探偵67's

京吟

第一話 迷い猫

 地方都市で探偵として働く男、鷹野たかのじんは本日新たな依頼が入ったと連絡を受け事務所に向かった。


 地方都市とはいえ駅周辺は少しばかり栄えており、ビルや商店街の立ち並ぶメインストリートを歩き、しばらくして路地裏に入る。

 事務所は薄暗い路地裏の雑居ビルの二階にあるが、お世辞にもいい雰囲気ではない。

 埃っぽいビルの階段を上り、事務所のドアを開ける。


「社長、鷹野です」


「おお仁くん、早いね」


 ドアを開けると窓を背に重厚な木製デスク、皮の椅子に座り書類を整理している男がいた。

 白髪交じりの髪をセンターで分け、着こまれて少し型の崩れた茶色のスーツに臙脂えんじ色のネクタイ。どことなく安心感を覚える穏やかな顔付きが特徴的な初老の男性。

 彼が社長、伊崎いざき従士郎じゅうしろうだ。


「社長、今回の依頼はなんでしょう」


 さっそく本題に入ろうとする俺に対して、デスクに肘を置き、手を顔の前で組んだ社長はニコリと笑う。


「今回の依頼だが、行方不明の猫を探して欲しい」


「猫探し、ですか……?」


 随分と急な話だ。わざわざ探偵に頼ることでも無いだろう。

 普段の仕事といえば、不倫やストーカーなどの調査が大半だ。

 動物専門の探偵も聞いたことがあるが、この事務所ではそういった依頼は受付の段階で断っている。


「君も知っての通り、本来であれば依頼を受ける段階で断っているんだがな」


 社長もこの反応は予想通りといった口調で続ける。


「今回の依頼は、この手紙にて相談されたものだ」


 そう言って社長は木製のデスクの上にあった一枚の封筒を手に取る。

 黄ばんだような茶色に、赤い蝋で封じられたその封筒には古めかしい印象を受けた。

 話を聞けば今朝事務所の前においてあったらしい。


「仁くん、君は今調査している依頼もなかっただろう、サクッと解決してきてくれ」


 確かに今は受け持っている依頼はない。社長が受けるというならこれも仕事だ。

 わかりました、と返事を返し詳細を聞く。

 そして出発しようとドアに手をかけたとき、社長が呼び止める。


「仁くん。君は優秀な探偵だ。安心していっておいで」


 振り返ると社長はいつものようにニコニコしている。

 意味はよく分からないが何か含ませている言い方だ。


「まるで何が起こるか知っているみたいっすね」


「探偵のカンってやつさ」


 そう言ってニコニコと笑うのだった。



「さてどうやって探すかなぁ~」


 引き受けたはいいが、猫なんて闇雲に探して見つかるものでもない。

 猫が行きそうな場所か……。

 薄暗い路地裏を歩きながら考える。

 飼い猫なら餌を自分で取ることも難しいはずだ。

 人慣れしている飼い猫なら、人懐っこく誰かに餌をねだるだろうか?

 商店街の端の方に愛想のいいおばちゃんが営む魚屋があったはずだ。あの人なら腹をすかせた猫が来れば間違いなく魚を与えるんじゃないか?

 社長譲りのそんな推理が浮かんできたので、


「……一応行ってみるか」


 商店街は事務所から徒歩10分ほどの距離にある。商店街にもたまに買い物や聞き込み調査に行くので、店主たちとは知り合いだ。

 春の心地よい日差しを浴びながらポケットに手を突っ込み歩いていくと……。


「ホントに居た……」


 魚屋の前には魚を食べた後か満足げに横になり、毛づくろいをする黒猫がいた。

 それを見てカワイイー!! と頬に手を当て身をよじらせている魚屋のおばちゃんの姿も見える。

 黄色い角膜に真っ黒の瞳孔、黒く艶のある体毛、赤い首輪。

 社長から聞いた詳細と寸分違わぬ特徴だ。

 意味深なことを社長は言っていたが、あっけなく終わったな。猫探し。

 そう思いながらおばちゃんと猫に近づいていく。


「こんちはー」


「あら鷹野くんじゃない! 見てこの猫ちゃん、今朝から店の前にいるんだけど可愛いのよねぇ」


 今朝からクネクネしてんのかこの人。もう昼過ぎだぞ。


「実はこの猫探してたんですよ」


 そんな愉快なおばちゃんを横目に、ヒョイっと猫を持ち上げ抱っこする。


「あらそうなの? 首輪つけてるから飼い猫ちゃんだとは思ったけど、飼い主さん心配してたんじゃない?」


「あー……まあそうっすね」


 依頼人の顔も知らないのでここは適当に流しておこう。そう言っておとなしく腕の中に納まっている猫に目をやると、ジーっと猫が俺の顔を見つめている。

 すると、


「あっ」


 サッと腕の中から飛び出し、スタっと地面に着地する。さっきまであんな大人しかったのに。

 そのままスタスタと商店街の外に歩いて行こうとするので、小走りで追いかけるが、猫は段々と歩みを早める。


「コラ待て!」


 猫に本気で走られたら追いつくことは難しいだろう。距離を離される前に捕まえなければ。


「あらあら、お仕事頑張ってねー!」


 そんなおばちゃんの声を背に受け、猫と鬼ごっこをしながら商店街を抜けた。



 商店街を抜けてから、もう10分ほど猫を追いかけている。

 商店街から駅の反対側まで走ってきたが、猫は一向に捕まる気配はない。

 道路沿いの道を猫を追いかけて走っていると、ピタッと猫が立ち止まる。


「またか……」


 追いかけている中で気付いた事だが、あの猫はある程度俺との距離が離れると足を止め振り返るのだ。

 ——捕まらないように、それでいて振り切らないように。そんな意図すら感じられる。

 猫は一旦立ち止まり俺を見ると、人が一人通れるような路地へと入っていく。

 塀やフェンス、室外機を軽々と飛び越えていく猫を負けじと追いかける。


「勘弁してくれよ、猫の恩返しじゃないんだから……」


 そう言って映画のワンシーンを連想しながら追いかけて行くと路地の出口が見えた。

 猫は路地を出たところでこちらに背中を向け、ちょこんっとお座りして尻尾を振って待っている。

 息を切らしながら最後のフェンスを登ったところで、閃く。


(このフェンスからジャンプして飛びつけば捕まえられる距離だ……!)


 猫は背中を向けている、飛んでからでは反応できないはずだ。やってやるさ。

 そう覚悟を決め……、


 ガシャン! 


 猫に向けて思いっきり飛び込んだ。

 フェンスが揺れ、思いのほか大きな音が鳴ってしまったが、猫は反応することなく背中を向けたままだ。


「貰った!」


 ジャンプしながら猫を後ろからつかみ、体に引き寄せる、そしてそのまま体を捻り、背中から着地する。背中めっちゃ痛ぇ。だが……、


「ようやく捕まえたぞコイツ……!」


 道に寝転がり、息を切らしながら猫をがっちりホールド。


「にゃーにゃー」


 お、初めて鳴いたなコイツ、捕まったのがそんなに悔しかったか?

 人目も気にしないで路上に仰向けになり、猫の前足の下に手を入れ、掲げる。

 猫の顔を見つめ5秒ほど捕まえた余韻に浸り……、


「さて、そろそろ戻るか」


 結構遠くまで走って来てしまった。

 猫を抱っこしながら立ち上がり、出てきた路地を見るが、


「?」


 そこに先ほどの路地は無く、建物と建物の間に10cmほどの隙間があるだけだった。

 隙間を覗くと向こう側の通りが見えるが、明らかにさっき通った道では無い。


「???」


 周りを見渡してみれば街の雰囲気が変わっている。

 白いレンガ造りの小綺麗な建物もあれば、瓦屋根の古い日本家屋、建物の二階まである大きな幟があちこちに立っている。


 街往く人々は今時珍しく着物を着ている人が多い。

 洋服を着ている人もいるが、なんというか……皆独特なセンスだ。

 まるで娘の結婚式に行くかのような和装に中折れ帽を被っている男性や、成人式のような袴姿で楽しそうに街を歩く女性。


 他にも今時のサラリーマンには少ないキッチリ七三分けにスーツを着こなす男性。

 ピッタリとした感じのワンピースと、ニット帽にツバを付けたような帽子を被っている女性。

 街の道路はアスファルトではなく石畳みで舗装され、その上を馬車や人力車が走っている。

 異様な光景に言葉を失い立ち尽くしていると——


「にゃー」


 抱えていた猫は一声鳴くと、商店街で見せたように腕から飛びだした。

 先程まではガッチリと捕まえていたのだが、この光景を見て腕の力が抜けてしまっていたようだ。


「あ、おいどこ行くんだよ」


 こんな事猫に聞いても仕方がないとは思うが、スタスタと歩き出す猫に問いかける。

 しかしなんだろうか、この猫には付いて行った方がいい気がする。

 ——元々この猫を捕まえるのが依頼だしな。

 こんなところ土地勘もない場所で見失ったら、もう見つけることはできないだろう。

 不思議と猫は逃げる様子は無いので、迷いなく歩く猫の後ろを、この古めかしい街を見まわしながらついて行くのだった。



 ——なんとなくだが、自分の置かれている状況が分かってきぞ。

 おそらく俺はタイムスリップしてしまったのだ、まったく馬鹿げた話だが。

 しかし悔しいことにそれ以外の説明がつかない。

 聞こえてきた言語や、服装からしてここは日本で間違いないだろう、時代は大正時代ぐらいだろうか。

 しかし大正の街には似つかない物もあった。

 例えば道路沿いに立っているこの電柱、電気が一般に普及し、空には飛行船とが飛んでいる。

 そしてあの建物。

 街の中心と思われる場所には、ライトが煌々と光を放つビル群がある。

 SF映画で出てくるようなサイバー感あふれる建物。

 発展しているのか、していないのか、よく分からない世界だ。


 釈然としない気持ちで歩いていると街を抜け郊外に出た。

 街の郊外には一面畑が広り、その中にポツポツと民家や畑仕事をする人たちが見える。

 のどかな風景を横目に、小川にかかった石橋を渡り、さらに歩いていく。

 すると、


「工場か……?」


 目の前にはトタンの外壁にで作られた建物が現れる。

 外壁は茶色く錆びており、あまり手入れされている様には見えない。

 ドアといったものは無く、四角く空いた入り口の先は暗く中の様子は窺えない。

 まさに昔の工場といった感じだ。

 ここが目的地なのか……?

 猫は立ち止まり建物に向かって鳴いている。

 その声に気づいたのか、建物の入り口から人影が現れる。


「遥々よく来てくれた」


 突然声を掛けられ身構える。

 しゃがれ声と共に入り口の暗闇から姿を現した声の主は、白衣姿の男だった。

 白髪のパーマしたロン毛、年齢は60歳ぐらいだろうか。目には金属製のゴーグルの様なものを掛けており、レンズ部はサングラスのようになっている。


「詳しい話は中でしよう」


 そう言って男は背中を向け、後ろ向きに手招きをする。

 この世界に来て初めて人に声を掛けられた。

 どうやらこの男は何か知っているらしい。

 その背中に向かって俺は——

「ここは……この世界は一体なんだ……?」


 この世界に来てからの一番の疑問をぶつける。

 すると男は振り返り、


「なんだ従士郎から聞いていないのか?」


 ——従士郎、確かにそう聞こえた。

 社長の名前が出たことに俺は戸惑う。


「ここは大正67年」

「君の住んでいた世界とは異なる歴史を辿る世界だ」

















































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