第43話
「ふぅ……」
その日の晩、俺は自室にてため息を吐く。
と、なんだかいかがわしい吐息が漏れたが、別にナニも行っていない。
ただ単に風呂上りに緑茶を飲んだだけだ。
「柔らかかったな……」
背中にまだ芽杏の感触が残っている。
他人と触れ合った感覚というのは案外消えないもので、未だに芽杏の身体の温度や柔らかさが正確に記憶にあった。
シャワーの水圧を強めにして洗い流せないかと思ったが、ただ痛かっただけだ。
つくづく性欲に支配された己が嫌いになる。
これで恋愛感情は湧かないというのだから、タチが悪い。
杏音も言っていたが、俺達恋愛恐怖症の大敵は性欲。
エロい気分になるとその度に、自身がそれを発散する術を持たない欠陥人間だと痛感させられる。
以前杏音も同じだと言っていた。
あの人はそういう時どうしているんだろう。
夜も更けてきたが、正直今すぐにでも電話をかけたい気分だ。
もやもやするから、発散したい。
でも理性がそれを止める。
「あなたの妹に欲情して困ってます……なんてキモすぎるだろ」
あの人はドブにハマっていたメンヘラ孤高魔女であり、恋愛恐怖症患者である前に夜月芽杏の姉なのだ。
今まで散々そういう話題に触れて来て、今更何を気にしているんだと思われそうだが、今回は俺の中で少し違う。
思い出すのは別れ際の芽杏。
そして今まで見たこともないはにかみ顔で言った『ちゃんとお礼はするから』という言葉。
「お礼って……バレンタインってことだよな?」
俺は決して鈍感主人公ではない。
どちらかと言うと自意識過剰系『こいつ俺の事好きなんじゃね?』系男子だ。
今のタイミングで女子からのお礼なんて、もはやそれしか考えられない。
と、そんなときだった。
ピンポンが鳴る。
「また天薇か? 何も注文してないし」
面倒だと思いながらモニターを覗いた。
そこには若干安心する顔があった。
少しして玄関を開くと、ミルクティーカラーの髪の小柄女が立っていた。
「どしたの? 嬉しそうな顔して」
「ちょっと人と話したい気分だったんだ。ますます俺達って通じ合ってるな」
「相変わらずキモいけど、まぁ入れてよ」
「はいはい」
当然のように悪口を言ってくる女――姉の梨乃に苦笑しながら、俺は家にあげてやった。
◇
「きったないねー。The・男子の部屋って感じ」
「彼氏の家もこんな感じだろ?」
「ううん。基本的にわたしが掃除してあげてるから綺麗だよ」
「チッ。ラブラブアピールきも」
「悠が話題出したんでしょ?」
いつものように俺の部屋でくつろぐ姉。
妹と違って態度がデカい。胸は小さいくせに。
「で、急にどうしたんだ?」
「テスト期間入ったから親がうるさくって。逃げてきたところであります」
「彼氏の家行けよ」
「勉強の邪魔したくないもん」
「……」
なにがしたくないもん、だよ。
可愛い子ぶってんじゃねーぞって感じだ。
血の繋がった姉のこういう発言を聞くと鳥肌が立ってくる。
「っていうか凄く嬉しそうだけど、そんなに悠って姉好きだったっけ?」
「俺は妹の方が好き」
「それも十分キモいよ。そういえばこの前は天薇が悪かったね」
「別に」
「うふふ。わたしたちって本当にきょうだい仲いいよね」
「それは認めます」
何かあっても、一人暮らし中の男子高生弟宅にやってくる女子大生は少ないだろう。
妹も同様だが、普通はやってこない。
そして受け入れる俺も俺だ。
でも仕方ないじゃない。
嫌じゃないんだもの。
「で、話したい気分って言ってたけど、またなんかあったの? 振られた? あ、振られる土俵にも立てないのか」
「振られてないし、一言余計なんだよ」
「まぁ振られてないんならいいけど。で、今度はどんな子?」
「恋愛相談って決めつけんなよ」
「じゃあ成績?」
「いや、恋愛相談ですけど」
「当たってるじゃん」
まぁ大体、この姉が頼りになるのはその方面だけだ。
言っちゃ悪いが勉強の相談なんて絶対にしない。
だって俺より馬鹿なんだから。
「はいはい。聞きましょう。全能の姉に言ってみなさい」
「女子の胸の感触を忘れたいんだけど」
「きっも」
「おい」
ドン引きしたように顔を顰める姉。
後ずさって距離を取られるので、なんとなく追いかける。
と、壁まで追いつめたところでぎゅっと抱き寄せられた。
「うおっ」
「可愛い~」
「ふざけんな!」
「嬉しいくせに」
変な体勢で捕まえられたため、姉の貧相な胸に顔から埋もれることになる。
姉はそのままの姿勢で言った。
「あのね。感覚が残ってるのは悠がその子を意識してる証拠よ」
「……そうかな」
「どうせ例の女子でしょ? 結局どうなったの? 正月から聞いてないんだけど、今の悠を見るに状況が良くなったようには見えない」
ふざけていたかと思えば真面目な話をしてくる。
相変わらずよくわからない姉だ。
だけど、少し安心する。
悔しいけど、母親や姉の腕の中というのはいつになっても居心地がいい。
「その子、彼氏と別れたんだ」
「ビッグチャンスじゃん」
「でもさ、なんか好きとかわかんなくなって……」
俺はそこから途切れ途切れになりつつ、拙い言葉を絞り出した。
初詣後の話を全て。
小倉から呼び出されたこと、二人の仲を持とうとしたこと、芽杏に別れたことを知らされて複雑な感情になったこと、そしてこの前の勉強合宿を話して、最後に今日芽杏をおんぶしたという所まで話した。
姉は相槌こそ打つが、話に割り込むこともなくずっと聞いてくれた。
俺が口を閉じた後、少ししてから姉は話し出す。
「ねぇ、それって向こうも悠の事意識してるんじゃないの?」
「は?」
信じられない言葉だった。
冗談かと思って笑ってみるが、彼女は真面目そのもの。
「それは、ないだろ。俺達友達だし」
「男女の仲って普通友達から始まるでしょ?」
「……」
「なーんかぐちゃぐちゃだね」
姉は俺達の関係をそうまとめた。
「でさ、気になってたんだけど」
「ん?」
「この前実家に来てた子、あの子は何?」
「……杏音か」
そう言えば、あの日姉に見られたんだったな。
何と説明したものか。
と、先日天薇に対してあの人が言っていた言葉を思い出す。
「友達、だな」
「その言葉に逃げないの」
「……じゃあ何て言えば良いんだよ? 何を言わせたいんだ?」
イラっとしてそう言うと、彼女は俺を自分の胸から離して距離を取った。
信じられないかもしれないが、ずっと抱き合っていたのである。
話に夢中で離れるのを忘れていた。
と、姉はそんな俺に先ほど以上の衝撃的発言をした。
「悠はその子の事も好きなんじゃないの?」
◇
【あとがき】
大変お待たせしました。本当に申し訳ございません。
単純に話が行き詰っていたというのもありましたが、他の活動で手いっぱいになり、なかなかこちらに手が回りませんでした。
そんな時に助けてくれたのはお姉ちゃん!
彼女のおかげで先の展開に光が戻りました笑
久々にシリアスな回となっておりますが、今後もよろしくお願いいたします。
何度もアレですが更新が数日途絶えてしまい、本当にごめんなさい。
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