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船の旅は初めてだった。絶えず揺れているその感覚には最後まで慣れることができなかった。私が乗った船は世界一周を繰り返す船で、乗員や乗客の乗り降りと物資の調達のために点々と各地に寄港しながら、東回りに世界を進む。乗船地も下船地も自由に決めることが出来て、その自由さに惹かれて今回の旅の足に使おうと決めた。
港町からさらにバスを乗り継ぎ向かうのはオズムという町だ。天然石の産地でもあるオズムには宝石商もあるようだった。中でも近年、赤い石の取り扱いを増やしている、という宝石商を訪ねる手はずを整えてあった。
それにしても。
「サシュが求めているもの」とはなんだろう。現地に到着すれば解るのだろうか。バスに揺られながらぼんやり考えていた。たまたま乗り合わせた現地の人々が声を合わせて陽気に歌っている。自然とリズムに合わせていた。ひとりの老人が私を見てにやりとした。前歯が数本抜けていてなかった。
その表情と身振りで、楽しんでいるか、と聞かれたと思った。私は大きく頷いて見せた。
「もしかして、あなた?」
後ろから呼びかけられて振り向くと、ふくよかな女性が私を見ていた。
「どこだかの大学の、偉い先生がいらっしゃるって聞いたけど、そう?」
「いえ、偉い先生、というのではないのですが」
「石を見に来たんでしょう?」
「はい」
「じゃあ、どこだかの大学の、偉い先生だ」
「はあ」
あいまいな返事を返す。女性は立ち上がって握手を求めてきた。
「ネイサよ」
ぎゅっと強い握手をしてから、ネイサは手拍子を打ちながらその歌に加わった。ピクニックにでも出かけるような雰囲気だ。ひとしきり歌い終わって、次の停留所で歯の抜けた老人が手を振りながら降りて行った。歌っていた数人があとに続く。窓から降りた人々に向かって手を振った。
「ところで。さっきの歌は?」
ネイサに尋ねていた。
「このあたりに伝わっている民族歌謡よ。陽気なメロディとリズムだから信じられないだろうけど、内容はすごいわよ」
ネイサは含み笑いをした。
「すごい?」
私が喰いつくのも想像通りなのだろう、ネイサはやや得意げに先を続けた。
「今夜おまえの心臓を奪いに行くよ。私から逃げられるなんて思うのかい? 心臓を奪われたおまえはもはや、私の虜。私の手となり足となり、生涯を私と共に過ごすのさ」
すごい──といえばすごいのかもしれないけれど、その手の歌は世界の各地に残っている。あまり驚いた素振りを見せない私に、ネイサが言った。
「あんまり驚かないね?」
理由を話す。ネイサは笑った。
「でも余所に残っている歌は、魔女の歌じゃないだろう?」
魔女の歌?
「これは魔女の、恋歌さ」
恋歌、という単語に何故かものすごく照れてしまった。
「魔女が──恋?」
「そりゃあ恋くらいするだろうさ、魔女だって人間だもの」
ネイサの言葉に耳を疑った。これまで魔女の伝承を調べてきたが、明確に「魔女は人間だ」と定義されたものに出会った記憶がない。
「魔女は人間なのかい?」
問い返すとネイサはきょとんとした。
「魔法を使う人間の女のことを、魔女、っていうんだろ? あたしゃそう聞いたけど」
不思議な気がした。もっと詳しい話を聞きたいと思った。
「その、魔女の歌に、もっと詳しい人はいる?」
「オズムにはいないね」
「どうして?」
「これはあたしの故郷の歌だもの。あたしの故郷はさっき通り過ぎた」
あの老人たちが降りた辺りか。
「あそこから、さらに川を下っていくとあたしの故郷がある。さっき降りたみんなは、あたしの顔なじみばかり。たまにバスで乗り合わせると、いつもあれを歌うんだ」
「ほかにもそういう歌があるの?」
「あるよ。あたしの故郷のみんなは、歌と踊りが大好きだからね」
そこでなんとなく会話が途切れた。しばらく黙って座っていたけれど、振り返ってネイサに尋ねた。
「オズムで石を見終わったら、ネイサの故郷に案内してもらえないだろうか?」
ネイサはびっくりした顔で私を見た。
「故郷に? いいけど、なにもないところだよ?」
「魔女の歌とその話について聞かせて欲しいんだ」
ネイサは陽気に笑った。
「そうかい。そうなのかなあとは思ったけどね」
理由を聞いたがはぐらかされてしまった。それからさらに小一時間ほどバスに揺られ、目的のオズムに到着した。
「宿はこの通りをしばらく行ったところにあるよ。宝石商が軒を連ねるのはあっちね。石の採掘も見学したいなら、キャロに頼むといいよ」
キャロ。私が訪ねる予定の宝石商の名だ。今さらながら、何故ネイサがそんなに私の事情に詳しいのか気になった。
「キャロとウチの旦那がつーつーだからねえ。ウチの旦那は採掘場で働いている。神の手を持つと言われる男さ」
それもまた興味深い。ネイサと別れ、教えてもらった道を辿り宿を訪ねた。宿の主人は若い女性でシーディを思い出した。彼女は今頃どうしているだろう。毎年夏には訪ねていたくせに、欠片集めにかかりきりで、便りのひとつもしていなかった。自分がひどく薄情な人間に思えた。
「夕食はいかがいたしますか? 簡単なものなら用意できます。外でお済ませになるのでしたら、店を紹介しますよ」
「今夜は宿でいただいてもいいでしょうか?」
女主人は頷いた。鍵を受け取り部屋に入り、ネイサに教えてもらった歌詞を書き留めた。
魔女の恋歌──確かにそう読み取れなくなくもない。魔女は人間だ──ということについて、私は考え続けていた。
私は今まで、魔女をなんだと思っていたのだろう。
あらためて自分に問いかけてみた。どうやら無意識に、自分とは違う、つまり、人間ではない、と思い込んでいたようだ。私の周囲にはサシュのように見事に赤い髪や瞳を持つ人間はいないが、だからといってそれが、魔女が人間ではないことの証になるわけでもない。
魔女も人間。
サシュとのやりとりを思い返してみる。私が何気なく投げた言葉が、サシュを傷つけていたのでは──そんなことが気になった。
『相変わらず、お主はちいとばかり、頭の働きが鈍いようだ』
脳裏にサシュの言葉が蘇った。これは──いつ言われたのだったか。言葉は残っているのに前後の脈絡をちっとも覚えていなくて、確かに私はサシュの言うとおり頭の働きが鈍いに違いない。
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