
「このひと、ここに伝わる歌について聞きたいんだって。前にあたしにも教えてくれた話、話してもらえる?」
老婆はちいさく頷いてから私に椅子を勧めてくれた。ネイサは奥に姿を消した。
「うんと昔、丘をひとつ越えた向こうに、魔女の集落があったそうだ。その集落の魔女たちは、歌と踊りで魔法の力を高めていたという」
ネイサがカップを乗せたトレイを手に戻ってきた。老婆はネイサからカップを受け取って口を浸けた。
「ある年、日照りが続いて困り果てた村の若者たちが集落の魔女を訪ね、雨雲を呼ぶ魔法を使ってもらったそうだ」
老婆は再び話し始めた。ゆっくりとした口調は、穏やかというよりもおどろおどろしい印象だ。
「村までやってきた五人の魔女は、輪になって踊りながら魔法を使ったという。ほどなく真っ黒な雲が空一面を覆い、雨が降り出した。村人たちは恵みの雨を喜び、後日、礼の品を携えて魔女の集落を訪れた。魔女たちは礼は不要と一切の品物を受け取らなかった。それでは我々の気が済まない。求めるものはないのか──そう問われて、魔女たちは顔を見合わせた。実は先日、村を訪れた魔女のひとりが、村の若者に恋をしたのだ。その若者が独り身であるならば、その魔女を妻に迎え入れてはくれないだろうか、と。今度は村の若者たちが顔を見合わせる番だった。魔女が恋をした相手は村一番の力自慢だったが、なかなか偏屈な男で、常々嫁は要らないと口にしていたのだ」
その先はこう続いた。魔女たちはその若者に恋の魔法をかけることにした。魔法にかかった若者は思惑通りにその魔女の虜となり、晴れて魔女は若者と結ばれた。村に嫁いだ魔女は、それきり魔法を使うことはなかったけれど、代わりに、様々な歌と踊りを村の人々に教えた。それが脈々と、現代に受け継がれている。
「──ということは、魔女の子孫が、この村にいるということでしょうか?」
老婆は私を見て薄く笑った。その問いに答えたのはネイサだった。
「おばあちゃんがそうなんだって」
だからこんな話を知っているのよ。ネイサはさらに続けた。
「でも、なにか文献が残っているわけじゃないし、それに歌と踊りで魔法の力を高めたとか、それってほんとうは魔法じゃないんじゃないか、とか、考えなきゃいけない点がたくさんあってね。そういう理由もあって、あたしは、調べるのを諦めちゃった、ってわけ」
確かに、これまで私が調べてきた魔女の話と、すぐに繋がりを見出すことはできなかった。魔女と、歌と踊り。ちぐはぐで結びつかないような気がする一方で、もしかしたらあり得るのではないか、という印象を持った。秘中の秘だった可能性だってある。
「でも、説得力があると思わない? 恋歌が多い理由は、魔女が恋をして、恋の魔法で若者を虜にして、嫁いできたから。婚儀や誕生の歌が伝わってるのは、その魔女が若者に嫁いで子を授かったから。辻褄が合うでしょ?」
ネイサの言葉にも一理ある。歌と踊りで魔法の力を高める、ということの是非についてはさらに深く考察する必要はあるけれど、婚儀と誕生の歌がある──ということは、魔女の世界にもそういった社会通念があったことの証拠にはなる。
それから老婆は誕生の歌を歌ってくれた。老婆とは思えないほどの美しく透き通った声だった。魔女の末裔と言われて素直に信じてしまいそうなほど。ネイサがカップを片付けるのを待って、私たちは老婆の家を後にした。広場にはもう、集っていた人々の姿はなかった。
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