第19話 博士課程の学生

 春の陽光を浴びてゆっくりと大学へ続く道を登る。

 既に7年目となり通い慣れた道であるが、木々の新緑は新たな一年の開始を教えてくれる。

 今日はアダマース研究室の新年度第1回のゼミ。

 新体制での研究室が正式に始動するのだ。


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 ----ディスカッションルーム----


「新しく研究室に配属されたみなさん、ようこそ。そして他の皆さんは魔材学会以来ですかね、お久しぶりです。しっかりリフレッシュできましたか? さて、研究室は文字通り研究をするところです。良い成果が出るよう、力を合わせてがんばっていきましょう!」


 まずはアダマース先生が挨拶をした。


「今年度からはカイさんが研究室の運営を手伝ってくれます。カイさんの指示にはちゃんと従うようにしてください。そうそう、先日カイさんの論文が魔材学会誌に掲載することが決まりました。がんばりましたね。おめでとうございます!」

 先生が笑顔をこちらに向ける。


 ……おおおおおおっ! 受理ぃぃぃアクセプトォォォ!!!!

 予想していない突然の報告に心の中でガッツポーズをする。いや、実際に自分の手もガッツポーズをしていた。

 これで博士号取得へ向けて大きく前進だ!!!!



 本専攻では筆頭著者ファーストオーサーでの原著論文が2報ないと博士号が取得できない。このうち、早速1報を博士1年D1で確保したのだ。あと1報で最低限の基準をクリアすることができる。

 それに、自らの研究成果が学術誌に掲載されることが純粋にうれしい。自分も研究者の仲間入りができたような気分だ。


「先生、ご指導ありがとうございました! 残り1報もがんばります!」

 思わず自然とお礼を言ってしまった。


「そうですね。ただ、3年間あるんですから、あと1報と言わずにたくさん出しましょう。2報というのは最低基準ですからね」


 ……ああぁ、藪蛇だった。相変わらず先生はハードルが高いな――


「わかりました……」


「いずれにせよ、魔材学会誌に論文を通したのは大したものです。皆さんもカイさんのようにしっかり研究成果を出せるようにしましょうね」


 おっ、もしかして褒められている?

 いや、これは先生が私に研究室の運営をさせるために箔を付けさせているのだろう。

 まあ、後輩たちから尊敬の眼差しで見られるのは悪い気がしない。特に新しく配属された後輩への印象は完璧だろう。第一印象が大切だって言うしね。



 そして、第1回のゼミではまずはアダマース先生による『魔材学がいかに素晴らしいか』の講義――というか独演会が恒例である。もうこの話を聞くのは4回目であるが、学部4年B4のときに聞いたときと同じかそれ以上に情熱的に魔材学の素晴らしさを語る先生を見て、本当にアダマース先生は魔材学が好きなんだ、愛しているんだと実感する。


 私も魔材学が好きだし、その気持ちはよくわかる。ただ、そこまで自分に魔材学への愛があるかと聞かれたら、自信を持って『愛している』と言える程ではないのが正直なところだ。とにかく、あの我が家を苦しめている魔物たちをやっつけたい、それが研究をしたいという想いの根源である。


 ――もしかして、こんな中途半端な情熱で魔材学の博士課程に来たのは間違いだったのか? 


 そんな心配をしている間に、自己紹介の時間になった。

 今年度から配属されたのは学部4年B4が3人と修士1年M1が1人。特に注目すべきはその修士課程の学生、ケレエタさん。


 なんと眼鏡女子なのだ!


 出身は他大学であるが、魔材理論を卒論のテーマとしていたとのこと。そのため残念ながら私の魔材強度チームではなく、魔材理論チームに配属となった。昨年度まで学部4年B4で活躍していたアイリさんが進学しなかったので、その穴を埋めるような形だから当然と言えば当然の配属だ。


 引き続き眼鏡女子が配属されるなんて……魔材理論チームがうらやましすぎる。


 しかし、こんなことを考えていると他の人に悟られてはいけない。

 私はケレエタさんをできるだけ直視せず、チラチラと見るだけに留めた。

 ケレエタさんがこちらを見るときにはちゃんと別のところに視線を向けるようにした。


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 一通り自己紹介が終わると私の研究発表の番となった。

 年度初めの第1回ゼミでは、最上位の者――今年度であれば博士1年D1の私――が発表するのが慣例。去年までは常にマリさんが発表していたのだが。


 発表内容は掲載が決定したばかりの論文についてである。修論発表会の内容を中心にしつつも、これからの研究課題を強調して発表した。発表自体はもう何度もしているので、慣れたものだ。

 

 ただ、慣れないのは初めて発表を聞く側である。

 配属されたばかりの学部4年B43人と修士1年M11人にも『各自1つは質問をするまで終わりませんよ』と先生がプレッシャーをかけるものだから、なかなか終わらなかった。


 これがアダマース研究室の洗礼だ。

 発表者は延々と続く質問に耐える必要がある。そして、聴く側は適切な質問を各発表にすることが求められる。質問の内容から各人の理解度や知識量、そして研究センスがだいたいわかる。変な質問をするとそれに対して逆に質問をされて、痛い目にあうこともある。


 なかなか沈黙が続く時間も長かったが、全員の質疑応答が無事に終わり、ゼミが終了した。


 今日は研究室の簡単な懇親会がある。

 ただ、その前に研究室の使い方や過ごし方など、配属されたばかりの学生へ教える必要がある。


 もうマリさんはいないので、最年長であり、最古参でもあり、またリサーチ・アシスタントRAでもある私が仕切らないといけない。


 新しく配属された学生への机の割り当て、安全管理の方法、共通のお茶を飲むときのルールなど、細々としたことも含めてまずは最低限のオリエンテーションをする。


 まさに研究室運営の練習だ。リーダーシップをとって、この人数をまとめあげていく手腕が要求されている。


 私は人付き合いが苦手な陰キャだ。研究発表はともかく、人との会話はあまり得意でない。

 しかし、研究室を運営するということはこうやって人を動かしていく必要があるのだろう。諦めて慣れるしかない。

 理論系のように一人で研究するのが当然の学問領域だと違うのかもしれないが、少なくとも私の研究領域はチームでするのが普通だし。


 

 よし、みんながチームワークを発揮して良い研究成果が出せるよう、現場をまとめあげよう!


 そんな決意をしたものの、トラブルが発生したのは1週間も経たないある日の夜だった。



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 いつものように夜まで研究室に籠っていると、修士2年M2のリシトくんがまだ残っていることに気づいた。

 

 リシトくんは魔材理論チームのリーダである。ガタイが良いだけでなく、剣術の腕前もなかなかだと聞いている。

 すると、彼は愚痴りだした。


「カイさんはすごいっすね、ちゃんと研究して論文まで出して。それに対して、あのロンダ、ぜんぜん使い物になんないっすよ」


“ロンダ”と呼んでいるのは、この4月から彼の下に入ったあの眼鏡女子、修士1年M1のケレエタさんのことだろうか。彼女は別の大学からこのセン大に進学したばかりだ。

 そして、“ロンダ”とは“学歴ロンダリング”のこと。より偏差値の高い大学へ大学院進学を機に移ることは、まるで学歴を洗浄ロンダリングしているように見えるため、このように揶揄される。


「そうか? ちゃんとがんばっているように見えるけど?」

 直接彼女を指導していないので詳しくは知らないが、少なくとも真面目に研究活動をしているようには見える。


「まあやる気はありますよ、あいつ。でも、ぜんっぜんダメ! 何もできないんですよ。この前なんて、学部3年B3でもできるような簡単な模擬実験シミュレーションさせてみたんだけど、ぜんぜん咒文じゅもんを書けないですよ!」


 複雑な計算を実行するには咒文じゅもんを作り、それを詠唱する必要がある。他人が作った咒文じゅもんを詠唱すればとりあえず計算はできるが、魔材理論を専門とするのなら自分で咒文じゅもんを作れるようになって欲しいところだ。


 簡単な模擬実験シミュレーションのための咒文じゅもんも作れないというのは確かに問題だな。


「わかった、じゃあ明日にでもケレエタさんに話を聞いてみるよ」


「あいつはセン大の院卒って名前が欲しいだけなんすよ。だから舐められないようきちんと言ってくださいね、先輩!」



 ……うーん、早くもここまで二人の関係がこじれているとは気づかなかった。

 なんとか問題を解決しないと。



《現在の業績》

 査読付き論文:1件

 国内学会発表:4件(うち、筆頭3件)


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