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どれが最適解だろうか? 正直に魔女の話をした方がいいのか。すぐに返事ができない私を急かすでもなく、リーサはじいっと私を見つめている。
「私は民俗学を研究している学者なのですが、ある地域の古い伝承に、ラファカのイヤーカフスの記述が残っていて」
考えあぐねた結果、真実ではないけれど嘘でもない、ぎりぎりの内容を口にしていた。
「学者さんですか。それなら、解らなくもないかな……」
リーサは指を組んでそれを自身の口許に寄せる。組まれた指はぎゅっと縮んでいて、かなりの力が加わっているようだ。
「伝承はされているんです、透かし細工については。でももうだれも、それを作ることはできない」
はあ、とリーサが息を吐き出した。先を促すべきか悩み、やめた。さっきリーサは私が話すのをじっと待ってくれた。今度は私が待つ番だ。
「あの──もしよかったら、来週、ラファカの工房まで来てもらえませんか?」
思いがけない招待にすぐには返事ができなかった。
「おいら明後日までここで細工をする当番なんで。来週なら、工房でゆっくり、お話、できます」
リーサの瞳に微かに力が籠ったように見えた。どういうことだろう。今はもうだれも透かし細工は作れないと断っておきながら、これではまるで、私の依頼を受け入れる意思があるようにも思える。
「リーサ? どう? いいモチーフは思いついた?」
女性がお茶を運んで来てくれた。会釈を返す。表情はにこやかだが目の奥が冷え切っていた。思わずぶるりと身震いをしていた。リーサからもただならぬ緊張が伝わってきた。
「え。まあ、うん……」
言葉を濁したリーサを横目に、女性は私に手を差し出した。
「姉なんです、リーサの。メラニア」
メラニアと握手を交わした。
「リーサは明後日までここにいますわ。イヤーカフスのお話を聞くお時間も充分あると思います。ねえ、リーサ?」
「まあ、うん……」
メラニアは笑顔で会釈をしてその場を去った。リーサの緊張が解けた様子が傍目にもはっきり解った。私は鉛筆を握るリーサの手を指先でとん、と叩いてから、黙って手を広げた。リーサはそこに握っていた鉛筆を載せてくれた。
『さっきの君の口ぶりはまるで、透かし細工の施されたイヤーカフスを作ってくれるみたいに聞こえた』
リーサは別な鉛筆を取り出した。
「そうですね、そのイヤーカフスを使うひとの好みもありますしね」
ちょっとわざとらしくそう言いながら、スケッチブックにはこんな返事を寄越した。
『メラニアがいるところでは話せない』
リーサは真顔だった。
「なにか好きなものはありますか、そのひと。お花とか、動物とか?」
「うーん、どうだろう……」
悩むふりをしてスケッチブックに素早く返事を書き込んだ。
『解った。来週ラファカに行こう』
リーサの瞳を見ながら頷く。リーサも頷いた。
「ああ、いけない。もうこんな時間か。このあと食事の予約をしていましてね。今夜は失礼します」
自分でもわざとらしいと思った。リーサがやり取りに使ったページを破り取って私に差し出した。
「ご参考までにお持ちください」
「ありがとう」
証拠を隠滅するならこの方法が最も確実だ。メラニアとの間が相当こじれているのだろうなと想像した。
「リーサはラファカ一の職人です。どうぞご贔屓に」
店を出る私にメラニアが声をかけてきた。やはり瞳の奥は冷え切っていた。
「ええ、ぜひ」
できるだけ表面を取り繕って私は店をあとにした。しばらく歩いてからこっそり振り返ってみると、メラニアがまだ立って私を見ていた。会釈を返し、それからは二度と振り返らなかった。
リーサの言葉通りラファカの工房を訪ねた。リーサの名を出すとだれもが「ああ」と納得顔になり、工房までの道のりを案内してくれた。
「わざわざ足を運んでもらうようなこと、すみませんでした」
作業部屋に着いて顔を合わせるなり、リーサは深々と頭を下げてきた。
「いやいや。私も無理を言ったし。あの──メラニアは?」
リーサは笑った。
「メラニアは店の三階に住み込みで、ラファカには滅多に帰ってきません」
「もしかして、怖い? メラニアが」
リーサの笑顔が引っ込んだ。
「怖い、というか。おいらにとってメラニアは、姉ってだけじゃなく命の恩人で」
そこでリーサは口を噤んだ。今度こそ詳しい事情を聞いてもいいのだろうか。迷っているうちにリーサが口を開いた。
「あの、ご依頼のイヤーカフス、ぜひ、おいらに作らせてほしいんです」
「私が欲しいのは、透かし細工が施されたイヤーカフスだよ?」
リーサが頷く。
「今はだれも作れる職人はいないと、そう言っていなかった?」
「おいらなら作れます」
即答だった。
「作ってもらえるならぜひお願いしたい」
「おいらも作らせてもらいたいんです。こんな機会には、もう二度と巡り合えないだろうから」
リーサは答えると、作業部屋の奥からファイルを運んできた。
「ラファカに伝わる透かし細工は、実はモチーフはほぼ決まっていて」
リーサはファイルから何枚か紙を取り出した。緻密で美しいデザインが描かれている。植物を象ったものであることは解った。
「過去の透かし細工のデザイン画は、もう痛んでボロボロで、だからおいら、まずそれを写し直して、それから現代風にデザインしなおしてみたりして。ここに描いたデザインならきっと、全部透かし細工にできる」
リーサはひとつずつ、デザインについて説明してくれた。柊、鈴蘭、爪草、梨、牡丹、と順に説明してくれた。どれも美しくて迷ってしまう。
「ちなみに、どうしても動物を、ということなら、燕ができます」
もう一枚別の紙を取り出す。嘴に咥えているのはクローバーのように見える。一瞬でこころが決まった。
「燕を気に入ってくださったんですね? 燕とクローバー」
「見た瞬間にね、これだ、って」
「おいらも実は、燕とクローバーのデザインが一番好きです」
リーサは楽しそうに笑った。早速とばかりに新しい紙を取り出して、イヤーカフスのデザインを始めた。
「素材は純銀でいいんですよね?」
「あの、今さらなんだけど、料金はいくらくらいになるんだろう?」
リーサは紙に向かったままでさらっと答えた。
「いりません」
「いやいやそうはいかないよ。無理を言ったみたいだし」
その時脳裏には、冷え切った瞳を私に向けるメラニアの顔が浮かんでいた。
「……おいらずっと、職人として、透かし細工を復活させたいと願っていた。だからこれは、またとない幸運なんです。呪いだなんて莫迦みたいなことを言って、透かし細工を作ることを反対しているメラニアを納得させるためにも、おいら、これを作らなきゃいけない、って気がするんです」
リーサの目は真剣だった。
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