第6話 頼れる先輩

 深夜の実験室。

 外は吹雪いているが、魔石を使って部屋を暖めているため、寒くはない。


 私はなぜか一人で実験していた。


 ルリミニウム金属に氷系魔法で負荷を与え、破断に至るまでの魔力量や回数を測定するという実験だ。

 そう、ニイナさんの卒論のための実験。


 ――パリンッ


 試料サンプルが小さな音を立てて破断した。


 私は魔石の入った箱をいったん実験装置から取り出し、魔力の供給を停止させる。

 

 深夜の実験室では、局所排気装置ドラフトチャンバーによる空気の流れだけが静かに聞こえる。実験で用いた魔力が室内に滞留しないようを作動させているのだ。


 破断した試料サンプルを回収し、新しい試料サンプルをセットする。


 次に、氷系魔法を発動させるための魔法陣を組み込んだ箱――魔力発生器――を調整する。次は魔法1回あたりの魔力量をもう少し増やすためだ。


 そして最後に魔力源となる魔石の入った箱をセットする。

 途中で想定外の動作がないよう、動力源となる魔石の配置を最後にするのが安全確保の基本だ。

 だいぶ魔石中の魔力が減ってきたが、ここで新たな魔石を追加すると魔力深度が大きく変化してしまう。もう少しこの魔石で粘って実験しよう。


 すべての準備が整っていることを確認したら、魔力を魔石に流し込み、実験装置を発動させる。


 人間の魔力を直接使っても氷系魔法を出すことはできるが、それでは付与魔力量が主観的になってしまうし、仮に測定していてもバラツキが出てしまう。

 実験には客観的で再現性のあるデータが必要だ。だから、魔石を使った実験装置が必要なのだ。


 実験装置が動き出し、試料サンプルに氷系魔法が負荷されはじめる。

 測定器が魔法強度、魔力深度を計測し始めていることを確認する。

 問題なしだ。


 測定器には魔力強度と魔力深度を測定するための魔法陣が複雑に組み合わされている。


 この組み合わせを安定化させて、魔力深度と魔法強度を適切に測定できるようになるまで本当に大変だった。なにせ魔力深度が観測できるのはほんの一瞬。通常の魔力深度計ではその一瞬の魔力深度を測定できないのだ。

 アダマース先生やマリさん、そして先輩方と悪戦苦闘した日々を思い出す。


 しかし、今となっては慣れたものだ。

 自分たちで試行錯誤して完成させた実験装置だし、魔材こそ違えどしている実験はいつものものだ。



 あとは試料サンプルが破断するまで待つだけだ。

 手持無沙汰になるが、作動中の実験装置を放って外へ行くわけにはいかない。

 実験中は何があるかわからないのだ。


 実験装置の近くの机に原稿用紙を広げ、修士論文の執筆をはじめる。


 しかし、改めて思う。

 どうしてこうなったんだろう。

 昼間の出来事を思い出す。



-------------


 ---昼間の研究室---


「本当に実験していないのなら、これは嘘の実験データとなるよね?」

 不適切な行為だとニイナさんにはまず理解してもらわないといけない。


「嘘というつもりはないです。あくまでイメージです」


 ……いや、注釈も何も書いてないし。それ、嘘と同じだから。


 私は近くにいたアイリさんに助けを求める。

 常識を常識として認識してもらうには、数の力が必要だ。


「アイリさん、実験をしていないのにデータを作って論文を執筆することについてはどう思う?」


 私の突然の質問であったが、アイリさんは躊躇うことなく答える。


「データの捏造行為になると思います。仮想的なデータであることを明記すれば話は別ですが、それなしには学術的に不適切な行為になります。過去、データを捏造して免職になった先生もいますし、学生だと学位剥奪はくだつや停学といった処分があり得ると思います」


 アイリさん、なかなか厳しいこと言うね。まあ事実だけど。


「えっ、それなら私はどうなるの?」

 学位剥奪や停学といった物騒な単語が出てきて、急にニイナさんの顔が曇った。


「先生に知られたら停学とかになるかもしれません。卒業論文として受け取ってもらえないでしょうから、このままだと卒業もできないのではないでしょうか」


 アイリさん、単刀直入だな。表情も変えずに淡々と話すあたり、アイリさんはニイナさんと仲が良くなかったのかな。今更ながら気づいた。


「……え、そんな悪いことなんですか? じゃあ、『これは仮想的なデータに基づいた分析です』とちゃんと書いたら卒論として大丈夫ですか?」


 ……いや、それダメでしょ。仮想値で卒論って。


 私は率直な感想を言う。

「実験方法や理論に特別な価値があれば仮想値でも認めてもらえる可能性はあるけど、今回はそれもないから無理だと思うよ。もちろん最終的に判断するのはアダマース先生だけど、確かアダマース先生は実験してデータ収集するよう以前から仰っていたよね」


 ニイナさんの目が泳いでいる。

「もう就職の内定ももらっているのに。卒業できないなんて…………」


 やっと事態が理解できてきたみたいだ。


「……す、すみません。本当に…………。先生にだけは言わないでください」


 ショックが大きすぎたのか、ニイナさんの目には涙が浮かんでいる。


「どうしたらいいんですか? 先輩、助けてください! お願いします!」


 両手で私の手を握り、私の目をじっとみてくる。


 ……ちょ、ちょっと待って。女の子にこんなことされたのは初めてだ。刺激が強すぎる。急速に顔が赤くなるのを自覚する。


「……わ、わかりました。て、手伝うので、とにかく実験してデータをとりましょう。2週間あれば最低限のデータはとれはずです」


 思わずそう言ってしまった。

 ただ、過去に自分も2週間でデータを作ったことがあるから、急いで実験すればなんとかなるだろう、という勝算があるのは確かだ。


「ありがとうございます!」

 彼女は何度も御礼をする。


「じゃあ時間もないから、すぐにでも実験をしよう!」


「はい!」



-------------



 そうやって実験が始まった。

 実験そのものは順調に進み、データが積みあがってきた。


 しかし、夕方になると問題が起こった。

 ニイナさんは落ち着きがなくなり、そわそわとし始めた。


「何かあったの?」


 彼女は最初躊躇していたが、思い切って話すことにしたようだ。


「先輩、実は私の母が病気で寝たきりなんです。そろそろ介助にいかないといけないんです。ごはんを食べさせたり、床ずれしないよう体の向きを変えたり、あとトイレとか……」

 と言い、堰を切ったように急にぽろぽろと涙を流し始めた。


「……先輩、私どうしたらいいと思いますか?卒業もしたいけど、母親も大切にしないといけないですよね?」


 ……そんなこと言われても。


「今日は介助しなくても大丈夫だったの?」


「……母に我慢してもらうようお願いしてきました。でもそろそろ帰らないと……」


 掠れる声で答える。

 病院に入院しないのはなぜだろう? 疑問がわいてくるが、この状態で問い詰めるようにあれこれ聞く気にはならない。


「……先輩。私、ここまできて大学中退でしょうか。これ以上学費を払うお金もうちにはないですから、留年なんてできないですし……。母親を見捨てることはできないし……」


 ニイナさんは再び私の手を両手で包み込むように握る。今度は上目づかいもセットだ。


「…先輩、助けて頂けませんか?」


 彼女は両手で私の手を包み込む。

 私の手にやわらかい感触が伝わる。

 うん、やわらかい。

 心臓の鼓動が早くなり、思考が停止する。


 …………ああ、こんな可愛い後輩を放っておくわけにはいかない。家庭の事情で大学中退になるなんて、あまりに人生不公平だ。研究には助け合いも必要だ。私は覚悟を決めた。


「わかった。じゃあ実験は任せていいよ。お母さんは大事にしないとね。」


 ニイナさんの顔がぱっと明るくなった。


「ありがとうございます、先輩!」


「だ、大丈夫だから。早く帰ってあげな」

 混乱してそれ以上の言葉をかけることができない。


「先輩、本当に大好きです!一生忘れません!」


 ニイナさんは深々と一礼し、駆け出していった。



-------------



 そして、残されたのが私だった。


 手に残った柔らかい感触と、彼女の涙で濡れた笑顔を思い出す。

 こうなったら実験をやるしかない。

 すべては彼女の将来のためだ。

 私は頼れる先輩になるんだ。


 こうして深夜にかけて実験する日々が始まった。


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