第二話 化学者
ここは大正67年——
随分と聞きなれない言葉に耳を疑う。
なんたって大正は15年で幕を閉じたはずだ。
——大正天皇は体が弱く、それ故に短い時代だった。
かつて学校で教師が言っていた言葉を思い出す。ほかにも軍部の暗殺説なども話していた気がする。
俺はタイムスリップではない、別世界に来てしまっていたのだ。
頭が理解した瞬間、額には冷や汗が滲み、頬を伝う。
「はやく中に入ろう。外はあまり良くないのでな」
そんな俺に構うことなく白衣の男は建物に入っていく。
この男には……ついて行くしかない。
こんな訳の分からない世界で一人ぼっちというのは非常にまずい。
すでに建物の中に入って姿の見えない男を追いかけ、入り口に足を踏み入れる。
中に入ると……意外と明るい。
建物は二階建ての民家程の大きさで、建物の二階に当たるであろう部分は小さな通路がある。
一階と二階は吹き抜けになっており、体育館を彷彿とさせる作りだ。
二階部分だけにある窓から光が差し込んでおり、内部が明るく照らしていた。
建物の中には、金属を加工する炉の様なものや金床、電球のような丸いガラスの球など、何に使うかよくわからない物で埋め尽くされている。
「ようこそ、私のラボへ」
入り口から中に入ってすぐ左側の隅の方で、男が小さな机の埃を払いながら声をかけてきた。机の横には向かい合うように木製の椅子がある。
「埃っぽいところで悪いね、ここに掛けてくれ」
言われたとおりに椅子に掛ける、ギィっと音を立て軋む椅子に体を預けると男も同様に腰を掛けた。
気付けば先ほどの猫が男の足元に寝ている。
「私の名前はDr.マツザワ。御覧の通り科学者だ」
Dr.マツザワ。そう名乗る男は
「従士郎との約束の為、君をこの世界に呼んだのだ」
まぁ君は何も聞いていないようだが……。と言葉を付け加えマツザワは足元の猫を拾い上げ膝に乗せ、頭を撫でる。
「この猫はかつて従士郎が飼っていた猫でな、名前はチェロと言う」
「とても賢い猫さ。君をここまで道案内できる位な」
まったくもって話が見えない。
大正67年?科学者?社長の飼い猫?
この工場——ラボと呼ばれる場所に来てから、相変わらず口を噤んだままの俺を見てマツザワは、やはり聞いていないのか……。と呟くと、
「従士郎は元々こちらの世界の住人だ」
「社長が……?」
やっと声を出した俺に追い打ちをかける様にマツザワは立ち上がり
「単刀直入に言おう。君にはこの世界で探偵をしてもらう」
「従士郎に代わり、街に
そう言ってマツザワは腕を組んだ。
「ちょ、ちょっと待て!」
スケールが大きくなっていく話に、一から説明を求める。
それを受けマツザワは俺がここに呼ばれた理由、社長や自分の過去を話し始めた。
「従士郎はかつて帝都全域で探偵として活動していた男だ」
「帝都?」
これまた聞きなれない言葉だ。率直に疑問を投げかける。
「そこの街の名前だ。帝都は発展した中心街——
そこの街——という所でクイッっと親指を俺が歩いてきた方に向ける。
発展した中心街とはあのビルの立ち並ぶ場所だろう。
「帝都には時に凶悪な犯罪が起こる。発展しすぎた文明は人の心に闇を落とすのだ」
「そんな犯罪を解決すべく従士郎は帝都を駆け、私はそのバックアップをしていた」
ここまで話したところでマツザワの雰囲気が変わる。
「だが今から5年前、いつものように事件の調査をする従士郎は敵に嵌められ、濡れ衣を着せられてしまった……!」
声には怒りと悔しさを浮かべ、マツザワの手は強く握り閉められ、震えていた。
「相手が何者かはわからない。だが來常街に住む権力者を4人殺害した罪は極刑に値するだろう。私達は……帝都から逃げた」
「だが従士郎のいない帝都では凶悪な未解決事件が、今なお増え続けている」
「帝都から逃げ半年後、従士郎を帝都の追手から逃がす目的作成した装置でアイツは次元を越え、別の世界に飛んで行った」
——少し待っていてくれDr。必ずこの事件は解決して見せるさ。
そう言葉を残して。
マツザワの昔話は終わる。
話をまとめるとこうだ。
社長、伊崎 従士郎はこの世界の探偵だった。
だが敵に嵌められこの世界から居場所を失ってしまう。
そこでDr.マツザワの次元を越える装置で逃げると同時に、もう帝都には戻れない自分の代わりに事件を解決する後継者を探してくると約束した。
それが俺がこの世界に来た理由、今回の猫探しの真相だ。
俺は頭の中で社長との出会いを思い出す。
高校時代の俺は将来の夢とか、なりたい自分とか、そういったものがなかった。
毎日登校し授業を受けて帰る。きっとこれは大人になっても同じで、朝起きて向かう先が会社になるだけ。そう思って毎日を過ごしていた。
高校卒業した後は就職をせず家の近くのコンビニでアルバイトをしていた。
こんな人生にも大きな転機が来るのをではないか。内心そんな風に考えていた
バイト生活が3ヶ月程続いたある日。
その日は夕方にはシフトが終わり、高校卒業と同時に引っ越したアパートへの帰路についていた。
帰り道の河川敷に差し掛かり土手の上の道を歩いている途中、どこからか飛んできたのだろうか、足にチラシのような紙が引っ掛かった。
拾い上げて見てみると、赤い文字で大きく探偵募集と書かれた紙の下の方には事務所の住所が書かれていた。
何ともチープで怪しげなチラシだったが俺は、
——こんな日常を変えることができるなら。
そんな気持ちと探偵という文字に惹かれて俺はその足で事務所を訪ねた。
急な来訪にも関わらず社長は温かく出迎えてくれた。
探偵のことなんて何も分からない俺に一から尾行術や変装など、必要な技術を教えてくれた。
探偵として働いた期間は4年程だったが、とても充実していたのだ。
もしこの世界で探偵になることが社長への恩返しになるというなら。
「わかった。やってやるよ探偵」
覚悟は決まった。
まっすぐマツザワを見つめ、決意する。
「ありがとう。私も精一杯サポートさせてもらおう」
右手を差し出すマツザワをみて俺は、
——見ていてくれ社長。俺はあなたの仇を取って見せる。
そう心に言い聞かせ、差し出された右手を握り返すのだった。
マツザワに探偵になることを約束し握手を握手を交わした後、しばらく話込んだ。
次元を越える装置について質問したり、逆に俺の住む世界のことを聞かれたりした。
次元障壁干渉装置——それが機械の名前らしい。
莫大なエネルギーを使い次元の壁に干渉し抜け道のようなものを作ることができる。
往復分のエネルギーのチャージには5年程を必要とし、社長が帝都を追われる前にはすでに完成させチャージを開始していたとのことだ。
そして事務所に届いた封筒。装置の再チャージが完了したら猫にその旨の手紙を持たせ次元を越えさせる、そして猫の案内でこっちの世界に連れてくるという段取りだったようで、まんまと社長に一杯食わされたという訳だ。
マツザワには現代の事——とりわけ科学技術について質問を受けた。
現代の車や飛行機、銃火器に至るまで、さまざまな質問を答えた。
エンジンの構造などあまり深い内容を聞かれても答えられなかったが、それでもマツザワは現代の技術に感動していていた。
小一時間程話しただろうか。マツザワとは……かなり打ち解けた。
ひとしきり質問に答えあった後マツザワは、
「さて。そろそろ行こうか」
立ち上がり入り口に歩いていく。
「どこ行くんだ?」
「君の事務所だ。帝都内に既に場所を取ってある。君にはそこで暮らしてもらう」
随分準備の良いことに既に家があるらしい。
外へ出て行ったマツザワを追い外に出ると、
ブロロㇿㇿ……
ラボの裏側にあったガレージから車を廻してきたマツザワがいた。
車両前方には長方形に伸びたエンジンルーム、その左右にタイヤが接続されており丸いフロントライトはレトロ感を醸し出す。
車両後方はオープンカーとなっており運転席、助手席、後部座席の4人乗り。
茶色の皮で作られたシートと光沢のある黒塗りのボディは高級感満載だ。
「私は帝都には入れないが……近くまで送ろう。」
帝都に入れない——さっき聞いた話だがマツザワは帝都を追放されている。社長と共に活動をしていたのが理由だそうだ。元々帝都の科学者であった彼はそれ以降、人前での活動も制限されている。
俺がラボに到着した際に外を避けたのもそれが理由だろう。
「いいのか?農道とはいえ人目はあるだろ」
「この辺に住んでる連中なら大丈夫だ。彼らは私に恩があるからな」
マツザワがそう言うので……俺は助手席に座り、猫を追って来た道を戻って行く。
左右には畑が広がり、道は遠くに見える帝都に続いている。
初めて乗るオープンカーの乗り心地は……非常に快適だ。
見た目からかなり揺れる車だと想像していたが、そこはDr.マツザワ、サスペンションに手を入れているらしい。
緑広がる農地に吹き抜ける爽やかな風を全身で受けながら走っていると、畑に立ち込み、こちらに手を振る女性が見えた。
女性だけでは無い。農作業をする人達は皆、車に気が付くとこちらに手を振っている。
それに対して隣ではハンドルを片手で持ったマツザワが軽く手を振り返していた。
「随分と人気者じゃないか」
「私が帝都を追われこの地に来た時、それはもう酷い物だった」
「前時代的な器具を使用し、あまりにも効率の悪い農業をしていた彼らに少しばかり知恵を授けただけだよ」
人々に親しまれるのが嬉しいのかマツザワは少しにやけながら車を走らせるのだった。
15分ほど走ったところで車が止まる。
「送ってやれるのはここまでだ。事務所の場所はこの地図に書いてある」
車を降りた俺にそう言ってマツザワは手書きの地図を渡してきた。
「それと……これも持っていけ」
そう言って後部座席をのぞき込むようにゴソゴソ、と何やら箱のような物を取り出した。
赤茶色の皮で作られたその箱は上部には持ち手が付いており、下部には蝶番、そして箱を一周するように二本のベルトが巻き付けてある。
これは……スーツケースか?随分アンティークだな。
とはいえこの時代だからな。これが主流なんだろう。
「中には君の服が入っている。その服じゃ調査にするにも目立つだろう」
言われてみれば俺はこの世界に来た時から白いパーカーにジーンズだ。
横幅1mほどのスーツケースを受け取り、マツザワに礼を言った俺は帝都に向けて歩き出す。
——ここで俺は……再び探偵になる。
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