第8話 トーク・トゥ・ハー



 森先生の伝で詩集は売れた。曲づくりも順調だった。機材を揃え、多重録音で曲をつくった。ほとんど生煮えだったけど、おれはたしかに表現のなかで生きて、人生ではとっくに死んでた。おれはあたらしいことに飢えてた。ライブハウス「バックビート」、そいつの出演者募集を見た。電話をかける。ブッキングが決まった。20分5千円。おれはじぶんの曲を流しながら、詩を読んだ。声はうまくでなかった、呂律もあやしい。しまいに即興で喋ってはみたものの、ひどいありさまだった。しばらくしてスタッフから誘いが来た。2曲で500円、わるくない。そのころには歌ものをいくつか、つくってた。おなじかたちで3度、舞台にあがった。ライブで歌った。友衣子のイメージが曲のなかにも生きてた。そしてまた冬が来た。12月、ある金曜の夜、メッセージが来た。

 《ひとを傷つけるひとはきらい!》。

 友衣子からだった。返事を書こうにもブロックされてできない。なにもできなくなってしまった。たしかにおれはひとを傷つけて来た。でも、ひどい仕打ちだ。おれのいいぶんすら聞いてくれないなんて。自身を忘れるまで酒を呑み、ライブにでた。

痛風で足が痛い。演奏はぐだぐだ。あらぬことをマイクで喋る。だれもが無表情だった。翌日は投票日。おれは中田満帆という男に投じた。きみはその男を知ってるか?

 そして月曜日。おれは取材と称して献血センターや、パチンコ屋をまわった。政府との癒着、換金システムの違法性、古物商としての存在、どれも相手にされなかった。駅前のパチンコ屋では店員にうしろから掴まれ、そとへ突き飛ばされた。警備

員たちがおれをみた。おれにひとを殴れるだろうか。おれは右手の拳を胸のまであげ、内側にひねりを加えた。そして店員のおもづらに突きあげる。やつの鼻にヒットした。やつの長身が揺れ、眼鏡が吹き飛ぶ。おれははじめて他人を撲った。警察を

待ちながら、町のひとびとを見た。警察車輌のなかで喋り捲った。喜劇師のように。取調室でもでたらめな英語を喋り、まわりを笑わせた。担当の野柳部長刑事ははじめ、モニターに写るおれを東南アジア出の外国人だとおもったらしい。おれは道化

になることで不安を打ち消そうとした。子供時代からの処世術だ。夜になって留置場に入れられた。みな眠ってるみたいだった。はじめて他人を撲った。やつは鼻の骨を折り、上顎に罅を入れられた。おれはいったいどうなってしまうのか。拳を眺め

た。まさか、おれが?

 12月15日、おれのなまえは215になった。この葺合警察で今年215番めに勾留された容疑者というわけだ。留置場はひろく清潔だった。とりあえず、蒲団を敷いて一晩眠った。翌朝取り調べのつづきがはじまった。その日の行動を逐一喋らされた。単に移動だけなく、呑んだ酒に対する反応までもが繰り返された。へとへとになって答える。自身の事実が疑わしく感じられ、なぜ話しているのかさえもわからなくなってくる。あっというまに昼飯だ。房に帰って喰らう。うまかった。味つけが濃い。ラジオ放送が短くあった。公共放送のニュース番組のみが流れてた。ほとんどなにを喋ってるのか、くぐもってて聴き取れない。

それが終われば音楽がしばし流された。歌謡曲の唄なしの変奏がかかってた。

 しばらくしてから物品購入の日が訪れた。おれはノートとペンを所望した。けれどペンは持ち込み禁止指定で、署員から借

りるというかたちになった。23日に届くとすぐに書き始めた。まずは「短篇メモ」だ。《まだまだわたしには中長篇はものにできない。「月曜日と出会うとき」をふたつの短篇にすることにした。まずは冒頭から女と車で出発するところまで、つぎは老人との場面のみ。──もしかすると、車中での一夜の件も独立できるかも知れない》。つづいて「自裁にむけてのノート」を書き始めた。《かの女はおれを否定した。終わりまでひとこともなしにだ。そしてわたしはひとを撲った。果して望み叶わず、報道されないことがわかったが、事実は事実だ。この留置場をでたら、匿名でこの事実を広める。そしてマスメディアに訴求しよう。そして1月中に創作を片づける。女を諄く。種を蒔く。とりあえずは公衆電話から神戸新聞へ「問い合わせ」だ。つぎに匿名掲示板へ。そのつぎに文藝投稿サイトへ密告。あとは流れに任せる。死にむかって》。つぎにかの女にむけての手紙を考えた。絵葉書ひとひらきりにしよう。あの絵を使おう。絵の題名はまだない。──こうしよう、「酔いどれた女祈禱師」だ!──《この葉書をあなたが読むころ、わたしはすでに死んでいる。あなたが素直に「きらい」とか「気持ちわるい」といってくれればどれだけ救われただろう。わたしはただ普遍性のある会話がしてみたかった。わたしはあなたと再会したかったのだ。あなたがわたしをどうおもおうとも、わたしはもう怖くはない。なぜなら、あなたの仕打ちによって、沈黙によって、わたしは死地へと追い放たれたのだからだ。けれども、この事実もわたしの存在もあなたはたやすく忘れてしまうのもわかってる。たやすくあなたは黙殺できるのだ。まるで地方紙のちいさな求人欄みたいに、一分と経たずに忘れてしまう。──男は愚かに死に、女は愚かに生きる。──だれかがそう書いていた。あなたはこれをどう捉え、どう解釈するだろうか?》。

 留置場で本とノートを買った。ヘミングウェイの短篇集「何を見ても何かをおもいだす」、チャンドラー「ロング・グッドバイ」、エリクソン「ライフサイクルとアイデンティティ」、原尞「さらば長き眠り」を。担当の野柳はなかなかいい人物だった。30後半、むくんだ顔で、淫売屋めぐりが趣味、人情味があった。しかし、そんなもの檻のなかだからこそ善いようにおもうんだ。おれはいろんな映画に准えて犯行や心理を語った。かれは笑った。

 17日の水曜日。朝になってすぐにバスへ乗った。どうやらそこは水上署だった。ゆっくりと車庫に入り、薄青い扉が開く。だれかがでてくる。けれどいっこうにバスには入って来ない。なんのために来たんだ?──そのまんまで署をはなれ、神戸地検に乗り入れた。そして繋がれたまんま冷たい階段を昇らされた。サンダルを履いた素足が切れそうな寒さだ。なかに入ると、右手に職員の詰め所、左手に牢が並び、真ん中を狭い廊下が奔ってた。紺の制服をまとった公僕どもがふたり1組になって、被疑者たちの拘束を解除し、しかるべきところへぶち込んだ。果たして検察では拘留延長を喰らった。おれはじぶんの罪を直視できてなかった。検事ににむかって自裁したいといった。遺書の書き方を教えてもらった。その夕べ、野柳が心配しておれのところにきた。おれはノートに自裁について書きまくった。

 途中で留置場に中国人が入って来た。ほかの連中と好きな歌を唄ってるとき、おれもbloodthirsty Butchersの「時は終わる」を唄った。するとゴ・コウというなまえのかれは、おれにノートを差しだした。歌詞を教えて欲しいということだった。書いてやる。──「コレ、ワタシヘ、プレゼント」と嬉しそうにいった。かれはすぐに釈放された。ある朝、野柳部長刑事がでかけるといった。手錠をかけられ、それを隠す、特製の布カヴァーをかけられた。そして車に乗せられた。現場検証だ。ひさしぶりの外界に肺の外気で引き千切れそうだった。かぜに皮膚が強ばった。車は大安亭をはなれ、いっぺんに三宮駅の高架下、パチンコ屋のまえにきた。現場だ。胃がひきつった。苦い味が奔った。それでも刑事たちは平然としてる。ひさしぶりの外の世界が懐かしかった。

 かれらは写真を撮った。そこをはなれると、今度はわがアパートメントへむかった。懐かしい、恥ずかしい気分だ。下車すると、刑事たちに囲まれて階段を昇った。室の鍵はあけっ放し。心配はいらない、だれも訪ねては来ないから。──室に入って、あたりを見渡す。盗まれたものはない。ここで精神障碍者手帖と自立支援医療受給者証の撮影してから押収した。そして帰って来ると、署の最上階まで昇り、だだっぴろい道場で犯行の一連を再現させられた。背のひくい、ひ弱な警官を相手に、拳をくりだした。しかしやはり背はひくすぎる。おれが左上にむかって右肘を撥条(ばね)にして拳をくりだしたというのに、かれの顔はちかすぎるんだ。ぎこちない動作は下手な新派劇の芝居をおもわせた。笑いのない喜劇。写真を何枚も撮られて昼、房へ帰された。昼飯だ。ちいさな扉があいて弁当箱と箸の抱き合わせが入れられる。赤い弁当箱に黒い箸。ジュリアン・ソレル、青い種子。蓋をあけると長方形のなかにカレーライズときた。スプーンはない。そいつを箸で掻き混ぜる。カリー・ルゥがまんべんなく米に搦んだら、筺の角を利用し、箸で掻き上げながら口に運んだ。なるたけ早く喰わなければならない。またしてもラジオがなにかいってる。なにをいってるのかはわからない。見あげる扉のむこう、看守の守に湯気があがってる。きっと茶を沸かしてるんだろ。ふたたび眼を降ろし、筺のなかのカレーをみた。喰い終えると、ふたたび看守がちいさな扉をあけ、手を入れ、弁当箱と箸と湯呑みとを回収した。おれは日記を書く。

 《もうここでの生活も厭きてしまった。なんとか勾留から解かれたい。もう夕刻だ。ただただ腹を空かすだけ。弁護士は来そうにない。たぶん翌る日の勾留期限の日だろう。なんとかして来週中にはでたいもんだ。なにせ今年中に冬の海が見たいからだ。自裁についての決心は頑なだ。もう感情にふりまわされるのはごめんだ。HとT先生に連絡をとろう。Jの親には謝っておこう。Fにも手紙をだそう。かの女にはZへの謝罪を伝えてもらうためにだ。》。

 みんなに謝ろうとも考える。でも、いまさらどうやって?──それにかれらかの女らに謝ってからといって、友衣子がおれを赦すとはおもえない。

 《じぶんを大切にできないものに他者を大切にすることはできない》──そうノートに書いた。使い古された科白。でも、その通りだった。おれはたぶん友衣子が好きなんじゃない。ただ過古に、幻しに、美しいものに、しがみついてるだけだ。ほんとうはだれも愛してなどない。時間をもてあまして考えた結果がそれだった。《午后から午睡する。しかし悲しくてみじめな夢を見た。発狂したわたしが実家を訪れ、吠え声をだす、そして車に乗って丘を上る。「友衣子が憎い、友衣子が憎い!」と叫びつづけ、さらに「そんなにおれを殺したいのか、友衣子!」と叫ぶ。毎年縁日にいかなかったこと、中学3年を不登校したことを悔いた。車のハンドルが定まらない。あまりにも苦しく覚醒させた》──12月25日、とうとう起訴通知が来た。人生の再建を考えたり、眠ってるまに嗚咽を漏らしたり、また文学におもいを馳せたりした。たとえばヘミグウェイ短篇集。「だれも死なない」、「一途な雄牛」がいい。特に後者はおれの写し絵だ。




 年明けに拘置所に送られた。ひよどり台の無機質な住宅地にそいつはあった。拘置所への道すがら、一緒になった男たちの話に耳を傾ける。どっちも執行猶予内にことを起し、捕まったらしい。ひとりは同棲相手を撲ったといった。たどり着いて刑務官がおれの荷物を調べた。ノートの内容も調べられた。──おい、ナカタ。おまえ、自殺するもりなんか?──ノートに書いておるが?──いいえ、小説のためですよ。おれはすぐにペンを所望した。しかし購入はできても房内に入れることはできないといわれた。おかしな話じゃないか、書くことになんの問題があるというんだ。もちろん、おれは抗議した。数日経って別室に連れられ、「ペンの持ち込みは認められない」という回答を得た。理由?──そんなものはない。なにも書けないなかで苛立ちだけがあたらしくなった。まったくひどいところだった。未決だというのに囚人扱いを受け、おれは安定剤と睡眠薬をだしてもらった。医務室から帰り際、おれは死ぬといって泣いた。老いた刑務官がうろたえた。担当の若い刑務官はあいかわらず、ひどい罵声を浴びせた。房にもどるときだった。

   番号は!

 やつが叫ぶ。おれがじぶんのをいう。眼に涙を溜め、そしてきり返す。

  あなたの番号は?

 寒さのあまり、死人がでたという拘置所。毛布をかぶることすら赦されず、寒さのなかでずっと震えた。眠るときは枕の下に本を積み、ズボンもジャケットもそのままに蒲団を、──赦されないことだが──顔までかぶって眠った。2度の簡易裁判があった。検察は声を荒らげてた。おれの発言に「意味がわからない」と吐き捨てた。けっきょく執行猶予が下された。3年6ヶ月。ひよどり台に帰ると、すぐに釈放だ。ひと気のない道をいき、団地まえのバス停で加納町まで乗った。おれはウィスキーをしこたま呑んだ。日が昇り、日が暮れても。ある夜、酒で膨張した舌が咽につまり、呼吸と意識に障碍がでた。救急車を呼んだ。相手にされなかった。おまけに言語障碍まで起きた。おれは役所にいき、入院先を探してもらった。湊川病院に決まった。そこがどんなにひどいところか知らなかった。人間扱いされなかった。ひどい辱めに遭った。初日、おれはみずから施錠の室を撰んだ。しかしアルコールの離脱症状は苦しく、おれは主治医の後藤まどかを呼んだ。からだの血がぜんぶ溢れて皮膚を突き破ろうとするみたいな感じだった。医者が来た。おれは施錠なしに変更してくれといった。女の主治医はドアを閉めようとした。おれは手でドアを押さえた。主治医が看護人たちを呼ぶ。おれは力づくで逃げだした。どの扉も窓も施錠されてる。おれは端っこの病室に隠れた。老女がいた。ちびの看護人がおれを探してる。

  どこいったんや?

 けっきょくおれは見つかってしまった。病室にも戻されず、拘束され、服を脱がされ、隔離室へと連行された。おとなしくしていればなんとかなるとおもった。どうにもならなかった。とても人間のいるところじゃない。はじめての夜、ホストか美容師みたいな男が夕餉を運んで来た。髪を染め、日焼けしてる。ふざけた調子で、喋りかけて来る。おれはとにかく水が呑みたかった。

  すみません、水をください。

  それから氷も。

   わかったよ、すぐにもってくれからね!

 しばらくしてそのおかまやろうがもどって来た。小さな紙コップのなかには、たしかに水があった。けれどもみじかい毛が幾つも入ってる。おれは戦慄した。なんていう懲罰だ!──でも、呑むしかなかった。抗議すればなにをされるかわからない。

  後藤先生にいってください、ぼくはもう正気だと。

   はァーい、いっておくねー。

 室のうしろには壁があり、そのうえはガラス、そして廊下があった。そのむこうに窓。山に身を寄せ合う家々が見える。そしてつよいライトが終日、照らしてる。おれは夢を見た。中学校をさまようおれだ。廊下を走ってる。「そんなにおれを殺したいのか、友衣子!」。窓をあけ、頭から地上に飛び降りる。死ぬ。──目が醒める。またしても呼吸が止まってた。その症状を何度訴えたことだろう。舌が膨張して喉を塞ぐ。看護人のだれひとり相手にはしなかった。やつらには心がなかった。シオランがいうように《苦しみを知らないものは「存在」とは呼べない。せいぜいのところ「個体」でしかない》ということだ。ずっとあとになってじぶんが睡眠時無呼吸症候群(SAS)だと知らされた。隣の牢獄では老人がずっと捲し立ててる。天皇系の由来云々や、歴史の人物についてだ。どうやら躁の状態らしかった。ようやく離脱症状が治まった。わたしは室の便器でくそをするのを赦された。看護人の見てるまえでだ。もはや恥もなにもなかった。おれはなんとか時間が過ぎるのを待つしかなかった。ほかの室からは四六時中、わめき声が聞えた。理性と自己を失った呪詛の声がやまなかった。おれは1週間でそこをでられた。おれがでるとき、あたらしく牢獄に入れられる患者を見た。痩せ細った老女だった。もはや動けない、声もだせないだろう、患者に拘束具を嵌めてた。どうみても衰弱してる。なんてやつらだ。ひとづてに病院のバックが創価学会だと聞き、すべて合点した。おれは長いこと拘束されてたせいで、足や手がうまく動かなかった。感覚が鈍い。施錠なしの室、そして外出許可を得た。おれは電車でアパートまで帰った。もう夜だった。警官たちが幾人もアパートのまえにいた。知らないふりで通り過ぎた。警官のひとりが追って来た。おれはけっきょく捕まって、病院にもどされた。外出許可は無効になった。そして事務の醜女が財布を寄越せとおれにいう。年下のくせに礼もへったくれもない。

   財布をだしなさい。

  いいや、金なんか大して入ってない。

   いいからだしなさい。

   規則なんだから。

  おれは預かり金をとられたくなかった。預かれば1日数百円取られ、そのうちゼロどころか、マイナスになっちまう。なんとか追っ払った。小さいけつをふりふりながら女は去った。やがて個室からやがて大部屋に移された。隣人の鼾がひどかった。そんななか何人かのひとびとと知り合った。かれらはいった。「やっとまともに話せるひとに出会えた」と。ひとりは甲状腺を、もうひとりは統合失調症を患ってた。おれはなんとか退院か転院したかった。けれどもおれは父の了解がなければでられなかった。なぜそうなったのか、いまでもわからない。おれは父を呼んだ。やつの答えは「一生入ってろ」だった。どうしようもないけつの穴。

 作業療法がはじまった。おれはそのコンピュータから現状報告を SNS に書いた。ゆまという女とメッセージを交わした。詩人の佐々木英明から詩集のデータを送ってもらった。facebookのアカウントを消した。そして退屈しのぎに携帯プレーヤーと、Joy Division "Unknown Pleasures" と bloodthirsty Butchers「no album 無題」を注文した。そして母に本を送ってくれるように頼んだ。湯本香樹実「ポプラの秋」、チャンドラー「さよなら、愛しいひと」、原尞「私が殺した少女」を。いっぽう父は2番めの妹を連れ、欧州旅行にでてた。かの女の大学院進学を祝って。食堂では気狂い女がおれにまじないをかける。

   あなた、大卒?

  いいえ。

   でも大卒に見える。

  そう?

   あなたいいひと、それともわるいひと?

  わるいひとだ。

 かの女は悲鳴をあげて去ってった。たしかにおれはわるいやつだった。あそこで4ヶ月も過ごした。おれは恋をした。城石さんという10歳もうえの女性患者だ。なにかと話しかけてくれ、心配してくれた。おれのためにアイマスクや耳栓を買ってきてくれたりもした。かの女は鬱病といってた。入院患者のひとりにしつこく口説かれてた。そいつは神戸に棲む、あるシンガーソングライターのなまえと経歴を騙ってた。かつて《だれにも知られずに死んでいくしかないさ》と唄ったシンガーだ。かの女は医者やみんなのまえで泣き、退院してった。おれはといえば2月になっても、3月になっても、4月になっても退院できなかった。おれはベッドでゲンスブールの評伝を読みながら、カーテンも仕切りもない病室のなかでまなざしの地獄に耐えてた。城石さんが父を電話で説得しようとしてくれた。退院させてくれるように。父はおれの悪行を嬉々として暴露した。だめだった。しばしば城石さんと電話で話した。かの女はいった、

   ナカタくんのお父さん、へんやで。

   じぶんの息子の恥を嬉しそうに話してて。

   おかしいってあれぇ。

 かの女からいわれていちばんショックだったのは、おれの声が父のそれにそっくりということだ。そんなこといままでおもったこともなかった。いちど車で父と実家へいった。その途上、おれは車を降りようとした。父は半狂乱になっておれの髪を掴み、車内へもどした。なぜそこまで世間の体面を気にするのかわからない。家ではむちゃくちゃな父だというのに。おれは臨床心理士との面談を希望した。やって来たのは社会心理士で、映画の話をしただけだった。かれは町田康のファンでベースレス・バンドをやってるらしい。それでも1回につき千円。〆て7千円なり。中程度の患者が集う東病棟に移され、さらに時間が経った。そこは女のほうが多い。いちばん不気味なのは公衆電話を占領する女だ。かの女は繋がってない受話器を耳に当てて何時間も立ってた。だれもかも暗く沈んでる。生気を奪われ、ただよろよろとさまよい歩く亡霊みたいなものだ。いったいだれがこんなひどいものへ追いやったんだ?──なにがジェーンに起ったのか?──おれの主治医は臨時勤務のため、話ができるのは週に2回ぐらいだった。おれは我慢の限界だった。──先生、ぼくの問題は根深いものですよ、じぶんでもわかってます。たぶんそれは口唇期からはじまってる。

   ああ、ユングが提唱した概念ですね。

  いまから解決するには両親と対話するしかないし、立会人がいる。

   考えておきます。

 かの女はなにも考えてなかった。将棋の駒みたいなかたちの、ぶさいくな顔に濃いアイ・シャドーを塗りたくって、小さな眼と自身の権威を守ろうとしてるだけだ。でもからっぽでしかない。6月半ばに入って、ようやく退院できた。晴れて釈放というわけだ。長い入院のせいで保護費は減らされてしまった。ケース・ワーカーは若い女に変わった。おれは城石さんたちとカラオケにいった。ロックばかりを歌った。それからかの女に告白なんかしてしまった。かの女にはわかれた夫と、そのあいだに成人まぢかの子供がいた。かの女がうまく受け流してくれた。

 ひどい病院に監禁された反動で、おれはおかしくなってた。統合失調症みたいだった。病院で出会った男が毎日訪れた。かれこそ統合失調症だった。当人は金属加工会社の御曹司で、将来は決まってるらしい。かれは仄めかしがひどいといい、ラジオがじぶんを監視してるといった。おれはひたすら酒を呑み、陰謀論を読み、反戦デモに中指を突き立てたこともあった。公衆酩酊で3回も連行された。外国人に絡んだり、アカペラで唄ったらしい。

 ある夜、室にもいられずに町をでだ。朝までさまよい、肌着を失い、素裸にジャケットを着て、コンビニへいき、みずから警察を呼んでくれるように店員にいった。記憶は混乱し、ありもしない記憶があたまのなかを駆け巡った。野柳さんがおれを庇ってくれた。それから叔父に電話をかけ、家族の歴史を聴きだした。アル中の祖父からアル中のおれへと繋がるすべてを訊きだそうとした。かれがいうように「中田家の酒はわるい酒」というのは正鵠を得てる。生前の祖父のことや、学生時代の父のこと、英語の発音を褒められ、秀才とおもいこみ、3人の家庭教師をつけたこと、ふるまいもことばもみな祖父の写しでしかなったことやなんかを。完全なる行動遺伝学ってやつだ。

 祖父は初め、連れ子のある戦争未亡人をものにし、つぎの婚姻で3人の娘をもうけ、ふたりの息子を得る。その長男が父だ。つぎの婚姻で息子をひとり、そして最后の婚姻で息子をひとり。受精時に4度も母体がイったということだ。祖父は性のうえで達者、そして業物だった。いっぽう父は欲の塊だった。やつのやり口はこうだ、親戚中をまわってかれらを助けてやる。それからじぶんがいかに貢献したかをわめいて、なにもかもを掻っ攫っていく。──おれが金をだした。少しでもだした。だから権利は、ぜんぶおれのものだというわけだ。なにもかもを訊きだされて叔父は怒った。「えげつないな、きみ。もう近寄って来るな」。

 音楽教室の見学にいった。島村楽器へ。ピアノの講師は村上友代といった。おれは友衣子の妹かとおもった。そんなことはないのにだ。みじかい髪、切れ長の眼、甘えるみたいな、やさしい声。──レッスンを予約して帰った。でも、熱中症にかかってしまった。血を吐いて倒れた。中央市民病院や光風病院、垂水病院と転々とした。光風がいちばんよかった。静かできれいだった。飯もうまかった。でも、無理やり退院してしまった。どこにいっても安住できなかった。そして夜の町を半裸で歩いたり、自身のからだが放射能に汚染されてるといった妄想にかられた。そいつも収まって8月、はじめてキングブラザーズを観た。無料の、ちいさな催しでだったけど、ぜんぶ知ってる曲で嬉しかった。客に飛び込んだマーヤの足におれは触った。おれはどうしても村上友代のレッスンが受けたくて闇金に電話した。そいつで2万5千円を得た。携帯電話を契約して、やつらに渡した。こいつは名義貸しで、おれも犯罪者というわけだ。40万の借金ができた。音楽教室に入会したものの、月謝までは払えない。おれはけっきょく、かの女へのうしろめたさを得ただけだった。バックビートに電話をかけ、ライブ出演のブッキングを頼んだ。20分5千円で。当日、ヘリコプターがやたらとうるさかった。体調がわるかった。リハーサルを抜けだしてスポニチをひらき、姫路の仕事を見つけた。ライブをすっぽかして、列車へ乗った。仕事はリフォーム会社のセールスだった。あまりに退屈で1日しか持たなかった。帰ってニュースを見る。どうしてヘリが飛んでたのかを知った。母子の心中だ。復興住宅の浴槽のなかで。おれよりもいくつも若い女だ。かの女には父も母もなく、弟だけだったという。だれも助けることができなかったというわけだ。



 酔ってたびたび、おれは電話をかけまくった。家族をやっつけようとして。おれの怒声に、父も母もすぐに切った。おれはそのたびに警察や消防や救急に伝をかけ、ぼけた父の安否確認や、病気で倒れた母、あるいは火事になった家について喋り、呼びださせた。憎しみに日夜、ふるえてた。そんなときだ、口座の金が抜かれてるのに気づいた。父だ。おれはタクシーで実家に乗り込んだ。返り討ちに遭い、メッタ打ちにされた。やつは鉄の棒をつかった。帰り道、おれは酒を呑み、電車に乗った。泥酔してた。痛みのなかでおなじ駅を過ぎたり、もどったりした。そしてどっかに降りて、切符をふたたび買おうとした。5千円を入れた。取り消しを押す。金は戻ってこない。駅員にむかってわめいた。かれらはあきれてホームに入れた。おれは嘔き気を憶えて駅からでた。そして歩き、どっかの公園で眠った。男女の声がする。おれのポケットを探り、金を持っていく。おれは動けない。眼が醒めて歩いた。タクシー乗り場にいった。車輌に乗り込み、三ノ宮を目指した。しばらくして金がないことに気づいた。呆然としてなにもいえなかった。おれは警察を呼んでもらった。執行猶予中だというにやらかしたんだ。仮設の葺合署に連行された。容疑は詐欺罪。乳房のでかい女警官に卑猥なことをいった。ぴっちりとした赫いタートルネック。かの女の手に縄があっておれの腰に繋がってる。エロかった。酔ってふざけたまま、田舎の警察署まで運ばれた。町の留置場はどこも満員御礼だった。翌朝、ほかの留置場へ移された。篠山警察署だ。相部屋の芦田真司という若いやくざものと打ち解けた。27歳で、背はひくい、細く、しなやかからだをしてる。テレビ芸人みたいに早口で喋った。ふたりでばかばなしをした。笑いあった。やつがやってる地元のパトロールと称した集団暴走や、薬の手入れがあったとき、どうやって切り抜けたか、そういった話がおもしろい。

 でも、やつの逮捕理由で気分がかわった。婦女暴行だ。シャブで高ぶったままナンパして無理やりに突っ込んだらしい。やつは薬の運び屋をしてた。じぶんでも大麻を育ててるという。妻とふたりの子供がいる。やつは謝罪文の書き方をおれに訊いてきた。そしておれに仕事をくれるといった。運び屋だ。1週間で200万。やつはおれの保釈に手を貸すといい、でたら家に来いといった。おれはやつの妻が差し入れた本に連絡先を書いた。やつはおれに背中の入れ墨を絵に描いてくれといった。いっぽう隣の房では山健組の若いのが警官とやりあってた。やがて室が変わって芦田とはわかれた。おれはヤク中の老夫と、微罪で勾留された中年のでぶと一緒になった。でぶは西脇市に詳しかった。母の実家の近くにあったJRAの厩や、商業施設の閉鎖も知ってた。やつはすぐにでて青年が入ってきた。不良でもやくざでもない。なぜこんなところにいるのかがおかしかった。おれはリリー・フランキーのエッセイを読みながら、かれの容疑について考えてみた。答えはいらない。

 おれの担当はでぶの刑事で、白縁眼鏡をかけてる。洒落てるつもりかもらしいが似合ってない。もうひとり禿げの老刑事が一緒だ。おれのいってることを片っぱしから否定した。おれは犯意を否定し、金がないことに気づいてなかったといった。ずっとそいつの繰り返しだ。エレベータで留置場にもどる。

   ナカタ、おまえ、身長いくつやねん?

  174ですよ。

   もっとあるやろう。

 だったら、どうだってんだ?──おれは房に帰ってノートをひらいた。怒りでペンを走らせた。《11月18日/本日、取り調べのみ。またも障碍について逐一話す。相手のでぶは脂だけで、内面といったものがない。やたらに「一般では」とか「普通だったら」とか「まともな人間なら」と宣う。そもそもわたしはかれらの志向や価値観などによって、10年以上も狂わされてきたというのにだ。なぜかれらのひとやものに対する見識に頷く必要があるのか。だれも答えてはくれない。わたしが考えもなしにタクシーに乗ったいっぽう、かれらが大した考えもなしに一般人を云々するのは同根だ。けっきょくは使っている脳の部位がちがうだけである。ただかれらが悪質なのは、あきらかに権力や地位を利用して政治的判断でひとを「孤立のなかで疎外するか、抹殺する」というところにある。霜山徳爾にしろ、中井久夫にしろ、文学や人間をわかった気でいるだけで、なにもわかってはいない。患者をねたに金を稼ぎ、みずからの立つ階級から降りようとはしない。そんなところに詩は存在しない。日本は精神や心理、脳についての認識はお粗末なものでしかないうえに、医者や臨床心理士は金のこと以外考えない。弱いやつは薬物と暴力と蔑みに、孤立と過古と未来によって宙吊りにされ、死んでいくだけだ。わたしはそいつがまちがいだと本能でわかっているから、あらゆる表現方法を身につけてきた。わたしは自身を作家とも詩人ともおもっていない。きょうも他人がいうから便宜上、そう名乗ったまでだ。ほんとうはただのなんでも屋だった。好きなことをやり抜くしか、わたしにはできない。少なくとも、集団心理や政治的判断で自身よりも弱い、劣ってる、醜い=悪とした対象を苦しめてなんの呵責もない、それどころか、父権的暴力によって生存権を奪おうとする、かれら政治的人間に少しでも歯向かおうものならこのざまだ。拒絶を喰らい、孤立のなかで苦しみ、気がつけば檻のなかだ。いけすかない。こんな社会は毀されてしまえ。なんとしても叩き潰さねばならぬ。さもなくばこの国を棄てて、ほかへ移るしかないだろう。どこか湿度の低い、涼しい土地でなにもかもをやり直したい。人生の再建だ》。

 次の送検でなんとか精神鑑定に持ち込んだ。芦田は組織から弁護士を派遣してもらってた。釈放されるみたいだった。でも署をでれば制裁が待ってる。怯えながら警官に泣き言をいった。

   助けてくれ、

   おれ、殺されるかも知れへん。

 おれは光風病院で話をした。まえに葺合で会ったことのある、留置場づけの警官が昇進しておれを待ってた。

   おれのこと、憶えてる?

  ええ。

 それから老いた女医をまえに自身について語った。ずいぶんと早口に。でもさんざんむこうに遮られて、けっきょくは酒をやめないさいで片づけられてしまった。帰り際、車のなかで昇進した中畑さんがいった、

   あんなに大人しかったのによう喋って驚いたわあ。

 なんとも恥ずかしい気分だ。おれはかつて大衆劇団にいたことを話した。かれは納得したように頷く。ふたたび篠山まで帰り、ノートをひらく。《11月25日/精神科医がいかに救いがたいかをおもい知った。けっきょくやつらのやりたいことは、ひとを分類し、利益になる薬を与えることだ。わたしはまたしてもアルコールの問題のみを過大評価された。わたしには長年抱える別の問題があり、それがアルコールへと繋がっていることに気づこうとしない。老女の医師はわたしの話を遮り、これを聴かなかった。またしても紋切型の反応。こういった光景がつづくにつれ、医学への不信が高まる。わたしのもっとも厭うところは感情の制御ができないことについてだ。ことに怒りや悲しみが湧きだすとき、手がつけられなくなる。これには成人までの体験が深く根を下ろしているのは確かだ。しかしだれもそれを汲んではくれない。もはや想像力を働かせようとしない怠惰なひとびとには、なにもいうまい。読み取る意思のないものからは去ってしまうほかないだろう》。

 釈放の条件として垂水病院へいくことになった。青年がだされたあと、おれがだされた。老刑事は退院したら電話をくれといった。垂水の永龍医師は失礼なやつだった。みてくれはよかったが、それだけだ。神経質に垂れた前髪が整髪料に塗れてる。権威に陶酔したさまがありありと浮かぶ。父がおれの口座から抜いてることは、おれの妄想として扱われた。──お父さんの気持ちもわかってあげなさいよ!

 そして森忠明との交流も妄想だと断言された。なんてやろうだとおもった。自閉症スペクトラム障碍と診断された。おれはひまつぶしにビジネス書を読んだ。「金持ち父さんと貧乏父さん」といったくだらない本だ。時間が赦すかぎり読んだ。あるとき、でぶ眼鏡がテーブルから声をかけてきた。

   きみ、本読むの?

  ええ。

   大卒?

  いいえ。

 それっきりこちらを見もせず、やろうはテレビにむかった。なんなんだ、この男は。髭まみれの若い薬中にも大卒かと尋ねられた。おれはちがうといった。薄笑いで、──うそでしょ?──というのがやつの返事だった。おれがおもってる以上に世界は偏見に充ちてた。高卒は本すら読まない。ただそれはおれの問題ではない。かれらの問題だ。なにも反論はしなかった。おれは3日で退院し、室に帰った。患者のひとりがいったことをおもいだす。「2度と来るなよ」。冷たい眼をしてた。おれはまた酒を呑んだ。フルキャストのばかどもから未払いの給料をせしめた。──もう2度とうちの会社にはかかわらないでくださいね!──百貫でぶがいった。どうにでもしやがれよ、人足寄め。なぜかおれはアジア系の外国人のふりをして電車に乗り、道や路線を尋ねた。おもしろかった。女どもがみな親切になった。けれどもサンキタ通りのチンピラにもおなじことをやってしまった。みんな笑ってた。でたらめだが発音がよかった。おれが日本人だと明かしたとき、やつらのひとりから1発喰らった。それでもおれはむかってった。記憶は途切れ、気づいたときには血まみれのまま歩いてた。警官に連れられ、顎と口を縫われた。そしてそのまま室に帰された。ひどい顔だった。しばらく腫れあがった顔で、あたりをうろついてた。さぞや、見ものだったにちがいない。ひと月と半分して、抜糸してもらった。傷は完全には消えなかった。



 スロヴェニアから郵便が来る。日本人女性から画材や現金が贈られてきた。おれのことを少しでもおもってくれるひとがいるのは嬉しかった。かの女とは'11年以来ずっと交流がある。おれが電話番号を知ってるふたりめの女だ。さまざまなひとがおれの作品を、人品骨柄を善しといってくれた。ただ申し訳ないことにおれは多作ではないし、気まぐれで書いてるところも多かった。だから作品の質にむらができてしまうし、一貫性に欠けるところもあった。毎日、作品を書き、技術を磨いてる連中からすればインチキもいいところだ。そのいっぽう野崎義成という画家が、はじめてちゃんと描いた油彩を買ってくれた。温かい手紙もくれた。けれどもおれはかれに絶縁されちまった。おれが絵の宣伝を手伝って欲しいと頼んだからだ。神戸で売り込みができなければ、東京でもおなじだというのがかれの回答である。そのときおれはひどくうろたえ、かれから送られてきた手紙をぜんぶ棄ててしまった。おれはかれの誇りに疵をつけてしまったんだ。あれからまとも油絵を描かなくなった。金がかかるというのもある。でも描いてるとかれに対しての申し訳なさや羞恥が勝って、なにを描けばいいのかがわからなくなってしまう。これはどうやっても治らなかった。おれはまた水彩へもどり、油絵の道具も家財も物置にしまってる。どうすることもできなかった。

 ときおり父と電話で口論になることがあった。だいたいはおれが酔って電話をかける。そしていままでされたことの対価を払えと捲し立てる。それについて父のいうことは決まってた。

  おまえはたいしたことなんかなんもしてへんやろ!

  おまえはいつも仕事いいつけたら逃げとったやないか!

  おまえはできがわるいからしごいてやったんや!

  おまえ、韓国みたいなやつやな。いつまでも日本に過古のことでたかる!──そういった。中田家も、母方の村上家も、もとは大地主で保守を気取ってた。没落した今でもだ。さすが家庭教師を3人もつけてた男だけある。いうことがちがう。生憎、たまに父が買ってた、「SAPIO」や「WILL」や「正論」みたいなおたわごとは卒業済みだった。中学生のときはそんなものをおれも読んでた。小林よしのりの「戦争論」とか。愛国美談はものごとのある側面でしかないことをいまではわかってる。そんなものに突き動かされるのはごめんだったし、そんなものを全体であるかのように語る連中にもうんざりだった。おれは国に殉じるつもりもないし、そういったことはどこぞのマッチョに任せておけばいいとおもってる。どこへいっても爪弾きされるなら、好きなことやってくたばるほうがいい。



 そいつはまったくの偶然だった。おれがひまつぶしに郷里について調べてみたときだった。両親の、というよりも父の家が画面に映った。ろくな剪定もされてない、荒れた庭木や植木、錆びた柵、錆びた門、腐った鉢植えたち、犬のくそ、母屋のまえを覆う、くたびれた室みたいななにか、積年の汚れで溺れてる犬小屋、ガレージのうえのなぞの小屋、むきだしの建材、雨風に冒され、変色した木の壁、すべては灰色ががってて、とても不気味だ。ホラー映画のセットにも見える。とても生きるものが棲んでるとはおもえない。ひどいものだ。父は隣の土地も買い取ってた。そっちには駐輪用の小屋と、作業小屋、畑があった。むかし、間伐のさなかに山火事を起しかけたこともあった。おれはこんな場所で育ったのだ。ぞっとした。もう2度と見たくはない。 

 投稿もせず、あたらしい詩集もだせず、そうこうするうちに、おれは32歳になってた。有馬高原病院に3度入院したあと、カウンセリングにいくようになった。これがよかった。話をすれば心も軽くなってった。おれのなかで友衣子の印象は、どんどん薄くなってった。11月、イベントの設営や洗い場で働き、それからバーテンダーの職をみつけた。'17年1月、おれは波河繁雄の実家にいった。かつての同級生は迎えてくれた。かれの母親もおれを憶えてた。しかし、ふたりのあいだの断絶は隠しようがなかった。かれはおれの漫画のはじめての読者だった。かれとお節の残りを喰い、スポーツ中継を見、将棋をした。音楽の話もしたが嚼み合わなかった。かれはコーンというバンドに熱心だった。

   ミツホ、日本の音楽やったらなに聴くん?

  え、くるりとか。

   ふつうやな。

  あとエレファントカシマシ。

 やつは笑った。

   ひねくれてるなあー。

   映画は、──恋愛映画とか観ぃへんの?

  「バッファロー'66」が好きだよ。

   パンクやなあ!

   おれも好きやで。

 それからそとへでた。スーパーマーケットはなくなり、家が建ってる。駄菓子を買ってた米屋はべつの店子が入ってる。そのまま坂を下りて丘を降りる。途中に小山の家がある。かれには中学生のころ、嘉門達夫を教えてもらった。秀才で英単語をいつも諳んじてた。かつて勤めてた「わかまつ」が見える。いまでは中古車ディーラーだ。狭い駐車場に車が並んでる。おれたちはコンビニへ入った。おれは白ワインのポケット・ボトルを買った。浪河はあきれてる。帰りはべつの道から丘をあがった。その道は友衣子の家にもつづいてる。おれはひどい気分だった。なんとか、かの女の家を過ぐ。今度は小学校だ。おれはでぶといっていいからだをなんとか運んだ。

   ミツホがよく遊んだのってだれなん?

  え?──上村かなあ。

   あいつも気が強いのか、弱いのか、よくわからんやつやったな。

   どうしてミツホは、おれんところに来たん?

  とにかくだれかに会いたかったんだ。

   ミツホは過古にこだわりすぎやで。

 かれはドストエフスキーやニーチェを読んでたけど、これといった見識はなかった。おれの詩集を読んで「だれにむけて書いてるのかがわからない」といった。読み手としかいいようがない。べつに特定のだれかのために書いてるわけじゃない。細野晴臣の「終わりの季節」という歌をおれはおもい浮かべてた。《たしかな言葉はさようなら》だ。口にこそださなかったが、かれとも訣別するときが来てた。今年結婚するという。

 おれは室に帰った。友衣子に最后の葉書をだした。《ぼくはストーカーになるつもりはありません》とか《あなたがいちどでも返事をくれたことに感謝します》などと書いた。友衣子の友人嘉村大介に電話をかけた。苦楽園で装飾品の修復や加工をしてる。「おまえと話すんは時間の無駄や」といって切られた。つぎに長福に電話をかけてみた。はるか南で写真館をやってる。かの女はおれをかばったためにひどい眼に遭ったらしかった。なにもかもが終わった。やっぱりいまさら謝っても、なにも変わらないんだ。それからすぐ漏斗胸の手術を受けた。へこんだ胸の骨を金属のバーで持ち上げ、固定する。想像を絶する痛みだ。手術が終わって数日は歩けもしなかった。そのうちどうにか立てるようになって、歩行訓練をした。それからバーテンの仕事にもどった。痛みはひどい。べつの手術法を撰ぶべきだった。けっきょく再入院することになった。フェリーで高松へ。琴電とバスで医大へ。ひどいありさまだった。

 酔っぱらいの接客は苦手だったし、酒のなまえや、作り方を憶えるのはやっかいだった。それでも愉しかったし、5月まで働いた。肉体が限界だったし、オーナーの未亡人とも諍いを起した。かの女は、ほかの従業員の悪口をおれに吹き込んで来る。これには参った。いうほうは楽だろう。でも聞かされるほうは堪らない。そしてかの女はおれのことをほかのやつらに吹き込んだ。たかがおれがコースターのデザインをいいと頷かなかっただけでだ。おれは悪態をついて去った。

 6月には個展を控えてた。個展会場は「ブッカート・カフェ」、栄町だ。そこを紹介してくれたのも栄町の雑貨屋だった。その店でおれは絵葉書を売るつもりでいた。でもけっきょく予算が合わなかった。個展が決まった夜、店主はおれに上海料理をふるまってくれた。そんなかれもいまはもういない。香川へいっちまったからだ。おれは個展のためにたった、いちまいだけ新作を描いた。なんとか描けたといったほうが正しい。それは人間の足を生やした馬の絵だ。



 ようやく童貞を棄てた。飛田新地の青春通りでだ。女は若かった。声が酒焼けしてた。でも肌がとてもきれいで素敵だった。かの女が服を脱ぎ、おれのコックにコンドームを着させる。やがて挿入のときになった。かの女の孔のなかにおれの茎が入れられる。すべてがかの女の導きだ。とんでもない痛みが奔る、駈けめぐる。その痛みのなかで闘牛をやる。呼吸がどんどんどんどん荒くなった。でもけっきょく射精障害でいけなかったんだ。でも女の子の手を繋いだり、髪を撫でたりするのは、ほんとうに心地が良い。かの女のなまえはいちばん下の妹とおなじだった。それを知った一瞬、かたまってしまった。それでも終わってしまえば、ますます友衣子のことはどうでもいいことになった。古傷はやがて消える。作品の登場人物であって、現実の、生身の人間でなくなっていく。帰りしなサムライ・ブルーのユニフォームを着た女の子を見つけてしまった。──ちくしょう、かの女とともにしたかった!

 おれは島村楽器へいった。村上友代が話しかけてくれた。

   ああ、ナカタさんじゃないですよね?

  ええ。──教室以外の仕事もなさるんですね。

   はい、空いてる時間はこっちの手伝いもします。

  そろそろ、曲を録音しようとおもってるんです。

 かの女はデモを聴いてくれるといい、教室への再入会も奨めてくれた。でも、しばらく経って店長が断るといった。数年まえ、予約をしながら来ず、月謝も払わなかった、しかも酒呑みだと、小太りの眼鏡から電話が来た。おれは酩酊してかの女のSNSに触ってしまった。かの女はアカウントを閉じ、それからは石橋楽器に変えた。そっちのほうが品物もサービスもよかったからだ。おれはあたらしい詩集を編んでた。もう2年も。けれども売るには在庫がいる。オンデマンドでいくら宣伝しても買い手はつかない。もっと安く、手頃な商品をつくらなきゃない。絵葉書、あるいはポートフォリオ、小さな画集や写真集、ことばが少なくて済むものをつくらなければとおもった。詩がわかるやつなんてこの世にいったいどれほどいる?

 生活保護費は減らされていくだろう。おれには障碍者可算があるが、それでもまえよりはきびしい。懲罰的で、家父長主義の世界がどこまでおれを追いつめる。なんのために?──みんなで一緒に苦しむためにか?──おれはそんなもの受け入れないからな!──壊れた椅子や、汚れた服、観たい映画、どれもままならなかった。べつに贅沢がしたいわけじゃない。おれだっていつまでも淵を歩くわけにはいかない。でも、ひとに使われるのはもういやだ。それまでの労働体験がすべてを物語ってる。単純労働者として人生を終わらせるのはいやだ。ただじぶんのために働きたい。だれかの利益のためでなくだ。おれが学んだのは、だれかに雇われ、使われるのは人生にとって有害で、毒でしかないということだ。毒よりも虚無のほうがましだ。昼夜、罵声を浴びながら働くなんて魂しいがどうにかなっちまう。そんなものはうんざりだ。ハートランド・ビールを呑み、ストーンズを呑んだ。おれは立ちあがって窓を見た。だれもいない公園、ラブホテルの群れ、そして野良猫たち。──恋人が欲しい。──空想や夢のなかの女たちはもはやおれのなかに現れてくれない。たったひとり、おきざりにされたおれは見棄てられた田舎者だ。遠いあこがれのなかで、なによりも惨めなじぶんが透けてみえるくらいに孤立してる。


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