たぬきにお願い

作楽シン

たぬきにお願い

「たぬきさんたぬきさん」

 木枯らしの吹く中、マフラーに半分顔をうずめて、あたしは大きな狸の焼き物の前にしゃがみこんだ。手を合わせて、なむなむと唱える。

「えっちゃんえっちゃんお願いします」


 ここは昼は定食、夜はお酒を出す小料理屋をやっているお店の前だ。幼なじみの家で、おばさんが切り盛りしている。

 素朴な和風のたたずまいは、こじゃれているけど敷居は高くない。家庭的な雰囲気のお店。

 ガラス格子の引き戸の横には信楽焼のたぬきがいて、金太郎の腹当てみたいなのをつけている。ただし赤じゃなくて緑色で、真ん中に「縁」と書いてある。一見すると「緑」に見えてまぎらわしい。ちなみに「えにし」はお店の名前。

 小料理屋を営むおばさんの変なユーモアだ。

 だからあたしは、昔から「狸のえっちゃん」と呼んでいる。


「えっちゃんえっちゃんお願いします」

 今日もアイツに会えますように。

 高校生になってちょっとモテだしたアイツに彼女できたりしませんように。

 ずっと仲良くできますように。

 それから……。


「またなにやってんの?」

 後ろから声をかけられた。

「あ、タカシじゃん。奇遇だね」

 あたしはしゃがみこんで狸のえっちゃんに手をあわせたまま、顔だけ振り返る。タカシはでかい図体であたしを見下ろしたまま、あきれた顔をした。


「ひとんちの前で、奇遇も何もないだろ。毎日毎日、あやしいんだよ」

「えっちゃんに会いに来ただけだもん」

「リサにそっくりだよな、その狸」

 あたしはぴょんと立ち上がる。こんなことじゃめげない。タカシは昔から口が悪いのだ。

「かわいいってこと?」

 タカシはあたしの言葉に「バーカ」とつぶやいて、準備中の札がさがったガラス格子の引き戸をあけた。


「ねえタカシ。お腹すかない?」

 あたしはタカシの後ろについて、勝手知ったるお店の中についていく。タカシはチラッと振り返るけど、何も言わない。

「たかりに来たのかよ。店まだ開いてないぞ」

「知ってる」

 あたしはカウンターに腰かけて、マフラーをとった。頬杖をついて、タカシがごそごそと棚をあさる後ろ姿を見ている。昔はあたしのほうが背が高かったのに、いつの間にすっかり抜かれてしまった。


「これでも食っとけ」

 タカシはカウンターに、ポンとカップ麺を置いた。ふたつ。

 緑のたぬき。サクサクお揚げのそばだ。

「おばさんのおそばが絶品なのに」

「贅沢」

 言いながらタカシは、ヤカンを火にかけた。


 あたしは、にまにま笑いながらその姿を眺める。おばさんのおそばは絶品だけど、ほんとはあたしには、彼がつくってくれる緑のたぬきのほうが100倍嬉しい。

 タカシは緑のたぬきにお湯を注いでくれる。

 こんな日に、すぐ食べられるカップ麺は、じんわり暖かくて、嬉しい。


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