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 サシュの遺言を受け取った私はすぐに大学に戻り、教授の指導を受けつつアルバイトに精を出し長期休暇を待った。夏は毎年のようにあの冷涼な山中に佇む館で過ごしていたこともあって、まずこの暑さに辟易していた。黙って立っていても汗が滴り落ちる。

「すまない、サルドラに行きたいのだが」

 サラデュアという中核都市の駅前。客待ちをしていた運転手は、明らかに不審な人物を見やる目つきで私を見ている。

「サルドラ? なんだってあんな辺鄙なところに。行きはあんたを乗っけてくからいいが、帰りはカラッポ。割に合わないよ」

 運転手は手で私を追い払う仕草をした。もう何度、何人の運転手とこのやりとりを繰り返しただろう。汗を拭う。はあと深くため息をついて、通りの向こうに見えた露店に紛れた。喉が渇いたのとむしゃくしゃしていたのもあって酒でも呑んで酔っ払いたい気分を堪えて、温いお茶と油で揚げた菓子を買った。もう少し私に収入があったら数日タクシーを貸し切ることもできるだろうに。ないものはない、どうしようもない。今日は諦めてどこかに宿を取ろうか。そんなことを考え始めた時だった。

「おっちゃんおっちゃん」

 菓子を頬張った私に声をかけてきたのは、十歳くらいの子どもだった。

「うちのかーちゃん、サルドラに行くよ」

「ほんとうかい?」

 子どもは笑顔で頷いた。

「かーちゃん、週に二度、ここに露店を出すんだ。完売でそろそろ店仕舞いだって」

 渡りに船、と考えかけて、いやいや、と思い直した。

「ありがたいけど、それじゃああんまりにも」

 にかっと歯を見せた。

「困ってるひとは助けるべきって、かーちゃん、いっつも言ってるし」

 そうしてぱしっと私の左腕を掴んだ。

「行こう。ほら」

 結局私は、見ず知らずの子どもに手を引かれて露店の奥へと連れて行かれた。明らかに治安がよろしくない。ひっそりと慄いていると、テントを手際よく畳む女性の姿が視界に入った。高校生くらいにしか見えない。

「かーちゃん!」

「ティルカ」

 女性はぎゅっと子どもを抱き締め、それから私に会釈をしてきた。会釈を返す。

「このおっちゃん、サルドラに行きたいんだって」

 女性は遠慮なく訝しげな視線を投げてきた。

「……あんな辺鄙なところに、なにをしに?」

「サルドラの近くに、鷺の営巣地があると聞いて」

 女性はさらに表情を険しくした。

「学者さん?」

 黙って頷く。

「連れてくのはいいけど、次にここに来るのは四日後だよ、いいの?」

「足がなくて困っていたんだ、とても、助かる」

 それなら、と、女性は私の同行を許してくれた。ティルカは満面の笑みで私を見上げた。

「おっちゃん。サルドラでは、招かれた客人が晩餐の食材を用意するんだぜ?」

 私は素直にティルカの申し出を受け入れた。ティルカにとってご馳走はなにかと尋ねたら、果物を詰めた鶏の丸焼きだというので、望まれるままに丸鶏一羽と芋のようなバナナのような果物を三つほど露店で求めた。驚くほど安かった。

「さあ乗って。あたしはシャルカン」

 手土産に気をよくしたのか、彼女は名乗ると私に手を差し出ししっかりと握手を交わしてくれた。にこっと笑った顔はティルカとそっくりだ。彼女の四輪駆動車は、荒れた道をものともせずガンガン進む。話しかけてくれるけれど車内はひどい騒音でほとんど聞き取れず、途中からシャルカンも諦めたようだ。二時間ほどでサルドラに到着した。シャルカンは粗末な建物の脇に車を止めた。

「ただいまー」

「おかえり!」

 中から子どもがわらわらと飛び出てくる。六人。みんなシャルカンの子どもなのだろうか。

「弟と妹、と、甥っ子も交じってる」

 シャルカンは朗らかに笑った。

「おっちゃんだれ?」

「偉い学者さんだよ。鷺の営巣地について調べに来たんだって」

 ティルカの説明に子どもたちの瞳に不思議な光が満ち溢れた。

「初めまして。お邪魔します」

 子どもたちに手を引かれて家に入る。中にはかなり高齢の男性がひとり、静かに座っていた。

「おじいちゃん。トカトっていうの」

「学者さん、とな?」

 はい、と頷く。

「悪いことは言わん、あの水場には近寄らんがええ」

 顔はこちらを見ているけれど、視線は交わらなかった。

「何故ですか?」

 男性は口を開きかけてやめて、躊躇ったあとでなにかを言いかけて、結局やめた。

「子どもらに聞かせていい話じゃないで」

 その場で追及するのを諦めた。

「おっちゃん、シャルカンが鶏の丸焼き作るからさ、できるまで遊ぼうよ」

 ティルカが誘いに来て、私は集落の子どもを相手に遊ぶことになった。遊ぶ、と言っても、そのための玩具があるわけでもない。引きずられるように集落中を駆け回る。道すがら、集落の大人たちと顔を合わせるたびに「偉い学者さんだよ」と紹介され逃げ出したい気分だった。暇を持て余している集落の大人たちも数人が加わり、子どもたちにせがまれるままに、虫を掴まえたり落とし穴を掘ったりした。落とし穴は野兎を掴まえる罠だった。

 日が傾き始めたころに、シャルカンが私たちを探しに来た。川で顔と手を洗い、シャルカンが焼いた丸鶏と、他に野菜の煮たものや果物の切ったもの、小麦粉を捏ねて焼いただけのパンをいただいた。質素だがとてもおいしい夕食だった。

「サルドラにいる間、うちに泊まるよね?」

 ティルカが当たり前のように言って、ありがたく受けることにする。陽はすっかり落ちたというのに気温が下がった気配はない。湿度が高いせいだろう。街灯もなく暗い集落はすっかり眠りについたようだ。ぼんやりと星を見上げていると、シャルカンが私を見つけて声をかけてくれた。

「おじいちゃんが、あなたと話したいって」

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