裏庭日記/孤独のわけまえ

中田満帆

第6話 パーマネント・バケーション



 愛隣地区の貧窮院、今池平和寮に入所した。もう5月だった。ふたりづつの室で、マスをかくこともできない。でも同居人は居宅保護が決まってすぐにでてった。週に1度は新生会まで受診にいかなくてはならなかった。車で1時間以上、受診までに1時間以上、帰るまでに3時間以上かかった。町のあちこちで喧嘩や諍いが起こり、不審者たちが跋扈してる。なんとも刺激的だ。月々のわずかな金でネットカフェにいき、詩を清書した。そして森先生へ送った。通りで自転車の男女がわめく。

   ついて来い!

    勝手にいけや!

 そういった小競り合いはうんざりするほどある。かとおもえばひとりの男が数人から撲られ、倒れるのを見たこともあった。撲ったやつらは消え、そのあとになって警官たちが現れる。たぶん捕まりはしないだろう、そうおもっておれはシャッターを切る。あるときは年増女がおもむろに放置自転車のサドルを盗もうとする、郵便局からでた男が両脇を警官たちに捕まれて歩かされる、パトカーが来る、ふいに年増女が連行される、そんなこともあった。あるいはまえからやってきた年増女が、

   これどうしたらええ?

 そうわめきながらおれに近づく。手にはテレフォンカード、それも漫画「白鳥礼子でございます」の絵が描かれてある。急のことに返事につまった。「わからんのやったらええわ!」と女は絶叫し、去ろうとする。そのとき路上に男が倒れてて女はかれを「起してやれ!」とどうしたわけか、おれに命じ、おれがそうするとまるでじぶんの手柄みたいにわめき、そばに停まってあるカブから封筒をだしてなぜ男に渡す。カブを男のものだとおもったのだ。でもそれはどうみても配達員のものだし、男は見るからにそうじゃない。──こういった理不尽さと和解できなくばこの町では暮らせないのだろう。どこに発狂人がいるのかわかったもんじゃない。沖縄出身の呉屋という男がおれの担当になった。おれは毎日欲求不満を抱え、町を歩きまくり、夏のあいだじゅうずっと、おれは絵を描きまくった。携帯電話の料金を払うために。でも金にならなかった。おれは西大寺までいき、永易黎に会った。

   山頭火みたいな気分や。

 《うしろ姿のしぐれてゆくか》ってか。

   いや、それやなくてなぁ、でもおもだされへんねん。

   とにかくおれの仕事場にいこうや、

   おまえの絵、買ってくれるかも知れへんし。

 内装業者の事務所でおれは絵を描いてみせた。色鉛筆の静物画だ。かれらはおれを画材屋に連れていき、筆や絵の具を奢ってくれた。おれは3本の筆といくつかの岩彩を撰んだ。もっとしたたかに1万円分ぐらいせしめるべきだとあとあとおもった。おれは古本屋で昔の絵葉書と一緒に「野獣の性生活」という本を買い、やつに送った。

 ある夜、面会があった。永易が来てた。やつと夜の町を散歩した。やつの恋人にも会った。おれの送った絵葉書は古すぎて機械に挟まり、遅れてとどいたという。あいかわらず陽気で、愉しいやつだった。三角公園では夏になると、反戦団体が嬉しそうに戦争の危機を叫んでた。へたな歌、へたな太鼓、センスの欠片もない、ひどい代物。とにかく夏のあいだずっとそれがつづいた。職員とともに大阪障碍者労働センターへいった。目的は、発達障碍の検査だ。運動機能や、言語能力、絵を描いてイメージを診る検査やなんかをした。おれはやはり障碍があった。言語能力は一般よりも優れてるものの、数字に弱い。想像力が高い。運動・作業が鈍い。数ヶ月してから、精神障碍者手帳が交付された。毎日、腹をすかしてうろつきまわった。だいたい日本橋までだ。中古レコードを眺めて過ごした。難波までいけば古書センターと、タワーレコードがある。淳久堂はかなり遠かった。隠れてアルバイトをしながら暮らした。

 秋の暮れ、階下でカラオケがはじまった。歌ってやろうかと降りた。でもおれが入る隙はない。娯楽室に入ると若い男がいた。場ちがいで、派手で、ひたすら幼稚なキャップにパーカー、黒縁眼鏡の見慣れない顔だ。どうしたものか、かれはいきなりおれにいう。

   イギリスのひとですか?

  え?

   イギリスのひとですか?

 なにいってんだ、このくそがき。若いというのにこいつは頭が逝ってる、かわいそうに。これじゃあ末期、ナムサンだな。おれはそうおもったけど、よく聴けば「自立のひとですか?」といってるのがわかった。

  入所者だよ。

  ここじゃあ、ただひとりの20代だ。

   つまりあなたは入所者でただひとりの20代、ということですか?

 やっぱりこいつは末期だ。もう手の施しようもない。おれはそうおもいながらだんだん腹が立ってきた。話が理解できれば肯けばいいものをいちいち無意味な要約をして鸚鵡返しにする。なんてやつなんだ。

   ぼくはひまつぶしでDSやってるんです。──だれもそんなこと訊いてはいない。

   DSって知ってますか?──知ってるよ、ばかどもの電気式おしゃぶりだ。

   莨は吸いますか?──だれか教えてくれ、こいつ、アンケートでもやってやがるのか?

  吸うけど、いまは持ってない。

   それは持っていたら吸うということですか?

 おれは娯楽室からでていった。くそったれ。話が通じねえ。そして莨と燐寸を持ってもどった。やつの眼のまえで吸うも、やつはもうおれに関心がない。眼も合わせない。かわりにおれの燐寸を見た老人が「燐寸持ってくる!」とくそがきに告げ、急いででてった。そしてがきに燐寸を見せる。もちろんのこと、がきにとってはどうでもよかった。

 屋上の大きな水槽のせいで冬になっても蚊が涌いてる。夜ぴって殺しまくる。年の瀬、おれは古書センターにいた。セール品のラックに帯つきのブコウスキーとカーヴァーをみつけて買った。いい気分で寮に着いたとき、冷たいなにかが首をかすめた。父が立ってた。だまし討ちに遭った気分。役人も職員も事前に報せてくれなかった。もう一生会うことのないだろう人間をおれは睨みつけた。おれは父との話しを拒んだ。役人がいった、

  お父さんは、あなたことを心配してるし、

  あなたに絵を習わせてもいいといってるのよ。

 うそっぱちもいいところだ。そとづらのよさ、あの男にはそれしかない。カミュの辞を懐いだす。《たとえ絶望にすっかり、とりつかれていても、あたかも希望をいだいているかのように振る舞わねばならない。──さもなければ自殺あしなければならなくなる。苦悩になんの権利もない》だとさ。年があけた。おれは劇団「犯罪友の会」へいき、団員募集に駈け寄った。主宰と雨のなかを歩く。おれは詩を書いてるといった。かれは現代詩がきらいなようで小説はどうかといった。物語はずっと書いてない。おれのなかでずっと空まわりしつづけてた。劇団に着いて話を聴く。おれの顔を見ていった、

   きみはいじめを受けてきたんじゃないのかい?──おれは肯いた。

   やっぱりな、──きみみたいな子はみんな表情に乏しい。

   でも舞台をやっていればよくなるよ。

 それから劇団の活動を写真で見た。おれの好みじゃない。それにチケットノルマもある。最初のうちは求めないといった。それでもなんだか場ちがいのような気がしておれは辞退した。帰りしな主宰から、「小説を書きつづけなさい」といわれた。おれもそうしたかった。それから3月11日、地震だ。そのときおれは天下茶屋駅にある天牛堺書店で古本を見てた。ゆっくりとからだが揺れる。おれは病気にでもかかったのか?──やがて揺れは収まり、おれは歩く。片手に眼鏡、もう片手に罐の清酒。天井のはずれから光りが一瞬貫いた。痛い!──焼けるような痛み、右手に虫に刺されたようなあとが残った。なんだ、これは?──考えようもなく、役所の酒害教室へいった。帰り際、地階のテレビを見た。空撮される平原。テレビ画面には「WRONG MOON漂流中」とあった。水がゆっくりと覆いかぶさっていく。東北らしい。おれは右手をさすった。寮に帰るともうだめだった。手の腫れと寒気でどうにもならなかった。清酒に右手を着け、恢復を願った。翌日、レントゲン検査があった。おれは右手のことを医者にいった。相手にされなかった。痛みは1ヶ月つづき、腫れは収まらなかった。丸々と膨れ、そのあと数年治らなかった。おれは偽名を使って、ドカチンに入った。USJでガラ出し。耐えきれず、逃げだしてしまった。ヘルメットを脱ぎ、地上階の扉をあける。ユニバーサルシティ駅から新今宮へ帰った。1時間でトンコした。ひとつひとつの記憶が、棘になって刺さる。落ち着かず、眠れず、考えられずにいる。どうにもならないまま寝台のうえで過ごした。夜、シャーウッド・アンダーソンの短篇集を読み終えた。

 4月になっておれは両親と新生会病院のロビーにいた。おれに居宅生活訓練をさせるべく、医者の意見書が書かれた。障碍であることで積年の疑念がいくらか晴れた。両親は医者のまえでおれの藝術センスとやらを話題にした。図工でつくった作品のことを、おれは憶えてないもののことを熱心喋った。場ちがいな話だ。不愉快でしかたがない。どうしてこうも自身の理解と不理解をいつもとりちがえているんだろう。飛田新地の一角にそのアパートはある。おれは隠れて毎日酒を呑んだ。ノックビンは直後に酒を呑めば無効になるってことを知った。永易が遊びにきた。飛田をひと通り案内したあと、一緒に呑んだ。父にはやつがいったとおり、絵画教室の代金を払わせた。やつはやっぱり渋った。けっきょく2週間分だけだした。おれは金欲しさに詐欺の片棒を担いだ。通販の健康食品を女のなまえで受けとる。そいつは1回こっきりだったけど、2万と半分が入った。そいつで中古るのラップトップを買ったけど、不具合が多すぎて返品した。

 そのいっぽうで森忠明とは断絶した。かれの手紙にあった「バーチャルな印象」という評に激怒して、最悪といっていい罵倒文学を送りつけたからだった。朝から呑んで吐きちらかす、そのてまえにきてた。ゆうぐれどき、ほんのおもいつきでダイアルに手をかける。その声は冷め切ってた。

   で、──なに?

  作品を送ったのですが。

   ああ、届いてるよ 

  どうでしたか?

   どうでしたかじゃないよ。

   あんた、おれに破門してくれって書いてきたんだぜ?

   そんなやつがどうでしたか、なんてよくいえるな!

   あんなきたならしい詩なんか送ってきやがって!

   あんたはどうしてそう品がないんだ?

   詩なんか猫かぶりでいいんだ!

   あんたは酒に溺れてどんどん品がなくなってる。

   あんたそれが自分でもわかってるだろ?

   それをなんだ、三流雑誌に載って、

   へんな女からわけのわかんない評がついたくらいで調子に乗るなよ!

   あんたはみんなに迷惑をかけてるんだ、

   おやじさんにもおふくろさんにも姉さんにも妹たちにも施設のひとにも!

   あんたは本当に家へ詫び状を送ったのか?

   あんたうそつきだからな、あんたの書いたことなんてひとつも信じられない!

   あんたは姉や妹たちが嫁げなくなるようなものを書いて平気なのかよ、

   だったらいますぐに死んじまえよ!

 おれは品のないろくでなしでうそつきだとおもった。はじめからからねじくれてる。かつておれに品があったとはおもえない。ただ化けの皮が剥がれてきたんだ。飯場を転々としたり、空き家の車庫で寝たり、公園で暮らすようなことがなければ、もう少し品があるように装いつづけることができたかも知れない。でも遅かった。

   あんたがおれについてとやかくいうのは許すよ。

   それは許しますよ。

   だけどな、あんたが寺山修司についてくだらないこと書いてみろよ、

   おれはあんたのことを探しだして殺しにいくからな!

   おれはあんたをいったん破門するよ。

   あんたがもしも寺山修司について、

   あなたにしか書けないようなやつを本1冊分書いたら許すよ。

   できなかったらそれまでだ。

 おれは酒に酔ったまま寮にいった。夕食はカレーライスだ。酔いどれて、じぶんがどれだけ酔ってるのかもわからないままで。職員がおれを捕まえた。いちどでも呑んだら追放のはずなのに、おれはわかってなかった。

 けっきょくは実家に帰ることになった。あたらしい区の担当者はかたぶつの女で、薄汚いシャツに無表情を決め込んでた。さらにしばらく経ってもういちど森忠明に電話した。かれはいった、──あたらしい師を探してくれ、きみのことがわからなくなった。──おれにはもうゆき場がない。



 かつて夢遊病者だったことをおもいだす。知らないうちに家をでて裏庭に立ってたことがある。じぶんがなにをしてたかまったくわからない。呆然とする。帰って来ると、室のものは破壊され、郵便局の給与で買ったオーディオ・セットも、ギターもドラムもなかった。本と音楽だけがかろうじて無事だった。おれの室は物置になり、おれは隣の室で寝た。しばらくして祖父がやって来た。一緒にアルコール専門の診療所へいくという。そいつは元町にあった。車を走らせ、駐車場へ。地上を歩く。汚れきった防寒着を来たルンペンが路上に仆れてる。垢と煤と埃やなんかで汚れきったダウンにサンダルを穿いてる。

   おまえもいつかああなるわ。

 父が吐き棄てた。祖父は聞えないふりをして歩く。こういった人種とはつき合えない。診療所は暑い。待ち時間は長く、診断は早く、短かった。おれは完全なアルコール中毒だった。発汗と震えがひどかった。そのあと3人で喫茶店にいった。

   あんなとこ、むだやな。

    ああ、そうやな。

 通院はなしになった。かれらはおれがアルコール症だと信じなかった。家に帰って睡眠薬を呑み、眠った。翌朝から草刈りだ。しかしおれにはもう父に従う気はなかった。毎日なにもせず、家人に隠れて飯を喰った。丼に米と卵とマヨネーズをかけて。それからまた小説を書き始めた。ノートに酒場の情景を書く。とにかくアクションから物語を始めるべきだとおもった。若い男と女が主人公だ。題名は「旅路は美しく、旅人は善良だというのに」とした。これはベケット「ゴドーを待ちながら」からの借用だ。21歳、東京から帰ったおれがもし女と出会ってたらと考えて書く。ふるいラップトップで書き進めていった。貧窮院にいたころのバイト代が入った。テーマパークのCFエキストラだ。4千円。そいつでアメリカ産のウォトカを買い、牛乳で割る。うまい。父のいない夜、インターネットやりながら作品を書く。ほかにエッセイや詩論も書いた。季節は秋になっった。あるとき、祖父がやって来た。おれは酒を呑み、短篇を書いてた。かれはいう、

   おまえにはわるい血が半分入っとる。

   おまえもむかしはええ児やったやないか、イヨ?

   儂らが来て、その帰り際、泣いてまで「ついていく!」て、いうてたやないか。

   あんときのおまえはどこにいったんや?

   儂が死ぬまでにまともになってくれや。

 夜、家族が鍋を喰ってた。おれも腹が減って地階へ降りた。妹ふたりが食べてる。おれも、とおもって手を延ばした。いちばん下の妹が払い除けた。おれを睨んだ。おれは怒って撲りつけた。そしてテーブルをさかさまにした。母が来た。おれは台所の木椅子で、祖母の仏壇を打ち鳴らした。扉がはずれ、遺影が床に落ちた。おれはかの女に情があった。でもこんなものはただ物質で、生前のかの女とはなんら関係はない。母がやめてと叫ぶ。おれは木椅子をテレビにむかってなげた。おれは酒を呑みつづけた。母が妹をつれて病院へいった。帰ってきた父は荒れた室を見て怒り狂った。おれの棲む物置に入ると、本や音楽を足で蹴飛ばし、挙句に裏庭に投げ飛ばした。おれの密造酒をあたりにぶちまけた。おれはまったく無抵抗で蹴られつづけた。「おまえは女の子の顔に傷をつけたんやぞ!」──暴れる父も怒りさえ発散できればすぐに大人しくなった。動物園の猛獣と代わり映えしない。おれはいちばんめの妹の室に入ってベッドで寝た。かの女は荷物を置いたまま数年まえ、でてったきりだ。壁にはホリプロのオーディションにでたときの書類が貼ってあった。眠るもつかのま、父に追いだされ、おれはまたしても物置で小説を書き始めた。

べつの夜、午前3時。いきなり帰ってきた父にアメリカ産の安ウォトカを奪われた。無職のおれはやつを罵りながら、追いまわし、眼鏡ごとを左眼をぶん撲った。おれの拳でやつの眼鏡が割れ、拳は眼鏡の縁で切れ、血がシャーツに滴り、おれはまた親父を罵った。やつには因果応報ということを教えてやらなくちゃならない。

  返せ!

  酒を返せ!

  おれの人生を返せ!

  おまえが勝手に棄てたおれの絵を、おれの本を、おれのドラムを、おれのギターを!

   そんなもん、みんな棄ててやったわ!

 誇らしげに父がいった。凋れた草のような母たちが、姉と妹たちがやって来て、アル中のおれをぢっと眺めてる。おれはかの女らにも叫ぶ。おまえらはおれを助けなかったと。おれが親父になにをされようがやらされようが助けなかった。もういちど父を撲った。悲鳴をあげ、逃げる父にはかつての暴君ぶりは見えず、被害者づらをしてカウチに転げ落ちた。怒りと破壊だけが父子の共通項だった。やられたら倍にしてやりかえせ。父や祖父の血がおれのなかで熱くなる。豚殺しの末裔。おれは小説を書きつづけた。随筆やコラムも書いた。おもに貧民街の暮らしについてや、世界の縁から零れたものたちについて書いた。そして第2の短篇「光りに焼かれつづける、うち棄てられた冷蔵庫のブルーズ」を書き始めた。でもこの家からはもうできなければならない。10月を過ぎてたし、あたらしい場所が必要だった。おれは父の財布から金を抜くと、荷物をまとめ、家をでた。車をひとつヒッチハイクして。乗ってた老夫妻は父を知ってた。やつがダンス教室なるものに通ってることも。失笑を洩らした。

 いちど西成にいったが、引き返した。どやの無線LANが使えず、苦情すると追いだされた。当然返金もなしだ。三ノ宮で降り、夕方区役所にむかった。おれはてっきり追い放たれるとおもってた。でも、これまでのこと──仕事や病院、飯場、どや街、障碍について洗いざらい話したら、救護支援を案内された。カソリック教会が棲む場所が決まるまで金を貸してくれるらしい。山手の教会まで急いだ。5時には閉まってしまう。なんとか間に合って話した。カプセルホテルの予約とメシ代とを頂いた。ホテルは無料のコンピュータがあった。ネットも使い放題。ビールをやりながら、おれが文藝サイトに詩の寸評を書き始めた。まえまえから眼をつけてたところだ。「文学極道」という投稿掲示板に怒りを込めたコメントを書いた。どいつもこいつもアカデミックやろうだ。室が決まるまでにいろいろあった。急性胃腸炎を起したり、酒に酔って仆れたりした。そしてアルコール専門の神経科で詩を書いた。ちいさなメモに「さまよい」という長いものを書いた。手応えがあった。そいつを文藝サイトに投稿した。黒ヱという女から、《まったくひどい代物ですね。[初稿]とありますが、書き直す価値もありません》といわれた。おれはかの女に猥褻な科白を次々と投げ、サイトから追いだした。《黒いおまんこヱちゃんよ、おれとエミリ・ディキンソンごっこしようぜ!》などといった。

 19歳のとき、おれは朗読会のパンフレットづくりでかの女の詩を読んでた。そんなことはすっかり忘れてた。おなじように酒の勢いを借り、さまざまなものを罵り、傷つけてた。あっというまに鼻つまみものになった。《1発やらせろ!》とも書いた。おれはわるい意味で識られるようになった。強烈な敵ができれば、強烈な味方が現れるとおもって。でも、けっきょく大した敵も味方も現れることはなかった。

 12月15日、ようやく室が決まった。役所には父と母といちばん下の妹が来てた。だれもがしずかに怒りを湛えてた。おれはすっかり王様気分で、壁を突き抜けるように歩き、ケース・ワーカーに挨拶した。しかしだ、年末に金を使い切ってしまい、おれはスープだけで14日間を凌ぐこととなった。赤い座椅子に坐ってガニマール版のアルベール・カミュ評伝を読み通した。読み終えて、サルトルとボーヴォワールほど卑怯なものはないとおもった。


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