第7話 アスク・ザ・ダスト
*
年があけておれは鱈腹喰い、呑んだ。永易に電話をかけ、あたらしい住所を報せた。電話は父が買ったものだった。じぶんで買うつもりも、それをやろうは赦さなかった。それでもって料金はおれが払うはめになった。おれはじぶんの作品を売りにだそうとした。それまでの作品をスキャンし、絵葉書を刷り、ほうぼうで話しをした。扱ってくれと。
夜だった。近所の新古書店「ブックス・カーリーズ」が取り扱ってくれることになった。おれは店のポスターなんかをサービスでつくった。たった数百円の売上だったが、じぶんには価値があるということをようやく実感できた。作品見本輯を共同出版する話も浮上した。けれども店は移転計画のために閉店してしまった。どこかへ移ると店長から聞いた。いつになるかはわからなかった。店長の中島さんはきさくで、おれがなにかを買うとき安くしてくれたりした。
永易におれは情況を報せた。しばらくしてやつが仕事をくれるといった。たかり屋にしてはめずらしく、報酬も2万だ。内装工事の手元だ。おれはさっそく西大寺に乗り込んだ。1日めを終え、やつの恋人宅へいく。古民家を改装したアパートだ。ジンのボトルがやたらとある。3人並んで眠ることになった。寝室の本棚、そこにはチャンドラーや村上龍があった。おれが読んできた本ばっかりだ。おれのほうが気が合うんじゃないかと一瞬おもった。おれは眠った。朝、おれひとりだけだった。階下へいく。すると毛布をかぶったふたりが身を寄せ合ってた。どうやらおれは眠ってるあいだに嘔吐したらしい。
車に乗って現場へいく。おれは前金で酒を呑んだ。もちろん隠れてだ。ウィスキーのミニチュア壜を何本も入れた。けっきょく仕事にはならなかった。やつから貰ったジャンベを持ってふたり電車に乗った。大阪方面だ。おれが路線をまちがえる、やつが咎める、おれは「くそ!」といってやつのいるホームへ急ぐ。帰ってくると、やつから私信だ。《酒やめるまでおれとミカに近寄るな》。
翌年の夏になって、永易が電話してきた。おれの絵をオフィスに展示したいという。おれはかまわないといった。ただし展示料はもらう。するとやつは絵を売ろうといった。昔のよしみだ、こればっかりはしかたない。そうおもってうなずき、絵を送り、展示案やポスターを仕上げて、神戸から西大寺くんだりまでいってやった。やつはポスターを気に入らないといった。場所である、椿井市場が目立ってないといい、"bargain sale"という個展名や展示方法にも難癖をつけた。だったらぜんぶじぶんでやればいい。後日、ふたたび西大寺のオフィスに訪ねた。資料用の素描へ"The Outsider Art"と直かに書かれ、市場の各所に貼ってあった。これほどの侮辱はない。そいつはいままでみたこともない悪意だった。やつは笑ってる。おれはポスターを造りなおしてた。でも印刷の予算まではない。やつは興味を示さなかった。手持ちのラップトップで確かめようとすらしない。アウトサイダー・アート──それは手垢つきの過古だ。それはすでに体制のものだ。おれは真夏の市場でひとり汗をかき通しだった。飲みものも喰うものもなく、オフィス番をさせられた。椿井市場にはひと気がない。だれも通りはしない。こんなところで個展はむりだ。夕方になってやつが帰って来た。おれは展示する絵にもやつの文字が入ってるのに気づいた。
どうしてくれるんだ?
ああ、買い取ってやるわ。
でも宣伝になったからええんちゃう?──宣伝になどなってなんかない。
夜。おれたちはトラックで通行どめに遭った。工業用扇風機を運んでるときだ。やつにとってのいつもの道が塞がれてた。やつは警備員を面罵して──ここを通せとわめき散らした。歩きながら叫ぶ。──責任者呼べ!──おれはハンチングに隠しきれない恥ずかしさでいっぱいだ。やつがもどって来て警備員に呶鳴った──そんなんやから、そんな仕事しかできへんねん!
警備員は小さく「このばかがッ」といった。するとやつは真っ赤になってかれに飛び込んでった。地面に叩きつけたれたかれが「警察呼んでくれ!」と悲鳴した。おれはやつを撲るべきだったかも知れない。とめるべきだったかも知れない。しかし、そいつはまるで屁をひってから肛門管をしめるようなもんだ。きっと「拳闘士の休息」っていうやつだ。トム・ジョーンズはイリノイ生まれの作家である。やがてひとびとがあつまりはじめた。そのなかには非番の警官を自称するものもいた。それでもやつはひるまずにわめきつづけてた。やがて警官が横断歩道のむこうから歩いてきたとき、おれに運転しろといった。
どうして?
免許ないから、
ばれたら困る。
おれはエンジンをかけ、サイドブレーキを解き、警官がたどり着く寸前にロウ・ギアに入れて発進した。やつは角をいくつもまがらせ、追っ手がないのを確かめさせた。それから運転を変わった。痛風で左足が痛む。
「こんなことが週に何回もある、でもあの警備員は仕事に責任感がなかった」──ピアスまみれの顔でアクセルを吹かした。そのとき口にはできない感情をおれは自身に感じとってた。ふたりで扇風機を事務所の壁につけようと苦戦しながら、やつはいった──おまえの学習障碍なんて甘えだ。おれはおもった、──杖や車椅子は滅ぼすべきというわけ?──取りつけた礼もない。ハーパーを呑んでからやつの室まで眠りにいった。そこには喰うものも、呑むものもなかった。やつはけっきょく身銭を切りたくないだけのやろうだった。本棚の目立つところに「超訳・ニーチェの言葉」がある。そのばかげた本でいっぺんにすべてを諒解した。このくそったれは超人にでもなったつもりなんだ。そしてみんながそうなるべきなんだって信じてるんだって。そして友情はおれを必要としてないというのがわかった。
翌朝、おれは体調を理由に帰った。夕暮れ、酒を呑む。twitterになにもかもを暴露した。憎悪にたやすく傾いてしまった。もっとちがうやり方があったにちがいない。でもおれにはやつとの見えない主従関係をぶち破ることしかできなかった。やつからの着信をとらず、代わりにショート・メッセージで応じた。
おれは対等に話しがしたいんだ。
生活保護者が対等なわけないやろ!
やつの正体がわかった。ずっとおれのことを下位に見てたんだ。だから金があればたかるし、なければ用なしなんだ。そうだ、やつはじぶんに従うものを探してただけだ。翌朝、父が来た。永易から電話があったという。おれの書き込みをすべて消せと要求した。父は完全に永易の側に立って喋った。いったいおまえになにがわかるというのか?──後日、おれがやつの1件をたれこんだのを知って電話がかかって来た。──おまえは友だちを警察に売ったんやぞ!──なにをいっても無駄だった。
やがて夜になって公園を若者たちが騒ぎまわってた。男たちと女たちの嬌声に耐えきれず、アパートを降りる。おれはわめいた。女たちがキモイなどとお得意の三文字言葉をいった。おれはそのなかのひとりに狙いを定め、パンチを繰りだしたがやつらの足はすばしっこく、ひとり残らずに逃げられてしまった。ようやくおれは気がついた。バンテージを忘れて、重量もすでに超えていることを。そして最悪のことにもはや若者ですらないということを。
*
ほかにも酔ってらんちき騒ぎをやらかした。あるとき、階下で少女がわめいてた。母親に喰ってかかってた。おれは「うるせえ!」と怒鳴り、階下へいった。少女にむかって「なにをそんなわめく必要があるんだ?」といった。母親がおれに謝った。真冬にエアコンが効かず、駄々をこねてたらしい。おれもかの女に謝った。後日、郵便受けで少女に出会した。おれは朝から弾き語りにでて帰りだった。ひどく惹かれた。黒髪のショート・カット。大きな眼。うつくしい。なにもかもがよかった。でも、すぐに母娘は引っ越してった。
*
群馬の女性が眼をかけてくれるようになった。澤あづさという筆名で、整体師だった。遺伝性の眼の障碍で、どんどん視野が狭くなってると聞かされた。こういったことはどういう態度で接すればいいのか、まだわからなかった。かの女はおれの小説をたかく買い、金を払いたいといった。ほんとうに金が送られてきた。5千円。おれには手製本の詩集を送るしかなかった。かの女はおれの人生の話をよく聴いてくれた。おれはかの女にすっかり甘えてた。でも送った第2詩集には反応がなかった。おれは失望し、それからはどういわれても心を入れて応えなくなった。かの女はあくまでおれの小説が好きなのだ。詩で培ったものを小説に活かそうとしたのは正解だったが、詩そのものは相も変わらず退屈な抒情詩で、心情に共鳴するか否かのものでしかった。
おなじころ、医者をしてるという女とも知り合った。筆名は「無名」。へたな酷評で知られてた。かの女はおれを煽った。もっと暴れてください、もっと酷評してください。でも金はくれなかった。──あなたにお金をあげても酒を呑むだけです。──その通りだった。澤あづさと並行してかの女にもおれの人生を語った。かの女はじぶんよりも澤あづさが尊重されてるとおもって嫉妬した。あるとき、かの女のtwitterを見た。幼い娘の躾について辛辣に書いてた。どうやらその娘は発達障碍らしかった。じぶんの母を懐いだしてやりきれなくなった。おれはメールでなじった。かの女はうろたえ、去ってった。教えてくれた電話番号にかけたけど、でなかった。それっきりだ。傷つけたことはわかってる、でもどうしようもない。ほかにも何人かの女たちと話をした。遠くに棲む女たちと交信した。おれは酒と怒りに狂ってたし、ほとんどの場合、やさしくはなかった。ひとりだけ実際に会った女もいたけど、とてもおれの好みじゃないし、深夜にかかってくる電話にも辟易してた。かの女に会い、かの女にわざときらわれて、それきりだ。女たちはいったいどこへ消えていくのか。おれにはわかりようがない。どんな男だってそいつは知らないだろう。おれはかの女たちの餌食になるほかはない。おれがかの女たちを捕まえることなんかできやしない。おれは素面であろうと、酔っていようと、いけ好かないやつで、ろくでもないやつだ。かつて映画館でおれは声を女からかけられた。でもおれは臆病で、かの女からの誘いをむだにしてしまった。もっとおれなりのやり方があったのかも知れない。いいや、そんなものはないだろう。だれかと一緒になるなんて考えもつかない。おれを愛してくれ、おれに触ってくれ、──そうはおもっても声にはできない。やがて季節がかわって、呑みながら町を歩き、やがて遠いおもいでの彼方まで飛び、愛してた女たちを視た。かの女たちとのつながりなんかありはしない。それでも懐かしいおもいのなかで、かの女たちを抱きしめた。抱きしめつづけた。やがて涙がながれ、おれのなかのおもいがすべての路上を伝うまで、泣いた。おれにできることはなんだろう。もはや多くの人間にきらわれ、孤立のなかで可能性を失いつづける。ひとは時間に敗北するしかないということをいやでも意識させられる。どこにいるんだ、おれの恋人、おれの聖家族たち、おれの友人たち。おれはまたしても社会にもどっていくしかないのだろうか。みずからの無力さをこんなにも識りながら、どうやって戻ればいいのか。星が銀色に光り、おれは見あげる。かつてあったものに、喪われたものに心を展くためにだ。
でもむだでしかない。わかってる。おれは帰ってノックビンを呑んだ。酒はしばらくやめたかった。でもこんな薬、すぐには効果がでない。おれはいまでも愛しかったものの幻しのなかで、おれは倒れた。それから眼を醒ましてジェイムズ・サリスの「黒いスズメバチ」を再読した。映画「オン・ザ・ロード」を観た。「ピカソになりきった男」を読んだ。さまざまな声がさまざまなところから聞えて来る。おれはいったいどうすればいいんだ?──おれはでたらめに電話をかけた。永易の母親がでた。やつはおれとのことがあったあと、自裁を図ったという。子供ができたのは知ってる。でも自裁は初耳だ。おれのせいだ、おれが追いつめたんだ。
*
しこたまに酔ったあるとき、おれは公園のそばを歩きながら卑語や猥語を叫んだ。おまんこしろ!──やりまくれ、やりつくせ!──そしてふたりの恋人たちを室にあげた。おれはギターを弾いてみたり、なんにか、ちょっとした会話らしいものをしようと苦戦した。そのうちに女の子のほうがおれの絵を褒めた。「豚のためのスケッチ」という水彩画で、そのころの代表作だ。かわいいといった。おれは気持ちが高ぶってかの女にあげるといった。そして希死念慮を吐露した。男は死ぬなんていうなとじぶんの連絡先を書いた。女の子は中国人だ。そのあといちどだけ電話をかけた。それっきり。
*
無人の村
を撃て
殺しのハミング
とともに
だれもいなくなった台所で
水と水とが対話する、
14匹の鰐たちが
ガードレールに沿って歩く
おお、マリルー!
いい加減に床屋だけはあけといてくれ
鰯の髭を落としてやるためにな!
13/07/03
*
金曜日の夜。わたしは保安官助手に連れられて遺体安置所に来た。滝田らしき死体があがったらしい。射殺体だ。凍てついた湖岸に守られ、きれいなものだった。まちがいなくやつだ。わたしはしばらく黙って立ってた。さまざまな手続きが待ってた。でも動けなかった。しかたなく一晩だけ、待ってもらった。わたしはいったいなんのためにたくさんの血を流してきたのか。そいつは虚無以外のないものでもないようだ。ロージーと一緒に酒を呑んだ。安いバーボンだ。工業用水の味がした。多くの死者、それもじぶんが殺ったやつらの死にざまが、わたしの眼を覆い尽くした。滝田を殺ったのはロージーだ。でも、かの女を責めたところでしかたがない。過古のわるいおもいでがそうさせたのかも知れない。それ以上の追求はできないだろう。わたしはもっとましな酒を求めて宿をでた。酒場をいくつかまわって、ロージーのもとへ帰る。手にはカティ・サーク・ストームがあった。べつにこれだっていいものじゃない。でもヘヴン・ヒルよりかはずっとましなはずだ。外套を脱ぎ、カウンターに投げ、ラウンジで待つ、かの女のために、2杯の酒をつくった。わたしはコロナ・スマトラに火をつけ、赫くて大きな鰐みたいなソファに坐る。ロージーは媚びるような眼差しをしてわたしを見た。
映画、観ないか?
どうしたの、急に?
なんでもいい、とにかく観よう。
ふるい日本映画だ。題名は「野獣の青春」。暴力以外のなにものでもない映画だった。
へんな映画ね。
そうだ、おかしな映画さ。
わたしたちが映画を観終わったあと、電話がかかって来た。社長からだった。土曜日の夜、劇場に来て欲しいということだった。ロージーも一緒にだ。たぶんわたしたちは殺されるだろう。もうYもfiveもいない。まったくの用済みだ。
社長はおれたちを殺すだろうね。
かもね。
わたしたちは抱き合った。唇を奪い合い、手を握って寝台に横たわった。かの女がじっとわたしを見る。わたしもかの女を見る。翌朝、ハンクのピックアップに油を積んだ。腕時計を使って簡単な発火装置をつくり、夜を待つ。どれも映画や小説で憶えたことだった。すべてを神が拵えたとしたら、やつもわたしも地獄行きだ。わたしは死体安置所ですべての手続きをした。もういちどだけ滝田の顔をみた。大麻をやってる最中だったんだろう、気持ちよさそうな顔してる。胸にあいた穴が釣り合わないほどに。大使館に連絡した。わたしはまったく無知だった。こういったとき、どうすればいいか、かれの家族を探して報せるにはどうしたらいいか、遺体の帰国をどうしたらいいか、まったくだった。保安官に半分まかせ、わたしはかれの遺品をまとめた。旅行記を書いたメモ、手紙の草稿、ライブ会場の連絡帳、カメラやなんか。
夜が来た。おれはひとを殺したんだ。報いを受けるべきかも知れない。丸腰のまま、映画館までロージーといった。いざとなれば発火装置がある。レッドネックとメキシコ人が扉のまえに立ってる。わたしたちの挙動をすべて見張ってる。スクリーン裏ではスコフスキイ社長が待っている。どうしたらいいのだろう。ためらいながら社長のまえに立つ。
ひとを殺した感想はどうだ?
報いを受けるしかないというところです。
ほう、えらい心がけだ。
わたしにはもう帰る家も国もありません。友人も死んでました。もはやなにも残ってはないのです。
スコフスキイはわたしのことばが真意からのものか、図ってた。銀縁のなかで両目が左右に動く。わたしとロージーを見較べて、思案してる。長いあいだ、それがつづいた。わたしは気がおかしくなりそうだった。ここで殺されるのか、はたまた別の場所か。そのとき、おもてで大きな音がした。映画館の扉から炎と煙が入って来る。やってしまった。レッドネックとメキシコ人が消化器を持って出入り口に走る。やつらは風に煽られ、火だるまになってそのまま見えなくなる。スコフスキイは裏口にむかって突っ走る。そして銃を抜き、まえをむいたまま、わたしたちへむかってを撃つ。おもての扉が焼け落ちる。ピックアップが爆発し、火は受付を乗り越え、客席にまで迫る。
わたしはロージーの手を引いて裏口まで走る。スコフスキイが裏口に鍵をかけてた。ふいにロージーが銃を抜き、鍵穴を数発で打ち抜き、扉を開ける。ちょうどスコフスキイがじぶんの車に乗り込むとこだ。マット・ブラックのメルセデスへ。やつがふりむく。その顔は白い、──白すぎる。ロージーがやつの顔を撃ち抜く。穴のあいた顔はマグリットの絵みたいだ。ふりむきざまにかの女はわたしをも撃つ。わたしは仆れ、わたし自身の銃痕に吸い込まれていく。やがてなにも見えなくなった。
*
他人のなまえも
職業も
詩に見える
失ったおもいで
みたいなものだ
ぼくはきみではない
ぼくがどんな変わろうとしても
詩句や切字はぼくの皮膜から放たれる
かつてプールサイドで
きみを見た
カミングズのみたいに
きみのこと
書けたらよかったのに
ぼくはぼくでしかない
ぼくはぼくでしかない
13/11/25
*
寝台に横たわって、ずっと点滴を受けてた。'13年6月。赤十字病院。気温はずっと上昇傾向。見舞いに来たのは西村玄考という詩人だけ。リルケ集、映画「night on earth」、蜜柑をたずさえてだ。気分はずっと沈んだままだ。夜になれば泣き、本を読んだ。恋愛小説だ。そんなものはそれまで読んだことがなかった。かれが帰ったあと、蜜柑を喰った。そして夜になるとまた涙を絞り、メモを書いた。すべてはかつて好きだった女たちについてだ。中窪さんには会えない、北甫はどうか、村上なら、もしかしたら。淋しかった。おれはもうじき29だ。最后に友衣子と話してからもう13年が経つ。タイムカプセルのときは呼ばれなかった。同窓会にも、クラス会にもおれは無縁で生きてしまった。成人式にもいってない。来年には30になる。かの女に会っておもいを告げたい。退院したら、facebookで探してみよう。やがて朝の光りが神々しくおれを包んだ。見事だった。天使の羽根みたいだ。正体不明の多幸感ともにおれは病院をあとにした。
おもったとおりだった。SNSには多くの同級生がいた。おれは知ってるやつに片っ端から友だちリクエストを送った。でもおれはだれの友だちでもない。でも、友衣子のアカウントは共通の友人なしではリクエストができないようになってたからだ。やるしかない。かの女の男友だちがいった。友衣子はもう結婚してて、最近出産したことを。タイムカプセルだって20の年の10月に開けられてた。50人の同級生と3人の教師が集まってだ。かの女にリクエストを送った。反応はない。メッセージにも返事はない。それらを発散しようと、かの女へおもいを同級生の女たちに告白してまわった。みんな笑ってくれた。本心かはあやしかしいものの。しばらくして松本美枝が、小学2年生時のクラス会をひらいてくれることになった。あのときの担任は今宮、おれにはじめて詩を教えた人物だ。友衣子はあいかわらず、おれを黙殺してた。そんななか、おれはジンで泥酔のうえ、ガラス戸に突っ込んでしまった。からだじゅうガラスと血に塗れ、気づいたときには昼だった。おれは役所にいった。ケース・ワーカーに会った。かの女はすべて知ってた。ガラスに突っ込んだことも、酒を呑んでたことも。
どうしてそんなに呑むの?
ぼくは孤独なんだ!
そんなやりとりがあったらしい。そのあと一緒に医者にいき、帰ってきたという。すべて憶えがなかった。クラス会には、行かないほうがいいともいわれた。でもおれはどうしてもいきたかった。けっきょくクラス会にいった。まるで喋れなかった。おれには話すことがなかった。波河がいる。遅れて徹がきた。子供をつれて。幹事の松本美枝、仲島、小山、そしてなまえのわからない女たち。徹が、かの女らを呼び捨てにしてる。おれにはできない芸当だった。松本は郷家についていった、女子校にいってじぶんよりも弱いものをいじめてたと。教師はおれの、いまの詩を好きになってくれなかった。徹はすぐに帰った。おれはウォーホルの画集を見つけ、今宮にいった。
ウォーホルは母性を知ってるが、父性を知らない。ぼくはその反対です。
大きな画集の角が松本の息子のあたまに当ってしまった。おれは慌てて、子供を見た。松本があやす、大したことじゃない。帰り際になってかの女に礼をいった。呼んでくれてありがとう。太りぎみのからだを抱え、おれは帰った。店をでると仲崎の夫が車を止めてる。何人かを残してアディス!──そうおれは叫んだ。うしろのみんなが笑った。小山夏海がいった、
おもいだしたわ、ミツホ、雨の日でも晴れの日でも、「きょうは清々しい日だなあ」っていってたよね?
ああ、そうさ。
それこそがおれだよ。
隣に東森という女がやって来た。おれの歩調が遅すぎる。小雨がもうずっと降ってる。どんどん雨脚は強くなる。どうしようもない。──「おれは好きな子がいたんだ」とかの女にいった。かの女は、おれをいじめてたやつを友だちにしてる。おれは悔しかったよ。──ああ、よくあることやん。──んで友衣子から返事はなかった。──女にいった。こいつは妹を虐めてたやつだということを、そのときおもいだした。
おれは自殺したい!
女が笑った、──ミツホ怖い!──妹をいたぶった淫売。駅でみんなとわかれるとき、おれはまたアディオス!──といった。もうだれも笑わなかった。室に帰ってから、うっかり障碍者手帖を忘れてしまったのに気づいた。松本に送ってくれるように頼んだ。数日してとどいた、封筒にはかの女の住所が書かれてなかった。ちくしょうめ、おれを侮蔑してやがる。おれはSNSで愚痴をぶつけた。かの女のいいわけに怒った。忘れただけだといった。おれは話題を変えたが、けっきょく《けつでもまんこでも喰らいやがれ》と12回くりかえした果てにブロックされた。なにもかもむなしいだけだ。おれはもういちど村上にメッセージを送った。かの女を好きであること、放浪生活や病いのなかいたこと、絵や文学、音楽を学んだことを、自裁するつもりであるのを長々と書いた。するとようやくかの女が答えてくれた。かの女は慌ててた。むりもない。
《いまちょっと手が放せないんです。無礼講で話しませんか?》。
《わかりました》。
《いろいろと苦労されていたようですね。私のこと、おもっててくれてありがとう! 勇気がでたよ!》。
《こちらこそありがとう》。
《でも、私には19歳で自殺した同級生がいます。働きながら好きな美術の道へ進んだ矢先、事故で死んだひともいます。奥さんと子供さんを残して若くして亡くなられた方もいます。わたしは命を粗末にするひとはきらいです》。
おれは戸惑って弁解を並べた。そんなつもりじゃないとか、どうかしてたとか、でもわるくなるばっかりだった。会いたい。絵を見て欲しい。そんなことをいった。かの女の男友だちがおれをかつて虐めてたと拗ねて非難までした。嘉村も蒔田もいけ好かなかった。
《あなたの記憶にある私は今でも中学生の私なんですね。彼らだって同じだけの年をとり大人になって過去の自分を恥じることもあるだろうし、私だって思い出したくない過去などたくさんあります。そんなことを言うと、あなたにしたら、どうせたいしたことないのだろうと思うかもしれないが、あなたにとってはたいしたことなくても私にとっては大したコトなんだよね。価値観は人それぞれ。人との距離の取り方も人それぞれ。ただ今の私に言えることは、正直、あなたに対して少し戸惑いがあると言うこと。それは好きとか嫌いとか軽蔑するとかそんなコトではなくて、私なんかがあなたの人生を左右してしまうことになって良いのかと言う戸惑いの方が大きい。自分に責任は持てても人のコトまで責任を持てるほど出来た人間でもそんな器の人間ではないと思うから》。
それが最后だった。あとは、いくらメッセージを送ってもむだだった。おれは荒れた。かつてのいじめっこたちにことばで復讐した。男でも女でも容赦はない。田中良和や義村廣、久保江里菜や竹村紗代──ほかにいろんなやつらに悪態をついた。女たちはすぐに謝った。男はだれひとり謝らなかった。それでも久保なんかは男友だちに「いじめられた」と訴えた。男がおれにいった、友だちをいじめるな!──やつの親は友衣子の親と親戚同士だった。おれがやったことを正しいとはおもわない。ただおれがいわなければ、やつらは黙ったままだろう。竹村にしたってほんとうに謝ってるかはわからない。久保よりはちゃんとした返事があって、ちゃんとした言葉が遣えるのはたしかだし、真摯におもえる。それでも「やり返してやる」とタイムラインに書き込んだ。中学時代の知り合いが私信が寄越す。
《やり返すって言うけど、まず方法がおかしいわ。あれこれ受け入れられへんやら昔のこと言う前に、今の自分が人とちゃんと向き合えるようになろうや。相手の現在とか状況考えずに攻撃するとか、童貞よりよっぽど信じられへんよ。陰で言うん嫌いやからはっきり言うけど、同級生で今は関わりも薄い人達に迷惑かけるなんて、最低やと思うで。これ読んでロミオ状態にならんといてな。当たり前の事言うてるだけやから》。
最低?──上等じゃねえか。おれはさらに攻撃範囲を広げた。でも怒りは収まらなかった。何人かの女がアカウントを閉じた。でも満足しなかった。おれはタイムラインに憎悪を綴った。あらゆるものへの憎しみと怒りを。とめてくれるものはいなかった。おれを友だちとおもってまちがいを指摘するものもなかった。だれもが黙った。じぶんに仲間のないことをふたたび確かめた。年が暮れても、ずっとおれは泣いてた。姉の婚姻を識ったのもSNSだった。やたら画数の多いなまえの男と一緒になったらしい。画像のなかのかの女の笑顔。まったく白痴的で、粕にも劣った女だ。おれだって金さえあれば美術学校や音楽学校に入って大いにその才能を拓かれてるはずだった。いまだって才能は確かだ。それを見抜ける人間がどこにもいなかっただけだ。姉はおれの苦役を知りながら、勝手に羽根を生やして消えちまった。その羽根のためにおれがどれほど苦しんだかなんざ、なんともおもっちゃない。おれは何度かメッセージを送ったけど、返って来なかった。しかも好きな映画は「セックス・アンド・シティ」と来る。ろくなもんじゃない。あんな穢らわしいショー・ビズのなにがいいんだ。知識はあっても知性はないにちがいない。
おれは悲しい映画を幾度も観た。そのなかでも「talk to her」は白眉だ。ある種の極点といっていい。あるいは「みな殺しの霊歌」もそうだ。悲しみと憎悪の極みだ。おれは友衣子をおもって「点描」や「茎」という詩を書いた。詩が溜まって、久しぶりに森忠明へ送った。《師弟の仕切り直しをしてもいいレベルの作品だ。特に「点描」、「埋葬」、「清掃人」がいい》──葉書にはそうあった。なんともうれしかった。おれはあたらしい詩集をだすことにした。そのために詩を書き、写真を撮った。年があけてサンプルがあがった。誤植がひどかったけど、海外のペーパーバックみたいでよかった。なんとか4万貯め42部だした。長谷や小谷、長福、もちろん友衣子にも送った。小谷と長福以外からは返事はなかった。もしかすれば、じぶんみたいなやつが読んでくれるかも、そうおもって中学にも献本した。返ってきた。手紙もなく、素っ裸の本だけ。電話してみた。生徒にふさわしくない、そういった教員がいるという。憮然とした喋り。もしかすると、かつてのじぶんみたいな、──それでも友衣子のことで、おれのあたまはいつもいっぱいだった。じぶんのいったこと、やらかしたことを悔やみつづけた。いずれ死のうと考えながら作品を書いた。自殺用に「バルーン・タイム」も買った。7千円也。いつのまにか知り合った山下晴代という女にも詩集を送った。好意をもって評も書かれた。その夫で詩人の谷内修三も「港」という詩に1頁さいてくれ、まちがいだらけの引用のなかで褒めてた。それでもおれ自身は不安であったし、あちらこちらで悪態をついてた。かの女はおれの悪態や憎悪にSNSで「いいね!」をつけた。おれはさらに不安になった。蟹谷青年がおれの室に来た。詩集を買いに来た。おれは蔵書を見せた。ふるい漫画本が幾つかあった。特に自慢の品は、アクションコミックス版の「ルパン三世」だ。2巻めしかなった。それに「あの青白き城を見よ」に破れがある。かれは手にとった。日活映画「危いことなら銭になる」のソフトをおれにくれた。大好きな映画だ。
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朝の公園でギターを弾き語ってた。小さな若い男がやって来た。旅をしてるっていう。生活保護を受けながらだ。その日もホテルからでたところだったらしい。救護支援だ。──神戸は早いな、もう灘区にアパート見つかったぞ。──ふたりで話しながら歩いた。路上の占い師ですら保護を申請するらしい。あいつら、とやつはいった。情報網を持ってる。──あいつらなんていっちゃいけないよ、とおれは返した。わずかながら路上で過し、施しを受けた自身にとってルンペンたちは、失礼な気がしたからだ。
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