第42話

 中間テストも終わり、特に何のイベントもないシーズンに入る。

 上の階の三年生は受験の追い込み期で忙しそうだが、一年生の俺には関係がない。


 五限終わりの休み時間、ジュースを買いに階段を下りていた。

 と、そんなところで、何故か階段で蹲っているモノを発見した。


「うぅ、いったぁ……」

「何やってんだよ」


 よく見たらそれは芽杏だった。

 足首を抑えて動かない。

 呻き声を上げるだけだ。


「大丈夫か?」

「……悠?」

「こんなイケメン見間違えないだろ?」

「確かに悠だね」


 今の会話のどこの部分で俺だと判断したのか、詳しく聞きたいところだが。

 蹲る彼女を見るとそういうわけにもいかないだろう。


「転んだのか?」

「……うん。なんか恥ずかしい」

「……」


 顔を赤くしてそう言う芽杏に、俺は頬を掻く。

 階段から転げる程度で恥ずかしがる必要はない。

 だって足を踏み外してドブに落ちる馬鹿を知っているんだもの。

 それも運動神経が良いなんて言われてる奴を。


「自販機に飲み物買いに行こうと思ったの。でも次の予習やってなくて……」

「それで急いで走ったら階段から落ちたのか」

「勢い余っちゃって」


 無意識に芽杏の胸に目が行く。

 確かにそんなに重そうなのを前につけてたら、体も持っていかれるだろう。

 男子やどこかの魔女と違って、体のバランスを維持するのも大変そうだ。


「仕方ねえな。立てるか?」


 俺は肩を貸してやろうとしゃがんだ。

 しかし、腕を取ろうとすると拒絶される。


「いや、ちょっと、恥ずかしいって」

「ここで蹲ってる方が恥ずかしいけど」

「……そうだけど。まぁいっか、悠だし」

「どういう意味だよ」


 勘違いしそうな言葉に苦笑しながら俺は右腕を肩にかける。

 そして一緒に立ち上がろうとした。

 しかし。


「あ、いたたた。無理無理」

「マジかよ」


 痛がる芽杏に、また二人でゆっくり座る。

 幸い人は通っていないため、誰の迷惑にもなっていない。


「どうしよ……」

「……」


 思いつくのは二つだけ。

 お姫様抱っこか、おんぶか。

 だけど、それを提案するのってどうなんだろうか……

 俺にはわからない。


「ごめんね。マジ、ほんとにごめん。用事あったんでしょ? 行っていいよ」

「馬鹿か。行けるわけないだろ」


 どんなド畜生だよ。

 確かに俺は性格は悪いが、それとこれとは別だ。

 それに、やはりこいつは特別だ。

 そこらの奴よりは心配である。


「ほら、こいよ」

「え? なに?」

「抱っこしてやるから」

「むりむりむりむりむりむりっ!」


 連呼されて凹む俺。


「そんなに言うなよ。傷つくだろ」

「で、でもあたし重いし!」

「じゃあここで座ってるのか?」

「うぅ……じゃあせめておんぶで。お姫様抱っこは恥ずかしい……」


 おんぶか。

 そうかおんぶか。


「考え直さないか?」

「なんでよ」

「いや……」


 芽杏の体格を考えると、おんぶってのは色々とマズい気がする。

 でも本人を寝かせておくわけにもいかないし、お姫様抱っこは恥ずかしいと言っているし。

 あぁもう。やればいいんだろ?


「ほら、乗れよ」

「うん……ありがと」


 芽杏の前にしゃがみ込む。

 と、次の瞬間夢のような——っと違う。

 柔らかい——っと違う。

 おっぱ――ってもう無理だ!


 冷静に考えろと言われる方が無理に決まっている感触が背中に加わって、俺は目が回りそうな感覚に陥った。


「う、うおぉぉ」

「え? 大丈夫? やっぱ重いよね。マジごめん、降りるから……」

「ぜ、全然重くないですよ。はい」

「何で敬語なの?」

「……」


 何も考えるな俺。

 今は目的遂行だけを考えろ。


 目指すのは保健室。

 俺は芽杏の太ももをずり落ちないように支えながら、一歩一歩踏みしめる。


「あ、あのさ……」

「どうかしましたか?」

「いや、その……よく考えると当たってるから……」

「……」

「……」


 俺達の会話はそこで終わった。



 ‐‐‐




「これは捻挫だね。腫れてるけど、骨に異常はなさそう」

「そうですか……」


 気付いたら保健室にいた。

 あれからの記憶はまるでないが、無事に芽杏を運ぶことはできていたらしい。

 よくやった俺。


「宮田君、ありがとね」

「いえいえ。当然の事をしたまでです」

「あら、思ってた生徒像と違うわね」


 養護教諭のおばちゃん先生は苦笑する。


「どういう意味です?」

「職員室で聞く話と全然違って好青年に見えるから」

「どんな話が出てるんですか?」

「屁理屈と嫌味しか言わないクズだって」

「……」


 絶対あの担任のクソばばあだろ。

 本気でアイツだけは許さない。

 杏音に俺が喜んでたのをバラした事を、俺は一生忘れないからな。


 と、そこで六限の開始のチャイムが鳴る。

 どうやら授業に間に合わなかったらしい。


「よかったな。予習しなくて済んで」

「あはは、確かに」

「俺もついでにサボろうかな、予習してないし」


 そう言って芽杏が座るベッドに俺も腰掛ける。


「やっぱり噂通りね」

「先生、適当に誤魔化しておいてください」

「……うふふ。青春ね。今から職員室に用事があったし、少し二人でここにいるといいわよ」

「「……」」


 とんでもない勘違いをされた気がする。

 勝手に言い残して出ていく養護教諭に、俺と芽杏は笑い合った。


「なんだかサボってるみたい」

「俺はガチサボりだけどな」

「留年するよ?」

「その時はまた杏音に頼るよ」

「お姉ちゃんの事大好きなんだね」

「それはもちろん」


 適当に会話をしながら、俺は心を落ち着かせる。

 よし、平気だ。

 もうドキドキしない。


 精神統一する俺を他所に、芽杏は笑いかけてきた。


「ありがと」

「何が?」

「わざわざ運んでくれて」

「いいえ別に。業務時間外の配送だったので、後日何かお返しはしてもらいますよ」


 何気ない言葉だった。

 しかし芽杏は俺の言葉に頷く。


「うん。待ってて。ちゃんとお礼はするから」

「……へ?」


 自分の胸に手を当てて目を閉じる芽杏。

 その口元には若干の笑みが。


「ごめん。俺やっぱ授業受けに行くわ」

「え? 何で急に」

「なんとなく」


 言うや否や、俺は保健室を飛び出した。

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