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「あの。この封筒を預けに来たのは、間違いなく老人だったのですか?」

 タドニアが頷く。

「背が曲がり、歩くのも大変そうでした。声もひどくしわがれて聞き取り難くて、でも封筒を渡したい相手が先生だということはすぐに解りました」

「どうして?」

「ここ何年か、夏になると決まってやってくる若者がいるだろう──そう言われましてね。先生の他にそんなお客はいませんで、すぐにあっと思い当たったってわけです」

「そうですか。他にそのひとから聞いたことは?」

「いいえ。ただ、この封筒を間違いなくその若者に渡してほしい、とだけ」

 タドニアに礼を言う。背後からシーディが声をかけてきた。

「お部屋、整えてありますよ?」

 早速部屋に向かった。鞄をやや乱暴に放り投げて封筒を手にデスクセットに腰かける。深く息を吐いて、丁寧に厳重に施された封緘に手を伸ばした。

 封緘はまるで私が触れるのを待っていたかのように自らその戒めを解いた。

 まず便箋を取り出して開いた。丁寧に行儀よく文字が並んでいる。間違いなくサシュの手によるものだった。


『この手紙を書いている今になって儂は、ひどく後悔している。

 次の夏まではこの身が保たないことに気がついていながら、お主にすべてを話さなかったことを。

 だが、それはもう、今さらのこと。

 だからこうして手紙を遺すことにした。


 お主がこの手紙を読んでいる今、儂はもう、この世にはおらぬ。


 我らが歩んできた歴史と真実をすべて、ひとところにまとめて収めよ。

 それが、最後の魔女である儂の使命だった。

 儂はそのまま、ひとり、最後の魔女として静かに生を閉じるこころづもりだった。

 そこにお主がやってきた。

 これまでにも何人かの人間が館の前に立ったことはあったが、館の内部に足を踏み入れた人間はお主が初めてだ。何故ならお主は、館に契約者として選ばれたからだ。

 儂は、お主に契約について語らねばならなかったのにそれをしなかった。

 もう少し儂は、お主を信頼してもよかったのかもしれぬ。

 そして、儂のことを知ってもらうよう努めるべきであったのだろう。

 すべきことをことごとく放棄した儂がお主に伝えられることはなく、厚かましい願いであることは承知している。

 それでも、もしもお主が契約について知ることを望んでくれるのならば、今一度、館を訪ねてほしい。

 これが儂の願いであり、遺言だ。


 契約について知る必要がないというのなら、契約の破棄を望むがよい。

 さすれば忽ち滅びが発動し、館も書物もすべてこの世から姿を消す。

 契約の破棄を望み、なおかつ館を遺すことは叶わぬ。それを忘れるな。


 これを読んでどうするか、それはお主が決めること。お主の好きにするがよい』


 目は文字を追っていた。けれど、意味が上手く読み取れなかった。悪い冗談だろうか? サシュはそんな冗談を口にする性格ではなかったようだけれど。封筒の中には他に、ちいさな紫水晶と鴉の羽が同封されていた。かなり分厚く見えたのは、おそらくサシュが魔法をかけたからだろう。魔法が解けた今となってはどこにでもある普通の封筒にしか見えない。封筒を預けるためにタドニアを訪ねたという老人とサシュの関わりは一切不明ながら、中身はサシュからの手紙であることには違いない。サシュがその老人にこの封筒を託したのか。その老人はいったい何者なのか。謎ばかりだ。館を訪ねてみるしかなさそうだ。

 館を訪ねるには今日はもう遅すぎる。翌朝早朝に館を訪れることに決めて、タドニアに頼んで早めの夕食を用意してもらい、風呂は断って早々にベッドに入った。

 翌朝、目が覚めたらまだ日の出前だった。顔を洗っているとタドニアが声をかけてきた。

「先生、昨夜は休めましたか?」

 あらためてその顔を見るととても疲れているように見えた。タドニアもどうやらよく休めなかったらしい。

「なんていうか、ひどく恐ろしいような気持ちがしてね、この辺が痛んで眠れなかったんですよ」

 苦笑を浮かべながらタドニアは、自らの胸骨の継ぎ目辺りを撫で擦った。その言葉にひどく不安になる。

「調子がよくないなら、きちんとお医者に診てもらうべきです」

 ちいさな笑い声が返ってきた。

「調子が悪いって程じゃあ。朝食こさえますんで、少し待っていてくださいね」

 タドニアは言葉通り手際よく朝食を整えてくれた。柔らかく煮込まれた野菜がたっぷり入ったクリームスープとライ麦パン、ゆで卵と濃い目のコーヒー。食欲はなかったがタドニアにこれ以上余計な心配をかけたくなくて、少し無理をして平らげた。

「お気をつけて。うまい夕食、こさえて待ってます」

 タドニアが柔らかく目尻を下げる。出発の挨拶をして宿を出た。夜が明けたばかりでまだ少し寒い。早春の山合にはまだ雪が残り、足元は微かにしばれついていて冬用のブーツを履いてきてよかった。コートをもう少し厚手のものにしておけばと悔やみながら襟元を掻き合わせた。遠くに門が見える。門の形も館の佇まいも、去年の夏に来た時とちっとも変っていないのに、空気だけがしんと静かに重く、淀んで滞っているようだった。

 いつものように門を潜り玄関を通る。消毒槽もきちんと用意されている。無人のクロークでキャップを被り手袋を取り出し不要な荷物は全部預けた。狭い廊下を通る時、全身を叩くような強風に懐かしさを感じた。

 足を踏み入れる。驚くほど静かで、一切の気配がなかった。

 そうか、ほんとうに、サシュは──逝ってしまったのか。

 中央の机に歩み寄る。全面を覆うように広げられた大きな地図はまるでテーブルクロスのようだ。

 地図の中央、目に付きやすいところに、タドニアから受け取った封筒に入っていたのと同じ便箋が置いてあった。


『契約について詳細を知ることがお主の望み──そう判断する。

 ならば、儂の欠片を集めよ。

 欠片については地図とメモに記しておいた。

 集め終えたその時にすべてが詳らかになる。

 もしも行き詰るようなことがあったら、いつでも好きなだけここに来るがよい。』


 あらためて地図を見た。そこかしこに石が置いてある。石の下にはメモ書きが挟み込まれている。手近のひとつを拾い上げた。

「六、ベルトチェーン」とタイトルのようなものがついていた。

「この地に残る欠片は『ベルトチェーン』 ベルトチェーンにはこの地で産出される白水晶をあしらうのが魔女の習わし」

 地図にもきちんと対応する番号が書き込んである。とはいえサシュが用意したらしい地図は、現代の地図と比べると地形が不明瞭で、国境線も私が記憶しているものとはまったく違う。国名は旧名表記が多く、まずこの古地図と現代地図を突き合わせる作業が必要なようだ。

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