第3話 『考察』の書き方

「わかんねー!!」


 気が付いたら研究室で叫び声をあげていた。


 先生の助言に従い、まずは入学願書の研究計画書はほどほどの内容にして提出した。

 これは無事に期限内に終了。

 いや、まだ合格通知書をもらっていないから本当に無事かどうかはわからないが。


 しかし、何れにせよ問題は投稿論文だ。


 アダマース先生に自分で考えろと言われた『考察』。


 論文は『背景と目的』『方法』『結果』『考察』『結論』から構成される。


『背景と目的』ではどのような研究が既にされているかを整理した上で、この研究の独自性、必要性を示すところだ。


 既往研究については先生に関係論文一式を頂き、過去整理したことがあるので、それをもとに作文すれば大丈夫だろう。


 研究の意義は何度も先生から伺っているし。


『方法』は文字通り実験方法を書くだけなので、難しくはない。淡々と書けばいい。実験装置の概略図や手順、実験条件などをつらつらと記述する。


『結果』は先生に必要なグラフを教えてもらったので、それに従って作図すれば問題ない。今回は4つのグラフを作図する予定だ。それぞれのグラフを解説する文章をつければ完成だ。


『結論』は最後にまとめを書くだけなので、これも難しくはない。


 となると、やはり問題は『考察』だ。

 『考察』では実験結果を既存の知見をもとにしてその結果に至った理由を論理的に示す場所だ。そして、研究の目的がどのように達成されているかを述べ、一方で実験方法の課題や結果に含まれている限界なども述べる。


「どうしたの?変な声出して?」


 声をかけてくれたのは、博士研究員ポスドクのマリさんだった。


 私は実験結果をどう考察したらいいのかわからないと素直に相談した。

 相変わらずマリさんの目を直視するのはできないので、論文執筆中の原稿用紙を見たままだけど。


「『考察』かー。それはセンスが問われるところだね。ランスくんはどう思う?」


 研究室で同じチームに属するランスはマリさんとよく一緒にいる。


「『考察』は難しいですよね。俺ならまずはよく似た論文をいくつか読んで、その考察の書き方をまねるかな」


「そうか! 同じような魔材の破壊現象を調べた論文の考察は参考になりそうだな」


 ランスの意見はいつも妥当だ。

 本当は私なんかよりランスの方が研究者に向いているのではといつも思う。

 成績も良いし、研究のセンスがある。そして、何より研究への情熱もある。


「まあ、それも一つの手だよね。先人のやり方を学ぶのは大切なこと。でも自分の力で考えるのはもっと大切だよ?」


 ……あ、マリさん、なんか先生と同じこと言っている。


「例えばバネは何回伸ばしたり縮めたりしても変わらないよね。ちゃんともとに戻る。でも伸ばしすぎたらバネは戻らなくなる。それは何でかな?」


 それぐらいはわかる。基礎だ。


「もとに戻るのは、弾性域だからですよね。その範囲なら魔材はダメージを受けずに、何度でももとに戻る―――」


「そう。じゃあ、今回の実験の結果はどうかな? 小さい魔力量だと、何回魔力を付与しても破断しなかったかな?」


 マリさんは完全に先生の顔と口調になっている。

 でもそれに見惚れている余裕はない。急いで記憶を探り、答えを整理する。


「いえ、小さい魔力量でも回数さえ多ければそのうち破断しました。確か、魔力による魔材へのダメージには、弾性域という概念がないと魔材力学で習いました」


「そうね。厳密にいえば、弾性域に相当するものはあるものの、その領域が非常に狭いという可能性もあるけどね」


「えっ! そうなんですか?」

 …そんなことは教科書に書いてなかったはずだ。


「……あっ! これは私の仮説。まだ内緒ね。もしかしたらそんな魔材もあるかもしれないでしょ。魔力弾性域と私は勝手に命名しているけど、その魔力弾性域のある魔材、つまり魔力を何度受けても壊れない魔材をいつかは作ってみたいのよね」


 ……なるほど。そんな可能性もあるのか。『教科書に書いてあることがすべてではない』とはよく聞くフレーズだが、要はこういうことか。このような発想から新たな発見があったりするんだろう。


 もしそのような仮説を検証するなら、微小な魔力量で魔法付与できる実験装置を準備して延々と魔法付与をしたりするんだろうな。実験対象となる魔材は魔法耐力のあるものから優先順位をつけて検証したり――。


 頭の中で勝手に実験計画を妄想する。博士はこのような仮説を創り出し、修士はそれを検証するための実験計画を立案でき、そして学部はそれを実行できるようになる、といったレベルの違いがあるのだろう。


 私はこのような大胆な仮説を思いつけるようになるのだろうか?


「……コホンッ。それはともかく、付与する魔力量と破断するまでの付与回数のグラフは描いたよね?」


「はい、描きましたが、かなりバラツキのあるデータになりました。教科書に書いてあったとおりです」


 1回の負荷で与える魔力量が増えると、破断するまでの回数は確かに減る。

 しかし、データにはかなりバラツキがあり、そのような傾向が読み取れる程度だ。


「そのバラツキ、何か変だと思わない?」


「……? 変と言われても、そんなものだと習ったので…たぶんいろんな要因があってばらつきが発生するのかと――」


「そうそう。いろんな要因。じゃあ、今回の実験で測定したパラメータって他にない?」


 マリさんは真剣な顔をしつつ、微笑みが少し漏れている。

 天使のようだというべきか、すでに答えを知っているのに教えない小悪魔というべきか――。


 そういえば、この実験には直接関係ないと思っていたが、先生から実験時の魔力強度と魔法深度も記録するよう指示されていたのを思い出した。


「あ、魔力強度と魔力深度なら実験の都度測定していました」


 パッとマリさんが笑顔になる。


「そうそう、それ! 実験で魔石の魔力を使って負荷を与えるとき、残念ながら魔力強度と魔力深度まではコントールできない。きっと魔石固有の何かと魔法陣との相性、それに気温とか、いろいろ要因があるんだろうね。でも、魔力強度と魔力深度の測定はしているよね? 同じ魔力深度帯で、魔力強度と破断までの回数の積、総魔力強度量を計算してみたらおもしろいかもね。あ、言い過ぎたかな?」


 ――――!!!!


 私は急いで実験ノートを取り出して、実験時の魔力深度データを探す。

 そして同じ魔力深度帯の結果を抽出し、破断に至るまでの総魔力強度量を計算する。


 高い魔力強度と多くの付与回数。

 低い魔力強度と少ない付与回数。


 それぞれを掛け算すると、同じような値になる。データのバラツキがかなりなくなった。

 魔力深度帯が異なると破断に至る総魔力強度量が異なり、単純ではない。

 より深い魔力深度帯ほど低い総魔力強度量で破断に至る。

 若干関係は複雑だが、整理すればきれいなグラフが描けそうだ。


 胸が高鳴る。

 これが知的発見の喜びというのだろうか?


「……マリさん、もしかして、これ知ってたんですか?」


「ふふふ、少しね」


 その微笑みはもう小悪魔にしか見えない。

 いや、いたずらに成功した子供の顔か?

 ドヤ顔が眩しい。


 隣にいるランスも目を見開いて驚きの顔をしている。


「でもそんなの授業で習ったことないですよね? 教科書にも書いてなかったと思いますし。なんでマリさんはそんなの知っているんですか?」


「実は最近その法則性に気づいてね。まだ論文投稿中だから、知っているのはごく少数の人だけでしょうね」



 ……すごい。もはや何も言えない。


「普通、魔材の破壊試験は魔力量を変数にしてるよね? 魔力量が増えれば破断しやすくなるけど、その値にはかなりバラツキがあると言われている。でもうちの研究室の実験装置だと、魔石から魔力を引き出すとき、魔力強度と魔力深度を別々に測定できる工夫がしてあるよね? だからこんなデータがとれて、こんな法則性がみえてきたんだよね」


「……マリさんって天才なんじゃないですか?」

 マリさんを表現する上手い言葉がこれしか見つからない。

 しかし、マリさんは真剣な顔つきになり、手をパタパタと横に振った。


「いやいや、魔力強度と魔力深度を測定する実験装置の作製を指示したのはアダマース先生。たぶん先生は仮説を前から頭の中にもっていたんじゃないかな。アダマース先生の成果だよ、これは」


 ……学部生のとき、アダマース先生の指示でその実験装置の作製に携わったが、そんな背景があったとは。マリさんや先輩方、アダマース先生と試行錯誤して作製した2年前が懐かしい。


 でもマリさんは魔材合成チーム所属だ。なんで魔材強度の研究もしているんだろうか。


 そのことを聞いてみると、


「魔材合成で作った魔材の強度ぐらいは自分で評価できないとね。それにいまのうちから狭い学問領域に閉じこもってしまったら、将来の可能性がなくなるじゃない? 私はあまり好き嫌いせずに、分野に関係なく必要であれば研究したいんだよね。それに、いろんなこと知れて、楽しいじゃない?」


 と、あっけらかんと答えられた。

 一つの研究領域だけでも大変なのに、複数同時に取り組むなんて――


「マリさん、本当にありがとうございました。これで考察が書けそうです」


 私はお礼を述べることぐらいしかできなかった。

 いつもはマリさんの顔を直視する勇気はないが、興奮のあまり自然とマリさんの目を見てお礼をしている自分に気づいた。


 しかし、マリさんは少し不安そうだ。

「ちょっとまって、これだけじゃまだ考察になってないよ? 既に魔力強度と魔力深度が重要なことは別の論文で報告しているから、それを踏まえてちゃんと自分なりにこの図をしっかり解釈しないとだめだよ?」


「はい。ですが、ここまできたらもう書けそうです。ありがとうございました!」

 マリさんは心配してくれているが、妙な自信が沸いてきた。


「それならいいけど……、じゃあがんばってね!」

「がんばれよ!」


 用件が終わるとマリさんとランスは無駄話もせずに実験室に向かっていった。


 博士研究員ポスドクという仕事は成果を出さないと簡単に職を失うポジションだ。

 自分のことだけでも相当忙しいはずだ。

 だけどマリさんは嫌な顔をせずにディスカッションをして、アドバイスをしてくれる。

 わが研究室の女神だ。


 よし、『考察』をまとめてアダマース先生に投稿原稿案ドラフトを提出しよう。





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大講座制の研究室だと、ポスドクや博士課程の先輩は本当に頼りになりますよね。

大講座制と小講座制の違いについてもそのうち書きます。


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