2
シャルカンの家に戻る。トカトは変わらずあの部屋にいた。私のためにランプが灯されて、飲み物の入ったグラスが配られた。シャルカンはそのまま部屋を出ていってしまった。
「学者だ、というのはほんとうなのだろう。でも、鷺の営巣地について調べに来た、というのは、嘘だね?」
何故ばれたのだろう。気持ちを落ち着けようとグラスに口をつけた。やや苦みのある果実酒だった。頼りないランプの中で、それでもトカトが微笑んでいるのは見て取れた。
「あんたが部屋に顔を出したときになあ。頭の中で声がした。あれはきっと魔女の声だ」
どきりとした。
「おれがうんとちいさいころだ。ばっちゃが魔女の話を聞かせてくれてなあ」
そこから先はトカトの問わず語りだった。トカトの祖母──正確には曾祖母とのことだ──は、物心ついたころにはあの水場で鷺の尾羽を集める仕事をしていた。その頃、この集落では若い娘たちが、鷺の尾羽を使ってアクセサリや衣装を作っていた。集落の祭事に必要な伝統品だった。
「昔、この集落で疫病が蔓延してなあ。年寄りが大勢死んだ。若い盛りの働き手も次々に病に伏して、集落の存亡の危機を迎えた。疫病を鎮める、という名目で祭事が行われることとなって、ばっちゃたちは毎日、鷺の尾羽を集めに営巣地に通っていたそうだ。その日も夜明け前に家を出て尾羽を集めていた。ふっと顔を上げると、目の前に真っ黒なフードを頭からすっぽり被った人間が佇んでいたって」
その人物はトカトの曾祖母に、ここに住んでも構わないか、と尋ねた。トカトの曾祖母は解らない、と答えた。ここに住まわせてもらえるならおまえたちを助けてやろう、とも言った。彼女は素直にその言葉を信じた。集落の状況を事細かに説明すると、その人物はもう一人、同じように黒いフードをすっぽり被った人間を呼び寄せ、集落に連れて行けと迫った。
「言われるがままにばっちゃは、ふたりを集落に招き入れた。ふたりは長老を訪ね、集落に蔓延する疫病を鎮める代わりに、あの営巣地に住まわせてくれと懇願したそうだ。ほんとうに疫病が鎮まったら考えよう、と長老は答え、ふたりはそれから三日三晩、長老の家で寝ずに秘薬を作り上げた。あれが魔法だったのか、それはばっちゃにも解らない、とは言っていた。けれどふたりが作った秘薬は疫病によく効き、あっという間に鎮まった」
そして長老は、約束通りふたりに営巣地に住むことを許した。ふたりは営巣地の奥まった、目立たない場所に簡素な庵を結び静かに静かに日々を営んでいたそうだ。当時、この集落には医術の心得のあるものがおらず、人々は身体の調子が悪いと決まってふたりを訪ね、または集落まで来てくれるよう頼んだ。こころばかりではあったが礼の品を携え。魔女は集落にやってきて治療を施し帰って行った。魔女がやってきてすぐに恢復することもあれば、魔女の処方した薬を飲むうちに治ることもあった。魔女に見てもらって恢復しなかったのは、もはや死を受け入れなければならないような場合のみで、ひとびとは魔女に信頼を寄せるようになった。それは魔女も同様で、緩やかにだが確実に温かな交流が育まれていった。
「いつものように営巣地で尾羽を集めていたばっちゃは、うっかり深みにはまって溺れかけたことがあった。それを助けてくれたのは、ふたりのうちのひとり。癖の強い赤い髪と、燃える炎のような瞳をした、年若く美しい魔女だったそうだ。ばっちゃはふたりの庵に連れて行かれ、服が乾くの待つ間、美味しいスープをご馳走になった。名を聞いたが、魔女にとって名を明かすのは命を取られることと同じだから、と、ほんとうの名は教えてもらえなかったと」
そこでトカトの祖母は簡単に引き下がらなかった。呼ぶときに困る、と息巻いたら、その美しい魔女は静かな吐息に乗せてこう答えた。ならばサシュと呼ぶがいい──と。もう一人の魔女は決してフードを外すことはなく、だが腰の曲がり具合や背中の形で、相当な年寄りだった、と、トカトの祖母は記憶していた。
「頻繁ではない、派手な付き合いでもなかったが、集落の人間はふたりの魔女と友好を結んだ。助け合って生きていた。偉い役人が来るまでは」
役人。その単語に思わず息を呑んだ。
「ばっちゃたちを庇いたくて言うんじゃないが、自らすすんで、魔女の存在を漏らしたわけではなかったそうだ。小狡い役人は悪知恵に長けていた。それだけのことだ」
役人が去ったと同時に魔女ふたりの姿も見えなくなった。トカトの祖母は悲しくて辛くて、鷺の尾羽を集めながらひっそりと涙を落とした。そこにサシュが姿を見せた。
「サシュの姿は透き通る霞のようだった、とばっちゃは言っていた。あれもなにかの魔法だったのだろう、と。儂らは追われることになったけれども、この集落のひとびとの親切を生涯忘れない、と言ったそうだ。それは私の科白だと、ばっちゃは答えた。そりゃあそうだ。集落を疫病から救ってくれたのはふたりの魔女に他ならないのだから。サシュは微笑んで、それからばっちゃに言った。この地に住まう鷺の尾羽は儂にとっては至宝なのだと。これからも、せめて羽を拾いに来てもよいだろうか。決して集落の皆には迷惑はかけないから、と」
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