第44話

「悠はその子の事も好きなんじゃないの?」


 姉は確かにそう言った。


「その子って、杏音のことだよな?」

「この前一緒に居た超綺麗な子」

「……ほな杏音とちゃうか」

「そういうのいいから。口の中にコーンフレーク詰め込むよ」


 物騒なことを言われ、体を震わせる俺。

 俺が杏音の事を好き?

 色んな意味でヤバいだろ。


「好きって恋愛感情って意味?」

「そう」

「絶対あり得ない」


 俺は姉に断言した。

 よりによってあの女に恋愛感情を抱いているだなんて、そんなわけがない。

 前にも何度も言ったが、俺はドブ汚水に浸かっていた汚い奴に欲情する異常性癖は持っていないのだ。


 しかし姉は首を傾げる。


「じゃあ嫌いなの? その子の事」

「いや……それは」

「好きなんでしょ? ただその感情に名前が付けられないってだけで」

「……」


 なんでもお見通しってわけか。

 確かに以前から杏音との関係性はよくわからなかった。

 俺が杏音に対して好意を抱いているのは紛れもない事実だからだ。


 しかしながら、恋愛感情と言われると違うと思う。


 それならまだ芽杏の方がそういう目で見ている。

 そもそも杏音には性的興味を抱いたことすらほとんどないしな。

 それが事実である。


「どっちかと付き合っちゃえば?」

「俺は今、どっちにも恋愛感情はないよ」

「でも好きなんでしょ?」

「……まぁ」


 言っていて顔が熱くなる。

 何だこの感覚。

 気持ち悪い。


「なんかかなり拗らせてるみたいでわたしにはわからないけどさ、付き合うだけ付き合っちゃえばいいんだよ」

「軽薄だな」

「悠は恋愛に何を求めてるの? そんなもんでしょ」

「……」

「あのね、百%幸せで傷つかない恋なんてないの」

「そりゃそうだけど」


 姉は目を細める。


「悠の恋愛への恐怖心を緩和するのは、恋愛するしかないんだよ。付き合ってみれば、案外すぐにその子に対して恋愛感情を抱けるようになるかもしれない」


 恋愛恐怖症を治す方法を姉は淡々と述べた。

 確かにそれしかないって感じはする。

 だがしかし。


「相手に対して不誠実過ぎないか?」

「そう? 仮に今悠が杏音ちゃん?と付き合い始めたとして、きっと大切にするでしょ? 恋人に必要なのは一方的な恋愛感情より、一緒にいて楽しさや悲しさを共有することだと思うけど。悠は根が優しいから大丈夫だよ」

「……そんなもんか」

「だって愛情が強すぎると、絶対に両者の熱量の差で上手くいかなくなるもん。わたしが今までに、一体何人の重たい男の子を振ってきたか」

「……」


 さり気なく恋愛マスター自慢をされた。

 しかしまぁ、事実か。

 こうやって姉の話を聞くと、不思議と自分の悩みがちっぽけに思えてくる。


「要は主体性ね。結局自分から動かなきゃ、悠のビビり癖は治らない」

「ごもっともで」


 恋愛恐怖症の根源はビビりな心。

 杏音も人付き合いへかなりの恐怖心を持った人間だ。

 だからこそ友達がいないし、学校で孤高魔女だなんて不名誉なあだ名がつくのである。

 そのため積極的に動けば案外楽に完治できるのかもしれない。

 ただ、その積極性に難があるからこんなことになっているわけで。


「恋愛したいんでしょ?」

「……」

「聞き方を変えます。今のぐちゃぐちゃな心をどうにかしたいんでしょ?」

「はい」

「じゃあ動け」


 姉には毎回同じことを言われている気がする。


「考えてみる」

「うん」

「でもな姉ちゃん」

「ん?」


 俺はにやりと自分でもわかるくらいキモい笑みを浮かべて言った。


「俺は杏音の事は本気でそういうのじゃない。だって付き合うんなら、胸は大きい方が良いからな」


 直後に姉が不快そうに顔を歪めたのは言うまでもない。




 ‐‐‐




 その日の夜更け、俺はひっそりと布団を出る。


「ん、行かないで……ちゅーして」


 誰と勘違いしているのか。

 寝言か寝ぼけているのかわからない言葉を発する姉に、俺はため息を吐いた。

 まさかこの歳になって、成人済みの姉と同じベッドで寝るはめになるとは思わなかった。


 妹と違って姉と寝るのはあまり居心地が良くない。

 長い髪の毛が巻き付いて鬱陶しい。

 あとやはり胸のサイズが違うからか、全体的に柔らかさが足りないのだ。

 実の姉妹の身体の柔らかさを冷静に分析している自分に鳥肌が立つが、まぁ宮田悠って奴は昔からかなり気持ち悪い。


 ベランダに出て、外気を吸う。

 頭を冷やしたかった。


「杏音はともかく、芽杏か……」


 俺はいまだにあいつの事を好きなんだろうか。

 いや、好きは好きだが、それは恋愛感情なんだろうか。


 姉に言わせれば好意の種類なんて、今の俺には関係なく、とにかく付き合ってしまえとの事だが、なんだかなぁって感じだ。

 それに。


「俺はともかく、向こうは嫌だろ」


 仮に俺が芽杏と付き合おうと思っても、向こうは俺に恋愛感情を抱いてはいないだろう。

 ここで突っ走って『俺と付き合ってくれ』なんて告白して玉砕してみろ。

 多分もっと拗らせる。


「くっそ、どうすればいいんだ……」


 だけど主体的に動かなければどうにもならないのも事実だ。

 こんな時に頼りになるのはやはりどこぞのお魔女様だけ。


「杏音に会いたい……」


 ボソッと無意識に零れた独り言に、俺は苦笑する。

 これじゃまるで大好きみたいじゃないか。

 そんなわけはない、絶対に。いやマジで。

 天と地がひっくり返っても、それだけはありえない。


 ふと今日保健室で別れ際に見た芽杏の表情を思い出す。

 今までにはなかった表情だった。

 言うなれば、若干『俺の事好きなんじゃね?』と思わせるような顔。


「仮にあいつが俺の事を好きだったとして」


 きっかけは大量にある。

 杏音と関係を持ち始めてから芽杏との接点も増えた。

 そして彼女の恋愛相談にもいっぱい乗ってきた。

 恋愛相談しているうちに、そっちに気が移るなんてよくある話だ。

 となると……うーん。


「一番の懸念は、全て杏音の手のひらの上ってことだな。それだけは腹立たしい」


 奴の作戦勝ちになってしまう。

 別に不利益はないが、なんとなくむかつく。


「もうどうすればいいんだよ……」


 夜空に浮かぶ月に向かって、俺は嘆いた。

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修学旅行をサボってドブにハマっていた馬鹿丸出しな先輩が、実はハイスペ孤高魔女(天邪鬼で甘え下手)だなんて俺は信じない 瓜嶋 海 @uriumi

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