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 サラデュアからやや北に向かって、鉄道を乗り継いで移動すること六日目、次の目的地にほど近いファルファンという都市に到着した。サラデュアよりはやや涼しいが、比較対象があの館付近の気候である以上、暑いことに違いはなかった。駅前から放射線状に伸びる通りの名前を手元の地図と見比べた。さらに鉄路で隣町に向かうのが早いのか、路面電車を乗り継ぐ方が早いのか。下調べをしたところによると、次の目的地、ラファカにはアクセサリ工房が複数あり、中でも一番古い工房では、少なくとも六百年ほど前からアクセサリ作りを続けているそうだ。

 適当に目についた宿に飛び込んだ。部屋に空きがあるというのでそのまま宿泊の手続きをする。

「このあたりに、ラファカのアクセサリ工房について詳しいひとはいないでしょうか?」

 受付の男は、私が差し出した宿泊票に視線を落として、それから顔を上げて眼鏡を直した。

「三つ向こうの通りに販売店があります」

 さっと手近の地図を引っ張り出してカウンターの上に広げる。

「この宿の場所はここです。一旦駅前まで戻って、北向きのレンダン通りから半時計周りに数えて五つ目にあるナナイ通りを真っ直ぐ。歩くと十五分ほどです。路面電車でも行けますが、かえって遠回りになります」

 地図を滑る指をじっと見ていた。脳裏に残っている駅前の映像を重ねてみる。

「通りの名前さえ間違えなければ大丈夫です。もし迷ったら、駅に戻ればいいのですから」

 男は穏やかに微笑んだ。

「あ、それから、食事をするなら?」

「個人的にはカルカル通りがおすすめです。高級なレストランがお好みなら、カルカル通りの隣、サンステンド通りでしょうかね」

 ナナイ通り、レンダン通り、カルカル通り、サンステンド通り。頭の中で繰り返す。

「ちなみにこの宿があるのはキューリアスト通りですよ」

 大丈夫ですか? と、少し悪戯っぽい笑みを向けられて、軽く首を振ってからメモを頼んだ。男はにこにこしながら今説明した通りの名前、簡単な内容を記したメモを手渡してくれた。先ほどは出なかった通りの名前が二つほど追加されていた。深夜の立ち入りには注意、と書いてある。

「その二つの通りは下町に通じていますから。下町にはろくな教育を受けてこなかった若者や物乞いの老人がいます。身なりがきちんとしているひとは目をつけられやすいので」

 礼を言って宿を出た。言われた通りに素直に駅前まで歩き、通りの看板を目印に移動した。ナナイ通り。十五分も歩かずとも見つかった。立て看板があった。

 明るめの照明が展示窓に並べられた品々を浮かび上がらせるようだった。ガラス越しでもその緻密さが見て取れた。アクセサリとアクセサリの間に隙間がありすぎて、もっと陳列できそうなのに勿体ないように見えたが、違った。お互いが干渉しあうことがないように計算された配置なのだ。その贅沢な空間の使い方から、受け継いできた技術に自信があるのだと悟った。

 展示窓に飾られているアクセサリに施されている細工が「透かし細工」と呼ばれるものなのかどうか判断できない。ドアを開けて店内に入ると、左手奥に座る背中に真っ先に目が行った。

「こんばんは。いらっしゃいませ」

 右手前のカウンターから上品な女性が声をかけてきた。会釈を返す。店内のケースにも複数のアクセサリが飾られていて、空間を意識したその陳列はまるで美術館の展示のようだった。どれも美しいけれど、サシュには似合わないように感じた。

「ここに陳列されているアクセサリは、すべてラファカのものなんですよね?」

 女性が頷く。その仕草も上品だった。

「あの方は?」

 振り向かず、視線だけで奥の人物を示す。

「職人です。週替わりで職人がここに来て、細工する過程をお見せしています。三か月ほどに一度、アクセサリ加工体験教室も開催しています」

 女性の説明を受けて奥を振り返ると、向こうもちょうどこちらに顔を向けたところだった。女性との会話が耳に入ったのだろう。その顔を見て驚いた。職人と呼ぶには随分若い。年下にしか見えない。

「驚きましたか? 彼はラファカでも一番の職人ですよ?」

 女性がくすくすと楽しげに笑った。

「どのようなアクセサリをお探しでしょうか?」

 女性に問われ、ああ、と応じた。

「イヤーカフスを探しています。純銀製の、透かし細工が入ったものをラファカの工房で作っていると聞いて」

 女性は明らかに表情を曇らせた。

「イヤーカフスですか。最近はほとんど作っていませんね。それに、透かし細工は無理ですね」

「無理?」

「ええ」

 女性はあっさり頷いた。おずおずと尋ねた。

「事情を聞かせてもらえますか?」

「詳しい事情はお答えできません。でも、イヤーカフスなら、リーサがきっとお気に召したものを作れると思います。ねえ、リーサ?」

 女性は奥に座る人物に呼びかけた。リーサ、と呼ばれた青年は被っていた帽子を脱いで頭を下げた。話してくれる、ということだろうと都合よく解釈し彼の側まで歩み寄った。見学者用の椅子なのだろう、勧められたので座った。

「具体的にモチーフにしたいものはありますか?」

 リーサはスケッチブックを広げた。そう聞かれてもなにも思い浮かばない。

「では、何故純銀なんです? 純銀は手入れが大変ですよ」

「銀製のアクセサリが好みなんだそうで」

 そうなんですね、そのお気持ちは解らなくもないけれど。リーサはそう言ってにっこり笑った。

「でもモチーフが決まっていないなら、デザインも決まりませんね?」

 リーサが鉛筆を弄ぶ。わたしも仕方なく笑って、それから声を潜めてリーサに尋ねた。

「あの、もしも、だけれど、透かし細工をするなら、一般的にはどんなモチーフを?」

 リーサの頬が強張った。

「さ──あ? 透かし細工はもう、ラファカでは失われた技術なもんで」

 深い事情があるのは解った。さてどうしたものか。サシュの指定は「純銀製で透かし細工の施されたイヤーカフス」だ。思わずため息をついていた。

「でもどうして、透かし細工のことを知ってるんです?」

「どうして、って」

 リーサは真っ直ぐに私を見た。その視線をしっかりと受け止めた。

「ラファカにはもう、透かし細工のアクセサリを作る職人はいません。いなくなって何年になるんだろう。きっと百年以上──もしかしたら、二百年近いかもしれません。だからラファカに出入りしている商人さんでも、透かし細工のことは知らないひとばかりです。どうしておたくさんは透かし細工のことを知ってるんです?」

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