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 トカトの祖母はもちろんだ、と答えた。そしてそれを長老に伝えた。長老は、魔女たちがせめてあの場所ではこころ安らかに過ごせるようにと、営巣地に近寄ること、鷺の尾羽を集めることを禁じた。それはこの集落にとっては長らく受け継いできた伝統を捨てることと同じだった。だが集落のだれひとりとして長老の決定に意を唱えようとはしなかった。長い時を経て、今も祭事は祭事として形式は残ってはいる。装飾品に使われていた鷺の尾羽は他の水鳥の羽で代用されるようになり、本来の技術もすでに失われて久しい。遠くから営巣地を眺めることはするけれども、足を踏み入れたり、ましてや鷺の尾羽を拾うような人間は、もうひとりもいない。

 あの営巣地は、我々にとっては禁足地。おれはこれまで何人も、あんたのような学者を追い払ってきた。立ち入れば魔女の呪いがふりかかる、と脅してな」

「魔女の呪い──ですか」

 トカトは頷いた。

「魔女が呪うなんて我々は信じちゃあいない。だがね、なにかしら、金の匂いを嗅ぎつけてこの地を訪れる人間は、そういうのが一番恐ろしいんだ。だから効果がある。あんたは、魔女の呪いと聞いても怯みすらしない。目的が違うんだろう?」

 正直に答えていいものかどうか。秘密裏に行えと言われた記憶はなかった。サシュの言葉を都合よく解釈して答えた。

「あなたの話した魔女──サシュと、私が知っているサシュが、同じ魔女かどうかは解りません。けれど私はサシュから欠片を集めるように命じられた。そのうちのひとつが、この地の鷺の、尾羽だそうで」

 ほう、とトカトが眉を跳ね上げた。

「ならば──近づくなとも言えまいね。この集落と魔女との係わりを知る人間も残りわずかとなった。過去の経緯は闇に葬ってもいい頃合い、ということか」

 どう応えたらいいのか見当もつかない。トカトは静かにグラスから果実酒を飲んだ。トカトに倣った。

「あんたはどう思うかね? 魔女の話」

 考えを巡らせる。魔女の伝承は、人間側の視点で見れば都合のいい部分だけが残っていて、そういう意味ではトカトの問わず語りもそうだ。当時の集落に魔女の存在を役人に売った人間が確実にいたはずなのに、そこはふんわり隠されている。その事実から目を背け集落の人々とふたりの魔女がこころを通わせたことだけが、美しく取り繕ろわれて残されているだけ。サシュはどう思うだろう、自分たちの歴史が都合よく粉飾されていることを。

「もう、忘れてもいいでしょう」

 あなたたちは忘れるといい。あなたたちがふたりの魔女にしたことを。



 翌朝、少し寝坊をさせてもらった。集落の人々は早起きで、子どもたちは隣村の学校に行っていると聞いた。私はトカトの部屋に赴き、これから営巣地に行ってくる、と告げた。

「川を上るだけだ、迷うこともなかろう」

 洗濯物を干すシャルカンにも声をかけた。

「途中まで送りましょうか?」

「営巣地までの地形も記録したいから」

 そう言い訳をした。シャルカンは大きな水筒とみずみずしい果物を三つほど持たせてくれた。名を聞いたが覚えられなかった。真夏の太陽に照らされて帽子の中に熱がこもるようだ。首筋に巻いたタオルを時折川の水で洗いながら歩く。川面を渡る風は少し涼しい。疲れた、と思う前にこまめに休息を取る。緩やかな川を上流に向かってひたすらに歩いた。次第に景色が変わっていく。幅の広い川の向こうに背の高い木が見え始めた。足元の土は水を含んでいる。鳥の囀りが聞こえる。鷺の声は知らないけれど、これが鷺だと言われればそうかと思うし、鷺ではないと言われてもそうかと思うだろう。魔女以外のことはからっきしだ。

 見上げた空を数羽、鳥が横切った。ひらりと舞い落ちた羽を見た。脳裏で稲妻が光った。何度か瞬きを繰り返した。目の前の映像が一瞬歪んだ。ざざ、と音が聞こえた気がした。世界の色がくすむ。なにが起こっている?

「サシュ……!」

 自分の名を呼ばれたわけでもないのに振り返っていた。真っ赤な髪が視界に飛び込んできた。黒い羽織。目の前に立った人物の皺だらけの顔の色は青白く死人のようだ。目が血走っている。瞳は爛々としていた。肩で息をして、自らの背よりも長い杖に縋りつくように立っている。

『──────っ!』

 自分の喉から、自分の声ではない声が出ていた。

「追手だよ。やるかやられるかだ」

 私はゆっくりと頭を振っていた。

『止そう、切りがない』

 それにもう、逃げるのにも隠れるのにも疲れた。

「なにを莫迦なことを。最後の魔女であるおまえが、そんなことでどうする!」

『だって、でも……!』

「いいかい、おまえは──」

「見つけたぞ、魔女たちよ」

 はっとして顔を上げると、目の前にいたのは武装集団だった。ぎり、と奥歯を噛みしめる。目の前の魔女が振り向きざまに大きな杖を一振りした。杖の先端から火球が飛んだ。武装集団の一部を焼く。悲鳴が飛び交う。

「無駄なことを。我らは先遣隊、ほどなく援軍も到着しよう。おまえたちに勝ち目はない」

『勝ち目はないかもしれないけれど──!』

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