第4話 論文執筆

 12月に入った。

 あたりは雪化粧し、夏とは別世界のようだ。

 すでに街路樹は落葉を終え、灰色のどんよりとした冬の雲が空を覆っている。

 大学は小高い山の上にある。

 晩春の季節には青葉の美しさを見に人々が散策するが、今はその名残はない。

 徐々に徒歩での通学がつらくなる季節だ。

 

 学部4年B4修士2年M2はそれぞれ卒業論文と修士論文の提出を目前に控え、追い込みが始まる。夕食後も研究室で作業する学生が多くなり、研究室の中は妙な活気にあふれる。


 しかし、私は修士論文の前に投稿論文の執筆だ。


 マリさんのアドバイスで作成した図をもとに自分なりの解釈を文章化し、くだんの『考察』を作成した。そして投稿原稿案ドラフトを先生に提出すると、ほどなくしてアダマース先生から先生の居室へ来るよう指示があった。


 ちなみに『アダマース研究室』には、先生の居室と、学生と博士研究員ポスドクの居室、ディスカッションルーム、そして実験室が2部屋ある。


 アダマース先生の居室のドアの前に立ち、深呼吸。

 ドアには過去に投稿した論文が誇らしげに飾ってある。

 投稿原稿案ドラフトの評価はどうだろうか?


 もしひどければ、「こんなのしか書けないのなら博士課程修了は無理だな。今からでも進路を変えた方がいい」と言われるかもしれない。


 ……トントン


「失礼します。」


「ああ、入っていいよ」

 普段は厳しい顔をしていることが多い先生だが、今日はその厳しさがない。

 少し肩の力が抜ける。


「先生、どうでしょうか?」


「よく書けてますね。特に『考察』。よく法則性を見つけ出しました。これは自分で考えたのですか?」


「いえ、実はマリさんに教えて頂きました」

 隠してもしょうがない。

 正直に答える


「そうか、マリさんの助言だったか。もう少し自分で考えて悩んで欲しかったんだがな」


 先生はちょっと残念そうだ。ため息を一つした。


「まあいいです。マリさんのその発見は既に国際学術誌である国際魔材学会誌Journal of Magical Materialsに論文投稿しています。そろそろ掲載が決定すると思うので、これを引用文献に加えて、『考察』と『結論』を手直しして最終原稿にしましょう。ここから先は私が原稿に手を加えますね」


「はい、宜しくお願い致します」


 ……良かった。少し肩の荷が下りる。


「実験結果と投稿原稿案ドラフトは研究室の魔蔵器ストレージにありますよね?少しグラフとか改良しますから」


「はい、いつもの場所で共有してあります」

 研究室では実験データや原稿は情報化し、魔蔵器ストレージに蓄えることで集中して情報を管理している。

 魔蔵器ストレージを使うことで、必要に応じて情報を紙などの実体に転写コピペできる。ただし、情報が消えないよう魔力を常に供給する必要があるため、大学の研究室など一部でしか利用されていない高価な魔道具である。


「それと、今回はマリさんの助言があったけど、自分で考える力を養っていかないと駄目ですよ。実験をして、その成果を整理して論文として発表するのも確かに大切な研究活動です。しかし、多くの結果から独自の考察をして、独自の理論を構築していくのがより高次元の研究です。それを目指しましょうね」


「わかりました」


「それから著者だけども、『カイ・ウェントス、マリ・アルキュミア、ダニエ・アダマース』という3人で、この順番にしようと思います。それでいいですか?」


「はい……ええと、それは名前の順番とかに何か意味があるのですか?」


「ああ、カイさんにはまだちゃんと教えてなかったかな。最初に名前を書く人が最も論文執筆に貢献した人になります。筆頭著者ファーストオーサーと言います。」


「あ、博士課程の修了要件に2本以上の筆頭著者ファーストオーサーでの論文発表って聞いたことがあります」


「そうですね。今回は実験データを収集して、投稿原稿案ドラフトを作成したカイさんが筆頭著者ファーストオーサーであるべきです。私は指導教員として研究を計画・管理したので、最終著者ラストオーサーとなります。また、論文の問い合わせ先を私にしますが、これは責任著者コレスポンディングオーサーと言います」


「マリさんは『考察』に助言をくださったので、共著者になるということですか?」


「そうですね。ただ今回の『考察』の助言だけだとちょっと弱いです。実際は装置作成や魔石の調整とか、カイさんの実験をサポートしてましたよね。これらの貢献もあるので、共著者に入れるべきだと思います」


「わかりました」


「マリさんはこれから研究職ポストを得るためには1本でも論文が多い方がいいですしね。もちろん一番評価されるのは筆頭著者ファーストオーサーの論文ですが、学生の指導能力をアピールするときに院生との共著論文が使えます。カイさんもそのうち博士研究員ポスドクや助教になったら同じことになるから、覚えておいてくださいね」


「はい」

 研究者になるにはこのような研究の常識を覚える必要があるのだろう。


「あ、それから学部4年B4のニイナさんの最近の様子は知っていますか?」

 ニイナ・ロセウム。魔材の劣化について研究する同じ研究チームの女の後輩だ。


 よく化粧をしてくるから、先輩に怒られていたっけ。

 あまり研究は好きそうに見えなかった。


 小動物のように活発な学生で、夏場はノースリーブの服とか比較的露出度の高い服を着てくる。


 目のやり場に困った記憶が脳裏によみがえる。そのときの光景を反芻しかけたが、いや、今はそんなときではない。


「いえ、最近あまり研究室で見かけません」

 そういえばゼミを休むことも多い。


「やはりそうですか。研究が行き詰まっていないか心配しています。もう卒論提出まで2週間しかないのに、卒業論文案ドラフトが出てきてないのです。少し面倒見てもらえませんか?」


「私がですか?ニイナさんは修士1年M1のユリシカくんとペアですよね?」

 うちの研究室では一つ下の学年の学生を指導するのが先輩の仕事だ。

 ユリシカくんがニイナさんの面倒を見なければならない。


「そうですが、カイさんも同じ魔材強度学チームですよね。後輩の指導も研究者になるための大切な練習ですよ。それにカイさんもマリさんに助けてもらっていますよね? お互い様です」


 んー…。そこまで言われると断れない。

 まあ、同じ魔材強度チームのメンバーなのにユリシカくんに指導を任せっきりなのも事実で、確かにそれはあまり良くない。


「……はい、わかりました。」


「では明日は必ず朝から研究室に来るようニイナさんに連絡したので、よろしくお願いします。」


 ……はあ、自分の修士論文執筆があるのに、後輩の卒業論文の面倒を見ることになった。


 自分の修士論文提出まであと1か月。

 魔材学会研究発表会の講演要旨提出もあと1か月。


 果たしてこの波を乗り越えられるのだろうか——。

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