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一見すると骨の折れる作業に思えたが、よくよく見てみると、どうやらほとんどの場所が一度は調べたことがある場所と一致しているようだった。実際に訪れたことがある場所も含まれていた。サシュが残したメモと石はすべて回収した。由来のある石なのかとじっくり検分してみたが、どこにでもある小石にしか見えなかった。メモもひっくり返して隅々まで調べて、裏に見覚えのない模様のような印がついているものとついていないものがあることにも気がついたが、それが意味するものも不明だった。
この地図になにかを書き込んだら、サシュは怒るだろうか。
肝心のサシュ本人が居ないのだから怒るもなにもないだろうが、サシュの機嫌を損なうような真似はしたくない。だから必要と思われることは全部、手帳に書きつけた。
「行き詰ったら、いつでもここに来ていいんでしょう? サシュ?」
口に出して呟いていたことにも気がつかなかった。耳の奥でサシュの声が聞こえたような気がしたけれど、たぶん、そう思いたかっただけだった。
薄暗くなるまで館の中をうろついた。一と割り振られたメモに記載されていたのは「羽飾り」で、サシュの羽飾りに用いられたのは鷺の尾羽とのことだった。羽飾り、イヤーカフス、ペンダント、指輪、ブレスレット、ベルトチェーン、アンクレット、靴。そう呟きながら探したのは魔女の装いに関して記した書物だった。自分自身が服装に頓着しない性質なせいか、装いに関してはあまり興味が向いていなかった。もしかすると魔女にも正装と呼ばれるような装いがあったのだろうか。確か図解入りの書物がこの辺に、と探しながら書架の前をゆっくり歩く。
「あった」
目的の書物を取り出してその場で開く。注意深く読み進めて図解が入った個所に辿り着いた。羽飾りは、髪に直接飾る場合と、帽子に施す場合があるようだ。図解には帽子が描かれていたが解説にそうあった。ただ、その書物にはそれが正装に当たるかどうかの記載はない。手近の何冊かを手に取り魔女の正装に関しての記述を見つけた。黒く染め抜かれたフード付きの羽織、羽織はできれば、つま先までもがすっぽり隠れる長さがよいとあった。つまりサシュの日頃の装いは正装に近いものだったと言えよう。しかし集めるように言われた品々についての記載は見つけられなかった。先にそれを調べようか、まずは欠片集めに取り組んだ方がいいのか悩んで、頭の中に地図を広げてみた。順調にそれぞれの場所を巡ったとしても半年や一年では済まない。そもそも私には金がない。大学での勉強の合間で、旅費を貯めつつ、と考えたら、十年では間に合わないかもしれない。
──儂の欠片を集めよ。
あらためてサシュにそう言われた気がした。手にした書物を丁寧に元の場所に戻した。
そういえば。
集める品々の中に樫の杖は入っていないけど、あれは要らないのだろうか。そんなことを考えながら宿に戻った。玄関先で見かけたことのない女性とすれ違う。玄関を通るとしんとしていて、普段は陽気に迎えてくれるシーディの姿が見えなかった。その代わりに奥から姿を現したのは見慣れない男性だった。私と同じくらいか、少し若いかもしれない。私を見るなり声をかけてきた。
「あなたが、先生?」
ほんとうは先生ではないんだけどタドニアがそう呼ぶから、すっかり「先生」で通っていた。おずおずと頷くと、男性はちょっと緊張を緩めた。
「先生、なんていうから、もっといかついおじさんかと」
冗談なのかと笑いかけたが笑っていい雰囲気ではなかった。表情を引き締める。
「昼前に、おじさんが裏で倒れて」
裏。宿の裏手には狭い畑と井戸がある。井戸は畑の水やりと非常用だと、タドニアが笑っていたのを思い出した。
「すぐにお医者を呼んだんだけど、そのまま」
言葉が出なかった。今朝タドニアには見送ってもらったばかりで。夕食をこさえて待ってると笑っていたのに。
「………………そんなわけだから申しわけないけれど、先生には、宿泊を断ってくれ、って」
それは嘘だろうと思った。きっとシーディなら断らない。このひととシーディの関係は解らないけれど、私の宿泊を断るためにはこうするしかなかったんだろう。
「解りました。まだ列車はあるでしょうか?」
「駅まで俺が送ります」
頷きで返して、部屋に足を向けかけて、青年を振り返る。
「タドニアにお世話になったお礼を言いたいのですが」
青年はこくんと頷きで返してくれた。今回は荷物が少なくてよかった。そもそも数日の予定だった滞在が短縮されただけだ。サシュに急かされているのかもしれない。
「忘れ物はない?」
荷物を手に部屋を出た私に青年が声をかけてくれる。あったとしても、ここならきっと、次に私が現れるまで保管してくれることだろう。
「大丈夫、ありがとう」
青年が運転する車に乗り、途中、教会に立ち寄った。祈りを済ませてから小部屋に案内される。ベッドの傍らにうずくまっている背中。髪の色でそれがシーディだと解った。
「………………」
シーディ、と呼ぼうとしてやめた。静かに歩み寄る。私の気配に気がついたらしいシーディが、ぼんやりした顔で私を見上げた。なんと言葉をかけたらいいのかも解らない。
「昨日、先生が来てくださってよかった」
言葉の意味を図りかねる。促さなくてもシーディは先を続けた。
「父さん、あの封筒を預かってから、ずっと気にしていたから。封筒を預けに来た老人はなんだか深刻な様子だし、封緘は見たこともないくらい立派で、きっととても大切なものに違いない、早く先生に渡さないと、って」
「そんなの……」
気にしなくてもよかったのに、と続けたところでなんの意味もないことに気がついた。
「……いや。ありがとう、気にかけてくれて」
タドニアの顔を見下ろした。同じ顔なのに別人だ。命の灯が消えるというのはこういうことなのか。自然にサシュを想った。サシュの最期はだれが看取ってくれたのだろう。それとも用意のいいサシュのことだから魔法で後始末をしたのか。
後始末。
その考え方に怖気が奔った。
なんてことを──私は。ふるりとちいさく首を振ってタドニアに向き直った。胸の上で組まれた指に自分の掌を重ねた。
「ありがとうタドニア。あなたのおかげでとても助かりました。あなたの作るクリームスープを二度と食べられないと思うと、すごく、──────っ」
それ以上は言葉にならなかった。ぎゅっと強く瞼を閉じて、タドニアの指を撫でて、それからもう一度しっかりとタドニアを見た。記憶に刻むように。肺の中身を空っぽにするように、長く細い息を吐き出し切ってから息を吸う。胸が痛い。
「ありがとう先生」
「──こちらこそ」
部屋の入口までシーディが送ってくれた。別れ際に振り返った。
「あの、シーディ、こんな時になんだけど……宿、は?」
シーディは少しだけ、口元を緩めた。
「まだ決めていないの。でもきっと続ける。時間がかかるかもしれないけど」
だからまた宿として使ってちょうだい? 言われて深く頷いた。再び青年の運転する車に乗り込み駅まで送ってもらう。今夜中に街まで戻るのはとても無理だ。途中で宿をとるならどこがいいだろう。駅員に尋ねると、それならチクルがいいだろうとの答えだった。なるほどチクルか、名前も浮かばなかった。
あの館に通い詰めるようになるまでは、列車を乗り継ぎいろんな場所を訪れた。チクルは辺り一帯の基幹となる駅でよく立ち寄った駅だ。ここ数年はターミナルとしての機能をさらに充実させているとのことで、鉄路の充実、始発終着列車の増加もありその発展ぶりは目覚ましいようだ。
「あと数年で、この駅にもチクルからの直通鉄路が伸びます。そうしたらきっと、今の鉄路のほとんどは廃止になるでしょう。人の流れが変わりますね」
そう話した駅員の表情は一見楽しそうだったけれど、瞳の奥には寂しさが漂っていた。
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