中編

「おかえり。」

 家に入り、ヌトゥカ(トナカイの毛皮で作った袋状の靴)についた雪を払っているとオッカァの声がした。

「ただいまー。」

「寒かっただろ。」


 返事をして、とりあえずリビング……というほど立派な区切りもないのだが……オラの家はとても貧しく……というと本当の事でも、心が折れそうになるので、とても慎ましい生活をしていると言っておこう。

 家は暖をとるには理にかなった大きさで、食事を作って食べて寝るだけが出来れば十分な……そんな家だ。

 別にそれに対して不満に思っている訳はない。

 オッカァと二人暮らし。何も困ったことなんてない。


 椅子に腰かけて、ヌトゥカを脱いで愛用している室内履きの靴に履き替えた。

 別にヌトゥカを履いたままでもいいのだが、部屋の中ではやはり熱くなってくる。といっても、まだ部屋は暖かくない……

「オッカァ、また暖炉点けてなかったの? オラがいなくても暖炉点けないと、凍えてしまうよ。」

「何言ってるんだい。ごはんの支度をするのに火を炊いているんだよ。それだけで十分暖かいさ。さ、食事の前に一仕事、暖炉に火をおこしておくれ。」


 オラがいない間は、オッカァは家で縫物や編み物をしたり糸の染色や、夏季は農作業などをして過ごしている。その間、出来るだけ薪を使わないように節約して過ごしているのだ。

 冬場は暖かくするように執拗に言っても、頑固なオッカァが変わる訳でもないので、それ以上は言わない。

 オラにできることは寒い日は出来るだけ早く帰って来て、暖炉に火を入れてあげること。


 暖炉脇に備蓄してある薪を暖炉に組み、松葉をその中にこんもりと盛るとそこに種火を入れた。

 松ヤニが燃える匂いと煙が少しの間登り、それが燃え尽きると、薪にも火が移り燃え始めた。

 暖炉横の薪が無くなったから足さないと……と思うものの、今ヌトゥカを脱いだところだから、また履くのも邪魔くさくて、夕食を食べた後にすることにした。

 キッチン横の汲み水で手を洗い、テーブルに着いた。


「兄ちゃん、まだなの? 遅いね。」

「もう、そろそろだろうよ。先に食べるかい?」

「うんん、いい。待っているよ。クリスマスだしね。」

「そうだねぇ。」

 そういうとオッカァもテーブルに着き、編みかけの編み物を始めた。


 兄ちゃんは大規模な遊牧に出ている。オラたちの民族が伝統的に昔からやっているトナカイの飼い方だ。

 村で一番のトナカイの持ち主のポルテンさんのところの遊牧を手伝っているのだ。

 というのもウチのトナカイは数が少ないので、オラ一人で十分なのだ。なので兄ちゃんが外に働きに出ている。

 トナカイは12月に一番体格が大きくなり出荷される。そのため遊牧のトナカイたちは、この時期に村に帰ってくるのだ。


 暖炉からの熱で部屋が暖かくなってきた。

 パチパチという不規則で心地のいい薪の弾ける音が、部屋の静寂の中に控えめに響く。


 頬杖をつきながらオラは暖炉の火を見るともなく見つめた。

 オラは兄ちゃんの事が苦手だった。

 好きか嫌いかというと、たった二人の兄妹なのだから、もちろん好きなのだが、苦手……いや、苦手という言葉は少し語弊がある。

 たぶんオラは、兄ちゃんの仕事を取ってしまって、兄ちゃんを辛い仕事に就かせてしまって引け目に感じているんだろう。


 もしオラが裁縫やらが上手なら、いや、もっと頭が良くて何か違う仕事ができたのなら、兄ちゃんが家のトナカイの放牧をすればいいのだ。

 なのに女としてのオラの出来が悪いばっかりに兄ちゃんが貧乏くじを引いて、外に稼ぎに行くことになってしまった。

 そんな負い目が、兄ちゃんとの心の距離を一方的にではあるが、作る要因になっているのだと思う。


 そんなことを考えていると、不意にドアが開いて、冷たい外気と共にコルト(伝統的な衣装)とトナカイの毛皮を着込んだ兄ちゃんが入ってきた。

「ただいま!」

 あぁ、いつもの兄ちゃんだ。

 兄ちゃんはいつも優しい笑顔だ。


「ユッカ!おかえり。なんだい、また背が伸びたんじゃないかい?」

 オッカァが編み物をテーブルに置いて、明るい声を上げた。そして、いち早く兄ちゃんの傍へ行き、荷物をおろすのを手伝おうとした。

「兄ちゃん、おかえり。」

「オッカァ、いいよ。自分でするから。これ、すっげぇ重たいんだよ。」

「そうかい?」

「ストローは帰るの早かったんだな。元気にしてたか?」

 兄ちゃんがそう言いながら、大きなリュックを床に置いた。


 置いた時、リュックの脇に去年オラがプレゼントしたククサが吊るされてあるのが見えて、目で追ってしまったがハッとして見るのを止めた。

「お、これか?一年、使わせてもらったよ。とっても手になじんで使いやすかったよ。ありがとうな、ストロー。」

 兄ちゃんは目敏めざとく、オラがククサを見ていた事に気が付いて、わざわざ近づいてオラの頭をくしゃくしゃっと撫でた。


「悪いね、今年も同じものしか作れなかった、」

 違う違う。そんな事言いたいんじゃない。

 心の中で、そんな微妙な悪態なんてつかないで、もっと素直になればいいのに。と思うのだけど、なかなかどうして。うまくいかないものなのだ。

「さぁ、ユッカも帰ってきたのだから、食事にしようかね。今日はクリスマスだから、ご馳走だよ。」

「オラも運ぶの手伝うよ。」

「ユッカは外套がいとうを脱いで手を洗っといで。」


 小さなテーブルに所せましと並んだのは、トナカイの肉のシチューとグラーヴィロヒとパンだった。

「わぁ。本当にご馳走だね! 毎日がクリスマスだったらいいのに!」

「何言っているんだい。いつまでたっても子供だねぇ、この子は。さぁ、食べようかね。」

 口々にいただきますを言って、ささやかなクリスマスディナーが始まった。

 オラがまだ小さい頃……、オットォが生きていた頃は、グラーヴィロヒはオットォが作っていたらしい。

 グラーヴィロヒは生のサーモンを塩や砂糖や香草などと数日間、重石などをして漬け込んだ料理なのだけれど、子供の頃はサーモンの身を生で食べるこの料理が大嫌いで、あまり食べなかった。

 ある程度舌も大人になった今となっては、どうしてあの頃食べておかなかったんだろうと、この料理を食べるたびに後悔する。

 だって、もうオットォが作ったグラーヴィロヒを食べることは一生できないのだから。


「あーーー!この味!オッカァの料理は最高においしいな!」

 兄ちゃんが舌鼓を打った。

「大げさだねぇ、この子は。そんな事ないだろうよ。町に立ち寄った時なんか、もっとおいしいものを食べているんじゃないのかい?」

「町なんてほとんど寄り付かないよー。あ、でもこの間、たまたま小さな町のクリスマスマーケットに立ち寄る事が出来てね……ちょっとまって。」

 そういうと、スプーンを口に咥えたまま立ち上がり、リュックのところまで行きごそごそと中を物色し始めた。

「ユッカ!お行儀が悪いよ!……ほんと、うちの子はいつまでたっても、子供だねぇ。」

 そんなことを言いながらも、オッカァは何だか嬉しそうだった。

「あった!これこれ。二人にクリスマスプレゼントを買ってきたんだよ。」

 器用にスプーンを咥えたまましゃべると、勿体ぶっているのか、見つけたソレを背中に隠しながら振り返った。


「あんたは、またそんな無駄遣いして!オラたちには、そんな町の上等なものなんて不釣り合いなんだから……」

 椅子に再度座った兄ちゃんが、プレゼントとやらが見えないように膝に置き、スプーンを皿の上に戻した。

「無駄遣いなんかじゃないよ。だってオッカァもストローも俺にプレゼント用意してくれているんだろう?それに俺がいない間、家とトナカイを守ってくれているのは二人じゃないか。」

 胸がズキンと痛む……

「それはそうだけど、町の物なんて上等すぎて……」

「まだプレゼントが何か知らないだろ。ほんと、オッカァは早合点だなぁ。……じゃぁ、まずはオッカァから。はい。」

 兄ちゃんが手を伸ばして、オッカァの前に鮮やかな赤い紙袋を差し出した。

 オッカァが躊躇いと嬉しさと混ざったような表情で、紙袋に手を伸ばした。


「……開けてもいいかい?」

「もちろんだよ!」

 焦っているわけでもないのに、はやる気持ちと動きがかみ合わないのか、ぎこちない手つきでオッカァが紙袋を開け、そっと中を覗いた。

「まぁ、高かったんじゃないのかい?」

「オッカァ!なんなの?オラも早く見たいよ、出してよ!」

 オラも、黙っていられなくて、せかしてしまう。


 オッカァが袋を傾けて手に滑らせて出したのは、遊色シラーが揺らめく丸い飾りのついた、トナカイの角製のかんざしだった。

「それ、螺鈿らでん細工っていうらしいよ。七色に光る貝が貼ってあるんだよ。」

 兄ちゃんが、とても得意げに説明した。

「こんな上等なもの、高かったんじゃないのかい?」

「一年に一回の親孝行なんだから、もらっといてよ。」

「……そうかい?じゃ、ありがたくいただこうかね。ユッカ、ありがとうね。」

 オッカァが嬉しそうにほほ笑んだ。


「じゃ、次はストローだな。」

 俄かに鼓動が早くなる。

 どんな表情をしたらいいんだろうか。

 嬉しいけれど、申し訳ない気持ちも何割か増している。それにプレゼントが、オッカァみたいなアクセサリーだったらどうしよう。

 そんなの着けたことないし……ペンダントとか……着けられるかなぁ……

「なんだよ、ストロー嬉しくないのか?」

「そ、そんなことないよ!」

「この子は、照れているんだよ。」

「そっか。じゃー、はい。ストローにはこれ。」


 テーブルの下から勢いよく目の前に差し出されたのは、折りたたまれた羊皮紙ようひしだった。

 手のひらより少し大きめの、厚みが一センチはないくらい。

 それを差し出されるまま手に取り、表紙……というべきなんだろうか?折りたたんである一番上の面に書かれた文字を口に出す。

「……世界地図、」

「どうだ?すごいだろう!しかも、それ、もっとすごいんだぞ!広げてみてくれよ!」

「う、うん……」

 兄ちゃんがそういうので、テーブルに地図を置いて折りたたまれたそれを広げようとした。


「違う違う!ちょっと貸して。こうするの。」

 オラから地図を受け取ると、立ち上がり、折りたたまった羊皮紙の一番上の面と一番下の面を持っておもむろに両腕を広げた。すると格子状に折られた地図が一気に開いて、見る見るうちに大きな一枚の紙になった。

「そして、ここからがすごいんだ!」

 そういうと今度は、広げた時の動きと逆の動きで両腕を閉じると、たったそれだけの動きで紙がお行儀よく、あっという間に折りたたまって元の手のひらほどの大きさへと戻った。


「な!すごいだろう!」

 兄ちゃんがそれはそれはドヤ顔で、こちらを見てくる。

 オラは今、どんな表情をしているんだろう……


「あ、ありがとう……、すごいね、それ。」

「そうだろ!見た瞬間、これを絶対にストローにプレゼントしたいって思ったんだよ。」

 兄ちゃん……、オラの事を気にかけてくれているのは嬉しいけれど、どうしてこれをオラに(しかも絶対までつけて)と思ったんだろ……


「あれ?あんまり欲しくなかった?」

「そんなことないよ!オラ、世界に興味があるから、すっごく嬉しいよ。」

 改めて兄ちゃんから地図を受け取り、自分でも地図を開いてみた。

 確かにすごい。縦にも横にも蛇腹に折ってあるというのだろうか?ただ折り目が付いているだけなのに、魔法のように紙が開いて大きな一枚になる。

 それをもう一度元の大きさに……と思って腕を閉じる……がうまくいかない。あれ?


「ユッカも、色気のないプレゼントするねぇ。ストローも女の子なんだよ。ペンダントとか鏡とか無かったのかい。」

「でもほら、昔からストローはそういうものよりも、人から話を聞いたり文字を覚えたりする方が好きだったじゃないか。」

「そりゃそうさ。貧乏の輪廻から抜け出すには、学問しかないからね。本当は二人にはこんなトナカイの仕事じゃなくて、大きな町に出て学校に行かせてやりたいんだよ。」

「また始まった、オッカァは口を開けば、いつもそれだなぁ。」

 二人がしゃべっているのも意識そこそこに、どうしてオラは兄ちゃんのように地図が閉じられないのかをあれこれ試していた。

「ストローは特に勉強をさせたら光るものがあると思うんだけどねぇ。本当に申し訳ないと思っているんだよ……」


 わかった!

 紙を大きく広げた時の対角線を意識して、その線をなぞるように閉じれば簡単に閉じられるんだな!


 それがわかると、頭の中のもやがすっと晴れたようで、気持ちが良かった。

 何度か地図を開け閉めして、自分の答えが正しいという事を確認した。

 そして、もう一度地図を広げて、今度は地図に視線をうつした。

 オラが住んでいる場所は…


「ちょっと、ストロー、聞いているのかい?」

「え?あぁ、ごめん。聞いてなかったかも。」

「ほらね。ストローにはアクセサリーよりも、ずっとこっちの方がいいんだよ。」

「地図はご飯の後にして、とにかくお食べ。冷めてしまうよ。」

 そうだった。夕食の途中だった。地図を畳んで、テーブルの端に置いた。


「今日はいっぱい作ったからね。たーんと食べておくれよ。ユッカ、シチューおかわり入れるかい?」

「あぁ、お願いしようかな。……勉強といえばね、それを買った村でいい話を聞いたよ。」

 器を受け取ったオッカァが、暖炉の前に置いている鍋からシチューを入れて兄ちゃんに渡した。

「はい、ユッカ。ストローもどうだい?」

「あ、オラももう一杯食べようかな。兄ちゃん、いい話って何?」

「無償で勉強を教えてくれる良心的な学校があるらしいんだよ。」


「はい、ストロー。本当かい?それは、どこなんだい?」

「ここよりもずっと南に下ったカップ村ってところらしいんだけどね。」

「そこは、どれくらい遠いんだい?」

「そうだなぁ……ストロー、地図を広げてくれよ。」

「うん。」

 地図を広げて二人に見えるように持った。


「俺たちの村がこの辺らしいんだな。それで、そのカップ村っていうのが、ずっと下がって、この辺りだな。」

 オラたちが住んでいるという場所は地図の左上の端っこだった。

 それから、そのカップ村というところは上下半分よりも上の場所を兄ちゃんは指さした。

「なんだい、けっこう近いじゃないのかい?」

「オッカァ、この地図で見たら、この村なんて髪の毛よりも小さな点なんだよ。」

「へぇ!そんなもんかい!世界っていうのは、大きいもんなんだねぇ。学がないと本当にダメだねぇ。貧乏なはずだよ。」


 地図を自分の方に向けて見てみた。

虹伝師こうでんしさまでない限り、この地図に乗っているあちこちに旅をする人なんてなかなかいないだろうからねぇ。知らなくて普通だよ。」

「そうすると、ここからその学校があるって村までどれくらいの日にちがかかるんだい?」

「そうだなぁ。一年くらいだろうか。船に乗せてもらえたら早いかもしれないけど、そんなお金ないからね。歩いて行くしかないからね。海を迂回して……こんな感じで移動かな?」

「そうかい……それは残念だねぇ。せっかく、貧乏人でも学べる場所があるっていうのにねぇ。」

 オッカァがため息をついた。

 そうだ。

 そんなに遠かったら、無償だったとしても無理な話だ。夢のまた夢。

「あはは、オッカァは面白い事を言うねぇ!」

「だってそうじゃないか。この村だってうちの家族だって、もっとちゃんと勉強をして町の為になる事を学んだら、もっとみんなが幸せに暮らせる方法があるはずさね。学がないと、昔からの仕事をただ繰り返すしかないけれど、学があれば違う道だってあるんだよ。貧乏なのは全部、学問をしていないことが悪いのさ。」

「また始まったよ……、ごめんごめん。もうこの話はおしまい。さ、シチューが冷めないうちに食べよう。」


「……。」

「ストローどうしたんだ?さっきから黙り込んで。」

「……うん、そのカップ村っていうところに行ったら、世の中のために働けるような、そんな職に就くことができるんだろうか。」

「まだその話?……そうだなぁ。俺もよく知らないんだ。まぁ、ある程度ここよりも都会だろうからな。虹の国にも近づく。この村にいるよりも可能性は広がるだろうな。ストローはトナカイの放牧は嫌なのか。」

「……嫌じゃないよ。嫌じゃないけれど、もしオラが頭が良くなって人から尊敬されるような職に就く事ができたなら、オッカァも兄ちゃんも、楽な暮らしをさせてあげることができるのになぁって思って。」

「……ストローは、勉強しに行きたいのかい?」

「……。」

 答えることが出来なくて、無音になった部屋に暖炉の薪のはじく音が耳につく。

 見ると薪が殆ど燃えてしまって、火が弱くなっていた。


「あ、薪をくべないと。外まで行かないと無いんだった。ちょっと薪棚まで行ってくるよ。」

「俺が行こうか?」

「いいよ、オラの仕事だし。」

 息苦しいこの場所から一旦外に出たらきっと、頭も冷えるはずだ。

 そう思って、手際よくヌトゥカを履いて、外に飛び出した。

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