第5話 村の言い伝え

 翌日、二人はいつもより早い時間から活動を始めていた。


 手早く朝食の準備を終えたクロエとノアは、いざ食べるぞというときになって、神殿の外が騒がしいことに気が付いた。


「ねぇ、外に誰かいない? 礼拝かな? こんな朝早くに村の人が礼拝に来るなんて、珍しいよね?」


「うん。珍しいかもね。でも、別に礼拝時間が決まってるわけじゃないから──、」


「それにしたって、私たちがいないと礼拝はできないんだから、時間が決まってるようなものでしょ? 今日は、たまたま私たちが起きてるからいいけど、いつもなら確実に寝てるよ」


 クロエはあくびを噛み殺しながら熱弁をふるう。一晩中『死神の厄災』や煙となって消えた老人のことを考えていた。今もまだ、体中から好奇心があふれ出ている。

 とはいえ、眠れなかった理由の半分は恐れでもあった。


「私ちょっと見てくる。どっちにしても、せめて朝ごはんが終わるまでは待っててもらわないと、でしょ?」


「あ……。ちょっとクロエ! 外に出るなら仮面! 忘れないで」


 慌ただしく席を立つクロエに、ノアは仮面を差し出す。


「分かってるよ!」


 クロエは言われたとおりに仮面を装着すると、重い神殿の扉を開けた。ぎぃぃぃっと、ありがたみを伴って開く扉の向こうには、村人が大挙していた。


「ちょっと……。みんな、どうしたの?」


 とまどいながら尋ねると、村人は「クロエちゃんと話がしたい」とか、「お祈りをするから手伝ってくれないか」とか、「シチューを作りすぎたから食べてくれないか」とか、口々に思い思いのことをクロエにぶつけた。


「今日は、どこにも出かける用事はないんでしょ?」


 村人たちは、どういうわけかクロエの予定を知りたがった。


「ちょっと、ちょっと──。待ってよ。私もノアもまだ朝ご飯を食べてないの。だから、少しだけ待ってて」


 クロエは矢のように浴びせられる言葉の一つ一つには答えずに、早口にそう言って、返事も待たずに神殿の中に引っ込む。


 食卓に戻ると、ノアが朝食に口をつけずに待っていた。


「どうしたの?」


 外の喧騒とは対照的に落ち着いたノアの声を聴いて、クロエは安心する。


「村の人がたくさん来てる。理由はみんなバラバラなんだけど……なんていうか……私をここから出したくないみたい」


「どういうこと? ここから出さないぞって言われたの?」


「違うけど……。でも、あれは私をここから出さない言い訳としか思えない」


「どうして、そう思うの?」


「う〜ん……。直感? 瘴気にやられて倒れちゃったから心配してくれてるだけかもしれないけど……。でも──、まさかとは思うけど、『死神の厄災』と何か関係があって、私を外に出したくないんだったりして……」


「考えすぎだよ。ずっとそんなこと考えてるから、そんなおかしな直感が働くんだって。──でも、村の人が望むなら、神殿のお役目は果たさないといけないね」


 朝食を終えて外に出ると、村人はさらに増えていた。


 神殿を訪れる村人の相手をすることは、死霊魔術師ネクロマンサーでありながら、その能力をほとんど使うことができないクロエにできる数少ない役目だった。

 とはいえ、示し合わせたように大挙して押し寄せる村人は、少しだけ不気味だった。ただ、転んでもただでは起きないクロエは、この機会に乗じて昨日から気になっていたことを解明しよう、と思い始めていた。

 それはつまり『死神の厄災』についてだ。ドレイク以外にも何か知っている村人がいるにちがいない。それとなく探ることはできないだろうかと考えていた。



 ドレイクと比較的年が近く、村の役員を務めるブレンダン=ランドルフは、クロエが『死神の厄災』について尋ねると、薄くなり始めた頭髪をしきりに触り、露骨にうろたえた。気弱で臆病なブレンダンらしいその反応は、何か知っていることを物語っていた。  

 しかし、いくら訊いても具体的なことは教えてくれなかった。


 その傾向は、村の中枢にいる人物であればあるほど顕著だった。


 それならば、と今度は中枢から離れた人物に標的を変える。

「シチューを作りすぎた」というナターシャ=ウィリアムズにも、ブレンダンにしたのと同じように『死神の厄災』について尋ねた。

 するとナターシャは、


「あら、クロエちゃん。どこでそれを?」


 と、一応は驚いて見せた。しかし、ブレンダンのようにうろたえた様子はない。


「昨日、ドレイクさんが話しているのを聞いちゃって……」


「そうだったの。でもね、クロエちゃん。あまり大きな声でその名前を口にしないほうがいいわ。『死神の厄災』だなんて、なんだか怖いでしょう?」


「ふふふ」と上品に笑うナターシャは、明らかにクロエを子供扱いしていた。クロエはムッとしながらも


「怖くないよ。むしろ、気になってしょうがないの。夜も眠れないくらい。ねぇ、お願いだから教えてよ」


 と頼み込んだ。ナターシャは、しばし逡巡したのち「しょうがないわねぇ」と声を潜めた。


「簡単に言えば、この村に伝わる言い伝えなの」


「……言い伝え?」


「そう。言い伝え。いわく、『死神の厄災は、常に見張っている。いつ、いかなるときも、その襲来に備えよ。さすれば、払うことができるだろう。しかし、それで終わりではない。厄災はいつまでも見張っている』。一言一句合っているかは自信がないけれど、だいたいこんな感じの言い伝えよ」


 全く具体性がなく要領を得ない。『見張っている』とはいうものの、その客体は不明だ。素直に考えれば『村』を見張っているとなるのだろうか——。

 クロエが物足りなそうに「それだけ?」と訊くと、


「えぇ。短い言い伝えよね。私も『死神の厄災』が何なのかまでは分からないのだけど、とにかく恐ろしいものっていうのは、なんとなく分かるでしょう?」


 とナターシャは両腕で肩を抱いた。


 たしかに、得体の知れないものに常に見張られているというのはなんとなく気持ちが悪く、恐ろしい。ましてや『死神の厄災』などという名だ。幸福を運んでくるとは思えない。

 魔物のような不吉な生き物なのか、それともなんらかの現象なのか——、実像が全く見えてこない。

 いずれにしても、村に伝わる言い伝えというのは『死神の厄災』がいつか必ずやってくるから、備えておくように、という教訓のようなもののようだ。


「備えるって、具体的にどうしたらいいんだろ……。どんなものが来るかも分からないのに、準備なんてできないよ」


 ついさっき怖くないと強がったことも忘れて不安がるクロエに、ナターシャはもっともだと頷いた。


「実はね、私も分からないの。でも、いつ来てもいいように心の準備はしているわ。それに、心配しなくても大丈夫よ。クロエちゃんの分まで村の全員が備えているから」


 ナターシャの言葉には、クロエのことは必ず守るという意思がこめられていた。そんなナターシャの思いを感じ取ったクロエは、安心するとともに、より一層の恐怖を感じてしまう。

 ナターシャが本気でそう思っているのが分かれば分かるほど、『死神の厄災』というなんとも得体の知れない不吉なものが、確かに存在していると感じられた。


 それでも、好奇心が恐怖心をわずかに上回る。

 クロエがさらに尋ねようと口を開きかけたとき、突然、神殿の外がそれまでとは違う騒がしさに包まれる。


「──どうしたんだろう?」


「大丈夫。クロエは何も心配いらないよ」


 それまでずっと黙っていたノアは、まるで予期していたかのように真顔だった。

 どぉぉぉん──という轟音とともに、ガサガサと木々が揺れる音が聞こえる。


 その音を合図に、ナターシャは血相を変えて扉に向かって走り出していた。


「──えっ……?」

 

 クロエに優しく語りかけていたのと同じ人物とは思えないほど険しい表情が、ほんのわずかだがクロエの目に留まる。

 ノアに目を向けると、ノアはナターシャの背中を見つめ、今にも後を追って駈け出そうとしているところだった。

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