第2話 境界の柱にて
「『死神の厄災』って、聞いたことある?」
クロエは、村に帰り着くなり、鼻から顔の上半分を覆う仮面を外すと、唐突にノアに尋ねた。
「クロエ! 仮面っ! とっちゃダメ」
ノアは慌ててたしなめるが、クロエに悪びれる様子はない。眩しそうに眼を細めてから、手で
ノアは「まったく……」と呆れながら、年下のくせに自分よりも少し背の高いクロエから仮面を受け取った。
「大丈夫だよ。死霊なんてそう滅多にいるもんじゃないんだから。ねぇ、それよりノア。『死神の厄災』だよ。何か知ってる?」
「知らない。なにそれ」
聞いたこともない『死神の厄災』という言葉になぜだか、ノアの胸はざわついた。ノアは、それをクロエに悟られたくなくて、わざとそっけなく答えた。
「やっぱり、ノアも知らないかぁ。実はね、この前ドレイクさんが話してるのを聞いちゃったの。……じゃあさ、ドレイクさんがいつも剣を持ってる理由は? 知ってる?」
突然、予想もしない方向へと話題が移る。それ自体は、クロエの言動として別に珍しいことでは無い。話題が移ったことで、ノアの胸のざわつきもいくらか落ち着いた。
だから、今度は、静かにゆっくりと首を横に振った。
「元兵士だから──、らしいよ。ずっと剣で仕事をしてきたから、引退した今も持ってないと落ち着かないんだって」
「そうなの?」
「みたいだよ。こんな平和な村で、剣なんか持っててもしょうがないのにね」
クロエは可笑しそうにクスクスと笑う。
クロエとノアが暮らす村は、犯罪とは無縁。村人同士のささいな喧嘩もほとんど起こらない。
そのため、クロエもノアもドレイクの剣が役に立つところを見たことがない。村人はみんな穏やかで、街の人々とは違って
身寄りのない少女が二人で身を寄せ合って暮らすには、不気味なほどうってつけの村だった。
「ねぇ、ところでその『死神の厄災』っていうのは、結局なんなの?」
ノアはせっかく逸れた話題をわざわざ自分から戻す。
ドレイクの秘密にも興味があったが、それよりも禍々しく不吉な名前と、それを聞いたときの胸のざわつきのほうが気になった。
「珍しく食いつくね。興味あるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
ノアは少し動揺して、耳のピアスに触れる。
昔からピアスに触れると何故だか気持ちが落ち着いた。もう癖になっていて、無意識に触っていることもある。
「ふ~ん。まぁ、いいや。でもさ、『死神の厄災』って、名前からして怖そうだよね」
二人のそばには『境界の柱』と呼ばれている柱があった。村と外とを隔てるその柱は、クロエの背丈より少し高い。
クロエは、人差し指で額をトントンと叩きながら、その柱によりかかる。ノアの反応に気をよくしたのか、ここでじっくりと『死神の厄災』について考察をしようということらしい。
「それで? ドレイクさんは、なんて言ってたの?」
「もうすぐ、どこかから『死神の厄災』が来る──、とかなんとか。でも、私が聞いてるって分かったら、急に話すのをやめちゃった」
焦れたように先を促すノアに、クロエはあっけらかんと答えた。
「クロエは、それで納得したの?」
ノアが意外に思って尋ねると、クロエは勢いよくかぶりを振った。肩の上で切りそろえられた、ややウェーブのかかった灰色の髪が揺れる。
「ううん。するわけないよ。しつこく訊いたんだけど、いつもみたいに「自分の目と耳で確かめなさい」って言われて。確かめようなんかないのに……。でも、その代わりに、関係ないけど剣のことを聞き出したの」
よほど悔しかったのだろう。クロエは下唇を突き出して下を向いた。俯いた顔に長いまつ毛が影を落とす。
「ふぅ~ん。じゃあ、今度は私からも訊いていい?」
クロエが『死神の厄災』について、その不吉な名前以外には何も知らないらしいと分かると、早々に見切りをつけ、もう一つの心配ごとに頭を切り替える。
「いいよ。なに?」
嬉しそうに顔を上げたクロエのクリクリとした灰色の瞳が、ノアをまっすぐに捉えた。
「村の外でクロエが何て呼ばれてるか──、知ってる?」
街での少年の言葉。できれば聞こえていてほしくないとノアは思っていた。
「なんだ。そんなこと? 知ってるよ。たしか『死霊と暮らす
クロエは、あっさりと少年の言葉が聞こえていたことを明かした。
「ノアが知ってることで、私が知らないことなんかないよ」
クロエはまた少し俯いて、つまらなそうに下唇を突き出す。
「そっか……。そうだね」
なんとなく気まずい空気が流れて、二人は沈黙する。
突然、強い風が吹いた。二人の髪とノアのピアスが大きく揺れる。
ノアは涼しい顔をして風に身を任せているが、クロエは堪えきれずにたたらを踏んだ。
止まない風に、クロエがたまらず『境界の柱』に手をつくと、ピリピリと静電気のような刺激を受ける。驚いてパッと手を離すと、風は柱に吸い込まれるようにして、止んだ。
何事もなかったように元どおりになると、クロエは「そういえば──、」と顔を上げた。
「──なんでそんな風に呼ばれるんだろうね。
「……さぁ。知らない」
「そうだよね。私が知らないことをノアが知るわけないもんね」
ノアはコクリと頷いた。
──と、突然。クロエは苦しそうに額を押さえて座り込む。
「あれ……? ダメだ……。なんだか……気分が、悪くなってきたかもしれない……」
「瘴気だよ。だから仮面をとっちゃダメって言ってるのに。ほら、早くこれをつけて。きっと近くに死霊がいるんだよ」
ノアは仮面を差し出し、背中をさすってやる。
「うん……。ありがとう。でも、私、
「そのはず、だけど……」
「
ふいにクロエの身体から力が抜ける。自分では体を支えることができなくなったクロエを、ノアは優しく受け止めた。
「ほら、仮面。余計なことしゃべってないで、早くつけて」
「…………ありがとう」
差し出された仮面を装着しようとしたそのとき、さっきまでクロエが寄りかかっていた『境界の柱』から、バチバチバチッと何かが弾ける音がした。
その瞬間、クロエの意識はぷっつりと途絶えてしまった。
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