第5話 後輩指導
12月は日が昇るのが遅い。
太陽は順調に顔を出しつつあるが、気温はまだ氷点下だ。
私は魔石を軽く握り、非常に弱い炎系魔法をつぶやき、暖房効果を発動させる。
魔石カイロという魔道具を用いているので、過剰な魔力は発動しない。もし発動すれば自らを黒焦げにしてしまう。
しばらくすると、程良い温かみが全身を覆い始めた。
これで大丈夫。
大学近くの下宿先から、新雪をゆっくり踏みしめながら大学へ向かった。
まずは学食。
卒業論文、修士論文の締め切りが近い時期だ。いつもより学生の数が多いような気がする。
私はパンと目玉焼き、コーンスープという定番の朝食を手早くとり、そのまま研究室に向かった。
今日は後輩の指導だ。
面倒、という感情がないと言えば嘘になるが、人に何かを教えるのは悪い気分ではない。
できなかったことができるようになる、そういった姿を見るのはうれしい。
やりがいがある、というのだろうか。
ただ、果たしで自分がそれをうまくできるのか。
少し緊張する。
研究室の入り口に到着し、自分の名前が刻印された魔石を“在室”を意味する青色に変えた。
しかし、まだ指導対象のニイナさんの魔石は黒色、つまり“不在”となっている。
青色は
彼女は同学年のニイナさんと違い、勉強熱心である。ただ研究が好きというより、真面目に勉強をする、といった雰囲気がある。魔術技官として公務員試験に合格したので、修士課程には進学せず就職するらしい。
ランスの魔石も赤色だから、同じか。
……二人はいつも研究に一生懸命だな。
少し二人の関係に嫉妬を覚える。
もしかしたら何か特別な関係も…と考えるが、さすがに歳の差がある。
マリさんは
マリさんから見たらランスや私なんて子供。そんな関係にはならないだろう。
「おはよー」
私は研究室全体に響く大きな声で挨拶をする。
「おはようございます」
アイリさんの声が聞こえた。
既にアイリさんは魔石を使って部屋を暖かくしてくれている。
ありがたい。
私は原稿用紙に向かって執筆作業しているアイリさんの近くに行き、
「卒論を書いているの?」
と声をかけた。
「はい、もうすぐ提出ですしね」
アイリさんは背筋が伸びたきれいな姿勢のままこちらを向き、眼鏡の位置を直した。
凛とした彼女の姿を見ると、こちらも背筋が自然と伸びる。
「がんばってるね。ところで、今日はニイナさんの指導を頼まれてるんだけど、最近どんな様子か知ってる?」
「……ニイナさんですか―――。相変わらず忙しそうですね」
何かを知っているが、言いたくないような、言葉を選んでいるような感じだ。
眼鏡の奥で少し眉間にしわを寄せたような気がした。気のせいかな。
もう少し具体的な話を聞こうかと思っていると、
「おはようございます!」
甲高い朝の挨拶が聞こえた。
ニイナさんだ。
彼女はこちらに近づいてきた。
「おはようございます!アダマース先生から伺っています。今日はよろしくお願いします!」
ニイナさんは元気な挨拶をした後、深々と頭を下げた。
……なかなかしっかりしているじゃないか。
屈託のない笑顔を見せられると、卒論の話を忘れてしまいそうだ。
それにしても、今日のニイナさんは薄手のニットのセーター。
なんでそんな胸が強調された服でくるんだ。
気を抜くとすぐに視線がそちらにいってしまうじゃないか。
とにかくそれには関心がないフリをしないと。
卒論に集中だ。
「はい、よろしく。では、どこまで卒論ができているか見せてもらえるかな」
まずは現状確認だ。
「はい、これが
数十枚はある紙束がカバンの中から出てきた。
……なんだ、ちゃんとあるじゃないか。アダマース先生の杞憂かな?
「じゃあ、まずは読んでみるので少し待っててね」
私は少しの安堵感とともに
研究テーマは《ルリミニウム金属の氷系魔法による破壊現象》である。
対象金属が違うだけで基本的に私と同じである。
少し言い訳をすると、私は
データが取れ始めたのは卒論提出2週間前ぐらいだったか。
……2週間前と言えば、今と同じような状況だな。
まあそれはいい。
本来であれば4月時点で実験装置が完成しているニイナさんにとって、今回の研究テーマはそう難しいものではないはずだ。
ニイナさんの研究対象であるルリミニウム金属は、高価な割にあまり強度は高くないため、防具にも武器にもあまり使われていない。ただし、非常に軽い魔材であるため新たな用途がないか検討されている。
『考察』と『結論』もそれなりに記述されている。
もう少しだな。
これは先日マリさんから教えて頂いたアプローチ、つまり同じ魔力深度帯のデータを抽出し、破断するまでの総魔力強度量をグラフにすれば『考察』も完成するだろう。
出口が見えてきた。
よし、先輩として指導のしどころだ。
「考察がもう少しですね。考察は実験データを自分なりに分析する個所ですから、このデータを違った形で整理して、なぜそうなったかを考えてみましょう」
「はい」
「では、同じ魔力深度帯のデータに絞って、破断に至るまでに付与した魔力強度と付与回数の積、つまり総魔力強度量を計算してみるとどうかな?」
先輩らしくクールに、そして的確にアドバイスをする。完璧だ。
「どうなんでしょう?」
「…………」
「…………」
……えっと、どうなんでしょうね。
沈黙だけが続く。しょうがない。
「じゃあ、試しに魔力深度40度あたりの実験データを例として、ちょっと計算してみようか」
私は実験結果の表から魔力深度40度前後のデータを抽出し、それだけで表を作成する。
そして総魔力強度量を計算する。
…………?
ばらけた数値だ。一定の傾向がない。
確かに、落ち着いて見れば暗算でもわかる程度に数値に大きなバラツキがある。
ニイナさんが作成したグラフの値もあまりきれいな傾向を示していない。
試しに他の魔力深度帯も見てみるが、ばらばらだ。
私のモグナイト金属の実験データとは根本的に何かが違う。
マリさんに教えて頂いたアプローチが通じない。
「……おかしいな」
思わずつぶやいたが、これ以上の言葉が出てこない。
先輩らしくなんとかしないといけない。
…………だめだ、対応策が思いつかない。なんでこんなデータになるんだろう?
しばらくすると、ニイナさんが口を開いた。
「まあデータはイメージですから」
…………?
「どういうこと?」
「いや、データはイメージとして作成したものなので」
ニイナさんは淡々と話している。
…………?
「どういうこと?」
私の脳はフリーズしたようだ。同じ質問しかできない。
「なので、実験したことをイメージしてデータを作ったので、そのデータにあまり意味はないんです」
…………?
はひ? 頭が追い付かない。
でも最悪の事態の可能性に思い至る。
「つまり、このデータは本当の実験データではないということ?」
……声を振り絞り、否定されることを期待して質問した。
でも、それはあっさり肯定された。
「そうです。だって、イメージがないと卒論の完成形がわからないですよね?」
…………完全に想定外だ。『データにあまり意味はない』と言っているが、
「じゃあ、この『結果』や『考察』に書いてある文章は?」
「はい、このようなデータが出たら、こんな文章になるだろうな、というイメージです」
…………イ、イメージ? 言葉が出ない。
研究室は静かだ。
でも彼女はその静寂を自ら破った。
「でも、こんなデータが出たとしたら、こんな結果のまとめ方で問題ないですよね?」
い、いや、仮想的なデータを基に議論しても意味ないし!
だめだ、これは文化が違う。異文化交流として頭を切り替える必要がある。落ち着け!
「じゃあ、この中には仮想的なデータが含まれているということだね。では、どこまでが本当に実験したデータなのかな?」
捜査の基本、事実確認である。
「いえ、実験データはまだないです。時間がなかったので。」
…………これは修羅場になりそうだ。
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後輩指導は本当に難しいです。。。
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