第16話 博士課程学生の帰省
夜行
しかし、今日ばかりは学会の疲れとお酒の力で熟睡できた。
「ご乗車、ありがとうございましたー!」
という運転手の声で目が覚める。
早朝の
しかし、すぐに次の
うちの実家は田舎だ。まだまだ旅は続く。
太陽がてっぺんに上るころ、懐かしい風景が見えてきた。
我が町、ナンソーマである。
そして、町の
馬車に乗って揺られていると、昨日までいた王都トオヴェルロとは違い、のんびりとした時間が流れる。
この町の閉鎖性が嫌でとにかく都会へ出たかったが、久しぶりに帰ってくるとこの風景、雰囲気が懐かしい。
しかし、新しい建物がいくつか増えていることに気付いた。相変わらずまだ馬車を使っているが、魔動車とすれ違う数が増えているような気がする。
ここもだんだん都会になってきているんだな。
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家の近くまで馬車が来たので、
「すみません、おります!」
と
実家の周りは一面が畑である。雪解けが終わり、秋
「ただいまー!」
と家に入ると、母、ナエミが
「おかえりっ!」
と大きな声で出迎えてくれた。
母は
「何か飲み物いらない? 夜行
と次々と気を使ってくれる。
しかし、相変わらず母や洗濯やら食事の準備で忙しそうなので、それらを手伝うことにした。
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日が暮れる頃、農作業で土と汗にまみれた父、リクが帰宅した。兄のソオラも一緒だ。追肥のため堆肥を撒いていたのだろう。懐かしい堆肥の匂いが部屋に広がった。
兄は地元の農業高校を出た後、父の農業を一緒にしている。文字通り、後継ぎの道をちゃくちゃくと歩んでいる。
ちなみに妹、ルミエもいるが、下宿して看護師を目指して専門学校に通っているため、今は不在だ。
父・兄とは最近あまり関係が良くない。
博士課程への進学を巡り、衝突したばかりだ。
何も言わないが、いまでもまだ納得してないのだろう。私が実家に帰ってきても、何も言わないのがそれを物語っている。
父は早く私に堅い仕事に就いてほしいと思っている。そして、既に農業を父と一緒にして数年、兄は私のことをいまだに学生としてモラトリアムを貪っているだけの存在に見えるのだろう。『就職から逃げているだけでは駄目だ』と兄は言っていた。
私は「おかえり」と二人に声をかけたものの、次の言葉が思い浮かばなかった。
父と兄にとって、私はいつまでたっても働かない放蕩息子なんだろう。昔は勉強のできる自慢の息子だったのに。
改めて、自分が大学に通うために犠牲にしているものを実感する。
そして今すぐにでも、研究室に戻りたくなってきた。
二人は私に
「おうっ」
と返答したものの、そのまま水場へ体をきれいにしに行った。
そして、新しい服に着替えたので、夕食にする。
食卓の上には、いつもよりも贅沢な食事が並んでいる。贅沢と言っても肉料理が少し多い程度であるが、我が家の家計を考えれば十分に奮発している。
あたりが暗くなったころ、全員で
「いただきます」
といって夕食となった。
しかし、特段何も話すことはなく、無言で食事が進む。
非常に気まずい。
流石に今日は間に合わないが、明日の
すると、母が
「……大学はどう?」
と小さな声で訊いてきた。
……どうって言われても。何と答えたらいいのだろうか。『楽しい』なんて答えたらそれはそれで『遊んでないでとっとと仕事しろ!』と怒られそうだ。
「……まあ、ぼちぼちかな――」
我ながらなんとも抽象的で反抗期のような返答かと思ったが、それ以外に回答が思いつかない。
「……ぼちぼち? ぼちぼちとはどういうことだ?」
突然、兄がつっかかってきた。はぁ、面倒なことになりそうだ。
まあ、何か言いたげに不機嫌なのは長年の付き合いでよくわかっていたが。
「……いやぁ、その――。それなりに博士号取得へ向けてちゃんとできているというか…」
「それなりとはなんだ、それなりとは! それにお前、帰ってきたら親に言うことがあるだろう!」
……言うこと? ただいまぐらいは言ったが。さすがに大人になってからやれ今日は宿題がないとか、今日は学校からの
「お前は大人なのか? それとも子供なのか?」
いきなり変なことを兄は聞いてきた。
「……もう18を超えているから大人だけど」
18歳を超えれば成人だ。何をいまさら?
「大人なら、いい加減大人らしくしろ!」
「……それは働けってこと?」
「そうだけど、そうでもない!」
……う~ん、よくわからん。もっと論理的にお願いしたい。
「いいか、大人になったら自立する。それが当然だろ?」
「まあ、当然だけど」
……そりゃそうだ。
「で、おまえはそれができてるのか?」
――――!! ガツンと頭が殴られた気がした。いや、実際に殴られた訳ではない。
「大人なのに、まだ親に頼っている。自立できてないのなら、親に感謝の言葉ぐらい言えよっ!」
……そうかっ! 今まで親に教育の面倒を見てもらうのは当然だと思っていた。しかし、よくよく考えれば義務教育はとっくの昔に終わっている。親の責任と言えば、厳密にいえばそこまでだろう。そこから先は――――、親の愛情だ。
私は親の愛情に頼って、大学4年間に加えてさらに2年間の修士課程、そして追加で3年間の博士課程を過ごそうとしている。
「別に俺はお前が大学に行って、さらに何年も残ることに怒っているわけじゃない。俺だって、この畑を継がせてもらっているし、俺一人で畑ができるかと言われたらまだできない。親父に教えてもらうことがまだまだある。だから、兄弟でお前だけが優遇されてるとか、そんなことは思っていない。ただ、自立できてない大人ならちゃんと親に感謝しろ。俺が言いたいのはそれだけだ」
……体は大人になり、世間も大人として接してくれる。そして、自分も勝手に大人になったと思い込んでいた。しかし、私は子供の常識のまま『勉強さえ真剣にしていたら本分は果たしている』と勝手に思っていた。『ちゃんとした学生生活を送り、良い成績を残したら十分』『研究者が通る普通の道なんだから、それが当然だ』と。
私は子供の意識の延長線で学校に通っていたんだと気づいた。本来であれば家族や社会に『お返し』をする年齢になったにも関わらず、私はまだ子供と同じ役割しか果せてない――。
ここまで支援してくれている両親に、そして兄に感謝しなければいけない。そして、これからも支援してくれることにも。やっと兄の言っていることが理解できた気がする。
「……ごめんなさい。やっと自分がすごく恵まれているとわかったよ。お父さん、お母さん、それに兄さん、本当にありがとう。博士課程まで行かせてくれてありがとう。絶対に……絶対に……研究者に……」
……だめだ、嗚咽が出てきて何も言えない。
「いいよ、それでいいよ……」
母が手を握ってくれた。
そして、背中を父がさすってくれているのが分かった。
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予定よりも長く、10日間ほど実家で農作業の手伝いをした。今の時期は収穫量を増やすため、
堆肥まみれになって作業するのは都会の連中はきっと嫌だろう。
いや、別に私がそれが好きというわけではない。
でも、こうやって父と兄と一緒に作業するのも悪くない。
本当に久しぶりに帰省した気分だ。
しかし、家族との関係は改善したものの、本質的な問題は何も解決していない。
我が家は裕福ではない。学費は奨学金頼みだ。
奨学金を頂くには一定以上の成績が必要である。
それを維持させるための努力が必要だが、そのような縛りはあってしかるべきだと納得している。
しかし、問題は奨学金といっても何れ返済しないといけないのがこの国の奨学金である。
つまり、これは奨学金という名の学生ローンである。
繰り返すが、これは奨学金という名の学生ローンである。
そのため私の借金には既に数百万リブラになっている。
これに、これから博士課程でも奨学金をもらうため、いやいや、借金をさらに数百万リブラするため、それが積み増しされる。
……果たして返済できるのか?
以前は研究職などに就くと返済免除となる制度があったようだが、今はもうない。
その代わり、特に優れた業績をあげると大学院の間の奨学金返済が免除されたり、減免されたりする制度がある。残念ながら学部時代の借金は残るが、大学院だけでも大きい。既に修士課程の減免については書類を提出しているが、査読付きの投稿論文がないためあまり期待できないらしい。
そうなると、あとは博士課程だ。
狙うはこれだ。
ひたすら研究して、成果を出して、少しでも借金を少なくしよう!
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奨学金の返済、大変ですよね。私はなんとか返済が終わり、解放されました。
あと、学振と呼ばれる博士課程の学生向けの研究奨励金があります。採択されると毎月20万円の給与+年額150万円の研究費が頂けます。これ、もらえると大きいですが、狭き門。採択率は20%前後です。
さて、次回は研究室の新体制です。
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