第3話 死霊と瘴気

「お母さん!! お母さん!!!! どうしていなくなっっちゃったの!? どこに行っちゃったの!?」


 大声に驚いて慌てて駆け寄ると、クロエは両手を苦しそうに動かしていた。

 

「クロエ!! 起きて!!」


「ヤダ!!」


「クロエ!! 落ち着いて。目を覚ますの」


「行かないで!! 行っちゃ……ヤダよ……」


「大丈夫。私はどこにも行かないよ。ずっとクロエの側にいるから。だから、もう起きて」


 微妙に噛み合わない返答にも、ノアは動じることなく声をかけ続ける。

 顔を近づけると、もがくように動かしたクロエの手が勢いよくノアの耳元に触れた。その拍子にピアスが硬い床に「カチン」と音を立てて落ちる。

 ノアはピアスの行方を目で追ったが、すぐに拾える場所で留まっているのを確認すると、クロエを優先すると決めた。


「クロエ!!」


「…………お……かぁ……さ…………ん……? なの……?」


「クロエ!! 私だよ。大丈夫だから。しっかりして」


 必死で伸ばしたクロエの腕が、今度はノアの首に絡みつく。ノアはそれを受け止めると、優しく頭を撫でた。

 去年まではノアのほうが背が高かったのに、いつの間にか追い抜かれてしまった。こうして座っている時しか、思いどおりにクロエの頭を撫でることができない。

 そんなことを思いながら、クロエの柔らかい灰色の髪の毛をいつくしむように指先ですくと、毛先が生き物のようにうねった。


「お母さん……。どこ……?」


 クロエは、まだ夢と現実の狭間にいるらしい。ノアは黙って頭を撫でながら、クロエが落ち着くのを待った。


「……ううっ……うっ……気持ち……悪い……」


 だんだんと意識が覚醒してくると、クロエは吐き気を訴えた。瘴気アレルギーの症状だと判断したノアは、ひとまず仮面をかぶせる。

 仮面をつけると、クロエは徐々に正気を取り戻していった。


「――あれ……? 私……。ここ……どこ……?」


「神殿。家だよ。クロエ」


 そこでようやくノアは床に落ちたピアスを拾う。そして、元のとおり耳につけた。赤く半透明な石が耳元に収まり、手を離した拍子にゆらゆらと揺れた。


「えっ? でも、神殿にいれば瘴気にさらされることはないはずじゃ……」


「……うん。そうだね。大丈夫だから。仮面を外してもいいよ」


 ノアはあたりを見回しながら、クロエの仮面にそっと手をかけた。ビクッとおびえるクロエを安心させるため、なるべく優しく仮面を外す。

 息を止めていたクロエは、数秒後「はぁぁぁ~~~」とため息とも、深呼吸ともつかない、大きな息を吐いた。


「……本当だ。もう気持ち悪くない。なんだったんだろう」


 首をかしげるクロエに向かって、ノアはゆっくりと間をとって首を振った。


「…………さぁ。分からない」


「そうだよね。ノアは私が知らないことは知らないものね」


 ニコッと悪戯っぽく笑う。普段どおりのクロエが戻りつつあることが分かって、ノアも安心して笑顔を返した。


「あれは……? お花? それに、ぬいぐるみ」


 クロエが改めて辺りを見回すと、たくさんの花や手作りと思われるぬいぐるみが置かれていた。


「それに、なんだかいい匂いもする。これは……お花だけじゃないね。──食べ物!?」


「相変わらず、クロエは食いしん坊だね」


 クロエが元どおりになったことを確認したノアは、肩をすくめて茶化すように言った。


「村のみんなが心配して、いろいろ持ってきてくれたんだよ。クロエは愛されてるね」


 クロエが倒れてから、半日足らずで、村中から様々なお見舞いが届いていた。

 クロエが倒れたことは、あっという間に村中の知ることとなった。大きな村ではないが、それでもお見舞いの品はそれなりの量だ。


「そうだったんだ。余計な心配をかけちゃったかな。あとでちゃんとお礼を言いに行かないとね」


「うん。自分からそんな風に言えるなんて、偉いね。クロエが言い出さなかったら私がそうさせるつもりだった」


「いつまでも子供扱いしないでよ。ノアの方が年上かもしれないけど、私だってもう子供じゃないんだよ。それに、背はもう私の方が大きいんだから」


 お互いに身寄りのないノアとクロエは、二人で身を寄せ合いながら、家族同然に暮らしている。

 クロエよりも年上のノアは、なにかとクロエの面倒を見たがり、母親のように振る舞った。身の回りの世話をしてくれることはありがたかったが、いつまでも子供扱いするノアに、クロエは少しだけ不満を抱いていた。


「ねぇ、ノア。ノアはどうして昔から変わらないの?」


 これまでにも何度か尋ねたことがあるが、納得のいく答えを得られたことはない。

 比喩的な表現ではなく、ノアの姿はクロエが物心ついた頃から変わらない。

 赤ん坊のころ、クロエは、今と全く同じ見た目のノアに抱かれてあやしてもらったことがあるし、寝かしつけてもらったこともある。


「もしかして、ノアって死霊なんじゃないの? ほら。死霊って、歳を取ったりしなくて、見た目が変わることもないんでしょ? よくは知らないけど……」


「死霊は、必ず瘴気を放っているはずだよ。私が死霊なら、クロエは私の前で仮面を外せないでしょ? 外したら気分が悪くなるはず。仮面なしでは一緒に暮らせないよ」


 いつも決まって返ってくる、もっともな答え。

 瘴気アレルギーのクロエは、死霊が放つ瘴気から身を守るため、神殿──家の外では常に仮面を付けている。仮面を付けていないと、十分ほどで身体に不調をきたし、吐き気や眩暈などの症状に見舞われてしまう。

 仮面をつけてさえいれば、死霊と対峙することもできるが、死霊魔術師ネクロマンサーとしては致命的な欠点といっていいだろう。


 そんな理由から、クロエは外に出る時は、必ず仮面を付けるようにしている。

 クロエが仮面を外せるのは、クロエとノアが暮らす神殿の中だけだった。神殿は神聖な力で守られており、その結界のような力のおかげで死霊が立ち入ることができない──、と村の人々から聞かされている。

 ノアの言うとおり、ノアが死霊であるならば、クロエは神殿の中でも仮面を外すことができなくなるし、そもそも、ノアは神殿に入ることができないため一緒に暮らすこともできない。


「う〜ん、たしかに……。でも、それじゃあ、どうしてノアはずっとその姿のままなの?」


 体調が戻ってきたクロエは、いよいよ本格的に謎を解明しようと意気込んだ。


「……どうしてかな? 分からない」


「自分のことでしょ?」


「そうね……。でも、クロエの知らないことは私も知らないから」


 頭を捻るクロエに対し、ノアはあまり感心がないのか、淡白にクロエの口癖を真似て話を終わらせる。


 話し足りないクロエは、口を尖らせたがノアは気が付かないふりをしていた。

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