第15話 学会打ち上げ


 魔材学会研究発表会が終了した。

 改めて振り返ると、本当に濃密な3日間だった。


 自らの発表はもちろんのこと、質問をすることで他大学の学生と研究仲間を作ることができた。そして、ユリシカくんの事件にも遭遇した。あの老研究者のことは今でも許せないが、あのような“質問”にも冷静に対応する精神力が必要なんだろう。これも社会勉強として糧にしなければならない。

 そして、何より反面教師としてあのような”質問“をしてはいけないと心に誓った。


 閉会式では魔材学会誌の論文賞や功績賞など、学会の各種受賞者への表彰が行われた。また、研究発表会での学生優秀発表賞も発表された。


 残念ながら我が研究室からは誰も学生優秀発表賞を受賞する人はいなかったが、私はユリシカくんが本来は受賞すべきだったと今でも思っている。来年こそはユリシカくんをしっかりサポートして、受賞させよう。反省と悔しさを胸に刻んでトオ大を後にした。


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 そして、学会が終わると、解散だ。


 そのままセンカディンに戻る人、実家に帰る人、トオヴェルロ観光に行く人など、皆それぞれ。私はこれから夜行乗合魔動車バスで実家に帰り、短い春休みを過ごす予定だ。


 ただ、せっかく学会が終わったのだ。

 学会終了後は打ち上げ、というのが我が研究室の慣例である。

 

 乗り遅れることがないよう、まずは乗合魔動車バスターミナルまで移動する。そして近くの居酒屋パブにぞろぞろと入り、早速開始。


「みんな麦酒ビールでいいかなー!」

 素早くカウンターに移動したマリさんがみんなに聞く。


「私、蜜柑オレンジジュースでお願いします」

 アイリさんはノンアル派だ。


「じゃあ、麦酒ビールを8パイントと、蜜柑オレンジを1杯お願いします」

 マリさんは手慣れたように注文する。


「へい、毎度! 6200リブラだね」

 ここではカウンターで注文をし、そのたびに清算といったルールのようだ。


「あ、あと――」

 マリさんはソーセージにチーズなど、おつまみも次々と注文している。


 アダマース先生が隣に行き、さりげなくマリさんに大金を渡しているのが見えた。

 ――アダマース先生、セン大の鑑です! イカセンです!

 気が早いが、心の中で先生に感謝した。




 そして、研究室での学会打ち上げが始まった。


 まずはアダマース先生の挨拶だ。

「みなさん、お疲れ様でした。研究室の成果をしっかり発表してくれたことに感謝します。しかし、研究はこれで終わりではありません。来年はさらに良い成果が発表できるよう、これからも日々研鑽を積んでいきましょう。そして、特に卒業する皆さんは新生活へ向けて忙しい中、研究発表ありがとうございました。改めて、卒業おめでとう! 乾杯!」


 と言い、大きな声で乾杯をした。


 昨日は完全に意気消沈していたユリシカくんだが、一緒に乾杯している姿が見えた。

 


 私はまずはユリシカくんの隣に行き、

「お疲れ様っ!」

 と言って彼のグラスに私のグラスをカチンとぶつけた。


「あ、ありがとうございます」

 ユリシカくんの表情が柔らかくなっている。まだいつも通りの元気さはないが、徐々に復活してきたようだ。

 

「ほんっっと悔しいよな! 今でも絶対に学生優秀発表賞はユリシカくんだと思っているよ!」


 私はあえて大げさに彼に愚痴をぶちまけた。

 彼も愚痴でも言って、嫌な思いをすべて吐き出してしまえばいい。


「いえいえ、まだまだだと実感しました。アダマース先生のように、上手にいなして、自分の主張をしっかりできるようにならなければいけませんね。もしあの質問に適切に対応していたら、それこそ学生優秀発表賞だったかもしれません。せっかくのチャンスを逃したのだと思っています」


 ……おお、ユリシカくん、そうきたか。逞しいな。これは見習わないと。


「じゃあ、来年はアイツに質問されたら返り討ちにしてやろうぜ!」


「はははっ、そうですね!」


 完全に壊されたかと思ったが。彼は強いな。



 彼と学会の感想を言い合っていると、『ではそろそろ乗合魔動車バスが出るので、お先に出まーす』と帰る人が出始めた。


 おっと、そうだそうだ。ちゃんと挨拶しないと。

 今年度、研究室を卒業するのは修士2年M2のランスとタイティ、そして学部4年B4のアイリさん。ランスとタイティとは一昨日ゆっくり話せたので、アイリさんと話をしないと。『じゃあまた研究室でな』とユリシカくんに声をかけ、私はアイリさんのところへ向かう。


「アイリさん、お疲れ様! 改めて、卒業おめでとう!」


「ありがとうございます。先輩には大変お世話になりました」


 アイリさんは常に姿勢も良いし、言葉遣いも丁寧だ。

 ちょっとクール過ぎると感じることもあるが、眼鏡女子というだけで私の中ではすべてがポジティブに見える。来年度以降、研究室から眼鏡女子がいなくなるのが悲しい。


「4月からは魔術技官だっけ。勤務先は決まってるの?」


「文部魔学省とだけです。まずはトオヴェルロの本省勤務とは聞いていますが」


「そうなんだ。となると、今日はトオヴェルロに残るの?」


「いえ、官舎に入る予定ですが、まだ入れないので、いったん実家に戻ります」

 彼女は姿勢を一切崩さず蜜柑オレンジジュースを一口飲んだ。


「そっか。文部魔学省といえばやはり教育関係の仕事になるのかな?」


「そうですね、初等教育から高等教育までが範囲ですから、結構幅広いです。それに魔術の研究活動支援も文部魔学省の業務です」


「あ、そうか。となると研究活動をしていると何かつながりがあるかもしれないね。もしそのときは、よろしくね」


「はい、でも特別扱いはできないこと、ご承知おきください」

 眼鏡の位置を軽く直すそのしぐさは、まるで『もしものときは手加減しませんよ』と言外に示しているように思えた。


「はははっ! アイリさんらしいね。その誠実さがアイリさんの良さだから、もちろんだよ。中央官僚となると変な誘惑もあるかもしれないけど、これからもその誠実さを大事にしてくださいね」


「はい、ありがとうございます。では、私はそろそろ乗合魔動車バスの時刻ですので」


「そっか、じゃあ乗り遅れないようにしないとね。体に気を付けて活躍してください」


 アイリさんは私に再度お礼を言うと、アダマース先生に挨拶をして居酒屋パブを出て行った。


 ……贈収賄事件といった汚職事件は中央官庁でも発生している。信頼できる人が中央で仕事をしてくれるのは頼もしいな。

 私はグラスに残っていた麦酒ビールをぐいっと飲み干した。



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 気が付くと、隣にはマリさんがいた。


 そして、

「はい、次だよー」

 といって、私に麦酒ビールがなみなみと注がれたジョッキを渡してきた。


「これは私からの挨拶。遠慮せず飲んでね。ん? 飲めないってことはないよねぇー?」


 ……? というか、マリさん、顔が赤い。かなり酔ってる?


「マリさん、飲み過ぎてないですか?」


「ぜーんぜん、だぁいじょーぶー」


 手を顔の前でパタパタしているが、今の動きはいつもと全然違う。

 でも、あえて酔っているフリをしているようにも見える。

 来年度以降のこと、ちゃんと挨拶だ。


「マリさん、これから本格的に研究者目指して研究に専念しようと思います。どうかご指導の程、宜しくお願い致します。」

 アダマース先生はもちろん、マリさんは私にとって師と言える存在だ。『指導して頂きたい』というのは単なるお世辞ではなく、本心からそう思う。ちゃんと覚えてくれていたらいいのだけど。


「もーー、博士課程に入ったら自分の力で考えないとダメだよー。カイくんならできるよー」


 かなり良い感じに酔っぱらっているが、マリさんは相変わらず先生のようなことを言う。

 せっかくなので、今まで聞きたかったことを質問しよう。


「ところで、マリさんはなんで研究者になろうとしたんですか?」


「……んーー。なんでかなー。単に好奇心が強いからかなー。知らないことを知りたい、という単純な理由のような気がする……。研究って、知れば知るほど知らないことが増えるじゃない? だからー、後戻りできなくなっている感じかなぁー」


「でも……その……将来が不安になったりしないんですか?」


「えっっ! それって婚期を逃すって言ってるのっ!?」

 急にマリさんの声が大きくなった。


「いやいやいやいやいや!! 単に任期の定めのない研究職テニュアポストに就くのって相当難しいので、不安になったりしないんですかって意味で……」


 想定外の話題になったので、全力で否定し、必死に話を戻す。

 でも、マリさんは同じ話題を続ける。


「もうね、そんなの諦めるしかないわけ。研究研究研究。毎日研究! 私は研究と結婚。それで終わり。あああああーっ。何ならカイくん、そんときはよろしくねーー」


 ええっ! 何が“よろしく”なんだ?

 どおいうことなんだ!?


「……も、もちろんです!」

 何が“もちろん”かわからないが、イカセンを目指す身としては、肯定しておく必要がありそうだ。


「で、なんでカイくんは研究者なんて目指そうと思ったの?」


 ……えっ、私の返答は無視? しかもいきなりこっちにブーメランですか? ええい、ここは酔っ払い同士らしく、もう正直に話そう。


「実家が農家なんです。最近魔物の襲来が多くて、しかも年々強力になってきて――。だから、魔物と戦うための最強の武器を作って、奴らを撃退したいんです」

 今まで何か恥ずかしくて内緒にしていたが、私の素直な思いを吐露した。


「おおおぉーー、ワカモノだねぇー、いいねぇー。純粋だねぇー。世の中そう単純じゃなさそうだけどー」

 マリさんはすごい勢いでぐでんぐでんになっていく。ちゃんと今晩帰れるのだろうか?



「マリさん、今晩はどうされるんですか?」


「センカディン行きの最終の夜行乗合魔動車バス。で、明日は研究室」


「え、明日は休日ですよね? ちゃんと休みはとってるんですか?」


「まあねぇー、いろいろやることがあるからねぇー。ふぅーー」

 と、外をみるとセンカディン行きの夜行乗合魔動車バスが見えた。


「マリさん、もしかしてあれですか?」


「そーそー、あれあれ! やっときたねぇーー」


 って、マリさん、乗り遅れるじゃないかっ!


 「マリさん、急ぎましょう! 最終乗合魔動車バスですよね!?」

 と私は急かすが、マリさんは『そーだねぇー』と言いつつ、のそのそと帰る準備をするだけだ。

 

 いつもの完璧な大人の女性とは違って、今日は単なる酔っ払いのダメマリだ。酔っ払ったフリではなく、純粋に酔っ払いだ。こんな姿は初めて見た。


 しょうがないので、私は今にも出発しそうな乗合魔動車バスに向かって大声で『センカディン行きに乗りまーす!』と叫んで、出発を待ってもらう。


 そして、私がマリさんの荷物を持ち、二人で走る。といっても二人とも酔っ払いなのでフラフラと何度か足をもつれさせながらだが。

 幸いにも乗合魔動車バスは待ってくれていたので、私は運転手さんに感謝と謝罪を言う。

 マリさんを乗合魔動車バスに押し込み、なんとか一安心。


 それにしても酔っ払いに全力疾走はキツイ。

 マリさんも息が上がっている。


「はぁはぁっ、ちゃんと、忘れ物せず、はぁ、気を付けて帰ってくださいよっ」


 マリさんに荷物を渡しながら、私は保護者のようなことを言った。


「はぁはぁ……ありがとう、カイくん……」


 暗闇の中にほんのり浮かぶ赤ら顔のマリさんが艶かしく感じ、私の鼓動はさらに早くなる。


 しかし、もう出発だ。

 

「……これからも元気でね。応援してるよ――」


 ただ、最後に私が博士課程に残るのを忘れているようなセリフを言うもんだから、私は脱力した。笑いながらマリさんに

「またすぐに研究室で会えますよ、博士課程に残るんですから!」

 と、出発した乗合魔動車バスに聞こえるよう大声で叫んだ。





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 研究室での飲み会を初日や中日なかびに開催する場合も結構あると思います。最終日は午後早めに終わることも多いですしね。

 ただ、飲み過ぎて自分の発表があるのに寝過ごす学生を何度か見たことがあります。修羅場ですよね。一番ひどかったのは、発表のパワポ資料もなく、指導教員が要旨だけをもとにして発表したケース。その後、その寝過ごした学生はどうなかったのか……


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