終着点

 バックミラーから終わる世界を眺めていた。

 街全体から黒い煙が上っていく。

 車は走り続ける。舗装が剥がれて来ているアスファルトの道路は走ると車がガタガタと揺れていた。

「これからどこに向かう?」

 玲奈は聞いた。

「どうしようかな」

 紫音は解答に困り果てていた。

 辺りを見回してもアテなんて無かった。

「ガソリン、もったいないからさ、どこか安全そうな場所に止めておこうよ」

「そうだね、紫音、ナイスアイデア」

「あんたさ、ボキャブラリーが増えたね、普通の女子らしくなってきたよ」

 見晴らしの良い場所に車を停めた。

 二人はため息をついていた。

 全てを失ってしまった。

 帰る場所も、寝られる場所も。目的地さえ無くなってしまった。結局何も解決しなかった。

 行く当ても何も無い。

 生きる理由さえ無いかもしれない。

「ねえ、紫音、肩貸して?」

「え、こういうこと?」

「そう、こういうこと……」

 玲奈が倒れかかってくる。

「君はこうやって倒れかかってくるのが好きなんだね」

「そうだよ。ずっとこうしたかったの……」

 紫音はため息をついた。あくびも出る。

 沈默が訪れた。ガラス窓から見えるのは薄暗い光景。全てが絶望的なはずなのに。

 何故だか紫音は笑ってしまっていた。

 つられるように玲奈も笑っていた。

「ずっとね、一人で寂しかった。誰かに寄りかかりたかった」

「そう、じゃ、好きなだけそうしてなよね」

 紫音は腕を玲奈の肩に回した。

 二人とも失って失って失い続けた。

 親の遺産も住む場所も全てが無くなり。志賀も訳の分からない死に方をして。支えになるものが全て壊れてしまったのに。

 喪失感があるのに。

 何故だか、それすらも納得していた。

 紫音は玲奈に寄りかかった。

「わたしも、よっかかるよ」

「オッケー」

 小さな返事が返ってくる、くだけた言葉で。またおかしくて吹き出しそうになる。

 玲奈が嬉しそうに話した。

「私ね、決心が付いたの。実家に行ってみたいって」

 そう言うと、折りたたまれた書類を広げていた。

「そっか、行ってみようよ」

「一人だと怖くて行けなかった、紫音となら行けると思う」

「うん、そうしよう」

 紫音がそういうと、再びアクセルを入れた。

 車が動き出す。あまりに乱暴な運転に身体が揺れる。

 そのことでさえ楽しくてけらけら笑っていた。

 方角を確認すると、車を三時間弱走らせる。

 ほぼ一本道で迷うことなく進んでいった。

 そして、辿り着いた。玲奈の実家に。

 それはとても小さな家だった。

 玲奈は立ちすくんでいた。紫音は思わず手を握っていた。

 実はある程度予想していた。

 あの書類には住所までは書かれていても、現在の情報までは書かれていなかった。

 残酷だが、この世界だと何も不思議ではない。

「死んじゃってたんだ……」

 ようやく玲奈が口を開いた。寂しそうに。

「玲奈……」

「入っていいのかな?」

「良いと思うよ。元々あんたの家だし。お父さんとお母さんに挨拶しに行こうよ」

 ドアノブは捻ると鍵がかかっていた。

「もしかして……」

 玲奈はポストに行くと、手を裏側に突っ込んでいた。

「ああ、やっぱり」

 手をガサゴソと動かすと引き抜いた。その手には鍵が握られていた。

「昔、お母さんが教えてくれたんだよね」

 鍵を開けると、ドアを開く。

 最低限の家具が置かれた部屋が見えた。

 鼻を鳴らしながら、紫音が口を開く。

「まだ、生活の匂いがする」

 玲奈もそれを聞いて同じことをする。

「やっぱり? 懐かしい匂いがする」

「匂い、覚えてるの?」

「うん、何となく感じるの。懐かしいっていうか……」

 靴を脱いで踏み込んだ。

 カーペットなど、まだ新しかった。

 最低限の家具だけが揃っている。

 あたりを見回すと突然玲奈がしゃがみ込んで泣き崩れた。

「玲奈?」

 激しい嗚咽だった。むせび泣き。悲鳴にも近いような声で泣いている。肩を震わせながら、指をさしている。

「え? アレのこと?」

 その方向にはテディベアがいた。

 紫音はそれを、抱き抱える。

 年季の入ったクマのぬいぐるみ。

「こんにちは」

 まるで赤ん坊をあやすようにクマの手を引っ張って挨拶のポーズをさせた。

「これ、昔の玲奈が持ってた子?」

 玲奈が首を縦に振る。

 泣き腫らした目で、紫音を見ている。

「ずっと、待っててくれてたんだよ。これもこの子で隠れてたよ。お父さんとお母さんでしょう?」

 それは子供の頃の玲奈が父親と母親に囲まれている写真の額縁だった。

「……それ……違う」

「え? 違うの?」

「……これおじいちゃんとおばあちゃん」

「は? 若っか!?」

 玲奈が涙を流しながら、写真の額縁のピンを外した。

 ゆっくりと蓋を開くとそこにはいくつもの写真が重ねられていた。

「……こっちがお父さんとお母さん、こっちがおじいちゃんとお母さん」

「あー確かに、こうして見ると。玲奈ってお母さん似だよね」

 その写真を受け取ると確かに祖父母と両親の見分けが付いた。

 写真がテーブルに並べられていく。

 トランプのカードのように。

 紫音がため息をついた。

「へー、かわいい、こんな時代もあったんだー」

 何度も玲奈にチョップを仕掛けた。

「痛いって」

「ごめんごめん」

 写真を見ていると、まだ世界が平和だった頃の、のどかな生活が広がっていた。

 公園や海辺にいる家族写真が顕著だった。

 いつだったか、こういう時代があった。

 今だって戻りたい。

 その写真を見ていると、自然とため息をついてしまう。

「どう? やっと帰ってこれた感想は?」

「なんだろ、実感がわかないな」

「そりゃ、そうだよ。だからここでゆっくりしようよ」

 二人は布団を敷くことにした。

 その時に気が付いたのは、布団は二つセットではなく、三セットあることだった。

「これさ、もしかしてなんだけど。玲奈用に残していてくれたんじゃないかな?」

「そうだと思う、この毛布の柄って私が子供の頃に使ってた物に似てるもの」

 南国風の少しエキゾチックな色彩の花柄の布団と毛布だった。

「なんだ、ずっと待っててくれてたんじゃん。良かった。不法侵入じゃないみたい」

「私のこと、待っててくれてたんだ」

「良いお父さんとお母さんじゃない」

 そういうと、紫音は今度は二つの布団の前で硬直する。

「ねえ、わたし、どっちの布団使えば良いんだろ? こっちがお父さん用なのかね? わからん」

 余った二つのシートを前に戸惑っている。

「ねぇ、紫音」

 玲奈はすでに敷いてある自分用の布団を指さした。

「二人で寝ようよ」

「……え」


 小さな布団の中で、すし詰めになって、二人は密着していた。互いの手や足が絡み合う。

「……狭いね」

「うん、狭い」

「……でも……あったかい……玲奈ってぬくい……」

「…………」

「あー……抱き心地の良い、湯たんぽみたい……もっともっと……」

「…………くるしい」

「えへへ……」

 うつらうつら、今までの出来事を話し合っていた。

 佐久間さんはどうしてるのか。今も水族館の館長をやってるのか。

 二十歳を超えられたら、お酒を飲んで祝いたいとか。

 明日は、何をどう食べようか。

 そんな、他愛の無い会話が続いていく。


「……ねえ、紫音」

「……なに?」

「……私ね、お父さんとお母さんに会えなかったけど、紫音に会えて、それだけは本当に幸せだった」

「……照れ臭いなあ、だけど、今回は素直に受け取っておく、わたしもだよ玲奈」



 その家でしばらく寝泊まりしてから。再び車での旅をすることに決めていた。ガソリンを詰め替えていた。

 食べ物もまだまだ備蓄はある。生活もしばらくは困らないが。決して無限にある訳じゃない。

 このまま何もしなければいつかは底を尽く。

 動けるなら動けるうちに行動に移した方が良い。

 だから、探しに行くことにした。

 当てのない旅になる。

 もしかしたら、どこにも食糧なんて無いのかも知れない。

 出発したところで希望なんてないのかもしれない。

 それでも二人は旅を再開することにした。

 生き続けるために。

 玲奈はポストでは無く、鍵を持ち歩くことにした。例のピンクのカードケースに鍵を入れていた。

「また、この家に戻ってこれるかな?」

「戻ってこれるように旅をしていこうよ」

 玲奈の言葉に紫音は笑顔で返した。

 その言葉に玲奈も頷き返す。

「出発だね。お父さんとお母さんにちゃんと挨拶した?」

「したよ。きっと応援してくれてると思う」

 仏壇も何も無かったから。どこに手を合わせたら良いのかわからない。

 だから、空に向かって手を合わせることにしていた。

「行ってきます」

 車に乗り込むと、エンジンをかけた。

 すでに食糧も詰め込まれている。

「それじゃ、行きますかね」

 紫音はアクセルを踏み込んでいくと。ゆっくりと車は動き出した。

 少しずつ、走りだしていく。

 良い天気だった。雲一つ無い快晴だった。

 窓を開けると、小鳥達の鳴き声がしていた。

 その時、思い出したかのように紫音は喋り始めていた。

「あのさ、もしよかったら、寄り道して行こうよ」

「寄り道ってどこへ? ガソリンがもったい無いよ」

 その言葉に、紫音がニヤリと笑ってみせる。

「カメラとかが置いてあるような場所。探してみようよ、色々撮りたいじゃん?」

 その言葉に玲奈は驚き。

 うれしそうに笑っていた。

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