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女主人に呼ばれて夕食をいただき、部屋に戻ってからはずっとサシュのことばかり考えていた。表情は乏しいながら、楽しそうに笑っていたこともあったし、たぶん怒らせたこともあった。臍を曲げると途端に無口になる子どもっぽいところがあった。どんなに機嫌がよいときでも、決して自分のことは話さなかった。
もっと話して、聞かせてくれたらよかったのに。
私の抱いた後悔は、サシュが抱いたという後悔と、おそらく同じ種類のものだ。こんな後悔、ほんとうに、今さら過ぎる。
うっすらと笑みを浮かべたサシュが、脳裏に浮かんで儚く消えて、そこで私は微かな違和感を覚えた。
サシュに頼まれたのは紛れもない事実だし、なによりこれは私の研究のためだから、と考えていたけれど。
──私はもっと大切なものを、見落としていたのかもしれない。
お昼ごろまで待った方がいいですよ、と、女主人の助言を受けて、午前中は部屋で読書をして過ごした。昼前に部屋を出て女主人が勧めてくれた市に寄り、手土産になりそうな果物と、ドライフルーツとドライソーセージを買った。ショートパスタが入ったスープで昼を済ませて、そのままキャロの店を訪ねる。店の奥で私よりやや年上だろうかという男性が、新聞を広げ読み耽っていた。遠慮がちに声をかけると、顔を上げて人懐こい笑みを浮かべた。
「やあやあ、どうもどうも。よくいらっしゃいました」
彼がキャロだった。彼の差し出す手を握り勧められるままに椅子に掛ける。
「ここいらで採れる石をお求めとのことで、ありがとうございます」
言いながらキャロは早速、棚にかかった鍵を外してトレイを運んできた。
「赤い石をお探しとか?」
「ええ。できるだけ赤くて、丸い石」
キャロが運んできたトレイに並んだ石を眺めながら返事をした。一口に赤と言ってもいろいろでサイズもいろいろだ。ただそのトレイには丸い石はなかった。
「これは原石で加工前なんでねえ。原石では赤く見えても、加工すると赤くないときもあるんで、なかなかに難しいご要望ですなあ」
キャロは立つと別なトレイを手に戻ってきた。
「こっちは加工したものです」
磨きのかけられた赤い石が並んでいる。すべて丸く整えられていた。ひとつずつ手に持って吟味する。いまいちぴんと来ない。ふと目を上げると、にやにやしながら私の様子を見ているキャロと目が合った。
「そんなに真剣に探しているところをみると、よほどのいい女なんでしょうねえ」
キャロの言葉が含む意味を図りかねて思わず首を傾げた。キャロは、え? という表情をした。
「違うんですか?」
「あの──なにがでしょうか?」
「オズムの赤い石、有名な話だと思ってたんですがねえ。まだまだ、ですかね?」
キャロに詳しく聞いた。
「オズムの赤い石を意中の相手に贈ると、恋が実ると言われていましてね。赤が深ければ深いほど、形は真円に近いほどよい、とされています。今は技術が進歩したんで、真円だろうとなんだろうと、加工そのものは簡単にできるようになりましたけどねえ。深紅、と呼ばれるような石は、なかなか見つからないものです」
「なるほど、それで、このトレイには同じような形に整えられた石が並んでいるんですね」
「今やオズムでは、赤い石、ときたら、この形に加工するのが定番中の定番なんで」
私がより赤い石を吟味して加工させてます。そう言ってキャロは笑う。
「キャロさんも、奥様に赤い石を贈ったんですか?」
「いや、それが私には、そういう縁がなくてねえ」
「では、おひとりで?」
キャロは頷く。
「せっかく大きくしたこの店は、将来は甥っ子に譲るつもりです」
キャロの話を聞きながら全部の石を見終わってしまった。やはりぴんと来ない。
「意中の相手に贈るのではないなら、どうしてわざわざオズムまで赤い石を探しに来たんです?」
「ある人に頼まれて。できるだけ赤い、できるだけ真円に近い石を手に入れて欲しいと」
「ははあ……それはまた随分と」
意味ありげにキャロが笑う。
「熱烈な愛の告白ですなあ」
愛の告白? 今度は私が目を丸くする番だった。
「丸くて赤い石を贈ってくれ、というのは、つまり、私を愛してほしい、ということですよ」
「それも、オズムの伝承のようなものですか?」
キャロは頷いた。
「赤い石を贈るのは、真心を贈ること。欲しいと強請るのは、真心を贈って。そういうことです」
真心を贈って。サシュがそれを、私に求めた、と?
「ここ数年ではすっかり、恋愛のお守りみたいな位置づけになっちゃいましたけどね。ここでいう真心は、男女の間の愛情という意味合いだけじゃなしに、お互いを深く思い合うこころ──広い意味での『愛』を意味していたようですよ。だから、好きな相手というか、大事な相手に贈るものだった。大事な相手に強請るものだった。私はその方が素敵なことだと思うんですがねえ」
私は上の空でキャロの話を聞いていた。
「素敵なことじゃないですか。そのひとのこと、大事にしてあげてくださいね」
その言葉にはっとしてキャロを見た。大事にするとか、しないとか──そもそも、そういう間柄ですらなかったはずだ。私は戸惑った。それがキャロにも伝わったらしい。
「あれ? もしかして、あなたにはそういう気持ちがないんですか?」
どうだろう。解らない。
「でも、大事に思えないひとのためにわざわざ、現地まで来ませんよね? 答えは出ていると思いますが」
キャロは立ち上がった。ポットに湯を注ぐ音が聞こえる。
「キャロ、いるかー」
派手な足音と共にがっしりとした体格の男性が店に入ってきた。
「おう。どうした? ちょうどいいや、茶ぁ飲んでけ」
キャロが私とその男に茶碗を配った。キャロも一口茶を含んだ。
「今掘ってる鉱脈、そろそろどかんと大きいのに当たりそうだ」
「ほんとうに? そりゃあラドにも、ボーナスを出さんとなあ」
ラドと呼ばれた男は嬉しそうにしながらも、表情を引き締めた。
「これまでの経験から、って話。まだ決まったわけじゃないから、当たった時には頼むよ」
「もちろんだ。ところでネイサは元気かい? ここんところ、顔を見ないけど」
「元気過ぎてどうにもなあ」
がはは、とラドが笑う。ということは、このひとが。
「神の手を持つ男?」
思わず口に出ていた。ラドがきっときつい目つきで私を見た。
「あんた、なんでそんなことを?」
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