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年齢は十四、五といったところか。およそ血の気が感じられない頬は白く透き通るようで、雀斑がなければ完璧なのに、などと考えていた。この手の顔を最近どこかで見たなと考えを巡らせて、あっと行き当たった。近ごろ人気急上昇中の若手女優だ。その美少女ぶりに世界中が夢中になっている。いや、下手をすると──何時如何なる状況でも思考に耽るのはおまえの悪い癖だよ──と、耳の奥でトルファンの声が聞こえた。我に返るとそのひとは、先ほどよりもさらに強く僕を睨みつけていた。
その瞳も髪に負けないほど赤くつやつやとしている。怒気を孕んだ赤い瞳に食い入るように見つめられどぎまぎしていた。真っ黒な羽織に身を包み、長い袖から覗いた左の指先に指揮棒のような細い棒を持っているのが目に止まった。先ほど後頭部に感じた衝撃から、おそらく鈍器で殴られたことには間違いないだろうけれど、そんなものはどこにも見当たらなかった。
「お主、図書館の使い方も知らぬのか?」
僕の物思いを他所に冷たい声が発せられた。想像したよりは低い声で、それで初めて少女ではなく少年だということを知った。返答に困る。どんな間違いを犯しただろう。思い当たる節はまったくない。少年は大仰に肩を竦めて見せた。顔に大きく「やれやれ」と書いてある。
「ルールを守れる人間だからと大目に見ていたが限界だ。手に取った本は元の場所に戻す。そう教わらなかったか?」
きちんと元に戻していたはずだが。少年の空いている右手が僕の左袖を掴んで引いた。僕が立ち上がるのを待ってから少年は無言で歩を進める。従うしかなかった。少年に連れて行かれたのは、まさに先ほど僕が「どこにあっただろうか」と考えていた本が収まっている書架の前だった。少年は掴んでいた袖を離した。左手にした棒で軽く、とんとん、と二冊の書物の縁に触れた。
「この書物、お主が四日前に持ち出し読み漁って、ここへ返したことは覚えておるな?」
四日前だったか。日付についてはあいまいだが持ち出して読んだことには違いがないので頷く。
「こやつの居場所はここではない」
もういちど棒で、とんとん、とそれぞれの書物の縁を叩く。と。
二冊の書物は書架から滑り出た。書架に収まっている本が三冊、すうと左に移動して隙間を埋める。新しい隙間ができた。できた隙間にその二冊がすうと収まった。音もなく、まるで見えない手が書物を整理したようだった。
「ここはお主が読みたい書物の宝庫だろう。入館は許した。書物も好きなだけ読むがよい。これ以降、儂が与えた居場所以外に書物を返すような真似をしてみろ、二度と立ち入りを禁ず」
それから少年は左手の棒を振るった。空中に文字か模様を刻むようなその動きを懸命に目で追う。指揮者が曲を締めるときのような仕草でくるりと棒を廻して手を止めた。それを合図にしたように周囲の書架で書物が動き出した。全部で五十はあっただろうか。書物が書架から引き抜かれる音、表紙同士が触れ合う音、書棚を右または左に移動する音。ひとつひとつの音はささやかでも一斉に行われたそれは、音楽にも似ていた。やや硬い、書架の奥を叩くような音を最後に、しんと静かになる。その場を離れようとする少年の、黒いフードを反射的に掴んでいた。ぐっとちいさな呻きを漏らして立ち止まると顔をこちらに向けた。睨みつけられた。当たり前か。やや斜めに僕に向き直って少年は、乱暴に僕の手を払い除けた。
「何用か?」
「あの、君は」
声を出したはいいけれどその先が続かなかった。少年は、僕が引っ張ったせいで喉元が詰まった羽織の具合を直してから、真っ直ぐに僕を見た。
「その答えはお主の方がよく知っておろう」
お主はそれを調べている。違うか?──問われて、僕は。
「それは確かにそうですが、でも、君はなんというか、全然、イメージが違う」
「なんのイメージなのやら。それはお主が勝手に作り上げた──ああ、違うな。儂らが世界との係わりを経ってから幾星霜、それも仕方のないこと」
少年は少し表情を歪めてゆるゆると首を振った。赤い瞳が翳った。
「確かに儂は魔女だ。おかしいか?」
おかしい。おかしいだろう。だって魔女だろう?
「魔女とは『魔法を使う老婆』を指す言葉ではない」
黙っている僕を見かねたのだろうか、少年は続けた。
「魔女はそのほとんどは女だが、ごくごく稀に男もいた。たまたま儂は男で、たまたま最後の魔女として、この館を管理する使命を負っている。それだけのことだ」
最後の魔女。どういうことだ。くるりと背を向け歩き始めた少年の背中に慌てて声をかけた。
「詳しい話を聞かせてもらえませんか」
少年はその言葉を受けて立ち止まり振り返ると、じいっと僕を見上げた。
「──なんの話を? その必要はないはずだ」
途端に少年が身に纏う空気の温度が冷える。明らかな拒絶に怯んで二の句が継げない。
「お主の知りたいことは、ここにある書物たちがなにより雄弁に語ろう。儂が語ることはない」
少年はそう言い放つと、今度は一顧だにせずその場を歩き去った。少年のちいさな背を見送りながら、読んだ本をきっちり元の場所に戻す、とこころに誓った。
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