辺境伯と宮中伯

 レムレスの貴族制度は複雑怪奇である。よく言われるような「公侯伯子男」にとどまらないからだ。

 必要に応じて追加の貴族称号が創設されていった結果、伯とついてるくせに伯爵より格上、侯爵と同格扱いされるような連中が生まれてしまった。


 その筆頭が、辺境伯と宮中伯である。


 そして、そいつらは当然、シトレック大公領にも存在し、公然と影響力を行使しているのだった。


 今回は、以上の通りの面倒な貴族から話は始まる。


 ―――


 シトレック中南部、大公領首都アイヒェンベルクと南部の主要都市フライブルクを結ぶ街道にて、二人の貴族が話をしていた。

 その名はケイラーハイム辺境伯マリベル・デンヴィッヒとアイヒェンベルク宮中伯アンドレアス・リューゼ。


 そう、ドミドリ・スミェーリヒトの乱において、ベアトリクス・ヤグリューネの下でアイヒェンベルクの防衛にあたっていた二人組である。


「……君の言ったとおりだったな、彼らは皇帝陛下にお伺いを立てるという考えが、すっぽり頭から抜け落ちているらしいな」

「だろう? 期待するだけ無駄ってやつだ。……で、リューゼ、そちらは何を企んでいる?」


 シトレック大公の監視役、レムレス中央政府とのパイプ役、書類という名の牙城の主。

 アイヒェンベルク宮中伯アンドレアス・リューゼは以上の別称で十分説明できる男である。

 皇帝直属の監視役として出向しているくせに大公と皇帝を両天秤にかけ、双方からの圧力を事務処理能力とその立ち位置を利用してさらりさらりとかわし続ける。

 もし切り捨てるようなことがあれば、それは天秤の片方の皿を破壊するようなもの。


 こういう人間を排除するには、双方の陣営が抱える利害が奇跡的に一致するか、さもなくばどさくさに紛れて事故に遭わせるかのどっちかしかない。


「彼らはどうしようもないな。シトレック内部の理論のみで動いている。この大公領も、レムレス帝国の一部であるという当事者意識を持ち合わせてはおらんようだ」

「そらそうだろ、そもそもからして多大な自治権を認められているんだからなぁ、このシトレックという貴族政治が生んだ怪物は。……この場合、多大な自治権が邪魔して外部を利用するってアイデアが抜け落ちてるのは、いわゆる皮肉ってやつ」

「いずれも已む無しだな。……マリベル、私としては監視対象が断絶するのは避けるべきだと判断している。故に、私はベアトリクスの擁立に動こうと思う」


 落ち着いた口調で、しかしどうしようもないくらい自分勝手な見解を述べるリューゼ。

 肩までまっすぐストンと落ちるような緑色したストレートヘアに、面長だが整った顔つき。

 そういう優男のような見てくれからは想像もできない、身勝手な発言である。


 彼が持つ爵位がそうさせたのか、それともこういう性格だから立派に仕事ができているのか。

 そんな彼の爵位について、今一度説明しておかねばなるまい。


 宮中伯プファルツ・グラーフ


 レムレス皇帝の側近、宮廷の書記、そして分裂した諸侯の監視役。

 おおむねそういった業務を受け持つ彼らに、業務上のやり取りを円滑化するために皇帝から直接叙任された権限が宮中伯である。


 伯の名前こそついてはいるものの、皇帝直属の家臣であることや、そもそもの業務の特殊性からして、そこらの伯爵とは格の違う扱いを受けていた。


 いわば血筋からして違うエリート文官である宮中伯は、やはりそれらしく凡百の伯爵以下の称号しか持たない貴族を見下していた。

 し、さらには公爵と対等であるとするような考えの、己惚れた自尊心の持ち主も、また珍しいものではなかった。


「しっかし、アンヒェンベルクのお歴々はいったい誰が頑張ったんだか、理解しているのかね? あんまりこの私を舐め腐るようなら、ちっと痛い目を見て貰う必要があるか?」

「好きにするといい。私のあずかり知るところではない」

「……相変わらず張り合いの無いやつだな」


 マリベルはやはり不遜に、確実に自分より位の高い面々への不満を述べる。

 リューゼの発言に調子を崩されたか、ボブカットの青緑髪を揺らしてぷいっと、へそを曲げたように明後日の方向にその童顔を向ける。

 しかしこれも致し方なきこと。実際に彼女の持つものは、おいそれと軽視できないからだ。


 レムレスの貴族制度にはまだ特徴的な位がある。


 辺境伯マルク・グラーフもそういった爵位のうちの一つだ。


 辺境とはつまり国境である。

 辺境伯の称号を持つものはすべからく、国防の最前線を担うべし。そして異民族や他の氏族と接する地点に領地を持つならば、その領地と権限は、一般の伯爵をはるかに上回る。


 以上の事からも、統治者にとって辺境伯は面倒な存在だ。それは危険な任地への手当と、その特権階級化である。

 マリベルの場合、シトレックから見てアーブの最前線であるケイラーハイムに領地を持つ。

 仮想敵国との最前線。その領主の忠誠心をつなぎとめることは重要なこと。


 で、あるはずなのだが――。


「どっちにしろ、いまの私にできるのは様子見だけだよ。ヨゼフ様亡き後、私はもうアイヒェンベルクの連中には期待なんぞしとらんもん」


 肝心の当人は愛想を尽かしていた。

 アーブの動きがあるというのにわざわざ継承者会議のために首都まで引っ張り出され、更には首都防衛戦まで行ったというのに、報酬の話よりも先に跡取りの会議をされたのではたまったものではない。

 というのがマリベルの心証であった。


「知っている。さてマリベル、今一度本題を話そう。私は一度、帝都ラピスに戻ろうと思う。道中、貴殿の事もベアトリクス様に話したい。そうして、此度の騒動、皇帝陛下に報告せねばならない。……私が行おうとしていることは以上だ。君はどうだ?」

「あー、んー、ちょっと待ってくんなね」


 妙に歯切れの悪そうに、辺りを見回すマリベル。それを見て、リューゼは

(ああ、きっとろくでもないことを考えているな、これは)

 と思った。


「連中を脅かしてやる。いや、実際に何か軍事的行動を行うわけではないぞ。ベアトリクス様がここまで来たら、いつでも実行できるように、密かに、兵員や物資の準備を進めてやろうと、そういうことを考えている」

「……反逆か?」

「報酬の督促と言ってくれんね。払うもの払わないんじゃ、あたしが頑張った意味も、忠誠を誓う意味もあろうもんか」

「本音を言え本音を。私が気付かんとでも思ったか」


マリベルはこの時、全くらしくないことに、ある重大なことに気が付いていなかった。


「私はな、勝ち馬に乗りたいんだ。ここで我が軍勢をもってして、妹様の軍勢を見る。んで、十分そうならそのまま引っ付いて新体制の重鎮の座をゲット。……もし、もしもそれが不十分で、ここで勝てそうなら、そのまま反乱者の一味を一掃した栄誉は私のもんだ。どうよ?」

「いいアイデアね。少々発言が迂闊すぎることを除けばだけれど」

「なにいきなり女言葉を喋ってんだリューゼ……。え、あ、うぎゃあっ!?」


 ざっざっざっと、複数人が歩く音が聞こえる。

 その中から一人が飛び出るようにマリベルの前に現れ、そのまま胸当てのふちを掴み、思い切り引っ張り上げる。


「聞いたぞコラぁ!! てめえなーに堂々とうちの主君に喧嘩売ろうとしてんだ!?」

「なっ、なんなんだ貴様は、放しやがれ! 私はまだ死ぬわけにはいかないんだよっ! ただでさえアーブと海賊どもの挙動が怪しいってのに、連中はろくに私の事を気にかけやがらねえ!」

「だからってやって良いことと悪いことの区別もつかねぇのかべらんめえ!!」

「何を言うかはお前のほうだ猪武者め! 辺境伯たる私が飛んだら誰がシトレック西部の守りを担うと思っているか!?」


 ベアトリクス配下のカスタニエ伯フロレンツィアである。

 マリベルは掴まれた腕を振り払うと、がっぷり四つに取っ組み合いながら口論を始める。


 その二人を尻目に、アンドレアス・リューゼは前に歩み出た。

 そしてベアトリクスに向かって緩やかに跪き、手を胸に当てて謝意を見せた。


「……これは、とんだお見苦しいものを」

「別にどうということも無いだろう。支払われてないのは事実だろうし、それに」


 今度はベアトリクスがマリベルとフロレンツィアの喧嘩を見る。

 口喧嘩が終わり、今度はお互いにつかみ合ってレスリングのような喧嘩になっていた。


「ある意味、これは幸運だ。アイヒェンベルクは私を気にかけるどころでも無さそうだ。大方の予想はつくな、連中は継承だけでものを見ている。私みたいな女の命なんて端からどうでも良いのだろうさ」

「腹立たしい事態でありますね」

「うん、自分で言ったが腹が立ってきた。別に、大公の座に興味はないがな、シトレックの貴族としての本懐を忘れたものにはそれを思い出させてやらなければな。……人の命とは理屈や利害損得ではない。どのように生まれ、どのような性質を持ったかに忠実であるべきなのだから」


 どしゃああっ


 人体が思い切り地面に叩きつけられる音が鳴った。

 淡々と考えを述べていたベアトリクスも、これには流石に気を取られたようで、ようやく決着がついたらしい二人のほうを向いてみた。


「ぐっ、ぐええ……」

「観念したか? これに懲りたらベアトリクス様に楯突こうって考えは捨てるこったな」

「わ、わーったわーった。そもそもベアトリクス様が十分な兵力抱えてる段階で、あたしは喧嘩売るつもりなんて無いんだって。いっててて、手加減なしにぶん投げやがってまったく……」


 泥を払い落としながらよろよろ立ち上がったマリベル。


「あっ、ベアトリクス様! やったりましたよ!!」

「フロレンツィア、気持ちは分からなく無いけども、それはちょっと乱暴すぎる」

「でしょう!? もうちょっと言ってやってくださいよ!」

「マリベル、貴女はもう少し礼節を弁えることね……」


 困った顔をしながらこめかみに指を当てるベアトリクス。

(この二人を率いる可能性があるのか……)

 そう思うと、以後どんどん面倒事が増えていきそうで憂鬱な気分になるのだった。


「さて、ケイラーハイムの辺境伯マリベル・デンヴィッヒ……で、合ってるわね? 我が軍門に与する気はあるかどうか聞きたいのだけれど」

「ええ、補給も手当ても未払いの辺境伯でござい。……私は、あくまで国防を担う辺境伯ですからね。付き従う相手には、それ相応の条件があります。今のアイヒェンベルクの連中に愛想をつかしたのもそれが原因」

「辺境伯は国防を担う貴族称号。であるならば、当然、それへの敬意は私の沽券に関わります。……ベアトリクス様、あなたはその、国防を担う人間への敬意をお持ちでしょうか」


 マリベルは真っ直ぐベアトリクスの瞳を見据えていた。


「成る程。貴女の生き方はわかった。『敬意』ね。確かにそれは大事。……マリベル。貴女がアーブとノールト海の海賊に対する最前線であるという事実、そしてそこに領地を持つ貴女の家と歴史に、私は何よりの敬意を示しましょう」

「それが聞きたかった。私個人ではない、最前列に立つ人間と、その家と称号への敬意を!」


 マリベルは機敏に、実直な印象を与える所作でベアトリクスに跪く。

 そこには、主君とする意思を固めた一人の貴族の姿があった。


「決心しました。この私、ケイラーハイム辺境伯マリベル・デンヴィッヒは、前シトレック大公ヨゼフ・ヤグリューネの娘ベアトリクス様を我が君とし、正当なシトレック大公とし、その配下として働きましょう。敬意を払うものには奉公をもって応える所存」


 マリベルの様子に目を丸くしたのは先ほどおもいっきり喧嘩をしていたフロレンツィアであった。


「……あんたなりにスジは通して生きてる。ってことかい。さっきは熱くなって悪かったね」

「ふん、こちとら一度ぶん投げられてるんだがな……、ま、そっちの忠義ってのも理解できない話じゃない、期待させてもらおう。根は違えど、ウチらはよく似ている」


 さっきまで殴り合ってたというのに、いや、殴り合ったからこそマリベルとフロレンツィアはしっかと握手をし、ケラケラと笑い出す。


「え。……何なんだ、あの二人は」

「武門の人間に特有のシンパシー。というやつでしょうか。殴り合えば分かり合えるとかなんとか」

「理解できない、私には到底……」


 半ば呆れたように、ベアトリクスは言葉を詰まらせた。

 それを察したのか、リューゼが助け舟を出すように言葉をつなげた。


「して、ベアトリクス様、私は宮中伯として、此度の騒動を皇帝陛下に報告せねばなりません」

「ああ、そういやそれがあなたの仕事だったわね。……しっかりやんなさい。己の本分に忠実であれ」

「どうも。……それでは、失礼します」


 リューゼは待たせていた馬車に乗り込んで、一路帝国首都ラピスへと向かう。


(ふむ、どうやら個人的な利害よりも、私が持つ『宮中伯』という肩書に忠実であることを望んでおられるのか。……不思議なお人だ、忠誠心の対象を自分ではなく、継承した肩書に求めるとは。年齢の割にずいぶんと昔気質というか、保守的というか……)


 ところで帝都で借りた公用の馬車は、リューゼの持つ長身の体躯にはまったく合っていなかった。体を窮屈そうに折り畳んで思考を続ける。


(まるで、貴族制が機能していたかつてのレムレスを志向しているようにも見受けられる。……ふうむ、ここは悩みどころだぞ、アンドレアス・リューゼ。はっきり言って、シトレックにおける地位が安泰だというのなら、わざわざ皇帝直属の出向役なんて地位に甘んじてやるつもりは無い。こんな手狭な公用車に振り回される日々ともおさらばだ)


 ベアトリクスからの忠言を気に留めているのかいないのか。

 アンドレアス・リューゼは、生来の癖と言わんばかりに未来のシトレック大公とレムレス皇帝を両天秤にかけ、利害を推し量っていた。


 しかし、その報いは意外とすぐそこまで迫っていたのだが――。

 それはまた、別の話で。

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一つの帝国、五人の英雄 浅井烏 @Azai_Karasu

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