第9話(最終話)パルプ・フィクション


 夏、人生が終わったのに生活がつづく。ラングストン・ヒューズみたいに《ここからどっかに去っていくんだ》というおもいがずっとある。ずらかりたいともおもう。あまい考えだ、こっから離れるなんて。でも、街の生活に蝕まれてどうにもいかなくなってる。家賃は高く、4万7千する。おれは深江浜や西灘の倉庫をうろつき、右のものをひだりに、うえのものを足許へ動かしてるあいだ、ずっと脱出について考えてた。いまのまちがいを抜けだしても、あるのはちがったまちがいであって、またそいつに喘ぐのはわかってる。でも情況を変えようとせずにはいられない。夜から朝までの日払いの、半端仕事。はした金のためにあくせくとしながら、長年の脱出願望をこの手に掴もうと汗を流してた。でも短期の肉体労働はさまざまな面で不利だった。税金のこと、保険料のこと、給与のこと。ぜんぶが見るに堪えなかった。おれの仕事は、ほとんどが東灘だった。倉庫街。まちがっても中央区内ではなかった。日当がせいぜい8千の夜勤をやっつけて、ようやく8万ほどつくった。ジェイムズ・エルロイ式にいえば、おれはパートタイムの労働者で、フルタイムの与太者だった。

 ごくごくはじめ、仕事探しに口入屋をまわってるあいだは、旅のことはそれほどの関心でもなかった。新潟は十日町へ移動できればいいとしかおもっちゃなかった。なんとか身に合った案件にありつき、金が溜まって来て、願望ふたたびってわけだ。まずは青森にいくことした。もう数年もまえからいくと公言し、果たせないままでいた。青森の詩人、佐々木英明をたぶんうんざりさせてた。手紙のなかや、電話でもいつかいくといったままだった。9月10日、最后の仕事をやって、12日のバスを予約した。青森では市街劇が終わったあとだ。はずれ馬券をくず箱に棄て、町をぶらつく。競馬はまったくだめだ。「投資競馬ストーリー」という予想システムに金を払ったけど、せいぜいのところ1日2千円ぐらいしか、当たりはなかった。まあ、おれだって2千円しか使っちゃないが。真夏の街を歩き、4万1千円の物件を見つけた。風呂も便所もひどいが、室はひろかった。6千も安い。引っ越しをして、さらに働いた。

 それから旅へでた。まずは東京までいこう。けれどもバスをまちがえてしまった。タツミ交通とタツミコーポレーション。まったくなまえの似てるバス会社がふたつ。おれはまちがったほうに乗ってしまった。乗務員とやり合った。おれがまちがったのを知ったやろうは横柄な態度をとった。おれもそれにあわせて態度を変えた。するとやろうは丁寧語で「京都で降りてもいいです。料金は頂きません」といった。下手な芝居だ。こういった手合いはくそ喰らえだ。相手が弱ければ際限なくがめるんだ。夜の京都で後続のバスを探した。だめだった。ネットカフェを探したけど。京都の田舎らしくえらく割高だった。そこでバスのキャンセルを伝え、外へでた。おもったよりも空気は冷たかった。おれはゲストハウスを探した。二軒だけ見つけたものの、どっちもスウィートしか空いてないと来る。鼻っ柱を折られた。

 しかたなく、またもぼったくりのネットカフェでバスを予約した。翌朝9時だ。おれはバス停まえのペンチで寝た。朝方、老人が声をかけて来た。軽装で、生業のわからないのが。

   仕事探してんのか?

  いえ。

   もし興味あったら造園の仕事せんか?

  東京に用事があるので。

   そうか。

  連絡先、くださいよ。

 おれはまたしても、おかしな手配師に誘われてしまった。翌朝、バスに乗って東京を目指した。東京は12年ぶりだった。21歳のとき、2度上京した。なんとか暮らしを立てようとした。だめだった。飯場に潜りこみ、自称やくざのおかまやろうにあわやけつの穴を奪われそうになっただけだ。やつはいまどうしてるだろう?──そんなくだらないことをおもう。滋賀や御殿場を越え、窓は暮れ、やがて川崎の重工業地帯を過ぎる。丘のうえで寄り添い合いながら建つ小さな家々を見てるとわびしくなるよな?

 新宿でひと──詩人の古溝真一郎に13年ぶりに会った。かれとは神戸での朗読会以来だ。居酒屋で話した。おれはかれの詩をまったく知らなかった。かれはおれの詩を「予想通りにはじまって予想通りに終わる」といった。おれは最近詩が書けてないことや、精神的に落ち着いてしまったこと、小説を書いてると話した。かれは契約社員をしながら妻と子を養ってるということだった。それから東口で文藝同人「裏庭文庫」を主宰してる佐藤青年と待ち合わせた。まだ20歳と半分らしいかれとともに中野へいった。かれの実家も、かれの棲家もそこにあった。アパートは4畳半、風呂なし、共同便所。まさかこんなにも禁欲な暮らしを送ってるとはおもわなかった。かれと銭湯へいき、室に泊めてもらう。かつてこの町には陸軍中野学校があって、かれの祖父はそこの出身らしかった。

 かれの作品を読んだ。内容以前だ。伝えようとする工夫も意思もなにもない。国語の問題だ、文学のではない。かれにそういった。かれはおれの作品を三島のようだといった。舞台が日本だというのに、それらしさがないということだった。おれは三島を短篇でしか読んだことがない。翌朝、ネットカフェにいった。文章をまとめた。森忠明にも電話した。もちろんのこと、会うつもりでだ。けれどもかれはいまはだれとも会いたくないといった。会いたくなったらじぶんからいくと。おれは神田や秋葉原をぶらついた。入るはずだった金が入ってなかった。車のオークション会場の仕事で入るはずの金だ。作業確認の紙を提出してなかった。電話口でおれは苛立ち、汗を流した。しかたなしにぶらつき、電気街や古本屋街をまわった。小宮山書房にはめぼしいものがなかった。ポケミスの専門店でシャブリゾの「さらば友よ」を買った。

 夜、道に迷ったためにバスに乗れず、逃してしまった。ほかのバスに乗ろうと東京駅までいった。でも空きがなかった。寒い夜、寝るところもなかった。さんざ歩いた挙句、かわいい女の子がおれのところに来た。中国人マッサージだった。いっぺんは断ったものの、かの女を探して雑居ビルの一室へ入れてもらった。マッサージもなしに眠った。けっきょく、次の夜もバスに乗れなかった。しかたなく上野駅のちかく野営した。ペパーミント・アイスを食べながら。朝、上野から青森行きのバスに乗った。青森駅に着いたとき、夜の8時だった。まっくらななか、月を見る。手のひらにぢっと汗を掻いてた。乗り遅れたことで会う相手に詫た。かれは2日の休みまでとってた。夜明けまでを市内唯一のネットカフェで過ごす。京都より安かった。旅草も乏しいなか、朝の町をうろついた。駅まえの公園で、ひとり旅の男が寝袋で眠ってた。こちらはジャケットしかなく、寒い。あちらこちらをさまよった。駅の待合があくまでが長かった。おれは風呂にも入ってないからだで暖をとり、ひたすら待った。

 ようやく朝の9時、詩人の佐々木英明と落ち合った。上をブルージーンで決め、キャップをかぶり、白鬚を生やしてる。垢抜けてて、若々しかった。やさしい顔で笑った。──きみがナカタくんかな?──かれの車にゆられて三沢まで。2時間ほどかけてむかう。閉鎖されたホテル、寂れた観光地を過ぎる。帆立が名産らしく、いたるところに幟や看板が立ってる。ぼくは旅がきらいなんだとかれはいった。海外でもホテルに籠もってたと。さらにかつて西脇の女の子と文通してたとも。かぜが強い。雨も降ってきた。眠気に襲われながら車窓にシャッターを切った。やがて町も村もなくなり、ふるいロードムービーみたいないっぽん道に来た。その果ての森に寺山修司記念館があった。そこでほとんど写真を撮らなかったのが口惜しい。寺山修司の本棚に村木道彦歌集を見つけた。館内を見、昼になって佐々木館長とともに昼餉を迎えた。──おれが読んで来た本について訊かれる。町田康や、車谷長吉、村上龍、ほかにも織田作之助や梶井基次郎なんかのなまえを挙げた。そして館をでて温泉にいく。その途中のこと。市街劇の出演者が稽古で泊まってたという大きな温泉旅館に寄った。「由緒のあるものなんかここにはない」と英明さんはつぶやくようにいった。池も滝も建物もすべてあぶく景気で、東京の会社に造られたものだという。車を駐めてかれは降りた。渋澤榮一を祀った神社と移築されたかれの邸宅があった。

   気狂いじみてる。

 英明さんはいった。

   木も一緒に移したみたい。

   でもここにあると、いんちきという感じがする。

 車をだして旅館からでると、駅が見えた。そして古い線路が朽ちたままになっているのにも。旧十和田駅だった。

   あそこに製材所があって小さいころ、寺山さんの遊び場だったんだ。

  あの駅、もうじき毀されるらしいですね。

   うん、再開発でなんにもなくなっちゃうんだ。

   あそこは蕎麦が美味しくてよくひとが来るんだけど。

 ガソリンスタンドで給油を済ませ、温泉へ。その道すがら、寺山修司が小学生のころ、かくれんぼをしたという神社や墓場、古間木小学校の跡地などを案内してもらった。かつて寺山母子が棲んでた場所や、寺山食堂の跡地にも。寺山修司がどんないじめを受けてたかや、かれの母親がどうして九州にいってしまったかを問わず語りのように英明さんが話してくれる。──ただ出稼ぎにいったわけじゃなかった。小雨の降りはじめた三沢はずいぶんと淋しい顔をしてた。《排除されるということにすごく興味がある》と晩年の寺山は三浦雅士との対話で語ってる。そこには単純に興味だけでなく、みずからの経験も含まれてたんだ。灰色の雲が地平ぎりぎりを流れてる。温泉のあと三沢市内のホテルに宿をとって貰った。宿への途上、三沢のアメリカ通りを過ぎる。東京の会社による再開発のなれの果てだ。そしてプリンセス・ホテルにチェック・イン。ずうずうしくも泊まらせてもらった。夜、2軒の呑み屋を佐々木さんとまわった。まずはバラ焼きを喰い、麦酒を呑んだ。つぎに焼き鳥屋へ。テレビでは皇室特集がやってた。──あれはぼくらの王じゃない、とかれはいった。縄文の血筋には無関係だと。それはよくわかってた。おれの父方もおそらくは。最後に全国チェーンの居酒屋で呑んだ。話は詩や文学についてのことが多くでた。わたしはべらべらと酔ってしゃべりすぎてしまった。そういった話題については黙っていたほうが幸福だというのに。好きな作家や、影響を受けた作品、寺山修司作品に触れたきっかけなんかを話した。

   ナカタくんは、だれにむけて書いてるの?

  それは、読者としかいいようがないです。

   それじゃあ、だめだよ。

   詩というものはまずぼくを書いて、それからきみを書かなきゃ。

   読者じゃだめだよ、詩は2人称で書くんだよ。

   3人称であってはいけないんだ。

 おれは連日の酒と移動でだいぶ参ってた。おもったよりも酒に打たれてしまい、なにをどう話せばいいのかわからなくなる。英明さんは森忠明との出会いや印象についても語った。ハイティーン時代の作品を衝撃だったといい、はじめて逢ったときのことも精しく話してくれた。女の子と同棲してるとき、突然ドアをノックし、誌の朗読会に誘ったのが、そうだったという。

 「ぼくからすれば森さんは詩人じゃなくて作家だよ。森さんはちゃんと世間と渡り合ってる。でも詩人っていうのは逃げてしまうんだ。ぼくもちゃんと渡り合わずに逃げてしまった。詩人は成熟を拒絶するところがある。ひとはいつか成熟しなくちゃならないけど。寺山さんもそうだったし、ぼくもそうだし。谷川俊太郎さんもそうかも知れない。森さんの弟子だったら、小説とか童話とか散文を書いたほうがいいよ」。──最近、詩が書けないんです。短ければ短歌や俳句になるし、長いものは散文になっていしまいます。──それでいいんじゃないかな?──英明さんは笑うと深沢七郎に似てた。でもいわなかった。

   詩で読んでいた、ナカタくんのイメージと実際会う、ナカタくんとがあまりちがってて驚いた。

   もちろんいい意味で。

   もっと詩にあるような攻撃的なひとかとおもった。

 話は、おれがかれに送った若い女詩人の作品に及んだ。ちんすこうりなの「女の子のためのセックス」だ。かの女はおれの詩集を買ってくれ、肖像画の依頼をしてくれた。見ためもいい娘だった。けれども、かの女を作品をどういっていいのか、わからなかった。おれは友衣子になぞらえて女性観を語った。友衣子はもはやおれの十八番だ。英明さんがいう──セックスがあったからといって愛があるわけはないし、結婚したからといって愛があるとは限らない。愛があってもむすばれるとは限らないんだよ。結ばれなかったとしても愛はあるかも知れない。

 ホテルへの帰り道、英明さんにいわれた。──ぼくや森さんや三上さんが、あなたを引っぱっていくことはできない。ぼくはもう70の老人だし、こんな年寄りに期待するようじゃだめだですよ。──慢心を見透かされたようで、おれは頷きながら「このままではいけない」とおもい、ホテル・プリンスで台風の夜を過ごした。朝、ホテルをでる。六ヶ所村を経由して恐山まで連れていってもらう。もんじゅはもうじき廃止になるとおれは聞いてた。補助金は英明さんも手にしてるという。おれの格安スマートフォンが圏外になった。入山料を払ってもらい、ふたりで入る。台風直過だというのに、駐車場には観光客たちの車があった。激しいかぜでまっすぐに歩けない。夥しいほどの風車がおれを迎えてくれた。英明さんは倒れた風車をそっと直した。映画「田園に死す」にあったみたいな禍々しさはなかった。そのかわりに露天風呂があり、まるでつげ義春の旅行記みたいに大らかなものを感じた。まさしく流れ雲旅、あるいは貧困旅行記だ。かぜに足を獲られながら、湖まで進む。湖水がかぜに煽られてむかって来る。小石や砂に巻き込まれる。水子の慰霊碑があった。おれはシャッターを切りつづけた。車に戻りながら「以前はもっと湯気がでていた」という。

 昼までに青森駅へ。ここでお別れだった。かれは千円札をいちまいくれ、「あそこの食堂、蕎麦が美味しいよ」と笑った。次にいくときは列車にしようなどとおもいながら夜のバスを待つ。図書館で時間を潰した。やたらに映像ソフトがそろってる。しかもパゾリーニがぜんぶある。かわいい子のいる席のちかくで「狂った日曜日、おれたち二人」っていう本をひらいた。やがて女の子はいなくなり、おれはバス停に立った。ふたたび東京だ。サヨナラ、アオモリ、ハナイチモンメ。



 青森から東京へもどった。早朝、コンビニの便所を借りる。おなじバスの女の子が尿意を堪えて待ってた。足踏みしてる。もう少しすれば洩らしたかも知れない。まったく、かわいいぜ。そこでまたも佐藤青年の室で泊めてもらった。かれと合流したとき、しこたまに酔ってておれはふらふらだった。からだはあちこち痛んでるし、痛み止めは暑さで溶けてしまってた。夕暮れ、新宿だか、どっかの公園で寝てるとき、電話があった。若い女詩人ちんすこうりなからだった。なにを喋ったのかは憶えてない。半分眠ったまま応えた。そこへ裏庭文庫の佐藤青年。──なにやってるんですか?──そういわれてしまった。かれの誘いで飯を喰うことになったものの、もう喰えなかった。喫茶店で話し、銭湯へいったあと、かれの室に泊めてもらったんだ。おれは疲れ切ってた。ひどい腓返りを起しながら、中野からふたたび上野へ。そこから新潟は直江津を目指す。夕方まえに着くも美佐島へいく電車をいっぽん乗り過ごしてしまった。

 この旅の目的は、そもそもシェアハウス、ギルドハウス十日町へいくためだった。移住の下見をするつもりだった。もはや神戸の都市生活に辟易してたし、気分を落ち着けて暮せる拠点が必要だった。いわゆる限界集落というやつなのか、ひとはほとんどいない。ギルドハウスの住人にはわたしが会ったうちで、7人ぐらい。あとは出稼ぎにいってると聞く。共同生活のなか、夕餉はみんなでつくる。おれは味噌汁ばかり。とりあえず、6日滞在することにした。みんな若かった。馴染む自信がない。ひとりだけ白鬚の老夫がいたが、あとは20代、30代だった。相手に快くおもわれるにはどうしたらいいかをよく知ってるひとびとばかりだった。いささか気後れした。あるとき、濱野という女の子が梅酒をおれにわけてくれ、一緒に呑んだ。かの女はかつてラジオ・パーソナリティをやってたという。おれには冗談のひとつもいえなかった。それにほんとうに移住するには、アパートの荷物や、仕事や創作をどうするかが大きなネックになった。引越しの費用だけで数万はかかる。そこへ衣服や免許、ラップトップやなんかが圧し掛かる。さて、どうしたものか。ハウスの本棚にあった手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を読み、考える。やはりしばらくは、神戸で働くしかない。バーベキューをしたりして6日間を過ごした。直江津駅から大阪梅田へ。カーテン厳守の、息苦しいバスに乗って帰路に就いた。いい加減、神戸の町をでてみたかった。でもおれには物が多すぎたし、蓄えもない。とにかく身動きがとれなかった。おなじところにずっといるのは苦しい。おれはずっと放浪してきたし、いまさらずっとおなじ場所で生きられるとはおもえなかった。いまの土地に着いてもう7年が経ってる。ろくでもないことばかりだった。多くのものを傷つけて来たし、多くのものに傷ついて来た。そんなやりとりはもう沢山だ。どっかの山邊の小さな家で静かに暮らしたかった。でも、そのいっぽうでひとと出会い、触れあいたかった。仕事をするなり、ひとの集まるところで活動するなり、転換がいる。それでもうごけずにいた。帰って来て旅日記をまとめた。そいつをブログに放り投げ、あたらしい仕事を探した。週末はいつも映画を5本観て、感想を書き、通りを歩いた。地下街には素敵な女の子がいた。地下鉄には素敵な女の子がいた。センター街には素敵な女の子がいた。どこへいってもかの女たちがいた。燃えつきた地図を抱え、さ迷うみたいに、おれは歩き、かの女たちを決して視るまいとした。かの女たちを不快がらせまいとした。けれどそうした抑圧は役には立たず、どうしてもおれは視てしまう。そして苦い嫌悪をみずからに科してまぎらわせた。







乱高下する切り株のなかで

羽根をもがれ

声を喪ったけものが休憩してる


ちょっと待った、ぼくが書こうとしてるのは、

そんなけものの生態ではなく、

魂しいなんだ


またいつかつづきを書くから、

タイムマシンに乗って待っててくれないか?





18/06/09



 だれにもなりたくはなかった。おれはおれになりたかった。おれは手当たり次第に求人に当たった。寮のある求人だ。でもどこもだめだった。工場勤務は、超過勤務と過剰労働なしには成り立たない。まるで経営者がみずから無能であると告白してるようなものじゃないか。また深江浜や西灘の倉庫で働いた。消耗しただけ。あるとき、出屋敷で仕事があった。その帰途、おれは、おれの本籍地へいってみた。そこは父の建てた祖母の家であり、店であり、叔父の家だ。もうだれも棲んでない。叔父は数年まえに心臓発作を起し、それからは実の母と暮らしてるといった。崩壊寸前だった家屋を直してる途中らしい。そういえば父はゲスト・ハウスをやるつもりだとひと伝てに知った。でも廃材らしいアルミサッシや、ステンレスの扉は、とてもまともな旅行者が来るような外観じゃない。西成のどやと変わらない。いや、それよりもひどい。やつはやはり建築様式すら解してない。でたらめだ。雇われるものとして生きた父の最后の夢はなんとも惨めなものだった。技術も知識もなにもかも、美点があってこそのものだ。美意識は金で買えないところにある。おれはそいつを写真に撮って始発へ乗った。家系の呪縛から目醒なかった男、父を殺せなかった男、雨が降り始めた。父について、もはやなにもいうまい。

 おれは喰いつめて尼崎の飯場に潜りこんだ。でもけっきょく仕事にならなかった。半日でやめ、べつの建設会社へいく。そこで飯を喰うと、歩いてアパートまで帰った。線路沿いをずっと歩いて。おれは遠まわりになって、けっきょく7時間もかかった。きびしい晩夏だ。おれは京都で知り合った造園業にも応募した。枚方までいって、そこの飯場に、かつて入ったのを懐いだした。室もおなじで、壁には懐かしい柚木ティナの、ヌード・ポスターが貼ってある。デビュー当初は好きだった女優だ。おれは黙って駅にもどり、アパートへ帰った。



 12月、空調整備の仕事をみつけた。貿易センターの隣だ。おれは初仕事、なんともなく過ごした。でも手持ちがなくて昼餉の金を建て替えてもらった。そして2日め、休んでしまった。そしていい態度をとれなかった。あっというまに終わった。派遣元のビジネスサポート・ヤマトは、昼食代、制服の洗濯代とその送料で4千円もおれから毟った。救いようのないけつの穴。そして年の終わり、入院した。有馬高原病院へ。室にいるのもいやだったからだ。主治医の女の子はおれの理想、そのものだった。仰木舞衣先生。ここにいればかの女と、友だちになれるかも知れない。けれどもまたほかの患者を見て落ち込み、退屈に厭いた。ボルタレンを観ているまえで入れろ、という看護人のばかさにも勘弁だ。主治医に詩集を渡して、おれは2日めに無断退院して室に帰った。病院から電話があった。

   ナカタさん、病院にもどる意志はありますか?

  いいえ。

   わかりました。

   今後どのようなことになっても入院はお断りさせていただきます。

 室には喰いものも、呑むものもない。そして仕事もない。かつては受かったようなものでさえ、年齢と職歴と体力でだめだ。それに口入れ屋に上前を刎ねられるのも、たまらなかった。まともな職を得ようと、求人票を刷って紹介状を書いてもらった。さんざん書類審査に落ち零れて、やはりじぶんの仕事をするべきだと悟った。いちどでも落ち零れたものには道はない。一年が終わった。けっきょくほうぼうをうろついただけで、ろくなことじゃなかった。喰い扶持すらも持てず、あたりをうろうろとしてる。そして被害妄想に駈られる。また過古の怒りを蘇らせて拳を握る。なにもかも遠ざかる。なにもかもが手に届かない。終わりの始めみたいなものを感じながら、時間が過ぎるのをただただ待つだけになった。いったい、いつになれば作家になって女をものにし、自己実現の生活を暮らせるのか。そればかりあたまにあった。でも、おれはなにも書かなかった。書けなかった。表現できうるものはなにひとつなく、ただちゃちな詩ばかりが脳内を駈けめぐった。こんなつもりじゃなかった。ほんとうならいまごろ、おれは作家になってて、画家になってて、音楽家になってるはずだのに。あこがれてた女の子たちと再会を果たし、愉しい日々を送ってるはずなのに、こんな場末で腹を空かしてるばかりだ。「今度こそ」とだれかがいう。おれのあたまのなかでだれかがいつもいつもいつでも、そうくり返しているんだ。



 歳をとるということ、そして無才のまま時間だけが過ぎてしまうことがたまらなかった。おれはだれのことも見返せない。ひねもす、薄暗い室のなかで酒を呑み、酔って自裁を試みた。失敗した。ヘリウム・ガスの苦しさで、かぶってる袋をやぶいてしまった。ガスはぜんぶ流れた。7千もしたのに。カフェイン錠もだめだった。ぜんぶ嘔いてしまった。生きるほかに道はないってことだった。おれはとりあえず快楽主義者になることにした。過古は遠ざかり、おれは齢をとっていく。できることはじぶんの世界を、この現実ぶつけることだ。肉親とはもうかかわらない。最后に母と会ったとき。祖母が病床と聞いた。母は、いまだおれが画家になるのを望んでた。本音かどうかはわからない。滅びつつある家族という檻、もう終わったんだ、みんなもう他人でしかない。これ幸いなりとおれはかぼやき、夜が更ける。水みたいにことばは迸る。そいつを書き留めることに躍起になる。だれかに赦しを乞う必要もない。おれには文藝があって、絵があって、音楽がある。やがて日付が変わって、世界がまたあたらしくなる。もちろん、淋しいときもある。週末になんの予定もなく、ただただ作品を書いてると、まったくじぶんが用なしみたいに感じる。そしてまたしても夜。もう波河からも、今宮先生からも、メールの返事は来ない。もう1年が経つ。おれはまさしくペストだ。かれらみたいにきれいなことはいえない。建前のなかで暮らし、やがてどっかに消えちまうのはご免だ。仕方ないことだ、もはや憾む気にもなれない。ほんものの魂しいをもった男やら女やらに出会したいとおもう。贋者はもういい、へたな芝居はやめてくれ。友衣子は、最初からおれをきらってた。たったそれだけ気づくのに20年もかかってしまった。なんて鈍いんだ。ひとびとはみな珍しいけものを見つけたのとおなじく、おれに声をかける、そして笑顔を見せる。そう、たったそれだけのことなんだ。そんなたやすい事実に気づけなかった。おれは上っつらのつながりも、贋者の友人も、たくさんだ。いまじゃ、みんなが示し合わせたみたいにおれを黙殺してる。かつて教室のなか、みんな無視されたのをおもいだす。あのときとなにも変わっちゃないのかとおもう。だれもかも、みずからの悪意や敵意に気づかない、解さない。なぜ自身がそう存るのか、考えようとも──しない。でも、それをいってどうなる?おれは醜態を曝して来たし、はじめから棲む世界もちがう。ただ贋者に苦しむのはもういやだ。多くを望むつもりはない。魂しいが静かになったいま、見せかけのやさしさや、情けにやられ、悩み、傷み、とり憑かれたくない。

 遠い酒屋までの道程、学生たちが騒ぎ、大人たちが騒ぎ、おれは黙ったまんま店に入った。ストーンズとスカイウォッカを買ってでる。できることはなにもない。ふと眼を落とした路上で、老人が倒れてる。おれはかれに呼びかけた。

  大丈夫ですか?

   ほっといてくれ。

  そうはいきませんよ、ほら頭から血がでてる。

   血?──かすり傷や。

  そのままだと、凍え死にますって。

 おれはかれのからだを起こした。上半身だけ起こされたかれは駄々を捏ねるみたいに両手でいやいやをする。でも、おれはこの老人をほって歩き去ることができない。どうしてだかできない。いままもずっとあった、ありふれた零落のなかにじぶんがあるような気がしてならなかっただけだ。おれは作家だからか、かれと話をしたくなった。

  どうしてそんなにまでして呑むんです?

   どうしてそんなにまで?

   べつに理由なんかない。

 かれはじぶんの足で立ちあがった。

   落ち落ち、寝ることもできねえ。

  ここは寝る場所じゃないですよ。

 かれはおれを睨みつけて唾を嘔く。

   いいか、この地球のすべてがおれの塒なんだ、そこで死のうが生きてようがきみには関係ない!

 かれはそのまま覚束ない、悲しい両足で繁華街をまっすぐに歩き去った。長距離バスが行き交うなか、見えなくなるまでおれは見守った。なぜって?──おれは気ぶっせいな男で、もう34が近いというのにひとりぼっちだ。いままでにやらかしたことのほとんどをおもいだせる。どれもひどすぎる。いつも酒に酔ってた。おれは徳義というものを知らなければならない、持たなければならない。手に入れたい。でも、おれにできるのは別離のみ。あしたも長い道をバスにゆられて来るだろう。またも不採用の決定、酔う口実ができるだけだ。たやすいはずの雑役人にすらなれず、停留所に降りると莨に火をつけるだろう。からかうような警笛と信号でいっぱいの通りを北へ急ぎ、酒屋のまえに来るだろう。ややためらって扉をあけるだろう、お気に入りの1本を求める。それがよくないのはわかってて、ただそれ以上のものが、この世界にはないからだ。河上から流れる寒気が喜ばしくおもえるだろう。ラブホテルの灯。タイムズの駐車場脇で、たったひとり、わが同類が歌を唄ってる。かれに水を、とびきり冷たい水をかけてやれ。かれのソフトにかけてやれ。そうすればきっとおまえの気は晴れるだろうから。

 かつて恋をもたらした女たちへ、おれは手紙を書いた、《たぶん、あなたたちがおれに生命を与えたんだとおもう。友衣子、由子、中窪さん、城石さん、ぼくはあなたたちのことがうそもいつわりもなく好きだった。あなたたちのすべての振る舞いが、無意識がぼくを刺激した。どんなときもそれがおれを奮い立たせてくれたし、表現することの源だった。ぼくはいま素寒貧だけど、こころのなかは想像力と意志でいっぱいだ。夜の舟に乗って、このまま旅立てたならどんなにいいだろう。あなたがのことがいつもぼくを高めようとする。やがて天使のように消えてしまう永遠のときのなかで、ぼくの未来の恋人たちが眼を醒まし、ベッドの縁に立つ。そんな光景をのくはおもう。やがてみんなぼくのことなんか忘れてしまうだろう。それでもぼくはいう、あなた方によって一時ならず救われたことを。そして耐えまない感謝を、謝辞を、おれは告げる。いまこのときのためにしつらえられたすべてのこと、すべての季節、すべてのかぜ、あらゆる現象学的解釈のなかで立ちどまって、そこに唾を嘔く。悲しいわけでも、うらめしいわけもなく、奪い去られたぼくの純心のなかで、あなたたちのことをいま1度、懐いだし、そして封印するんだよ。ありがとう、あちがとう、ありがとう。──あなたたちの存在に永訣をつげてぼくは歩く》。

 たぶん過古への郷愁がつよすぎるんだ。いつか読んだ本のなかで、《孤独であることも、おそらくはなんの誇りにもありえまい。孤独であることによって自分を甘やかしてみても、そういう慰めは永つづきしない。孤独者はふたたび全体への復帰を求めずにはいられなくなるのだ》──そうあった。まさにそんなていたらく。おれはその存在を孤立のなかに、疎外したものたちによって受け入れられたがってた。けれどいまさら、どこのだれも声をかけてくれはしない。たとえ作品がたしかであっても。おれはあたらしい出会いへむけて書く。それが幻想でしかないにしても。酒を持ってアパートの階を上った。3階のおれの室へ。だれもない室で呑む。通りを歩けば、女の子たちはきれいだ。でも、おれはだれの愛にもあずかれない、それもわかってる。だのに熱のこもった眼をむける。穢らわしい。薄い胸板と、肉のついた腹を抱え、通りや、地下鉄の車輌や、坂や、路次や、商店で、かわいい子を見つけてしまう。そしてじぶんに嘔き気を催す。このおれが通りをさ迷い、どこになにを求めても、もはや意味がない。ひとびとの無防備さをおれは羨む。映画「汚れた血」のアレックスみたいに一方通行なおもいだけが沈黙のなかを歩く。そしてくり返す。疾走する自動車、広がる草地、追って来るバイク、最愛のひと、それらなにもかもを突き破って。

   ああ、飛行機に乗るんだ。

   ああ、飛行機に乗るんだ。

 たぶん、おれはおれを笑うべきなんだろう。もうずっと笑ってない。ルーマニアの狼狂なら、こういって笑うかも知れない。──人生に失敗して才能の裏づけもないままに詩を書き、さもなくば愛にも、野心にも、社会にも背を向ける。そして、その断念を復讐せずにはいられないと。──おれの書いたものは、みな断念された復讐だ。だからに愛語を求めずにはいられなかった。けれどそれも終わりだ。おれはじぶんでもわからないものを夢見て生きる。不可能な夢のなかを飛ぶ。おれはいまだにじぶんがなにものかになれるっておもってるだけだ。ほんとは何者にもなれず、たださ迷ってるだけなのに。だからいつまで経っても、おれの時間は過古にしかない。未来というものがどこにも見当たらない。荷役人でも皿洗いでもかまわない。おれはおれの人生を納得させられるだけのものを求めてる。でも自我を地位がひきずり落とそうとしてる。そのまま寝床に降りて朝を待つことにした。窓のむこうで雪が降ってる。養老院もなにもかもが濡れながらある。路次で貨物トラックが、ぶかっこうな音を発てる。音楽。タイヤが路肩を擦り、ギヤが呻く。足許からせり上がってくる。人生。もはや、かつてのようにひとに咬みつくこともない。ただ遠ざかるだけのものにどうしてこれほどのことばや、おもいが必要なのか。夜が更けるばっかりだ。おれは忘れることができない。いままで出会ったすべてのものを。やがてトラックが動きだした。大通りにむかってロウで撥ねる。その勢いに乗って、おれはものを書きつづける。それしかない。いつかもっと、よりよいものを書くために。音楽が止む。スタックしたらしい。書く手がとまる。おれは大きな夢のなかでたったひとり暮らしてる。おれにはそれ以外に方法がない。だれか来てくれ。遠慮なんかいらない、秘密のノックをくれりゃいい。おれはいつもここで待ってるから。いつかおれを懐いだして、あるいはこの本を懐いだして。そうすればきっときみになにかしてやれるかも知れない。ともかく、おれは確かな手触りを、じぶんにも、この世界にも求める。過古のなかで生きる、過古にむかって考えるのをやめて、いまこそ停車場に立ちたい。きみはどこにいるんだ、おれの人生の私家版を読むきみは。おれはきみを求めてる。

 いつもの眠れない夜、よく歩いて生田川上流までいく。冷たく、昏い街区の果てに長距離バスの発着場がある。新神戸駅がある。2月のかぜのなか、遠くで警笛が鳴る。車と車とのあいまを若い男が走ってた。黄色いヤッケが灯しにゆれて、かれは鮮やかな逃亡を見せる。長距離走者になるべくかれは毎晩走ってた。おれはそれを知ってる。




 アルコールと恋に怯(おそ)れて、単式蒸留器が月へと飛ぶ夢を見る

 電話代は気にするな、ぼくがぜんぶ払うから


 きみの声が聴けるだけでもうれしい、それがぜんぶだれかのモノマネでも

 だれかのスタンド・インになるためにぼくは神戸の港から黒い海へ飛び込む


 灯台守が眠る、やがて死んだぼくを発見するまで

 冷たい月がこっちを見てる


 18/02/21



 しばらして、わたしは立ち上がる。そして歩いてロージーの宿までいく。かの女はハンクと笑ってる。なにを話してるのかは、どうやっても聞えない。おれはあきらめてじぶんの車まで歩く。そして乗り込む。少しばかり凍てついてはいたが、エンジンはかかる。しばらく空ぶかしをして温めたあと、わたしは本来の予定に立ち返り、「ザ・ヴィレッジ」までいくことにした。あさっての昼までにたどりつければいい。村を走る。いろんな人間がみじかいあいだに死んでしまってる。ビルもYもfiveも、スコフスキイも三下どもも、滝田も、そしてもちろん、わたしも。中心街を抜け、ハイウェイに入った。路肩にはヒッチ・ハイカーもいる。この寒いのにだ。ばかなやつらだ。そうおもったとき、ひとりの男に眼を奪われる。滝田だ。胸の血が生々しい。乾き切っていない。わたしは車をとめて、手をふる。やつは嬉しそうに走って来る。やつのブーツがいい音を発てる。──どうしてこんなところにいるんだ?

   実は、おれにもわからないんだ、

   でも、おまえさんが来るってことはなんとなくわかったよ。

  話は走りながらしようぜ、つぎは「ザ・ヴィレッジ」だ!

   よしきた!

 わたしたちは久しぶりに話した。大いに笑った。そして旅はまだつづいてる。わたしたちにはギターとドラムがあるみたいに、あの女には麻薬と男があるということだ。上空に輝く冬の月。菊正宗を呑みたくなった。白泉の句を懐いだす。どっかにあるだろうか。わたしはだれも悼んでなんかいない。ただひとりの仲間を愛するだけだ。わたしの胸もまだ乾き切っていない。血は、それそのものが道であり、標べだ。どこから来て、どこへ帰っていくかなんて大したことじゃない。流れや標べに愚直に従い、たまには裏を掻いてやること。たった、それだけのものなのだ。


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裏庭日記/孤独のわけまえ 中田満帆 @mitzho84

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