第7話 私が必ず守る

「ノ……ア…………?」


 ひりつく喉から辛うじて出たクロエの声に、振り返ったノアは目だけで反応した。さっきまでの無表情からは、いくらかましになっている。諦めと覚悟が入り混じる困ったような顔をしていた。


『死神の厄災』が放つ黒紫のほのおは、ノアの右手が遮っている。

 アメジストのような光に照らされて、呆然としたクロエと、困ったような顔のノアは、しばらくの間、見つめあう。


 クロエは何を言うべきなのか、すぐには思いつかなかった。言いたいことはたくさんある。そのどれもがクロエにとっては重要なことで、瞬時に選択することはできなかった。


「大丈夫。大丈夫だから──」


 先に言葉を発したのは、珍しくノアのほうだった。ついさっき機械のように発した言葉を、再び口にする。しかし、今度はもっとノアらしい温かみのある声だった。


「クロエは神殿の中で待ってて。は、クロエを狙ってる。でも、大丈夫。私が必ず守るから」


 ノアは、仮面の奥のクロエの目を覗き込むと優しく微笑んだ。

 ノアの右手は、その間も『死神の厄災』の放つ黒紫の焔に触れ、受け止め続けている。邪悪に思えた焔もノアの手に触れるとキラキラと綺麗に見えるから不思議だ。

 ノアは他の村人のように溶けてしまうことはなかった。むしろ、消えているのは黒紫の焔ほうだ。ノアの右手に触れた黒紫の焔は、そこで邪悪な色を失っていく。


「私を……狙って……? どうして?」


 ノアは何も言わず、戸惑うクロエを半ば強引に神殿に押し込む。そして、クロエの体が完全に神殿の中に入ったのを確認すると、すぐに背を向けた。

 扉が閉じることまでは確認しない。そのノアの行動は、クロエの体が神殿に入ってさえいれば、あとは問題ないと考えているように思えた。


 かなりの距離を隔ててノアと向き合った『死神の厄災』は、クロエが神殿に入ったところで、それまで放っていた黒紫の焔を引っ込める。そして、その手をおもむろに下ろすと、もう片方の手で三日月型の大鎌を担いだままゆっくりと歩きだした。

『死神の厄災』からは、微塵の焦りも感じられなかった。不気味なほど緩やかな歩調は、いずれは目的を遂げることができる、と高を括っているようだった。


 黒紫の焔が消えたのを確認すると、ノアのほうもそれまで黒紫の焔を遮っていた右手を下ろし、『死神の厄災』へと向かって歩き出す。

 歩調がシンクロすると、二人は合図らしい合図もなく、示し合わせたようにお互いに一気に距離を詰めた。

 クロエの目には、二人が超低空で飛んでいるように見える。


『死神の厄災』は、自分の体よりも大きな鎌をいともたやすく操った。軽々と左腕を振るうと、大鎌は大きな弧を描いてノアの首を正確に捉える。

 ノアはそれが分かっていたかのように、視線を動かすことなく、鎌の動線上に自らの右腕を上げた。ノアの右手と大鎌の間に小さな魔法陣が組みあがる。大鎌は音もなく魔法陣に当たると、その動きを止めた。


『死神の厄災』は、全く動じることなく一度鎌を引くと、今度はノアの腰のあたりをめがけて、真一文字になぎ払った。刃がノアの体の中枢を刈り取る直前で、ノアの手が大鎌の柄を掴む。

 三日月型の刃は、いやらしくノアの腰を包むようにしてピタリと止まった。


 完全に大鎌の動きを抑えられた『死神の厄災』は、それでもやはり動じない。

 一連の動きの中で『死神の厄災』からは、感情らしいものを読み取ることができなかった。あらゆる感情が欠落しているように思える。


 ノアとぶつかり合う禍々しい『死神の厄災』が、生物であるのか現象であるのか、クロエには判断することができなかった。


 一瞬の均衡のあと『死神の厄災』は、まるで動きをプログラムでもされているかのように、機械的に鎌を握った手とは反対の手をノアの目の前にかざす。

 クロエが「あっ」と悲鳴に似た声を上げる間も無く、その手から黒紫の焔が再び放出された。

 ノアが「しまった」という表情を浮かべるのが、クロエにもはっきりと分かった。

 それでも、ノアは諦めたわけではない。容赦なく飲み込もうとする黒紫の焔の直撃を嫌って、すかさず左手を上げる。右の手で鎌の柄、左の手で黒紫の焔を遮った。


 それ自体はうまくいった。が、黒紫の焔から受ける圧力を封じることまではできなかった。

 ほとんどゼロ距離で黒紫の焔を受け止めたノアは、ものすごいスピードで後方へ吹き飛ばされる。


「ノアッ──!?」


 クロエは、今度ははっきりと悲鳴を上げた。それ以外の言葉は続かない。

 吐き出す息よりも吸い込む息の方が多くなる。自分では呼吸をコントロールすることができなくなっていた。

 目の前で起こったことが信じられない。


 ノアは、自分を吹き飛ばしたものに視線を送る。視線の先には『死神の厄災』の前で間抜けに佇む自分の下半身があった。


 腰を包むように止まっていた三日月型の大鎌によって、ノアの体は、真っ二つに切り裂かれてしまっていた。

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