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少年の言葉通り、僕が知りたいことはもれなく書物に書いてあった。
魔女は現代で言うところの学者でもあり医者でもあり、そして優れた科学者でもあった。魔法、と一口に言うけれどそれは、科学が発達した現代から見れば一種の科学に過ぎないとする見方も可能だが、それにしても「科学」で一括りにできない力が間違いなく存在していたのは明らかだ。
僕が魔女の伝承に出会った時点で、すでに魔女については先達たちが調べ尽くしていた感があった。しかしそれらは、あくまでもその地方に残る伝承として扱われていて、体系的にまとめあげられていなかった。点在しすぎていて体系的にまとめあげることが難しい部分もあったのだろう。
だから僕は魔女の伝承を体系的にまとめあげることを目標と定めた。
魔女の容姿に関する伝承としてはっきりと残っているもののおおよそは、次のようなものだ。
火のように赤い癖の強い髪、髪よりなお赤い瞳。大きな鉤鼻。尖った顎。黒いフードを頭からすっぽりと被り、手には大きな樫の杖。傍らには常に使い魔である黒猫または鴉を従えている。およそ百年の時をかけて膨大な知識を身に付けているからこそ、一人前の魔女は須らく老婆のような容姿をしている。
お伽噺に登場する魔女の容姿は、こういった伝承が元になったものだろう。僕自身も魔女といえば自然と老婆の姿を脳裏に思い描いていた。だから少年が自らを『最後の魔女』と称したことは、かなりの衝撃だった。
世界の各地に点在する魔女の伝承をそれぞれに見ていけば、総じて同様の容姿を持ち、魔法を使うということは共通しているけれども、同時代に全世界にばらばらに存在していたものか、ルーツがひとつでそれが各地に飛び火のように伝わったものかも判然としなかった。
魔女たちが、その力のために忌避されていたことは明らかで、どの伝承もほぼ最終的には「……以降、この地で魔女の姿を見たものはいない」といった形で締め括られていた。それはしかし魔女たちが「この世から姿を消した」ことの証明ではないと考えて、安住の地を求める流浪の民だったと想像したものは多かった。僕もそのひとりだ。
魔女が求めた「安住の地」とは、どこだったのだろう。
魔女を研究するものの間で議論は繰り返され、魔女の痕跡を求めて世界中を彷徨う研究者も多かった。けれどだれも、その場所を突き止めることはできなかった。そんな中、研究者の間である推論が持ち上がる。ケシュトラという辺境の国の北に、人間が一切立ち入らない土地があり、魔女はそこに移り住んだのではないか──というものだ。実際にその地を訪ねた者もいるが、何故かぐるぐると同じ場所を歩き回るばかりで、奥まで踏み込むことができなかったという。もしや魔女がなんらかの魔法を施しているのではないかと色めき立った。何人もの研究者がそこを訪れ、実際に山奥に館の陰影を認めたものもいた。なのにだれも、その館に辿り着くことができなかった。結局その推論はいつしか研究者たちから捨てられた。それがもう一世紀近く前の話だ。
この話を知って、僕はこれだ、と閃いた。
その感覚は「閃いた」以外に表現しようがない。絶対にそれは魔女の館だ、と信じた。すぐに僕はその館に最も近いと思われる宿を取った。それがシーディの宿だ。初めて電話越しに応対してくれたタドニア──シーディの父親だ──がこんなふうに答えたのを、まるで昨日のことのように思い出せる。
『ははあ。そうするとあんた、トヤックを調べているのかい?』
「……トヤック?」
『トヤック──じゃないのかい?』
「むしろ私が知りたいです。なんですか、トヤック、というのは?」
『山の妖精さね。後ろ姿を見たものは一生の幸運に恵まれるが、顔を見たものはその場で命を取られる』
なかなかに興味をそそられる話だった。結局電話で長話もなんだから、とのことで、宿泊した最初の夜にトヤックについての伝承を聞いたのだった。
「──あれは面白い話だったな」
「なにがだ?」
びくっとして顔を上げたら、目の前で少年が頬杖を付いて僕を見ていた。
「いつからそこに?」
「お主が本を広げてからほどなく」
少年はなにが気に入ったのか、書物を読み漁る僕の前にたびたび姿を見せるようになっていた。彼が彼の言うように、ほんとうに本物の最後の魔女なら、彼の実在を公表できればそれはすなわち、魔女の実在の証明にもなる。いつか彼に持ち掛けようとは考えてはいるが、どうやら相当な気難し屋らしい彼がそれを承諾するとは思えず、言い出せずにいた。
「トヤックのことも調べたいのか?」
僕はゆるく首を振った。
「初めてこの地にやってきたときのことを思い出していただけです。あれも不思議な話だったなあと」
「そうか? あれは──そうだな、儂がこの地にやってきて、最初に迎えた夜のことだった」
少年が主体的に語り始めたのは初めてのことだった。ノートを広げ少年の言葉の先を待つ。
「身体の大きさはこれくらい」
言って少年は、空いている右手で机上から二十センチほどの高さを示した。
「顔は見ていない。後ろ姿だけ。姿かたちは人間と同じように見えた。耳は尖っていて頭の上方についていたから、そこだけならりすに似ていたかもしれない。それから声がした。耳の奥に直接響くような声だった。決めたのか、と」
「決めたのか?」
「ふさわしい場所を探していた。彼らは儂に、この地を譲ってくれたのだ」
少年は頬杖を付いたまま、視線は決してこちらに向けようとはしなかった。瞬きひとつで風が起こるのではないかと思うほどに豊かな睫毛が目に留まる。
「あれきり姿は見かけていない」
解ったような解らないような。
「……それが、つまり、トヤックだと?」
「彼らには彼らのルールがあるのだろう。彼らが儂にこの地を譲ってくれたのは、儂が魔女で、彼らの禁忌を犯す意図がなかったからだろう」
「禁忌?」
少年はそっと瞼を閉じた。ちいさくため息を漏らす。
「お主は学を修める人間としては、ちいとばかり、頭の働きが鈍いようだ」
余計なお世話だ。大体、食べるものも食べないでこうして書物ばかり読んでいたら、思考を巡らせるための糖分が欠乏しても、ある意味仕方がないだろう。
「それはお主がそうしたいからの結果だろう。儂には儂の責任がある」
「……どんな責任です?」
少年の瞼がぴくりと震えたのを見逃さなかった。
「──それも調べるのだろう、お主は」
ゆっくりと瞬きをしてから少年は、姿勢を正して真っすぐに僕を見た。頬に血の気が差していた。どきりとした。
「少し話し過ぎた」
かたり、と微かな音を立てて立ち上がる。そのまま去ろうとした横顔に向かって僕は、思えば間の抜けた質問をしていた。
「ところで、君の名前を聞いてもいいだろうか?」
僕の顔を見るでもなく少年は俯き加減で、サシュ、と答えてその場を立ち去った。
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