荒野の殲鬼人

緑茶

ONCE UPON A TIME IN NOMADLAND.

 いつも、端の席に座っている小汚い男は、自分のことを詩人と名乗っている。

 そして彼は、安作りの穀物酒を呷ってから、必ずこう言うのだ。


――あのとき、ロケットが、種子と共に宇宙に打ち上げられた

――あのとき聞いたいななきは 俺たちの希望も 打ち上げられた音なのさ


 最後には必ず、常連の男たちと乱闘を始めるので、店主にとってはいい迷惑だった。

 しかし、その口上だけは的を得ている、と彼にも思えるのだった。


 西暦、およそ何千年か。

 大気はにごり、地面から緑は枯れ果て、泥と化し。

 地上にへばりついた僅かな民たちが、希望のない疲れ切った眼で今この瞬間だけを生きる。

 モノクロの西部劇の光景が、世界最後の景色であることは、何百年か前の人々には、予想できなかったに違いない。



 少女は裸足のまま、泥を踏みしめて駆けた。

 とちゅう、何度も後ろを振り返りながら。

 胸がぜいぜいと音を立てるのも厭わず、彼女は進んだ。

 逃げているのだ。なにかから――『彼ら』から。

 なるべく、誰の目にも焼き付かないように身を低くして進んで、少女は一軒の酒場にたどり着く。

 フードをかぶり直して、きちんと『取り繕って』から、スイングドアを開ける。

 外からの、申し訳程度の光の種子が、こもった空気の空間に入り込む。

 ……男たちが居る。みな、一瞬動きを止めて、こちらを見る。その一瞬で、少女も息を呑む。

 酒を呑んでいるもの。カードをやっているもの。ピアノを弾いているもの。顔。顔。顔。彼らはすぐに一瞬前の動きを再開する。少女はゆっくりと、カウンターの席に進む。

 ……泥の足で、追い払われるということはなかった。それを言えば、誰だってそうだ。

 そして、座る。心臓が飛び出そうなほどに音を立てる。俯いて、ギュッと握った傷だらけの拳を見つめる。

 そのまま、店主がこちらにやってくる。ただ、注文を確認するだけであることを願う。もしくは、最低でも、「ガキは帰れ」と追い出す、でもいい。

「……」

 だが、かえってきた答えは、そのどちらでもなく。

 もっと、最悪なものだった。

「お前、ここのもんじゃねえ。それだけじゃねえ。お前……腕、見せてみろ」

 ぐいっ、と。

 逆らうすべはなかった。少女はあまりにも非力だった。

「っ、お前……――」

 その瞠目と共に、酒場に居たすべての顔が、少女の腕、あらわになった肌に集まった。

 そこには、彼らと違う特徴があった。


「お前……バケモノがっ!」

 少女は店主に細い身体を引っ張られて、なかば磔のようなかたちで、彼らの前にさらけ出された。

 同時に、男たちの表情は、驚愕と、怒りと、恐怖に染まり、立ち上がり、その手に――。



 その時。店内に、違う種類の風が吹き込んできた。

 誰もが硬直し、そちらを向いた。

 

 扉の手前に、一人の男が立っている。

 ポンチョを着込み、ボロボロのハットを斜めに被ったその男は、酒場全体を一瞥し、最後に店主に捕らえられた少女を確認すると、口を開く。

「揃いも揃って……被害者ヅラしたクズどもが」

 男はポンチョの真下に、腕を持っていこうとする。


 皆が、その動きを確認して、一斉に動こうとした。

 その刹那、一瞬前。

 男は、少女に告げる。

「目、瞑ってろ」

 少女は、うなずいて。



 誰もが、誰もが立ち上がり、銃口を男に向けて、引き金を弾いた。

 破裂音がホコリを散らし、店内を閃光の色で満たすその瞬間。

 男は既に動いていた。

 まず、銃撃が殺到する直前。彼は腰元のホルスターから銃を抜き、放っていた。

 弾丸は、カウンター下からショットガンを取り出そうとしていた店主の手元に命中する。

 店主がうめき、よろめいた。

 少女が、開放されて、するりとカウンターの真下へ潜り込んだ。その行動に躊躇いはなかった。


 そして、その次である。

 銃撃は、彼の居た場所に到達した。だが彼はそこには居なかった。

 ポンチョを脱ぎ捨ててしゃがみ、店内に転がり込む。

 布地に蜂の巣の穴が空き、そこから向こう側の光が漏れる。


 いない。

 いた。

 彼は真ん中に立っていた。


 ポンチョを脱ぎ捨て、帽子を床に落とした男は異様な姿をしている。

 全身を、黒檀の薄い装甲に覆っていて。

 両手。拳銃。

 両足にも、同様の、銃口。

「……――!」


 ひゅっ、と誰かが喉を鳴らした瞬間には、もう遅かった。

 男の両手足が舞い、その先端が明滅し、そこから炎の華が激しく散った。

 銃撃が、彼の全周囲に展開される。次々と、男たちが撃たれていく。血しぶき。

 男は踊っていた。両手の拳銃を時に収束させ、時に背中越しに。

 脚部に装着された同様の銃は、なんらかの機構を通して炸裂。それにあわせて彼はステップを踏み、腰を落とし、血のほとばしりのなかで動き続けた。

 悲鳴と、銃撃に彩られた、数十秒が過ぎる。

 カウンターの下の空間に少女は隠れていて、その隙間から、倒れていく男たちの足が見える。

 後ろでは棚の中の酒瓶が次々割れていき、床を琥珀色で満たしていった。

 少女はただ耐えた。その先にある光景を信じているように、ただ、両腕で頭をおさえて、じっとしている……。


 長い一分。

 硝煙。やぶれた床、壁の至るところから。

 倒れた人々の只中に、男は一人立っている。

 全員死んではいない。ところどころで折り重なったまま、うめき声が聞こえる。

 だが、もう二度と、男に銃を向けることはかなわないだろう。

 

 かかとを二度、三度打ち鳴らすと、脚部の銃は織り込まれて、ふくらはぎと一体化する。

 両手の銃をするりと回転させて、ホルスターに収納する。

 男は長い、長い息を吐いて、すぐ近くに落ちていた帽子を手に取る。

 ほこりを払い、かぶろうとする。


 ――まさにその時、カウンターの向こうで店主がよろめきながら立ち上がり、片腕でショットガンを構えていた。

「くたばれ」

 だが、その言葉が届く前に、彼の後頭部に、少女が振りかぶった酒瓶が炸裂した。

 うげっ、という声と一緒に、店主は倒れ込む。


 男が振り返った。

 少女が、カウンターの下をくぐり抜けて、倒れている男たちを踏まないようにしながら、こちらに向かってきた。


「おいちゃん」

 少女は、男の足元に抱きつく。

 男はかがみこんで、目線を合わせる。

 頬は汚れている。煤けている。だが、泣いてもいない。ただ、じっと、こちらを見ている。

 その瞳は、かつて失った空の色のように青かった。

「無茶をして」

 男がそこではじめて言葉を発する。 

「しゃべったらばれちゃうから黙ってた。いいこでしょ」

 少女はそう言って、男の黒い装束に頬をこすりつけた。

 ……そこには、泥汚れ以外も混じっている。

 こびりついた、赤色の。

「……やめとけ。肌についてしまう」

 それで、男は少女を引き離そうとした。両肩にそっと触れようとした。


 ――ただそれだけのことを、男はできなかった。

 そのやわらかな、少し力を込めるだけで崩れてしまいそうな小さな肉体の周囲に、沢山の者たちが倒れているのが、目に入った。

 彼は瞠目し、動けなくなる。両手は行き場を失って、宙をかく。

 先程まで彼の中に張り詰めていたものはもはや失われ、自分の身体が、ひとくか細いものであるかのように思えていた……。


「どうしたの」

「いや……俺は」

「泥より、赤色のほうがきれいだよ」

 少女はそう言って、彼の硬直した両手を、小さな手で包むようにして持った。

 表情があるわけではない。笑顔になる手前で、かたまっている。しかし、あたたかかった。

「でも、他の赤色、知らないもの。だからきれいって思う」

 少女は顔を上げて、男を見た。

 少女の周囲に、血が広がっている。

「いつか連れてってね。他の赤色、見えるとこ」

「……っ!」

 男は、少女に何かを言おうとしたが果たせなかった。

 そのかわりに、少女を抱きしめようとしたが、それすらもできなかった。

 彼は自分自身が無力で、罪深いことを誰よりも知っていた。

「震えてる。おいちゃんは、あたしがいないとだめだね」

「……そうかもな」

 その場から逃げ出してしまいたい。そうとすら思った。彼は自分が許せなかった。泣き崩れてしまいたかった。

 だが、彼はまだ動けた。立ち上がり、少女とともに、呻き、群れる者たちを残し、酸鼻を極める店をあとにする。



 店を出ると、また空に明滅があった。

 ロケットが、鈍重な雲の切れ間に吸い込まれて飛んでいく。

 通りには誰も居ない。

 みんな陰気だ。建物にこもって、日々の糧の少なさを嘆くか、酒で気分を紛らわせるか、どちらかしかない。

 いずれにせよ、これ以上自分たちが居たところで、リクスが上がるだけだ。足早に、街を去る必要がある。少女を追う連中が、こちらを見つける前に。

「あそこまで、もうすぐだね」

 少女が聞いた。

 ロケットの街のことだ。そこには、ここではないものがたくさんある。

「ああ」

「ついたら、何をしようかな。とりあえず、ご飯をたくさん食べたいな。それから、それから」

「――残念ながら、その願いはかなわないぞぉ、お嬢ちゃん」


 被せるように声が聞こえる。

 咄嗟に少女の前に立ち、声のほうをむいた。


 風が吹いている。

 ――ガンマンが2。

 ――先程までの自分と同じように、全身をポンチョで覆った細身の男が、1。

 対峙するかたちで、こちらを向いている。

 細身の男は、陰気な笑みを浮かべている。

 自分の後ろに、少女が隠れているのを確認すると、男はホルスターに手をのばす準備をする。

 ……動きがあれば、まずは二人。両サイドの、ならず者ふうの、寡黙なガンマン達を殺す。それから……。

 拍手。細身の男からだ。

「よくもまぁ、派手にやってくれたものだ……噂はかねがね聞いているとも、クルースニク殿」

「……その名前は好きじゃない。去ってくれ」

 男――『クルースニク』は、言った。

 すると細身の男は、かかかっ、と喉を鳴らして笑った。左右の男たちも、同調するように笑った。

「去れ、去れと来たか! こいつはお笑いだ、酒の肴にしたいところだが――……あいにく、そのための場所は、さっきお前が血風呂にしてくれたんだったな」

「……」

 細身の男は、前に一歩進む。

「だから、天使の時間は終わりだ。この『シェリフ・ブリッジヘッド』を前にして、それ以上の舐めた口は許さん」

 敵対者の目がすっと細くなり、笑顔が消えた。

 ……ホコリを運ぶ風と一緒に、殺気が伝わってくる。

 やるしか、ないらしい。

「隠れてろ」

 そう言うと、少女は自分の後ろにちょうど隠れた。

 本当は、建物の影に移動してほしかった。

 だが少女は、自分に全幅の信頼を寄せている……後ろに感じる確かな存在が、背中を粟立たせる。

 そして、再び、対峙。

 誰も居ない灰色の通りで、3対1。向かい合う。

 ガンマン二人が、前に出る。

 ゆっくりと、ホルスターに手をのばす。

 見つめ合う。

 遠くの空の、雷雨の音。

 しんと冷える大気。

 沈黙。

 喉が鳴る。

 汗が垂れる。

 足元の砂が、じゃりっ、と音を立てる。

 シェリフが、一歩下がって腕を組んでいる。

 指先がしびれる。

 瞳。

 にらみつける。

 ふたりぶんの瞳。

 交錯する。

 沈黙。

 ――沈黙。


 息を、吸い込んで、



 左右同時。

 取り出して、引き金を引いた。

 弾丸が相手に吸い込まれて、心臓に命中したのが見えた。

 砂埃の中に倒れ込むと同時に、自分の頬を、一撃だけかすめるのが分かった。

「……」

 シェリフは、両手をあげて、おどけるような仕草をする。

 それから、笑う。

 ……クルースニクは、あらためて銃口を向ける。

「もう沢山だ、とっとと――」

「なぁ、嬢ちゃん。最初、『何人に追いかけられてた?』」

 一瞬。

 理解が追いつかなかった。

 だが、後ろを振り返り。

 理解する。

 少女の口を塞ぎ、拘束する男がいる。彼は下半身が透明だった。

 正確には、透明だったのを解除して、そこに居た。

 自分が、後ろを振り返らなかったせいだ。いや、本当にそれだけか、その力は――。

 少女が助けを求めるように手を伸ばした、男は再び消え始める、答えるように手を自分も伸ばす、

 ……――そこで。

「……バカが」

 シェリフの声が間近に迫った。奴は目の前に居て、ポンチョを脱いでいた。

 自分と同じ、黒い装甲服。その『肥大化した』脚部が、横薙ぎに。

 ……脇腹に、強烈な一撃を与えると。


 一瞬あと、クルースニクは吹き飛び、真横の家屋に激突した。

 破砕。崩壊。

 崩れ落ちる。土埃が舞い上がり、彼はその中に消えて見えなくなった。


 シェリフは姿勢をもとに戻し、かかとを鳴らす。

 肥大化した脚部から空気が抜けて、元通りになる。首を鳴らす。

「丁重に扱ってやれ。そんなのでも、オンナだ」

 告げた先には、先程まで消えていた男。同じように装甲服。大柄な身体が、少女をがっしりと拘束しており、彼女はその中でぐったりと青ざめている。


 ……崩壊した木製のサルーンの瓦礫から、這い上がってくる。クルースニク。

 咳き込みながら顔を上げて、シェリフをにらみつける。

「ああ、この力か……ご明察、お前さんとおんなじだ。無論、試作型のそっちよりも性能は遥かに――」

 言い終わる前に、撃っていた。

 だが。

「……話を聞けよ、バカが」

 それも避けられて、一瞬でシェリフは距離を詰めていた。

 すぐ目の前に来ていた。撃って当たる距離ではなかった。

 抵抗をこころみたが、関節を狙った攻撃を食らい、彼はあっけなく膝をついた。

 広がる吐瀉物。かすむ視界。それでもなお、シェリフの向こう側に、少女を探そうとしたが……。

「が、ああっ……」

 シェリフは、クルースニクの首元を掴んでねじりあげ、強引に持ち上げた。

 四肢をばたつかせ、蹴りを入れようとするが、まるで力が入らない。

 彼の装甲服は、その身体能力を強化する作用があるらしかった。

 必死に抵抗して、開放されようとする。そして少女を、少女を……。


「負けないでっ」

 声。

「ああー?」

 シェリフが、クルースニクを締め上げたまま、ゆらりとそちらを向く。

 大男に拘束されたまま、少女が叫んでいた。

「おいちゃん、負けないでっ」

「っはは、おいおい、聞いたかよクルースニク」

 愉快そうに。もがく。離れない。

「自分より、こっちの心配してくれてるよ。健気だな。そんな健気な子を、お前……無力だ」

 耳元で囁くように。

 クルースニクの中で激情が沸き立つ。

 少女は……更に、叫んだ。

「おいちゃんは絶対に死なない。いつも言ってるもん。そして、最後にはあそこに到達して、二人で一緒に暮らすもん」

「……あそこって。ああ。ロケットのことか……ははは、そりゃあいい。なぁ、おい」

 大男は、シェリフに目線でジェスチャーを送った。『黙らせますか』。

 だが、彼は首を横に振った。


 クルースニクは、現実と夢想の境目で、過去の光景が流れるのを見た。

 周囲に、死体の山があった。その中で荒い息をつく自分がいた。

 さまよい歩く……何かを、誰かを探して。

 その先に、見つけた。

 一人、血まみれの女性が倒れている。

 その姿を見たとき、強烈な痛みが襲う。

 彼女が起き上がり、自分に何かを託して、再び倒れる――。


「くくくく、ははははははははははは……お前は本当に罪深い奴だな。こんな小さなガキに、ありもしない理想を植え付けたんだ……それはいけない、いけないことだぜ……真実を、教えてやらなきゃな」

 ……シェリフが、何を言おうとしたのかを、遅蒔きながら、察知する。

「やめろ、やめろ――」

「俺が本当のことを、彼女に教えてやるよ。いいか、お嬢ちゃん……こいつはな、」


 止められなかった。

 シェリフは歌うように、愉快そうに、あっさりと、『真実』を口にした。


 少女はそれを聞いた。防ぐ手段を一切持たずに。


 呆然と。

 ――ああ。

 違うんだ。

 そんな顔をしないでくれ。

 少女の顔が、失望に染まっていくように見える……。


 また手を伸ばした。届くように。自分が、守ることの出来るように。彼女が居なければ自分はとっくに。

「――……あばよ」

 シェリフの一撃。

 鈍い痛みとともに意識が消えていくのを感じた。

 その直前、彼は、自分の両手が真っ赤に染まっているように錯覚した……。



「宇宙なんて」

 彼はその時、彼女に言った。研究員時代。まだ、お互いに白衣を着ていた。

 黄昏の時代――僅かなのぞみを、誰もが捨てきれずにいた頃。

「近くで見れば、ガスとチリの塊じゃないか。僕は、そんな場所に行きたくないよ」

「でも……この子にとっては、キラキラした場所なのよ。私が絵本で、読み聞かせするせいだけど」

 彼女が揺らすゆりかごの中に、生まれたばかりの小さな女の子が眠っている。

 その瞳は慈しみに満ちている。あっけなく崩れてしまいそうな、繊細な。

 だから彼は、それを守りたいと思っていた。

 ――それと同時に。

 いっそ、壊れてしまえ、とさえ、思っていた。


 理由は簡単で、彼女は親友の妻で、自分が、片思いを寄せていて。

 それだけの話で。

 しかし彼女はきっと気づかない。宇宙をキラキラした場所と言ったように、自分の内側に巣食うどろどろには、きっと。


 地上に、人間と違うものが巣食い始めている。

 彼らは自身を新たな種であると考えている。

 当然、人類は彼らには何も与えない。急激な進化は、食糧や資源の枯渇を招いた。だから人を襲う。

 止める手段が必要だった。

 毒には毒を。実験が必要だった。

 そのためのテストベッドが。


 彼は志願した。

 成功しても、失敗しても、どのみち、もとの自分には戻れない。それでもいいと思った。

 なかば自棄になって、彼は。


 ――実験は成功だった。これほどまでの力を身につけられたのだから。

 奴らにも、じゅうぶん対抗できるだろう。そう言った教授は、意識のない自分に締め上げられて死んだ。

 意識が戻ると、すべてが破壊されていた。そして、誰もが死んでいた。

 炎と、死体の群れ。誰がやったのかは明確だった。

 彼は崩れ落ちた。とっさに、自死を選ぼうとした。


 だが、それをやらなかった。

 見つけたのだ。瓦礫の僅かな隙間に、彼女を。


 もう助からないことは明白だった。下半身がちぎれていた。

 しかし、腕の下の僅かな隙間に、こどもを守るように抱いていた。

 彼女はうつろな目で自分を見ると、かすれるような小さな声で、望みを発した。


 彼は何も言えなかった。

 ただ、託された。

 それは、呪いであり、罰であり、業であり。

 ――その瞬間、少女の重みが、自分の両腕にかかったとき。

 彼は、自分の生きる理由を知った。



 意識が戻ると、自分の置かれている状況を再確認する。


「さぁ諸君、御覧じろ――化け物の姿を!」

 シェリフの声。視線が高い。


 自分は、街の通りに出来た処刑台に縛り付けられていた。

 人々が、道の左右の建物から出てきて、陰気な視線をこちらに向けてくる。

 その濁った瞳に浮かんでいるのは、恐怖と、そして憎しみだった。

 誰も彼もが疲弊している。しかし、こちらにぶつけてくる感情はひとつだ。

 実際にはそうではないのに、石を投げられているように感じた。


 視線を外すと、少女が居た。

 シェリフの部下の一人に手を繋がれ、その場に居た。

 こちらを向いている。

 ……ああ。向いてくれている。自分を見てくれている。罪悪感がこみ上げて、それが言葉になった。

「ごめんな……守ってやれなくて」

 すると少女は、口を開いた。

「違うよ」

 シェリフは少女の方をむく。

 黙らせようとしたのだろうか。だが実際は違った。

 少女が身体を動かして、拘束から逃げようとする。

「こら、貴様――」

「離して。おいちゃんのところに行くんだっ、離してっ――」

 少女は強引にしゃがみこんで、拘束から抜け出した。手首に赤いあざができている。

 部下がすぐに捕まえようとするが、シェリフはそれを手で制した。

「……最期の逢瀬だ。それくらい許してやれ。それに、このほうが面白かろう」

 壇上に上がって、少女が自分のところに寄り添った。

 傷だらけの身体を、抱きしめる。

 血やホコリがつくことをいとわずに。

 それから彼女は、縄の戒めを一生懸命解こうとする。

「よせ、やめろ……無理だ。俺はもう……」

「嘘をついたのはね。おいちゃんだけじゃないよ。わたしも、そう」

「……?」

「本当はね、ずっとずっと、こわかった。追いかけられるのも、おいちゃんが戦うのも。みんなが、死ぬのも……ぜんぶ、ぜんぶ」

 そこで気づく。その小さな手が震えていることに。

 あるいはずっと、そうだったのかもしれない。

 ……自分は、今まで気づかなかったのか。見ないふりをしていたのか?

 愕然とする。

「お前、どうしてそんなこと……」

「決まってるよ。おいちゃんが好きなんだもの」

「よせよ、俺なんか――俺なんか」

 ……頬に、少女の手がとんだ。

 赤く滲む。

 それは少女のほうだった。

 その後、自分の肩口に、抱きついてきた。

「違うよ。私が怒ってるのは、嘘ついたことじゃない。黙ってたこと」

「……」

「私ね、知ってるよ。おいちゃんがいつも苦しいのに我慢してること」


 ――ほんとは、誰も殺したくないってこと


 ――いつも、私が眠ったあとに、一人でずっと、泣いてること


「やめろ……やめろ」

「私、嬉しかった。おいちゃんが、そんなふうに、私と同じだって分かったから」


 それ以上聞きたくなかった。少女の声が、その表情が、狂おしいほどに愛おしく、そして、彼女に似ていたから。

 今すぐ突き飛ばしてしまって、二度と自分に関わらぬように追い出してしまえればよかった。

 だが、それも出来ない。動けないのは、拘束されているからだけでは、なかった。


「おい――止めろ、いますぐそいつを降ろせ……」

 シェリフがにわかに焦りだす。

 時間が緩慢になり、自分たち二人だけの空間になる。


「だからもう、私――こわくないよ。へいき」

 少女はそこで、自分の唇を、強く強く噛み締めて。

 ちいさく笑って。

 血の滲んだその唇を――こちらの唇に、合わせた。


 鉄の味がする。

 あたたかい、命のあじ。

 呆然と。少女が、自分から離れる。


「……ああ」


 何やら真下が騒がしい。自分と、この子を殺そうとしているのか。

 ……間に合うものか。もう遅い。もう何も聞こえない。

 どくん、どくん。

 自分の、心臓の音と、彼女の声以外は、何も。


「――お前。こうなったらもう、俺と一緒じゃ居られなくなる……馬鹿野郎……」

「ごめんね。でも、私だって、一人前だってこと、見せたかったから。だから……」


「っ、撃てッ――!!」

 ヒステリックな、シェリフの声。

 一斉に構えられた銃がこちらを向いて、引き金がすぐさま引かれた。



 その瞬間、クルースニクの拘束は引きちぎられて、彼は少女を抱きしめた。

 その次には、その背中から生えた黒い翼が、銃撃が殺到する直前に身体を覆い、少女を守った。



 殲鬼人(クルースニク)。

 黒い翼と青ざめた肌。その姿が、モノクロの荒野に顕現する。両腕の拳銃は死の証。

「――下がってろ」

 少女に告げた。

 奇妙に反響する声。

「うん」

 従い、引き下がる。

 彼は前に進んだ。呆然とする人々に対して、その口を開き。


「―――――――――――――――」


 咆哮した。

「き、貴様、よせ――」

 その声は人々に届き、脳を震わせた。

 そして自分たちが何者であるのかについて、再認識させる。

 ……シェリフのすぐ近くの男が身をかがませて震えた。服が破れて、鱗と毛皮に覆われた姿を顕にする。

 同様の変化が、さざなみのように広がっていく。

 誰もがバケモノになっていく――いや、違う。真の姿をあらわしていく。


 吸血鬼。

 ――彼らにとっては、自分たちが人間だった。

 そして、宇宙に逃げていく彼らこそが異邦人(エイリアン)だった。

 クルースニクは、どちらの血も引いている。実験により、混血となったのだ。


「……」

 今や少女の前のパノラマに、すべての怪物たちが呻きながら自らの姿を晒していた。

「が、やめロ……こノ姿ニ……サセルナ…………」

 クルースニクの顕現に呼応するように、シェリフもまた本来の醜悪な姿を晒す。


 両手、両足の拳銃。そして黒い翼が、再び舞った。

「もう俺は……見失わない」

 彼は一瞬、少女を見た。

 彼女は、こちらを見ていた。

 そうだ――見ている。もう、目を逸らさない。


 間もなく殲鬼人は、怪物たちのもとに舞い降りて、死の銃撃を浴びせ始めた。



――血が、生きている証なら

――誰もが生きているはずなのに

――結局はそう、てめえの肌の、わずかな違いで殺し合う

――だから、そんなやつらは、地の底にへばりついて、仲良く地獄に行くのさ



 みんな死んでいる。

 みんな死んでいた。


 鱗の怪物。毛むくじゃらの、青い肌の。牙の生えた。焦げた翼の。

 誰も彼もが心臓を射抜かれて、首筋をもがれて、地に伏して死に絶えている。

 その只中に一人、翼の生えた黒衣のガンスリンガーがいる。周囲に黒い羽が舞い、何もない曇天の空を見上げる。

「が、あ…………」

 彼は最後の一人を踏みつけている。

 その傍らには、息絶えたステルスの男もいる。

 シェリフは既に四肢を引きちぎられ、喉をひゅーひゅーと鳴らすだけだった。

 クルースニクは、その男を、冷厳に見下ろした。

「お前っ、バカがっ……いつまで続けるんだ――もはや、俺達の地上だぞ……お前はいったい、どっちの味方だ――どっちがバケモノだと」

「俺は――バケモノで構わない」

「ひっ、たす――」


 最後の言葉は、誰にも届かなかった。

 彼は男を踏み潰して、完全に息の根を止めた。後には、死だけが広がっている。


「ふ、ふふふくくくくく、」

 クルースニクはかがみ、身を震わせる――怪物の本能。殺戮の歓喜が広がる。

「ッ、ははははははははははは、ははははははははははは!!」

 翼が広がり、彼は無窮の天に向けて哄笑した。


 その絶叫は、残響のように、誰も居ないその場所にとどろき続けている。

 少女が一人、瓦礫のそばでその様子を見ていた。

 彼女は怖かった、逃げ出したかった。

 しかし、そうしなかった。

 怪物が、笑いながら……その青ざめた頬に、涙を伝わせているのを、知っていたから。



 どれほど時間が経っただろう。

 少女は、男に駆け寄った。

 それから、その身体にしがみついて、「ありがとう」と言った。

 そうしないと彼はきっと、自分自身を殺してしまうと思ったから。

 彼は泣いていたが、うなずいた。



 西暦、およそ何千年か。

 一部の人々は、怪物たちに報復として、痩せた土地と荒れた天候を遺し、宇宙へ旅立った。

 取り残された人々は、怪物たちに怯えながら――『ロケットの街』を夢見ている。

 その場所にたどり着いたところで、空に上がれるとは限らないのに。


 一人の黒衣の男が、新たに手に入れたポンチョと帽子をまとい、少女と手をつなぎ歩いている。

 どこかで、馬や食糧を見つけねばならない。


 また、遠くで光。

 種を乗せたロケットが、空に打ち上がった。その先でそれらが花開いて、新たな母星(ははぼし)となるのだろう。

「近づいてるね」

「……ああ」


 男には、言えなかった。きっと、たどり着いても、自分は一緒には行けない。

 その時、彼女はどうするのだろう。何を思うのだろう。

 考えれば、それだけ不安と恐怖が押し寄せる。

 ――自分は所詮怪物だ、この子には、あまりにも。

 それを思うたび、彼は自分の頭を撃ち抜きたくなって……――。


「大丈夫だよ、おいちゃん。きっとだいじょうぶ」

 少女が、手を握り返しながら、言った。

 そこからあたたかさが漏れて、伝わった。

「……」

 彼はまた、死なない理由が出来たと思った。

 少なくとも当分は、贖罪の旅が続くことになる。


 モノクロの荒野に、二つの影法師がどこまでも伸びていく。

 地平線の向こうに消えるまで、ずっと、ずっと。


――どこまで行けるのか

――分からないから歩くのさ

――ああ、生きている

――お前たちは、くたばり損ない

――重い鎖を引きずりながら、泥を吐きながら生きていく



 ……そう、生きている。

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